第百四十六話
舞い散る火の粉。
肌に感じる熱気。
響き渡る張りのある声。
自信に満ちた不敵な笑み。
お爺様の気迫は凄まじく、目を瞑ってもその気配をありありと感じる。
その大きな存在感にともすれば腰が引けそうになるけれど、覚悟を決めエスパーダを握る。そしてそっと目を開ければ、お爺様の視線とぶつかった。
段差があるわけでも、見上げたわけでもない。ただ真っ直ぐ前を向けば極々自然に目が合った。同じ高さで絡む視線に、王都騎士団で対峙した時と同様にえもいわれぬ感情を抱く。しかしあの時とは違い、今の俺はその感情の答えを知っていた。
――寂しいですが別れの時なのですね、お爺様。
以前ジョイエ殿が呟いた言葉を、俺も心の中でそっと呟く。
守り導いてくれた人がいなくなるのは恐ろしく、今まで目標としてきた姿がなくなるのが寂しい。でもそれと同じくらい、いや、それ以上に託された喜びが胸にある。
俺の顔は今、笑っているに違いない。
お爺様やセルリー様達がいて陛下や父上達がいて、グレイ様やクレア、バラド達が居る日常。周囲に認められたい、一人前として扱ってほしいと言いながら、心のどこかではこのままでいたいと思っていた。
でも、それも今日で終わり。
どこまでもお膳立てされたこの状況は、俺や結界の外に居る人達にそう周知させるために用意された舞台だ。
お爺様とセルリー様とエルヴァ様。辺りを見渡し彼の方々を視界に収めた俺は、次いで城内から見ているだろうリブロ宰相とルタス補佐官を思い浮べ、思わず「ちくしょう」と呟いた。
引導を渡される前に自ら幕を下ろすお爺様達は、悔しいくらい、格好いい。
目の前で俺を挑発するように槍を振って見せるお爺様の存在感は、その気迫と相まってとても大きい。しかし実際のところ、お爺様と俺の身長は大して変わらず、体の厚みや太さは負けているものの絶望的な差ではない。
今の俺にとってお爺様は、【炎槍の勇者】は、戦える相手なのだ。
「――こないのなら、こちらから行くぞ!」
しびれを切らしたお爺様が、そう叫ぶ。
今すぐにでもこちらに向かってきそうなお爺様を制止するため、俺は見せつけるようにエスパーダを抜いて構えた。
ここまで準備してもらったのだから、せめて幕を下ろす役目は俺がやりたい。
「いえ。今、参ります」
そう告げると同時に、俺はお爺様に向かって跳んだ。
どれほどの間、お爺様と武器を交わしていたのか。
斬って止めて刺して流して。
剣術や体術、槍を交わす時の体捌きにスキルや魔法、すべて使ってお爺様と戦う。使ってないのは精霊とオレオルくらいだろうか。
俺もお爺様も互いにボロボロだった。
しかしそれでも、互いに攻撃の手は止めない。止めたく、なかった。
お爺様とやり合うのは、これが最後になる。そう思うと、今まで俺が培ってきたものをすべて、見てもらいたかった。
お爺様の懐に踏み込むと見せかけて【影刈り】を使い足元をすくう。軽く避けられたので【斬り上げ】ようとしたが、間もなく槍で叩き落された。
穂先で刀身を押さえつけられことで、俺はバランスを崩す。その隙をお爺様が逃すはずなく、体勢を整える前に柄を使った攻撃が頭めがけて繰り出してきたので、オレオルを抜いて受け止める。
受け止めた衝撃でカッと槍の柄にオレオルの刀身が軽く食い込む。戦いが始まり初めてオレオルのお披露目となったわけだが、お爺様はその切れ味に目を見開くと、危険を感じとったのか柄を引いて距離をとった。
槍の間合いより少し多めに距離をとったお爺様を、残念な気持ちでみやる。
オブザさんとの修行中に検証した結果、オレオルには魔力による切れ味や強度の強化が最適だとわかっている。龍という魔法耐性の強い素材を使っている所為か、属性の付与は今一つだが魔力を送ることで物理的な強度が上がる。実物の龍は並々ならない魔力を纏い、滅茶苦茶硬かったらしいのでその辺りが関係しているのだろうというのがオブザさん談だ。
受け止めた感触からいって後一秒あれば、魔力を送り強化したオレオルで柄を切断できただろう。惜しいことをしたと俺が悔やむ一方、傷ついた柄に目をやったお爺様はゆっくり口を開く。
「こうも簡単に儂の槍に傷をつけるとは……その刀、素材に龍かドラゴンを使っておるな」
「龍です。オブザさんから婚約祝いにいただきました」
質問でなく確信もって言いきったお爺様に答えながら、俺は体勢を整える。同時に、一撃ともいえない接触でオレオルの素材を当てたお爺様に、ぞくりと背筋が震えた。
オレオルを見つめるお爺様の視線は鋭い。恐らくオレオルの性質を踏まえた上で、俺がどう使ってくるか思案し対策を立てているのだろ。
その圧倒的な力で長年強者として在りながら、慢心することないお爺様は厄介な相手である。力と力のぶつかり合いを好みながら冷静に敵を分析し、適切な一手、相手側からすれば致命傷となる一撃を放ってくる。
力任せでありながら理にかなっている、ここがお爺様とジンの大きな違いだ。お爺様の幕を下ろしてさしあげるどころか、隙を見せたらやられそうだ。
「よい刀じゃ、大事にするといい」
観察を終えたのか、そう告げたお爺様は笑みを浮かべる。
「はい」
「【千本突き】!」
俺が答えるのと、お爺様が踏み込むのはほぼ同時だった。
聞こえた【千本突き】というスキル名からなんとなく技の内容がわかったので、俺はお爺様との間に【氷壁】を三枚ほど作る。
「甘いわ!」
しかし用意した三枚の氷壁は瞬く間に砕け散り、恐ろしい速さで炎を纏った槍が迫りくる。隙間なく繰り出される突きによる攻撃は、動く火の壁のようで。その威力を目の当たりにした俺は、内心舌を巻いた。
お爺様は、くるとわかっていても防ぎようのない攻撃だからこそ、次手の内容を知られるのは承知でスキル名を唱え威力を上げたのだ。
スキル名を唱えて使った方がいいか、威力の減少には目を瞑り黙して使った方が効果的なのか、お爺様は長い経験の中で体得してきたのだろう。
――流石、お爺様。戦い慣れていらっしゃる。
お爺様の戦い方に「俺も見習おう」とは思えど、黙ってやられる気はなく。
俺は飛退き距離を空けると、お爺様が再び距離を詰める前に攻撃に入る。
この技は、真っ向から止める。
そう心に決め、二本の刀に魔力を追加し構えた。
これはお爺様の騎士としての幕引き。
搦め手や不意をつくのでなく正面から破り、気持ちよく槍を置いていただきたい。
だからここは、引かずに攻め崩す。
「【風巻】」
攻撃は最大の防御ということで、俺は円を描くように切りかかる【風巻】を時計回りで使う。そうして、まず左手にあるオレオルでお爺様の槍を炎ごと薙ぎ払う。
「おお!」
その一撃で炎は掻き消え、密に突き出されていた槍がぶれてまばらになる。頬や腕、足いたるところに傷ができるが構わず、間隔が空いた突きの間に踏み込んだ。風巻を使っていることによって体を軸に二本の刀が円を描く。踏み出した勢いと己の体重、さらに遠心力が乗ったエスパーダでお爺様に切りかかる。
ガン!
降りそそぐような突きを強制的に止められたお爺様は、己が身に迫りくるエスパーダを炎槍で受け止めた。
しかしエスパーダの切っ先が僅かに触れたのか、お爺様の首筋からは血が一筋伝っていた。
「――見事」
「ありがとうございます」
息を呑み呟いたお爺様にそう告げ、一旦離れる。
右回転で回っていたため、エスパーダと槍がぶつかった時手首を返している状態だった。刃を当てようとするとそうならざるをえなかったのだが、その所為で勢いが殺がれてしまった。
これがオレオルを持つ左手か、もしくは左回転であったなら、もう少し深いダメージを与えられただろう。片刃しかない刀で回転しながら斬ったのだから仕方ないと言えば仕方ないのだが、勿体無い。両刃の剣でないとこのようなことになるのかと反省しつつ、お爺様と向き合う。
「随分長い間、戦っていたようじゃな」
お爺様は首筋に流れる血を拭いながら周囲をゆっくり見渡し、そう告げた。
その言葉に俺も周囲へと目をやる。
俺やお爺様が使ったスキルや魔法の影響で、地面は割れ隆起している。砕け散った氷の塊や焼け焦げた地面、果ては泥状にぬかるんでいる部分もある。セルリー様が張った結界の内側数枚には穴やヒビが見え修復中である。
結界の外の人々は皆、固唾を呑んで俺達を見ている。中には口を開けっ放しにしている者もおり、衝撃を受けている様子が窺えた。
己が戦った結果がこの惨状というのが、俺自身信じられないくらいだからな……。
幼い頃、お爺様と父上の本気の手合わせを見て化け物だと思った。人力で行われたとは思えないほど荒れ果てた大地と、その中心に立つ二人。服は所々破れ、穴から覗いた肌には血が滲む。髪は乱れ、土や煤で汚れた姿はボロボロだというのに、二人は肩で息をしながらも己が足でしっかり立ち、武器を構え対峙する。
そんな二人に畏怖を感じながら、尊敬の眼差しで見つめ、己との差に悔しさを抱き、いつか自分もああなるのだと決意した。
何度も夢見た光景そのままの場所に、今俺は立っている。己が体を見下ろせばボロボロで汚れており、息もそれなりに上がっているが、まだやれる。しかしそろそろお開きにせねばならないようだ。
お爺様は俺と目が合うと、ゆっくり口を開く。
「もう少し語らっていたいところじゃが、そろそろ、終わりにせねばな」
そう言って静かに槍を構え直したお爺様に応えるように、俺も構える。腰を落としオレオルを前に右足を後ろに引く。エスパーダを持つ右腕はやや上目に構えた。お爺様の攻撃を破るためオレオルへ多めに魔力を流し、残りはエスパーダに込める。
そんな俺の姿を見て破顔すると、お爺様は今日一番の出力で槍を燃やした。
結界の外に視線をやれば、そんな俺達を唖然とした表情で見つめている者達がおり、不思議な気持ちになる。
彼らの内にある感情は、畏怖か驚愕か尊敬か。俺が父上とお爺様の戦いに衝撃を受け決意したように、この戦いを見て奮い立つ者があの中にいるかもしれない。そしていつか、俺のように己の手でこの光景を作るようになり、誰かの目標となる。
国や人の想いは、そうやって繋がっていく。
だからこの別れを寂しく思う必要など、ない。
浮かんだ考えに小さく笑い、パキパキとエスパーダが氷を纏う音を聞きながら、お爺様を見据える。炎を纏わせた槍というよりも棒状の炎そのものを握った姿は恐ろしくも頼もしく、俺が憧れた炎槍の勇者そのままだった。
――炎槍の勇者が背負ってきた畏怖と尊敬は、この場で俺が継いでいきます。
お爺様に心の中で宣言し、俺は刀を固く握る。
その瞬間に前触れなどなく。
時同じくして踏み出したお爺様と俺は、互いに距離を詰めながら声を張り上げた。
「これで最後じゃドイル!」
「はい!」
そう言葉を交わした直後。
炎槍とオレオルがぶつかり合い、地が揺れた。
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