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甘く優しい世界で生きるには  作者: 深/深木
本編(完結済み)
135/262

第百三十五話

あけましておめでとうございます。

旧年中はひとかたならぬご厚情を賜り、誠にありがとうございました。

本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

 外交や賓客への接待、王族主催の茶会などに使われる、城内で最も大きく豪華な庭園。その一角では王妃様が手掛けた薔薇園が甘い香りを放ち、散策する者を楽しませる。

 クレアはそんな大庭園で時折上がる質問に答えながら、使者達といらっしゃった御婦人方を案内していた。

 女性陣が庭園を散策したり、用意されたテーブルでお茶を楽しむその一方、男性陣は大庭園に面したサロン内にいた。酒を嗜みつつ部屋の中心で会話に花を咲かせている人々の中には、グレイ様とジンの姿が見える。

 そんな中、俺は一体何をしているのかというと、フォルトレイスの使者殿に誘われサロンの壁に飾られた毛皮の前にいた。


「……いやはや、見事なものだな」


 隣に立つフォルトレイスからの使者スムバ・シャムス殿が、壁一面を覆うように飾られたマーナガルムの毛皮を見上げ零す。

 数多の傭兵や冒険者が集う要塞国家フォルトレイスの王弟であるスムバ殿は、くすんだ黄褐色の髪に金茶の目、俺の頭二つ分は高い身長と背丈に見合う鍛え抜かれた体がライオンを思わせる。歳は今年で三十二になるらしく、その昔父上と旅の道中を共にしたことがあるそうだ。


「職人の技術もさることながら、これは切り口が綺麗だったのであろう」

「ありがとうございます」


 言葉と共にちらりと向けられた視線に、俺は小さく答える。時同じくして、俺とスムバ殿と共に移動してきた人々からも感嘆の声が上がった。

 そんな中、商業国家ハンデルの使者ピネス・ドール殿が俺達の背後で盛り上がりを見せる集団から歩み出る。


「失礼。儂も混ぜってもらってもよろしいか?」

「ええ、どうぞ」


 そして一言断りを入れると、俺とスムバ殿の間に並んだ。


「やはりあなたも気になるか」

「うむ」


 顔見知りらしく、気安い態度で声をかけたスムバ殿にピネス殿も親しげに返す。そうして二人は二、三言葉を交わすと毛皮へ目を向ける。

 白髪交じりの黒髪をきっちり真ん中で分けたピネス殿は、一昨年に王位を譲られ隠居したばかりで、臣下にも民にも大変惜しまれての退位だったと聞いた。

 歳は四十五と隠居するにはまだ若く、藍色の瞳がみせる眼光が外交で数々の国を泣かせてきたという武勇をさもありなんと思わせる。

 鋭い眼差しで毛皮を値踏みしていたピネス殿は、蓄えられた顎鬚を撫でながら視線を宙に漂わせた後、残念そうな表情を浮かべ口を開く。


「……見事なものだな。ハンデル一といわれていた儂の目をもってしても、鼻先に薄らと見える一筋以外つなぎ目がわからん。それもよくよく目を凝らさんとわからんほどだ。これほどの一品、ぜひとも手に入れたいところだがざっと見積もっても手が出せん。毛皮、爪、牙、素材の原価だけ考えても相当の金額だ」


 そう告げたピネス殿は毛皮をねめつけると、ぼそりと呟く。


「息子に王位を譲って、隠居などしなければよかったか? さすればマジェスタ王に是といわせるだけの条件を用意できたやも……」


 極々小さい声で呟かれたその言葉は、周囲の者達には聞こえなかったものの、すぐ側に居た俺とスムバ殿の耳に入った。わざと聞かせたのだろうが、随分な言葉である。

 

 ……反応に困るから、そういうのは聞こえないように呟いてくれ。


 故意に俺とスムバ殿に聞かせただろうピネス殿の言葉に、内心そんなことを考える。継いで、俺達だけに聞かせた意図を思案していると、スムバ殿が呆れたように告げた。


「ピネス殿は相変わらずだな。跡を継いだプラタ王の苦労が偲ばれる」

「ふん。あやつはそんな玉ではないわ。この儂に面と向かって『ちょっとやりたい国家事業ができまして。国のためになるんですが、結果が出るまでは下からの反発が凄そうなので、俺に王位を譲ってくれません?』などとほざいたんだぞ」

「それで譲ってやったということは、プラタ王は優秀なのだろうな」

「儂の引退を喜んでいた者は多いようだが、ぬか喜びだといってやろう」


 両者とも前半は限りなく声を潜め、後半は周囲にも聞こえるように言葉を口にする。途端、『ハンデルの後継者は優秀らしい』という囁きがどこからか聞こえてきた。

 耳に入る言葉に周囲へと視線を走らせれば、考え込んでいる姿がちらほら見受けられる。大方ピネス殿の言葉の真意を図っているのだろう。

 何気なく投じられた言葉から広がる波紋に、俺はいたく感心した。


 これが、外交王と呼ばれた人か。


 前半のピネス殿の言葉を聞く限り、プラタ王はいい性格をしている。しかし後半のみを聞いただけでは、なんとなく優秀そうという漠然とした印象を抱くだけ。

 マジェスタから帰国した使者達は、滞在中手に入れた情報や縁を持ち帰る。当然、彼らは『ハンデルの新王は優秀らしい』という曖昧な情報を自国に伝えるだろう。

 そしてその情報を得た国々は、どうするか。

 恐らく、若き王の治世を静観する国と実力を見ようと手を出すものに分かれる。


 静観を決め込んだ国は今のところ害意なし、手を出してきた国は多少なりとも隙あればハンデルをという野心を持っていると考えられる。

 とくれば、前半部分を俺とスムバ殿に聞かせた理由は、フォルトレイスとマジェスタとはことを構える気はないというハンデルの意思表示と受け止めるべきだろう。

 短い会話で害意の有無を見分けるきっかけを作り、友好を保ちたい国にはわかり易く好意を示す。上手いものだなと思う。

 スムバ殿も同様の結論に至ったのだろう。笑みを浮かべピネス殿の会話に乗っていた。


「恐ろしいかぎりだな」

「恐ろしいのはうちだけはなかろうよ。なぁ、アギニス公爵殿」


 大げさに身震いしてみせたスバム殿に答えたピネス殿は、各国に餌を撒き終え満足したのか次いで俺へと視線を向ける。そんなピネス殿に釣られるようにスムバ殿も俺を見た。

 二人から注がれた値踏みされているとはっきり感じるその視線に、俺は笑み浮かべ告げる。


「そう思っていただければ、至極光栄です」


 二人を交互に見据えながらそう答え、笑む。

 この場で謙遜などしない。二人の言葉を堂々と肯定し、下手な真似をすればこうなるのはお前達だと周囲を威圧する。


 ――それがこの場で、俺に求められている役割だからな。


 広いサロン内を見渡せば、歓談している殿下やジンの姿があり、外に目をやればクレアもいる。皆マジェスタと他国を繋ぐため、己の役割をこなしているのだ。

 そんな中俺に任されたのは、マジェスタが舐められないようにするための牽制である。折角ピネス殿とスムバ殿から話を振ってくれたのだから、俺も役割を果たさなければ。

 この場にクレアの婚約者として立てることを、幸せだと感じるならなおさら。


「――よい目をするわ」

「流石アランの息子、といったところか」


 俺の態度に感心するピネス殿とスムバ殿に微笑みちらりと視線を走らせれば、二人の後ろ、丁度サロンと庭園の境目くらいの席でこちらの様子を窺っているエーデルシュタインの王太子が目に入る。

 本日マジェスタに到着したエーデルの王太子ことブリオ・フォン・エーデルシュタインは、先ほどからずっと俺を観察していた。

 クレアに相応しいか品定めされているのだと思う。私情を殺した冷静な瞳は、逸らされることなく俺の一挙一動を見ている。

 誘拐騒ぎまで起こした奴がどの面下げて来たと思わなくもないのだが、そう切り捨てるには彼の眼差しが真剣すぎた。


 非難を受けるリスクを背負ってでも、俺を見に来たくらいだからな……。

 

 なかったことにした以上、マジェスタ側があの一件を持ち出すことはない。しかし、事実を知っている者達は多かれ少なかれエーデルに悪感情を抱いている。

 よい待遇は望めず、報復される可能性もある。もしかしたら身の危険もあるかもしれない。それでも俺を直接見定めようとこの地を訪れた彼に、クレアへの思いの深さを感じた。


 ――そこまで真剣に想っているというのなら、俺も応えなければなるまい。


 譲る気はない、俺の方が彼女を幸せに出来るとブリオ殿下に示さなければならない。彼が二度とちょっかいを出す気など起きないほどに。


「アギニス公爵殿は、婚約者殿が気になるようだな」


 エーデルの王太子を眺めていると、俺の視線を追ったスバム殿がそう告げる。ブリオ殿下の後ろには庭園が見え、もれなくクレアが視界に入るため俺が彼女を見つめているように見えたのだろう。

 クレアだけを見ていたわけではないのだが、スムバ殿の言葉はある意味渡りに船だった。ブリオ殿下の前では、のろけているくらいの態度が丁度いい。

 動作が不自然にならないよう細心の注意を払いながら、俺はスムバ殿へと視線を戻し告げる。


「お話し中、失礼いたしました。彼女が視界に入ると、つい目で追ってしまいまして」

「いや、クレア王女との仲も良いようでなによりだ。改めて、フォルトレイスを代表してお二人のご婚約、心よりお祝い申し上げよう」

「ありがとうございます」


 素直に認めた俺にスムバ殿は意外そうな表情を見せたが、次いで祝いの言葉をくれる。

 スムバ殿に満面の笑みで礼を述べれば、俺の一連の行動を眺めていたピネス殿が愉しそうな目を一瞬ブリオ殿下に向ける。

 しかしそれは見間違いかと思うほど僅かな動作で、次の瞬間ごく自然にピネス殿は俺達の会話に加わってきた。


「誠に。互いの髪色の衣装に瞳の色と同じ装飾品。こうも堂々と相手の色を纏えるのは若者の特権ですな。仲睦まじいお二人の姿に、妻も若い頃を思い出すとしきりに申しておりましたぞ。此度の良縁、マジェスタ王もグレイ殿下もさぞお喜びだろう」

「ありがとうございます」


 からかうような口調で告げたピネス殿に笑顔で礼を言えば、周囲から祝いや囃し立てる言葉がかけられる。

 盛り上がる周囲の声に応えながらとちらりとブリオ殿下へ目をやれば、彼の顔は悲しそうに歪められていた。


 ……ブリオ殿下には悪いが、バラドに感謝だな。


 俺とクレアを見比べ、その瞳に僅かな諦めを浮かべたエーデルの王太子と周囲の反応に、レオ先輩達と客室で待機しているバラドに感謝の言葉を贈る。

 現在の俺の服装は、白いシャツに、黒いズボンとベストに膝上ほどある襟付きの上着。その内、ズボンと上着の裾には金糸で蔓のような刺繍がされていた。シンプルだが、グレイ様が普段着ている服装に近い。

 それらを着た上に、光沢を放つ深緑のアスコットタイを首に巻き、鮮やかな碧の宝石があしらわれたリングで止める。そこにさらにスカーフリングと同じ碧の宝石があしらわれたカフスボタン、見目よくするために金と碧の宝石で装飾されたベルト。

 黒と碧、クレアの髪と瞳の色である。

 ちなみクレアはというと、レースを重ねふんわりと裾の広がった爽やかな黄色のドレスに、金をベースに紫水晶をあしらった装飾品を身につけている。

 俺の金髪と紫色の目を模した色だ。


 恋人や夫婦が互いの色を纏うことはよくある。

 それは互いの仲をみせつけるためであり、周囲への牽制も含む。政略結婚の多い貴族間では、夫婦仲で両家の関係は良好だと示す時もある。そのため、視覚にもわかりやすいこの方法を貴族達は好んで使う。

 勿論俺とクレアの衣装も、その辺りを考慮した配色で用意されている。

 ただ、最初にやりすぎてしまうと後半着る物に困ることになるので、本日は衣装のみ互いの色とし装飾品は別の色にする予定だった。衣装の色だけならば、男が公の場で黒を着るのは不自然ではないし、夏らしい印象を与える黄色はこの時期の令嬢がよく使うため、偶然とも言えるからな。


 しかし、エーデルシュタインの使者として王太子が到着したとの知らせを受けたバラドが、クレア付きの侍女と話し合い予定を変更。互いの瞳と同色の装飾品を合わせることで、ありふれた色だった衣装も偶然ではなく合わせているのだと周囲に誇示することにしたのだ。

 その結果が、今の状況である。

 ハンデルの若き王の話題から一転、今や周囲は俺とクレアへの祝いの言葉で溢れていた。


 正しくはバラドの思惑とピネス殿の思惑が重なった結果だろうが……。


 ピネス殿の言葉をきっかけに変化した場の空気に思うところがあったのか、エーデルの王太子は手近にいたメイドに机を片すよう命じ席を立とうとしていた。

 明らかにこちらに加わろうとしている王太子の姿に、ピネス殿の目に期待がちらつく。大方俺とブリオ殿下が揉めるのでも期待しているのだろう。食えない人である。

 どうやらピネス殿が俺とクレアの服装に言及する直前、一瞬エーデルの王太子へと目をやっていた気がしたのは見間違いではなかったらしい。


 宝石の鉱山を多く抱えるエーデルシュタインとハンデルは切っても切れぬ仲であり、表面上は友好国を謳っている。しかしその実、少しでも安く買い叩きたいハンデルと少しでも高く売りつけたいエーデルシュタインの仲は、それほどよくないと聞く。

 恐らくエーデルの王太子の噂も色々耳にしていたのだろう。王太子を煽り、俺と揉めさせることで少しでも交渉を優位に持っていく材料がほしいといったところか。


 ……どう転んでもハンデルに不利益はないからな。


 俺と王太子が揉めた場合、どちらが失態を冒しても今後の外交に生かせる。揉めなくとも、別に不利益はない。

 そう考えると、場の空気を変えブリオ殿下を動かした先の一言は大変上手い誘導であった。

 友好を示した直後のくせにとも言われかねない行動だが、恐らく俺が彼を意識しているとわかった上での行動だ。きっとピネス殿は、俺と王太子の視線から今日の衣装が誰に向けたものか読み取っている。故に俺がこの状況を利用することはあれど、咎めることはないと確信しているのだろう。

 内心修羅場を期待しているらしいピネス殿に、スムバ殿は呆れた表情を浮かべている。しかし好奇心は抑えられないのか、若干目を輝かせこちらに向かってくるブリオ殿下と俺を見比べている。

 人の不幸は蜜の味とはよくいったものである。


「――失礼。俺もお話に参加させていただいてもよろしいか、アギニス殿」


 ほどなくして俺達の元に到着したブリオ殿下は、そう告げる。

 エーデルの王太子の口から発せられたその言葉に、敏い者達は眉をしかめたり面白そうな顔をみせたりと様々な反応をみせていた。

 俺がアギニス家を継ぐことはすでに決定している。故に使者達は、この場の主役である俺を立てる意味を込めて『アギニス公爵』と継いでもいない爵位をつけて呼んでいた。

 そんな中、目の前の王太子はわざと爵位を抜いて呼びかけたのだ。これはエーデルシュタインが、今回の婚約を喜んでないと言っているにも等しい行為である。名目上は婚約を祝いにきたというのに、随分な態度といえよう。

 

 ……俺の出方を見たいのはわかるが、この方法はあまりよろしくないな。


 不穏な空気にざわめきだす周囲と面白そうに傍観するピネス殿とスムバ殿、そして俺をじっと見つめているブリオ殿下を見回し、心の中で溜息を零す。

 わざと礼を欠いた態度で接しこちらの反応見ているブリオ殿下に、俺はふと『悪い奴ではないが青い』というシオンの評価を思い出した。

 マジェスタとエーデルの不仲を各国の前で堂々と匂わせた彼に、厄介だなという感想を抱きつつ、目を輝かせた者達を記憶に刻む。

 後でグレイ様に報告しようと各々の顔と反応を覚えながら、俺はブリオ殿下に答えた。


「よろこんで、ブリオ殿下。よろしければ、あちらで話しませんか?」

「ああ」


 このまま見世物になるのはよろしくないと判断し奥まった席を示せば、ブリオ殿下は異を唱えることなく頷く。

 その姿を見た俺は、次いでピネス殿達に了承を得るべく声をかけた。


「ピネス殿とスムバ殿もよろしいですか?」

「いいぞ」

「立ち話もなんですしな」


 ブリオ殿下同様快諾した二人に、俺は近くにいたメイドに茶を用意するよう目配せする。


「では、皆様どうぞこちらへ」


 意を酌み取ったメイドが準備に動いたのを確認し、俺は三人に向きなおり丁重に席へと案内した。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

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