第百三十話
消えた氷の破片と使用済みの丸太。
歪み一つなく均された地面。
心なしか綺麗になった塀。
来た時同様、いや下手したらそれ以上に整えられた鍛錬場。
ボロボロだった状態から一瞬で変わった光景にウィン大叔父様の護衛達は目を見張り、感心しているのか唖然としているのか判別しにくい声を上げる。
そんな中、俺に視線を向けたセルリー様はおもむろに口を開いた。
「お礼は、この後ちょっと付き合ってくれるだけでいいですよ? ドイル君」
「……そうですか」
身の丈ほどある杖を持ち、満足気な表情で告げるセルリー様に肩を落とす。
疲れていたとはいえ余裕はあった。こんなことなら直してから休憩するんだった。座り込む前に片付けておけば、オブザさんの手を煩わせることも、セルリー様に恩を押し売られることもなかっただろう。
しかしいくら悔やんだところで現実は変わらない。そんなことよりも、現在最も重要なのはセルリー様がこの場に居るのが偶然か意図してなのかという点である。
たまたま通りかかり覗いてみた結果、鍛錬場を直したのか。
はたまた俺に用事があって探していたところ、同行を求めるのに丁度よい現場に出くわしたので先に軽く恩を売っておくことにしたのか。
前者と後者では『ちょっと付き合う』の『ちょっと』に大きな違いがあるはず。
セルリー様に尋ねたところで素直に教えてくれないのはわかっている。それでもなお心の準備をしたかった俺は、セルリー様に真意を問うべく顔を上げる。
しかし俺が声をかけるよりも早く、ウィン大叔父様が動いた。
「セルリー殿!」
ぱっと表情を明るくしたウィン大叔父様は、セルリー様の名を呼ぶ。次いで立ち上がると、こちらへやってきた。
「ウィン。久しいですね」
そう答えたセルリー様の表情は柔らかく。二人の間に流れる和やかな空気に驚く。しかしすぐに、セルリー様がアメリアお婆様の幼馴染だったことを思い出した。
アメリアお婆様と親しかったのなら、ウィン大叔父様とも付き合いが深かったことは想像に容易い。
思い至った理由に「だからか」と納得するも、いつもとは違う表情を浮かべるセルリー様が珍しくまじまじと見てしまう。
「はい。こうして顔を合わせたのは何時以来でしょうか……お元気でしたか?」
「ええ、このとおりです。そうそう、引退祝いありがとうございました。この国の者達は引き止めるばかりで、誰も祝ってくれませんでしたからねぇ。一体老骨をどれだけ働かせる気なんだか」
「セルリー殿ほどの実力となれば年齢など些細なものですからね。引き留めたいと思う者達の気持ちもよくわかります」
「ゼノと一緒に力ずくで引退してやりましたけどね」
そんな俺の視線など気にも留めず、二人は楽しそうに会話を続ける。
セルリー様の含みのない笑顔とか、初めて見たな……。
この方もこんな笑みを浮かべることができたのかと、少し驚きつつ二人から視線を外した。
俺になにをさせたいのか、学園にいるはずのセルリー様がなぜ王城にいるのかなど問いただしたいのは山々だが、折角の再会に水を差すのは無粋というもの。
あの様子では話が終わるまでもうしばらくかかると判断した俺は、改めて周囲へと目を向ける。
護衛達とオブザさんはこの後の予定かなにかを話し合っていた。グレイ様達は未だ鍛錬場の中心にいるが治療は終わったらしく、ジンが自力で立ち上がろうとしている姿が見えるので、そのうちこちらに合流するだろう。
セルリー様の手によって修復された鍛錬場は、文句のつけどころがないほど綺麗だ。ご丁寧に突き刺さっていた氷や使用済みの丸太も処分されており、複数の魔法を同時に使ったことが窺える。
氷を溶かした魔法に丸太を処分した魔法、地面を均した魔法など最低でも3つは同時に使われている。
一つ一つの魔法はたいしたものではないにしろ、素直に凄いなと思う。これだけの広範囲を一瞬で美しく、それも杖で地面を軽く叩くという簡単な動作で行えてしまうのだから、流石である。俺も見習いたいものだ。
…………ん? セルリー様が杖?
使われた魔法を考察する最中、ふと気が付いた違和感にセルリー様へと目を向ける。ウィン大叔父様と穏やかな表情で話しているセルリー様の手には、やはり身の丈近くある大きな杖が握られていた。
改めて認識した存在に、俺は目を瞬かせる。
魔法を使う際、杖というものは必須ではない。
魔力をインクに例えるなら杖は羽ペンだ。指にインクをつけて文字を書くよりも羽ペンで書いた方が綺麗な字になるように、杖という媒体を通すことで魔力の細かい操作がしやすくなる。
有れば便利なのは確かなのだが、なくてもそう困るものではない。というのも、この世界における魔法の発生原理が関係している。
この世界で魔法を使う方法は、大まかに分けて三つ。
一つ目は、習得したスキルによって行使する魔法。
これはスキルさえ習得できれば誰でも使える。俺が学ばなくても刀をそれなりに扱えるように、魔法もスキルを使えば魔力量の調整や操作など必要ないからだ。
刀のスキルを使うのに刀を必要とするように、魔法のスキルには魔力が必要だ。しかし普通であれば、保持魔力以上の魔法スキルを習得することはないので、魔力不足で使えないということはない。ただスキルを使えばいいだけ。ジンの『火柱』などはこれだ。
二つ目、魔力を対価に払い精霊に魔法を使ってもらう、俗に精霊魔法と呼ばれるもの。
これに関しても魔法を行使するのは精霊なので、操作も何もない。ただ精霊に魔力を渡して『お願い』するだけである。お願いを聞いてくれる精霊さえいれば、使う側は魔力が有ればいい。
欠点をあげるなら魔法の仕上がりは精霊に一任されるので、望んだ結果が得られるかどうかは精霊との関係次第という点。力の塊である精霊が使う魔法は強力であり、人間の常識とは大きな違いがあるので、想像どおりの魔法を使ってほしければ理解してもらえるまで説明が必要だ。
そして三つ目は、人がスキルや精霊魔法を真似て生み出した魔法。
セルリー様が普段使う魔法の大半はこれだ。
魔力量の調整や魔力を炎や水に変換する、形や範囲を指定するなど、スキルや精霊が自然に行っていることを一つ一つ組み上げ、魔法を行使する。
これには卓越した魔力操作が必要となる。スキルや精霊がやっていることを自力で行うので当然といえば当然だ。魔法を組み上がるまで敵は待ってくれないので、手早く行わなければならない。一つの魔法を実戦で使えるレベルまで高めるには、相当の技術と訓練が必要となる。
ただ現在は『陣』という文字というか絵のような形で、魔法の範囲や種類を布や魔石に事前に刻んでおき、実戦では魔力を流すだけという使い方が主流である。魔道具と呼ばれる物も内部にはこの『陣』が利用されている。
しかしそうして創意工夫を重ねようとも、スキルや精霊魔法には劣る理不尽さ。
何が足りないのかはわからない。魔力量も属性の種類も範囲も形も完璧に再現しているというのに、実際使ってみるとスキルには一歩及ばない。
故に人々はスキルを特別視する。持つ者と持たざる者、そこには決して越えられない壁があるからだ。 一部の研究狂達は、だからこそやり甲斐があると言っているが……。
どう足掻いてもスキルに及ばないのなら、そうまでして魔法を使う必要はないのではと思うが、理不尽さを噛みしめてでも人々が研究してきただけあり利点も多い。
例え劣化版でしかなくとも、魔力量さえあれば適性のない魔法を使えるのは魅力的だし、弱い魔法でも頭数がそろえば脅威となる。また魔力の弱い者達でも数を集めれば強力な魔法が使えるという点。集団戦において重宝されたのは言うまでもない。
実際『陣』という方法が大きく発展したのは戦時中だったと、多くの書物にも記されている。英雄が一人いれば士気は上がるが、いかなる強者であろうとも一人で万の兵は倒せない。体力も魔力も限界があるからな。
魔獣や戦争と争いが絶えない中で生まれた魔法故に、この三つ目の方法も杖を使う必要はない。基本『陣』は持ち運びしやすいように石か布、魔獣の皮に刻むことが多く、使う時は魔力を流し込むだけなので繊細な魔力操作など皆無だからな。
ではどういった時に杖が必要かと言えば複雑な魔法を使う場合や、子供がスキルや魔法を練習する時の事故防止などである。
ちなみにセルリー様は普段杖など使わない。四英傑と元魔術師長の名は伊達ではなく、驚くほどのスピードと正確さで魔法を組むことができる方だ。
そんな方が今現在、とても立派な杖を持っている。
正直、嫌な予感しかしない。だってそれはつまり、セルリー様はここにくるまで、もしくはこれから杖を必要とするほど複雑な魔法を使うということである。
願わくは、その複雑な魔法が俺と無関係であることを祈りたい……。
というか、この方は杖なんか持って王城に何の用があったのだろうか。
そんなことを考えながら、戦々恐々とした気持ちでセルリー様を見ていると不意に目が合う。
「――そんな怯えた目をして、どうかしましたか? ドイル君」
そして含みのある笑みを浮かべ、問いかけられた。怯えていたのは否定しないが、なんとも答えにくい質問である。
愉しげな様子で返答を待つセルリー様に、ウィン大叔父様はどうしたのかと辺りを見回せば、どうやら俺が考え込んでいた間に話が終わっていたらしい。いつの間にかオブザさんと護衛達の元に戻り話している。
彼らからセルリー様へと視線を戻し、なんと答えるべきか逡巡する。俺が杖を見ていたことをセルリー様は承知している。今の心境を告げるか告げないか。どちらをこの方はお望みなのだろうか。
……偶には、素直に告げてみるのもいいかもしれない。
考えた結果そんな結論にいたる。
普段セルリー様と対峙すると、腹の探り合いになることが多い。そうして掌で転がされる俺を見て、この方が楽しんでいることはわかっている。
いつもこうして俺の反応を楽しんでいるセルリー様は、素直に怖いといわれたらどんな反応をするのだろうか?
どうせもうセルリー様の中で俺が『ちょっと付き合う』ことは決定しているのだ。今後の対策までに、正直な言葉にどう反応するのか見ておくのもいいかもしれない。
そんなことを考えながら、俺はゆっくり口を開く。
「杖の用途が恐ろしいなと、思いまして」
「……おやおや」
その言葉にセルリー様は一瞬、虚をつかれたような表情を浮かべた。恐らく俺が場を濁すか、探りを入れてくると思ったのだろう。
意外そうな顔をした後、これはこれで面白いといった様子でセルリー様は笑う。そんなセルリー様の反応をつぶさに観察しながら俺はさらに告げる。
「セルリー様が杖を必要とするほどの魔法はこれからですか? それとももうすでに?」
「どちらだと思いますか?」
「わからないから、こうして伺っています」
「世の大人が聞けば何でも答えくれると思ったら大間違いですよ?」
「……学園の教師ならば、生徒の質問に答えるのは職務の一環でしょう?」
「それはそうですが、ここは学園ではありませんからねぇ。学園を出れば教師も徒人ですよ?」
ああ言えばこう言うセルリー様に、思わず舌打ちしそうになってぐっと堪える。相変わらず、相手の気分を逆なでするのが上手い方だ。
目を細めるセルリー様は、至極愉しそうである。いつもと大差ないその反応に、この方法も駄目だなと記憶に刻む。ついでに、答える気が少しも感じられないという文句を呑みこんだ。
この方の性格上、聞いたところで答えてくれないのはわかりきっていたこと。ここで苛立ってもさらに遊ばれるだけである。
もうこの話は止めようと、俺は気分を落ち着けるため一呼吸置く。そしてこの茶番を終えるべく口を開いた。
「もういいです……それで、何をお手伝いすればよろしいのでしょうか?」
「おや、いいんですか?」
首を傾げ尋ねるセルリー様に、答える気なんかない癖にと心の中で呟く。
まったく、ウィン大叔父様への態度と大違いである。事あるごとにこうして俺と関わろうとするので嫌われているわけではないと思うが、できるならもう少し素直な対応をお願いしたい。
そこはかとない疲労感を覚えつつ、俺は再度セルリー様に尋ねる。
「ええ。それで私はこの後何を?」
「……ちょっと、さぼっている者達にお仕置きしに行くのを手伝っていただこうと思いましてねぇ」
話を変えた俺につまらなさそうな顔を見せたものの、すぐに表情を変えて告げる。
悪寒を感じる嘲笑とセルリー様の『お仕置き』という不吉な言葉に、詳しく話を聞こうとした丁度その時、ようやくこちらに戻ってきたグレイ様が口を挟んだ。
「城内で仕事をさぼっている者達がいると? 一体、どこの者達ですか?」
そうセルリー様に尋ねるグレイ様の声は固い。眉間に皺もよっており、大変厳しい表情を浮かべている。
職務怠慢など許せない人だ。きっと民の見本となるべき者達がとか、給金は税金から支払われているのにとか考えて苛立っているのだろう。
グレイ様の空気の変化を見ていたセルリー様は、「これは丁度いいですね」と小さく呟き笑みを深める。
険しい表情を浮かべるグレイ様とセルリー様の組み合わせに、これからお仕置きされるだろう人々を想い俺は心の中で手を合わせる。ご愁傷である。
そんな俺を他所に、一際イイ笑顔を浮かべたセルリー様は楽しそうに語りだす。
「嘆かわしいことですが……一部の宮廷魔術師と宮廷薬師です。ほら、今庭園の池にドイル君の精霊達とフェニーチェ達がいるでしょう?」
「は?」
大げさに嘆きながら語り始めたセルリー様の言葉に、俺は思わず声を上げる。
他人事のように聞き流していたがラファールやアルヴィオーネ、アインス達が関わっているなら話は別である。
バッとセルリー様をみれば、俺の反応にご満悦そうな顔で頷きさらに言葉を続ける。
「風の精霊は現在誰にも見える状態ですから、見つけた魔術師達が彼女の気を引こうと魔石などの貢物を持って池周辺をうろついていましてね。一方の薬師達は生きたフェニーチェに釘づけです。どうにかして捕獲できないかと果物やら木の実やら持って頑張っていましたよ。いい歳した大人達が貢物を誇示し合ったり、猫なで声で呼びかけたりと、池の周辺が大変愉快なことになっていましてねぇ。その上、奇行が人を呼びさらに数を増やす結果に。全員見向きもされていなかったので、無様だなと笑いつつドイル君を呼びにきたというわけです…………こっちはリブロに押し付けられた仕事を真面目にこなしていたというのに、私を差し置いて仕事をさぼるなんて許されませんよねぇ?」
セルリー様の言葉に、血の気がサーと引いていくのがわかった。
宰相のリブロ様に頼まれた仕事や私怨の籠った言葉など、気になる点はあったが今はそれどころではない。
ラファール達がどうにかされるとは思わないが問題はアインス達、いやフュンフである。
念のためラファール達の側から離れないように命じたが、餌で釣ろうとしているだと? ただの果物や木の実には見向きもしないだろうがここは王城、中には魔力を帯びたものがあるかもしれない。アインス達は賢いから心配ないが、フュンフは危ない。
彼奴は食い意地が張っている上に、ちょっとどんくさい。それに卵を産まない雄だから、捕まったら素材にされる可能性が高い。成体ならともかく、幼体の素材は珍しいからな。
また、フュンフを止めようとしての二次災害も考えられる。
アインス達が巻き込まれて捕まる可能性は低いと思うのだが、ラファールとアルヴィオーネの過剰防衛が心配である。あそこはアルヴィオーネの住処なのだ。加減を間違えて、うっかり再起不能の大怪我とかありそうで怖い。
とめどなく溢れる嫌な考えに、俺は叫ぶ。
「セルリー様! それを早く言ってください!」
「水の精霊が目を光らせていましたから大丈夫ですよ?」
「一羽、心配な奴がいるんです! それに守ろうとして過剰防衛とか、洒落になりません! ――グレイ様、急用ができましたので御前失礼いたします!」
しれっと答えたセルリー様にそう言い捨て、グレイ様にこの場から去る許可を求める。
俺の剣幕に思うところがあったのか、グレイ様はすぐに頷いてくれた。
「早く行ってやれ。俺もここを閉めたら直ぐに行こう」
グレイ様の言葉に頷いた後、俺はウィン大叔父様に挨拶しようと足早に近づく。
「ウィン大叔父様、慌ただしい別れで申し訳ございません。早急に行かねばならないところが……」
「挨拶はいいよ。急ぎなんだろう? 早く行きなさい」
慌ただしいことを詫びつつ、別れの挨拶を口にすればウィン大叔父様に遮られた。次いでかけられた優しい言葉に甘え、俺は頭を下げて挨拶を終える。
「ありがとうございます。このお詫びは、後日改めて伺わせていただきます」
「うん、気を付けてね」
「はい。それでは失礼いたします。オブザさんも皆様も、本日はお世話になりました。これにて失礼させていただきます」
慌ただしく挨拶する俺に、「気を付けて」「急げよ」と声をかけてくれる東国の方々にもう一度深く頭を下げる。
「またね、ドイル君」
「はい」
オブザさんの言葉にしっかり答え、俺は走り出す。
「ドイル君は、過保護ですねぇ」
セルリー様のそんな呟きを背に、俺は鍛錬場の扉を勢いよく開け飛び出す。
目指すは、庭園の端に作られている池である。
色々、間に合いますように!
先ほどまでの疲労感も忘れ、俺は祈るような気持ちで走った。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。




