第百二十七話
賓客達にも解放されている客室からもっとも近い鍛錬場。昼間とは違い、人気のなくなったそこで俺は人を待っていた。
華やかだった舞踏会も終わり、皆が寝静まった城内はとても静かだ。
鍛錬場の中で一人風に揺らめく灯りを眺め、時折巡回で通りがかった騎士達と挨拶を交わす。刻々と時間はすぎてゆくというのに、俺の心中は酷く穏やかだった。
中天に昇る月を見上げながら、エスパーダを亜空間からとりだす。
汚れ一つない純白の刀、その握り慣れた感触に笑み鞘から一気に刃を引き抜く。月明かりを受け、青白い輝きを見せる刀身の美しさは、あの頃からずっと変わらない。
鞘を腰にさし、エスパーダを構える。
斬って、払って、突く。
槍のように型の指導を受けたことはないので、適当な動きだ。それでもスキルを使った時を思い出し、踏み込み刃を振るう。師について修行を積んだわけでもないのに、それなりに戦えるのはスキルを通じて刀の扱い方を学んだからだ。
見えない敵を思い描き、相手の攻撃を躱し、止めて、流す。
間合いの取り方や攻撃の躱し方、受け止め方はお爺様や父上、騎士達に嫌というほど教わった。それは扱う武器が槍から刀に変わったところで、無駄にはならない。
教わった技術と知らぬ間に身についた技術、その二つを合わせて体を動かす。
それが今の俺の戦い方だ。
流れに身を任せ、気が済むまでエスパーダを振った。
そして徐々におさまりゆく勢いに従い、足を止め鞘に刃を戻す。
――パチパチパチパチパチ。
チン、と高い音をたてエスパーダが鞘に納まると時同じくして、鍛錬場内に響いたその音にゆっくり振り返る。
「お見事」
長細い木箱を脇に挟み手を叩くオブザさんは、俺と目が合うとそういって笑う。
沢山の灯りがともる鍛錬場はあの時とは違い明るく、近づかなくともその顔がよく見えた。
「ありがとうございます」
そう答えながら、一歩一歩近づいてくるオブザさんに合わせ俺も歩み寄る。すぐに縮まった距離に足を止めて目を合わせれば、目尻を下げたオブザさんが口を開く。
「型も順序もなく一目で自己流だってわかるのに、一つ一つの動きがとても綺麗だから思わず引き込まれたよ」
「オブザさんにそういっていただけると光栄です」
嬉しい褒め言葉に、軽くお辞儀をして応える。
畏まった言葉づかいで微笑めば、オブザさんはしみじみした表情を浮かべ呟いた。
「あんなに小さかったのに」
「まだまだ、未熟者ですよ」
「すっかり大人になっちゃって!」
「っちょ、オブザさん!」
嬉しそうな声が聞こえた後ぐしゃぐしゃっと髪を掻き混ぜられ、思わず抗議の声を上げる。この歳で頭を撫でられるとは、予想外で避けそこなってしまった。
「急になにするんですか」
「ごめんごめん。つい、ね」
抗議の声を無視して撫で続ける手をするりと躱し、じと目でオブザさんを見れば、まったく悪びれない顔で謝られる。
ただ、その軽い口調と違い向けられた顔は優しげで、俺はそれ以上の文句を呑みこんだ。
穏やかな空気が流れるのを肌で感じる。そんな中、温かな眼差しで俺を見るオブザさんから一歩離れ、改めて姿勢を正した。
「七年間、黙っていてくださり、ありがとうございました。遅くなりましたが、あの時の非礼お詫び申し上げます」
そう告げて、先ほどと違い丁寧な動作でお礼と謝罪の言葉を告げる。
オブザさんがくる。
そうグレイ様に聞いた時からずっと、会ったらなんと言おうか考えていた。
最初は当時の非礼を詫びるべきか、でもあんな態度をとってしまったのには理由があった。まずはそこから説明すべきか。いや、今さらそれは言い訳がましいから、お礼を言った方がいいのでは。でも、お礼を述べるなら、やはりオブザさんの善意を踏みにじったことを詫びるのが先だろう。
そんなことをつらつら考えて考えて、結局残ったのは『ありがとう』と『ごめんなさい』という言葉だった。
言いたいことは沢山あった。しかし離れていた間のことを語るには色々な感情がありすぎて、経験した様々な出来事を上手く説明できない気がした。
だから、言葉にならなかった想いものせて、深く頭を下げる。
こんな俺をオブザさんはどう思うだろうか?
そんなことを考えながらゆっくり頭を上げる。どきどきと緊張する心臓を感じながら背筋を伸ばし見つめたオブザさんの眼差しは、変わらなかった。
「――ゼノ殿やアラン殿とは別の、君だけの道を見つけたんだね」
「はい。随分と遠回りしてしまいましたが、あの時オブザさんが仰った言葉の意味を俺はようやく理解できました。貴方の仰ったとおり、槍の勇者になれなくとも悲観する必要などなかった」
子守唄歌を歌う母親のような、落ち着いた声で告げられた言葉にしっかり答える。
己の適性を知った絶望も、前世を思い出し半生を振り返った時の後悔も、今抱いている感謝の気持ちも言葉にするのは難しい。
でも、これだけは言葉にして伝えなければならないと思う言葉がある。
逸る気持ちを落ち着けるため、小さく息を吸う。そして、じっと続きを待つオブザさんを真っ直ぐ見つめ、ずっと言いたかったその言葉を口にする。
「称号などなくても、俺の居場所は皆の側にある」
「そのとおりだ」
俺の言葉から間をあけることなくそう答えたオブザさんは、とても嬉しそうだった。
しかしすぐにその表情を消すと、真剣な顔を浮かべ俺を見つめる。次いで、重々しい声で告げた。
「すまなかった」
「オブザさん?」
「俺が安易な考えで行動したばっかりに、君を傷つけ苦しめた――本当にすまなかった」
そう告げるオブザさんはとても苦しそうで。とても後悔しているということが、その表情をみるだけでわかった。
突然の謝罪に驚くも、そう言いながら頭を下げるオブザさんに俺は慌てて口を開く。
「顔を上げてください、オブザさん! 謝罪などいりません! あの時貴方が必死に引き止めてくれたから、言葉をくれたから、俺は踏みとどまれたんです。感謝こそすれ謝罪など」
「いや、謝らせてくれ。俺はずっと君に謝りたかったんだ」
顔を上げてくれという俺を制止したオブザさんの表情は真剣で。
その気迫に、俺は続けようとした言葉を呑みこんだ。
そんな俺に困ったような顔でオブザさんは笑う。しかし次の瞬間にはその表情を真面目なものに戻し、再び言葉を紡ぐ。
「あの時の君に、適性を教えたのは軽率だったとずっと後悔していた。黙っているべきだったとは思わない。でも告げるべき相手は君ではなく、ゼノ殿かアラン殿だった。そうすれば……いや、そうしなければならなかった。あの時の君はまだ幼く、大人達に守られるべき子供だったのだから。俺の配慮が足りなかったばっかりに、君から親に甘え守ってもらえる時期を奪ってしまった。謝って済むことではないが、本当に申し訳なく思っている」
そう言って、オブザさんは頭を下げる。後悔を滲ませた表情で謝罪するその姿に、あの時、俺に適性を告げたのがこの人でよかったと、そう心から思った。
俺とオブザさんは血の繋がりもない赤の他人だ。気遣う必要も、ましてや俺がどんな人生を歩もうとこの人に責任などない。当時も初対面にしては不相応なほど思いやってもらった。十分な言葉をくれたのに、意地を張ったのは俺の方。馬鹿な子供だと切り捨てても誰も責めやしないというに、この人はあの日のことをずっと胸に留め後悔してくれていたのだ。
相変わらず、情に厚くてお人好しな人である。
……認めなければならない現実から目を背け、なかったことにしようとした愚かな俺を、七年間も案じてくれただけで十分です。
そう胸中で呟く。
オブザさんの優しさに感謝すれど、謝ってほしいと思ったことなどない。必要ないのだ。
確かにオブザさんが言ったとおり、お爺様や父上に俺の適性を話していれば、失望されることはなかっただろう。しかし同時に期待もされなかった。
俺が道を誤ることもなかっただろうが、お爺様達に諭され槍の道を諦めた俺は果たしてグレイ様やクレアの側にいれただろうか。
傷つくことも苦しむこともなかった代わりに勇者となれない俺は穏やかに彼らと距離を置き、道を違えることになったのではないかと思う。
グレイ様は国王陛下として、俺はアギニス公爵という一貴族として。幼馴染という関係は緩やかに王と臣下の関係に変わっていっただろう。それはとても自然な流れで、きっと一抹の寂しさも感じない。
実際体験したわけではないから、どちらが良いのかなどわからない。
しかし少なくとも、今の俺はそんな未来は望まない。
痛くても苦しくてもいい。
父上達の背を追いかけ、グレイ様の隣に立つこれからを俺は望む。
「顔を上げてください、オブザさん。俺は、貴方に感謝しているんです」
どういえば上手く伝わるかなと思案しながら、そう口にする。
俺の言葉にゆっくりと顔を上げたオブザさんの眉は、力なく下がっていた。
情けなくも見えるその表情に微笑み、俺は言葉を選びながら今の気持ちを少しずつ形にしていく。
「あの時、お爺様や父上でなく俺に話してくれてよかったと、そう思います。父上達に甘え守られ、アギニス公爵となる人生は確かにあった。その人生はきっと心穏やかで、安穏とした日々だったと思います。でも、その生き方ではいつかグレイ様達とは道を違えていたでしょう」
「でも」
「期待もされず、生きる人生は楽です。失望される心配もなければ、傷つくこともない。でも、今の俺が感じている周囲の優しさも、与えられた愛情も感じることができなかったでしょう。己を偽り、槍を振り続ける日々は確かに辛かった。何も知らずにいられたならと、何度も思いました。でも、苦しみ足掻いたからこそ知ったものも沢山あります。両親の深い愛情も、生涯裏切らないだろうと信じられる部下達も、もう一度やり直したいと望んでくれた幼馴染の優しさも、俺だけだと言ってくれる婚約者の変わらぬ想いも。すべて、この七年間があったからこそ気付き、これ以上ない僥倖だと噛みしめることができたんです」
何か言いたげだったオブザさんの言葉を遮り、胸に抱えていた想いをすべて言葉にしていく。
「だからもう謝らないでください。いまの俺は、心から貴方に感謝しています。あの日があったから。貴方が幼い俺の馬鹿な願いを叶えてくれたから、いまの俺がいる」
それがすべてだ。
いまさら『もしも』の話などしても意味はないし、必要ない。
覆せない現実に負けて挫折して道を踏み外し、前世を思い出すと共に半生を振り返り後悔して、反省し仕切り直しを誓った。そうして色々な経験をして悩み考え、沢山の人と出会ってできたのが今の俺だ。
まぁ、お爺様と父上があれだけ有名な槍の勇者で、母上が聖女なのにどの適性も受け継げなかったのはかなり皮肉だと思うが、補っても余りある才能があるようだし。それになにより、目の前のオブザさんをはじめ俺を取り巻く世界は、甘く優しい。
俺は、幸せなのだ。
オブザさんが負い目に感じることは何一つない。
……まぁ、そう思えない人だからこんな顔してんだよな。
ここまで言い募っても、表情を明るくしないオブザさんに苦笑する。
先ほどまで浮かべていた後悔が滲む顔ではないが、俺の言葉に『わかった』と頷いていいものか思い悩んでいるようだ。気がいいというかなんというか、人が好すぎるのもここまでくると考えものである。
謝罪も伝えたかった思いもすべて話し終え一人すっきりした俺は、複雑そうな顔で答えあぐねているオブザさんになんと声をかけるべきか考える。
考え込んでいるオブザさんを見てしばらくの間逡巡した俺は、これ以上の説得は逆効果だろうと結論付け、ある提案をしてみる。
「謝る必要はないので、かわりに剣術でも教えてくださいませんか? 先ほどオブザさんが仰ったとおり、刀に関してはほぼ自己流なので」
「……ドイル君」
「折角教えてくださるというのに、あの時は素直に学べませんでしたから。差支えがなければ、俺に刀での戦い方を教えてください」
勿論もう一度、今度は本格的に剣術を教えてほしいという下心込みである。
冒険者として一人でやってきたオブザさんから教わる技術ならばためになる。騎士達や学園の先生方に教わるのとはまた違う、戦う術を教えてもらえるだろう。
なにより、俺はこの人から剣を学びたい。グレイ様達にも言ったが、昔も今もこれからも俺の剣の師匠はこの人だ。
そんな気持ちを込めて、オブザさんに問いかける。
「駄目ですか?」
「……こちらからお願いしたいくらいだよ」
俺のそんな問いかけにオブザさんは「まいったな」呟きながら頭を搔くと、眉を下げたままそう言って笑う。
そして、ずっと脇に挟んだままだった細長い木箱を手に取ると、箱を開け紫色の布を広げる。そして箱の中が見えるように俺の前に差し出した。
「俺からの婚約祝いだ。受け取ってくれるかい?」
「……これは」
「知り合いの刀鍛冶に打ってもらった刀でね、銘を『オレオル』というんだ。君の持つエスパーダと対になるようにつくらせた――受け取ってくれ」
手に取るように促され、差し出された箱から恐る恐る漆黒の刀をとりだす。
漆塗りのような艶やかな光沢を放つ漆黒の鞘に、黒い糸で編みこまれた柄。柄の部分にはエスパーダ同様落ち着いた金糸で小さなひし形が並べられ、持ち手と刀身の間には柄と似た色をした金の鍔。
エスパーダよりも少しずしっとくる重さを手に感じながら、鞘から刀身を引き抜く。
これは――。
その刀身を見た瞬間、これは軽々しく手にしてはいけない刀だと悟る。
音もなく姿を現した刃には、爛漫に咲き誇る八重桜のような美しい波紋。
エスパーダが冷え冷えとした繊細な美しさというならば、この刀は雄々しく華やか。
存在感があるどころか『俺をみろ』と主張する刀は、エスパーダと同様かそれ以上の魔力をその身に宿している。
刀身を見た瞬間、特別な物だと感じた刀に戸惑いオブザさんを見る。
「オブザさん、この刀は」
「七年前に貰った口止め料に祝い金を足して、ドイル君のために誂えたんだ。俺の師から教わった流派には、代々師が弟子のために剣を用意してやる習慣があってね。俺のこの剣も師から貰った物なんだよ」
特別な物なんじゃと問おうとした俺の言葉を遮り、オブザさんは一息でそう告げる。次いで腰に佩いている剣の柄に手をかけ、揺らす。
その動きにつられるように、腰にある剣に目をやり、漆黒の刀へと視線を戻す。
口止め料に祝い金を足したって、そんな金額でできるものじゃないだろ、これ……。
使われている素材も一級品を越して希少な物が使われているだろう、見るからに高価な刀にそんな感想を抱く。
師から貰ったというオブザさんの剣も、それは素晴らしいものである。師が弟子に贈るという習慣があると聞いた後ではなるほど、師匠のオブザさんに対する愛情と期待がよくわかる剣だ。
大切な弟子に贈る剣ならば、そりゃ気合を入れてつくるものだろうとは思う。思うが、オブザさんが俺に、と渡してくれたこの刀は『気合を入れた』といった次元ではない。
アギニス公爵家の家宝とされていたエスパーダに勝るとも劣らない一太刀。その価値は計り知れない名刀である。婚約祝いをかねているといっても、受け取っていい物とは思えない。
改めて漆黒の刀を観察しそう結論付けた俺は、刃を鞘に戻しオブザさんを見る。
そして「こんな高価な物は受け取れない」と言おうとしたその時、酷く真剣な色をした赤土色の瞳が俺を射抜く。
「俺を師と呼んでくれる気があるなら、受け取ってほしい」
力強い眼差しと真摯な声でそう告げられ、俺は両手で持っている漆黒の刀をもう一度見やる。エスパーダよりも少し重い刀は、対になるように作らせたというだけあり鍔の細部までよく似ている。握った感触も、手によく馴染む。何より掌に伝わる魔力。この刀にはどれだけ希少な素材と、作り手の想いが込められているのだろうか。
計り知れない価値を持つ漆黒の刀に、オブザさんの思い入れの強さを感じる。そして、その強い想いを込めた刀は、俺のために誂えさせた物だという。
これほど高価な刀を受け取るのは気がひける。
しかし同時に、師としてそこまで俺を買ってくれているというのなら応えたい、と思う。
七年前の贖罪や婚約祝いに、師として弟子にかけた期待。
オブザさんが込めただろう想いを考えるとよけい重たく感じるその刀を、俺は両手でしっかり握りしめ言葉を紡ぐ。
「ありがたく頂戴致します、師匠」
漆黒の刀を大事に抱え深く頭を下げた後、ゆっくりと顔を上げる。
そうして俺が見たのは、静かに微笑むオブザさんで。
「――――ありがとう、ドイル君」
優しく呟いたその人に、俺はもう一度頭を下げた。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。




