第百二十三話
チクチクと刺すようなグレイ様の視線を感じながら、クレアに勧められたピンク色の菓子を摘まむ。柔らかな感触を感じた次の瞬間、甘酸っぱい果実の味が口一杯に広がり、ほどよい酸味と優しい甘さが丁度いい菓子だ。
このような状況でなければ、美味しく味わえたんだがな。
甘いものは嫌いじゃない。しかし無言の戦いを続ける兄妹に挟まれ、苦々しい気持ちで甘い菓子を飲みこむ。いい加減、この状況から脱出したい。
バラドやジン、シオンやレオ先輩達が救いにならない以上、俺が二人の間に入りこの場をどうにかしなくてはならない。
この状況を打破すべく、何か仲直りのきっかけになるものはないか周囲を見渡す。そうして目に入ったのは、バラドの手によって綺麗に盛り付け並べられた、軽食や菓子達であった。
甘辛い肉に卵を絡めパンで挟んだものや、燻製した魚でチーズの様なものを巻いたもの、綺麗な飾りが描かれたパイに、みずみずしい果物の味を感じさせてくれるゼリー。
グレイ様が用意した軽食や菓子を見回せば、なるほど確かに、クレアの指摘通り俺の好きな味付けや昔から食べ続けているものばかりが揃えられている。
言われるまで気が付かなかった俺が言うのもなんだが、ここまで俺好みなものばかり用意しておいて『偶然』は中々厳しいものがある。
クレアの言葉を聞く限り、料理長や乳母にまで声をかけたというのだから、相当な力の入れ具合だ。
……グレイ様は、俺に何の話があったんだ?
ここまでグレイ様にもてなされていたとなると、俺へのお説教が本題だったわけではなさそうだ。ただのお説教と息抜きならば、ここまで俺をもてなす必要はない。何か別の、それも俺の気分が下がるような『大事な話』があったと考えるべきだろう。
恐らくこの軽食達は、俺を励ますために用意されたものだ。
ただ、先ほどクレアが指摘していたように、急ぎの話ではないのは確かだ。急を要する話ならば、俺の報告を聞く前に済ませていたはず。
それに俺を呼びだすのではなく、この部屋で話すことを選んだということは、ここにいる面子には聞かれても構わない話ということ。
つまり、皆から見れば大した話ではないが、俺にとっては大事な話がグレイ様にはあったということだろう。
それが何かを知るためにも、まずは二人を仲直りさせないとな……。
グレイ様の真意を知るには、まずこの状況を何とかしなければならない。そう気合を入れ直し、二人を仲直りさせるきっかけを探す。
そしてしばしの間視線を彷徨わせた俺は、並べられた菓子の中からあるものを見つけ目を止める。
可愛らしくデフォルメされたエルポスという鹿に似た魔獣が、木の実がたわわに実った森に立つ絵柄は、昔から変わらないあの菓子店の象徴。幼い頃三人でよく食べた覚えがあるその菓子は、仲直りのきっかけに丁度いい。
そう思って立ち上がろうとするも、俺が動くよりも先にクレアが立ち上がり菓子の山に向かう。そして迷うことなく手を伸ばしたクレアは、今まさに俺がとろうとしていた菓子の箱を持つと戻ってきた。
「ドイル様。こちらのお菓子は昔、よく口にされていましたよね?」
「……今も好きだ」
俺の視線に気が付いたクレアが持ってきてくれた木箱に、グレイ様がピクリと反応したのを横目に、菓子の入った木箱を受け取る。グレイ様がわざわざ乳母に声をかけて持ってきたという菓子は、きっとこれだ。
そういえば、最近口にして無かったなと思いつつ、木彫り職人が丁寧に装飾した木箱の蓋を、そっと開ける。
開けた途端辺りに広がるのは、香ばしい種実の香りと微かなバターの香り。クッキーに似た、この焼き菓子が俺は昔から好きだった。
「ドイル様が一番お好きなのは、こちらでしょう?」
「よく覚えているな」
「ドイル様の好きな物を忘れるなどありえませんわ!」
「そうか」
そう言って、少しずつ形が違う焼き菓子の中から、クレアは迷わず一つを摘まんで俺の皿に乗せる。五種類ある味の中で俺が一番好きなやつだ。
俺が好きな物は忘れないと胸を張るクレアに温かい気持ちになりつつ、俺もお返しに彼女が好んで食べていた味を一つ、皿に乗せてやる。
途端、目を輝かせ俺を見るクレアにちょっと恥ずかしくなったが、気合で微笑んだ。
「よく、食べていただろう?」
「はい!」
「グレイ様はこれでしたよね」
コクコクと嬉しそうに頷くクレアにもう一度笑いかけ、彼女に乗せたものとは別の味をグレイ様の皿に乗せる。
俺のそんな行動に目を瞬かせた後、ちょっと癖のある、ヘーゼルナッツのような味がする菓子をじっと見つめるグレイ様の目は先ほどまでと違い、緩い。
「違いましたか?」
「……違わない」
黙り込んだまま菓子を見ていたグレイ様に問いかければ、一瞬目が合った後ふいっとそらされた。どうやら、喜んでくれたらしい。
喜んだ己を誤魔化したいのか、俺が置いた菓子を少々乱暴に口に入れ、無言で手を伸ばすグレイ様に木箱を渡す。菓子の種類を確認しながら、カラカラと菓子を三等分していくグレイ様の手つきに迷いはなかった。
互いが好きな味を一つずつ、残りはその味を好きな人がすべて食べる。残りの二種はきっちり三等分に。いつもの分け方だ。
「――出来たぞ」
慣れた手つきで菓子を三等分し終えたグレイ様は、そう言いながら俺の前に菓子の乗った皿を、クレアの前に彼女の分の菓子を入れた木箱を置く。
幼い頃のクレアは箱に彫られた装飾がお気に入りで、皿ではなく木箱から食べたいといつも言っていた。そのため菓子を三人で分けた後、クレアの分を箱に戻してやるのが俺達の間では暗黙の了解だった。
グレイ様もこの不毛な争いを終わらせる気でいるようで、なによりである。
「ありがとうございます、グレイ様」
グレイ様に礼をいった後、クレアを見つめる。俺の視線を受け木箱に視線を落とし少し考え込んだ後、クレアもグレイ様にお礼を言った。
「……ありがとうございます、お兄様」
同時に二人の間にあった空気が緩んだのを肌で感じ、俺は胸を撫で下ろす。
これでもう、二人は大丈夫。喧嘩はお終いだ。
「礼はいい。ジン、もう一箱は先輩達と分けて食べていいぞ」
「はい!」
ようやく己を見たクレアに息を吐いたグレイ様は、次いでジンにもう一箱の菓子を分けるように命じる。二人の間にあった張りつめた空気がなくなりほっとしたのか、ジンはボールを投げられた犬のように喜び勇んで菓子を取りに立った。
そんなジンを眺めようやく肩の荷が下りた俺は、今度こそ菓子をゆっくり味わうために、バラドに新しいお茶を所望する。
「バラド。お茶を入れ直してくれるか? 終ったら給仕はもういいからお前も菓子を頂くといい。美味しいぞ」
「畏まりました。新しいお茶の用意は出来ておりますので、すぐにお取り替え致しますね」
「流石だな」
「恐れ入ります」
俺の言葉に軽く腰を折って、嬉しそうにバラドは茶器の回収を始める。話の流れをじっと窺い、すでにお茶を用意しているとは恐れ入る。流石バラドである。
ぬるくなった茶器を手早く回収し、新しいお茶を注いで回るバラドをグレイ様も感心した様子で眺めている。暴走癖が凄すぎて忘れられがちだが、バラドの仕事ぶりは完璧だ。
そんなこんなで、ようやく部屋の中に和やかな空気が流れだし、皆思い思いに寛ぎ始めた頃。
温かいお茶と美味しい菓子を楽しんでいると、不意にクレアが顔を上げグレイ様に問いかける。
「お兄様。そういえば、ですが」
「なんだ?」
「皆様に三日後に開催される舞踏会のお話はされたのですか?」
「……いや、これからだ」
クレアの言葉に、茶を置いたグレイ様は妙な間をもってそう答えた。忘れていたというには奇妙な、何とも言えない態度をみせたグレイ様に俺もなんとなく、茶をおいて視線を二人に向ける。
「忘れておりましたわね?」
「違う。その話をドイルにしにきたのに、話を切りだす前にお前がきたんだ」
疑いの眼差しを向けるクレアにきっぱり断言したグレイ様は、次いで躊躇いがちに俺を見た。そして僅かに逡巡した後、ゆっくりと口を開く。
「お前達の婚約式まで一月をきったこともあり、すでに数か国から使者がいらっしゃっている。皆遠方の国々ということもあり、道中に何か起こってもいいように早めにいらっしゃってくれたらしい。我が国としても、お前達を祝うためにそこまでしてくれた方々を放置する訳にはいかん。というわけで、彼等をもてなすための舞踏会を三日後に開催する運びとなった」
「はい」
いやにもったいぶった話し方をするグレイ様に、これがグレイ様の『大事な話』であったことを感じとる。
しかし、早めに到着した使者達をもてなす舞踏会と、俺を励ますために用意された菓子達が繋がらない。一体、その舞踏会に何の問題があるというのか。
僅かに緊張した面持ちをみせるグレイ様に、俺も佇まいを直す。クレアやジン、先輩方もそんな空気を感じとったのか、食べていた菓子を置き俺達に注目している。
そうして室内が静まり返ったところで、グレイ様が意を決したように告げた。
「東国の使者としてお前の大叔父にあたる、ウィンカル・フォン・グラディウス侯爵の名があった。供に三人の護衛を連れてくるそうだ。それで、その中に」
そこまで言い切り俺の顔色を窺うグレイ様に、何故彼がこうも躊躇いがちだったのかを悟る。
「オブザさんが、いらっしゃるんですね」
「……そうだ」
言いたかっただろう言葉を口にすれば、何処かで息をのむ音が聞こえた。
過保護な幼馴染は俺が告げた言葉に重々しく頷くと、真っ直ぐ視線を合わせゆっくりと口を開く。
「主役はお前達だから、舞踏会への欠席は許されない」
そう言って緊張した面持ちで俺の反応を待つグレイ様に、この胸中をどう伝えればいいだろうか。
……気ぃ使いすぎです、グレイ様。
固唾を呑んで俺の言葉を待つグレイ様に、心の中でそっと呟く。
招待客の中にウィン大叔父様の名を見つけてからのグレイ様の行動を想像すると、なんというか無性に照れくさかった。
確かに、オブザさんがくると聞いて、思うことは沢山ある。
長い間恨んでいたし、あの人の精一杯の優しさを踏みにじってしまった罪悪感もある。あれほど思いやってくれたのに、金を握らせた最後を思えば顔を合わせにくいどころではない。
しかしそれ以上に、下手したら俺よりもオブザさんとの再会に緊張しているグレイ様を見ると、くすぐったいような胸が詰まるような、形容しがたい気持ちが沸いてくる。
「今、ウィン大叔父様達は何処に?」
「……二週間ほど前から、お前の実家に宿泊されていたらしい。当日いらっしゃって、舞踏会以降は東国の使者として城の客室に逗留されるそうだ」
「そうですか」
恐る恐るといった感じで俺の質問に答えるグレイ様に、緩みそうになる口元を引き締める。
同時に『二週間前』という言葉に、ワルドの父親の言葉を思い出した。何故俺はあの時、ウィン大叔父様達の来訪に思いいたらなかったのだろう。
あの時ワルドの父親が飛びついた東国の食材は、ウィン大叔父様達が持ち込んだものに違いない。問題なく順調に到着したため余ってしまった食料を、勿体ないので腐る前に売りさばいたというのが、マジェスタでは珍しい東国の食材が市場にでていた理由だろう。
ウィン叔父様達が持ち込んだ食材を図らずしも俺が口にしていたとは、恐ろしい偶然があったものである。
「大丈夫か? ドイル」
思考に耽り黙り込んでいた所為で、俺が思い悩んでいるとでも思ったのか、グレイ様が心配そうな表情で覗き込んでくる。合宿の時話を聞いていた面々も、不安そうに俺を見ており、そんな周囲に何かあると察したのかクレアも心配そうな顔で俺を見上げていた。
揃いも揃って過保護な人達である。
「大丈夫です」
己に向けられている温かい感情に穏やかな気持ちのまま微笑めば、グレイ様は目を丸くして言葉を失う。しかしすぐに気を取り直すと、眉を僅かに顰めた。
「しかし、お前」
「本当に、大丈夫です、グレイ様」
本当に大丈夫だと信じてもらうために、目を逸らさずはっきり言いきる。
俺以上に俺を心配してくれる人達がこんなにいるというのに、今さら己の居場所を見失ったりはしない。
そんな思い込めて笑いかけるも、まだ納得がいかなそうなグレイ様に、俺は苦笑いを浮かべながら口を開いた。
「もし駄目だった場合は、またこうやって俺の好物でも並べて慰めてください」
ね、と駄目押しすれば、グレイ様は一瞬虚を突かれた表情を浮かべた後、照れくさそうに一度目を逸らし、ぼそりと呟く。
「……気が付いていたのか」
「ついさっきですが。『大事な話』を聞いて思い悩むだろう俺を、元気づけようとしてくださったんでしょう?」
俺を見ようとしないグレイ様に、己の笑みが深まるのを感じながら尋ねれば、照れ隠しか「ふん」と鼻を鳴らしながら若干乱暴な仕草で椅子に背をあずける。
「俺の息抜きがてらな。いらぬ世話だったかもしれないが」
「いえ、感謝しています。お蔭で心の準備ができました」
「そうか」
「はい」
「ならいい」
そんな会話を最後に、再びお茶を飲みだしたグレイ様に倣い俺もお茶を飲む。そんな俺達に安心したのか、誰かがほっと息を吐いた音が聞こえた。
『大事な話』が終息し、再び安堵の空気が部屋に流れる。
そんな折、今一つ話を掴みきれなかったクレアが不安そうに俺の袖を引いた。
「ドイル様」
「ん?」
「ウィン大叔父様とオブザ様はどのような方なのか、お聞きしてもよろしいですか?」
つんつんと控え目に袖を引かれながら呼ばれ隣を見れば、少し緊張した面持ちのクレアが目に映る。その顔には、『聞かない方がよかったかしら? でも気になる』といった感情がありありと浮かんでおり、心配しつつも俺のことを知りたいと思ってくれているのがよくわかった。
可愛らしい反応を見せたクレアを安心させるように微笑み、俺は在りし日のウィン叔父様とオブザさんを思い浮かべ告げる。
「ウィン叔父様は俺が愛用している刀をくれた人でな、とても穏やかな空気を纏う人なんだ。オブザさんは、俺の剣の師匠とでもいったところか。二人とも優しい人だから、クレアもきっと気に入る」
「ドイル様に刀を下さった方と、お師匠様ですか」
「ウィン大叔父様の姉、俺のお婆様にあたる人から頂いた刀だったらしいんだが、俺にと快く譲ってくれた。オブザさんは元冒険者でな、とっても強いんだ。お二人には色々お世話になった。だというのに、あの時はまだ幼くて、碌に礼が言えなかったからな。改めてお礼を言いたいと思う。よければ、クレアも一緒にお礼を言いにいってくれないか?」
「勿論ですわ!」
「ありがとう」
俺の言葉に力強く頷いてくれた可愛い婚約者に礼を言って、今度はグレイ様に視線を向ける。
きっとこの人も気になっているだろうからな。
「よろしければ、グレイ様もご一緒に」
「エスパーダには助けられたからな。俺も行こう」
満足そうな笑みを浮かべ頷いたグレイ様に、俺も笑みを浮かべ頷く。
グレイ様とクレアが一緒に行ってくれるなら、何の不安もない。
オブザさんとは少し顔を会わせにくいが、最後まで俺の将来を案じてくれていた人だ。きっと幼馴染二人を連れて会いに行けば喜んでくれるだろう。
「ドイル様、私もご一緒させていただいてよろしいですか?」
「それならば、私もお供しますドイル様!」
「なら、俺も行かなきゃな」
「「僕達も行きますよ! ドイルお兄様」」
バラドの申し出を皮切りに、ジンやレオ先輩、リェチ先輩とサナ先輩も声をあげる。
皆合宿で俺の昔話を聞いていた面々だ。今の今まで口を挟まずじっと話の行方を見守ってくれていたが、ウィン大叔父様とオブザさんと再会する俺が気になっていたのだろう。
「そうだな、皆で行こう。ウィン大叔父様もオブザさんも、きっと喜んでくれる」
喜んで迎えてくれるだろう二人を思い浮かべそう告げれば、皆も嬉しそうに笑ってくれた。
そんな彼らの姿に三日後の舞踏会を想像し、小さく笑う。
皆を二人に紹介して、お礼を言ってあの時の非礼を謝る。
そして、オブザさんにいうのだ。
槍の勇者になれなくても、俺の居場所はちゃんとここにありました、と。
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