第百十話
燦々と日差しが降り注ぐ昼下がり。
夏を感じさせる強い日差しも後一時間もすれば緩むだろうという時間帯。
バラドがお茶を入れる気配を背後に感じながら、与えられた部屋の中で、ぼんやりと外を眺める。
昨日、今日とバタバタ忙しそうに動いていた騎士達の出入りはすっかり落ち着き、本部も平常通りの空気を取り戻しつつある。二日に渡る大がかりな捕り物は、王都騎士団に十分な収穫を与え収束したらしく、現在本部の牢には結構な数の傭兵達が収められていた。
捕えた傭兵達の内、重犯罪者は王城へ連れていかれ、軽犯罪者はここで判決を下し処理するそうだ。一人一人取り調べるのは根気がいる作業だが、現在は王城からの手伝いもある。これで町の治安もよくなるし、騎士達は一安心といった様子だ。
恐らく明日か明後日辺りには、俺達生徒への指導も再開されることだろう。
虫の一件に関しては、大体の成分をナディ達から受け取っている。
判明した成分の大半は俺でも知っている物ばかりで驚いた。ナディ達も「こんな何処でも手に入る物ばかりで」と驚いており、解明できなかった部分を調べる為に二人揃ってナディの実家へ顔を出している。
セルリー様とレオ先輩達へ託した分は返事待ちだ。
ワルドはリタ達と後輩達を連れ鍛錬場で戯れており、ルツェ達は俺が頼んだ薬草の購入歴を受け取りに商会へ向かった。
アインス達は連日の疲れが出たのか、俺のベッドで昼寝中。
ラファールもそろそろ戻ってきてもよさそうなのだが、未だ姿が見えず。
朝食後から昼近くまで及んだお爺様の濃いお説教の余韻を引きずる俺達は、俺とシオンとバラドという何とも言えない組み合わせでありながら、休息中だ。
誰も口を開こうとしない室内はとても静かで、暇を持て余した俺は夏の気配を色濃く感じる外の景色をなんとなく眺めていた。
少し遠く見えるグレイ様達がいる王城に目を細め、その足元に広がる高位貴族の屋敷の中からアギニス家を探す。
立ち並ぶ大きな屋敷の隙間から見慣れた家の屋根を見つけた俺は、あの屋敷で過ごした日々を思い起こす。そして同時に、知らぬ間に随分と俺のことを認めてくれていたお爺様を、母上や父上は知っていたのだろうかとぼんやり考えた。
お爺様から恐ろしくも優しいお説教を受けたのはつい先ほど。
お爺様の心配は嬉しく、忠告もありがたく頂戴したが、今後のことを思えばこれを機に行動制限されては不味い訳で。
せめて父上の耳には入らないよう頼み込んだ結果「……今回の件はアランに黙っておくが、今後の外出はガルディを連れていくように。特に夜の外出は、必ずじゃ。破ればアランに今までの件も含め報告する」とのお言葉をいただいた。
ついでにシオンの出入り許可もいただいた訳だが、あの時の様子から察するに、お爺様はどちらかといえばセルリー様よりの考えをお持ちだ。
父上達のようにすべてを隠す気はないようだが、しかしその一方で危険なこともさせたくないのか、セルリー様のように積極的に協力する気はないらしいことがわかった。
不確かではあるものの、お爺様の大体の方針がわかったのはいい収穫である。
正直な感想を言えば、あのようにどちらつかずな態度をとるお爺様など大変珍しい。しかし、怒りに変わるほど心配しつつも自由にさせてくれるお爺様の優しさは大変ありがたく。
お爺様の胸中は計り知れないが、お爺様から頂いた不器用な激励の言葉達を思えば、何も心配することはないと思った。
「ドイル」
「はい」
延々と続くかと思われた説教が終わり、お爺様の怒気も何とか落ち着いた頃。
暇を告げた俺は、退出間際お爺様に呼び止められ足を止めた。
「グレイ殿下とクレア王女はお前を選んだということを、努々忘れるでないぞ」
「……お爺様?」
「アラン達は元より、陛下やセルリーもお前を認めた。シュピーツの息子、ジンもお前に一目置いておる。ジンは槍の勇者の名は継いだとしても、今更お前の代わりなど承服しないじゃろう――――もう、お前がいるその場所に代わりに立てる者はおらん」
突然出てきたグレイ様とクレアの名に、首を傾げる。
そして、お爺様から告げられた言葉の内容に息をのんだ。
「俺の代わりに立てる者はおらん」などというお爺様の口から出たとは到底思えない言葉に驚き、まじまじとお爺様の顔を見れば、真っ直ぐ俺を見る深紅の目と視線がかち合う。
そんな俺の驚きを見たお爺様は、一瞬顔を歪めると何かを堪えるように一度目を閉じる。そして目を開いた瞬間、迷いを消し去った深紅の瞳が俺を射抜いた。
「ガルディをはじめ、次代を担う貴族の子弟達は己が求める未来に向けて動き出しておる。老兵は去りゆき、次世代を担う者達が頭角を現し始めたのじゃ。彼等の変化はやがて一般兵や商人、民にまで影響を与えるじゃろう――――マジェスタは変わる。大戦を知る我々や復興に明け暮れたエスト陛下の時代は終わりを迎え、戦を知らぬグレイ殿下やお前達が築く新しい世が間もなくやってこよう。その切っ掛けは、お前であったと儂は思うとる。お前がそうさせたのじゃ、ドイル」
そう告げる声はとても落ち着いたものであるにも関わらず、俺を見据えるお爺様の視線は強い。
向けられた熱く刺すような視線に込められた想いが、祖父としてものなのか国を支えてきた四英傑としてのものなのか、俺にはわからなかった。
しかし、その時確かに「覚悟はあるな?」と問いかけるお爺様の声を聞いた気がした。
だから俺は、覚悟を問うお爺様の視線を受け止め、見つめ返した。
幾らセルリー様から情報提供を受けたとはいえ、甘い覚悟で首を突っ込んだ訳ではないのだと、次の世を担う覚悟があるのだとお爺様に伝える為に。
実際は一瞬、または数秒だったと思う。
じっとりと手に汗を握るような時間を耐え、お爺様から視線を逸らすことなく見つめ返した俺に、向けられていた視線がふっと緩む。
そんな視線の変化に俺が驚く前に、お爺様は口を開いていた。
「なれば、お前はその責任をとらねばならん。頂いた身に余る光栄を噛みしめよ。罪を赦され恩情をいただいたお前には、グレイ殿下が治める世が終わるその時までマジェスタを支え守り続ける義務がある。逃げることはもとより、お前に途中退場など許されぬことだと心に刻め」
「――承知しております、お爺様」
あの時、言葉こそ厳しいものであったが、ふっと緩んだお爺様の視線の中に心配の色を見つけてしまった俺は、返事をするのがやっとだった。
何故お爺様が突然あのようなことを口にしたのかはわからない。ただ単に、俺の行動が目に余り窘める為だった可能性もある。しかし、あの時確かにお爺様の目には心配の色が浮かんでいた。だから多分、あれはお爺様なりの激励だったと思うのだ。
……俺の気の所為かもしれないが。
グレイ殿下とクレアに選ばれたことを努々忘れるなという言葉は、俺を待っている者達を忘れるなという意味。
俺がいる場所に代わりに立てる者などおらんという言葉は、俺の代わりはいないという意味。
俺を切っ掛けに国が変わるという言葉は、責めたられているようにも聞こえるがそれだけの影響力が俺にある、とも受け取れる。
何より「グレイ殿下が治める世が終わるその時までマジェスタを支え守り続ける義務がある。逃げることはもとより、お前に途中退場など許されぬことだと心に刻め」とのお言葉。
生きてグレイ様を生涯支え続けろ、と言われた気がした。
厳しくも聞こえるお爺様の言葉の裏に「何があっても死ぬなよ」という意味が込められている気がして、ひどく嬉しかった。
直前まで受けていたお説教を思うにお爺様が俺の生を、表舞台に立ち活躍することを願ってくれていると感じたのは、俺の勘違いではないだろう。
「――なぁ、若様」
お爺様の初めて見る姿や、今まで言われたことのない数々の言葉を思い出し物思いに耽る中、不意にシオンが俺を呼んだ。
その声に記憶の中から現実へ意識を戻した俺は、若様と呼んだシオンに一瞬返事をするか迷ったものの、反論するのが面倒で呼び名については保留し、その呼びかけに応えた。
「なんだ?」
「あー、その、なんだ。先にいっておくが、悪気あって聞くわけじゃねぇからな?」
「だから、なんだ?」
答えながら窓から離れ振り向けば、椅子に座り机に身を乗り出すシオンの姿が目に入り、次いで困惑に似た色を浮かべたアイスブルーの瞳とかち合う。
目があったシオンの表情に変化はないが、俺に問いかける為に言葉を探している所為かどうも歯切れが悪く。もごもごと言葉を探すという不可解な反応を見せるシオンに、俺は内心首を傾げた。
そして、シオンの言葉を待つこと、しばし。
意を決した表情を浮かべながら、しかし戸惑いがちに尋ねられたシオンからの質問は何とも言えない質問だった。
「怒るなよ? ……その、な。念の為聞くだけだが、お前炎槍の勇者の実孫だよな?」
「当然だ」
「……だよなぁ。若様への態度がえらく厳しいから、情報違いかと思ったぜ。そんな訳ねぇか。あんたら有名だしなぁ。あ。でも、庶子とか――あっつ!?」
シオンの質問に即答する。当然の答えだ。
しかしその答えでは納得いなかったのか、申し訳なさそうな表情を浮かべながらシオンが質問を重ねようとした次の瞬間。
ガッチャン! という音と共にシオンの悲鳴が室内に響く。
こちらに身を乗り出していた為机に乗せられていたシオンの腕には、カップから零れたと思われる熱そうなお茶が、たっぷりとかけられていた。
……ちなみに悲しいかな、犯人は一人しかいない。
「バラド」
「――これは大変失礼致しました。何やらドイル様に対する信じられない暴言を聞いた気がして、手が滑ってしまいました。すぐにお水をお持ちいたしますね」
「行かなくていい……悪いな、シオン。これで冷やしてくれ」
棒読みの謝罪が白々しく、シオンに向けられた笑顔がそら恐ろしい。
暴挙に次いで披露されたバラドのあまりの大根役者ぶりに、シオンも言葉が出ないのか無言で顔を引きつらせている。
ちなみにまったく急ぐ素振りなく、ゆったりとした足取りで水をとりに行こうとしたバラドの姿に、シオンを労わる気など微塵もないことを悟った俺は、そっと氷を生み出しシオンの腕に乗せた。
「!? 私の不始末でドイル様のお手を煩わせてしまい、申し訳ございません!」
「気にしなくていい。それよりシオンにかかってしまったお茶を――」
「すぐに片付けて、お茶も入れなおしてまいります!」
俺から受け取った氷で腕を冷やすシオンの姿を見たバラドは、慌てて俺に謝罪の言葉を告げる。
先ほどとは異なり、棒読みではなく焦りが伝わるような謝罪したバラドには何も言うまい。というか、きっと言ったところで無駄である。
俺の手を煩わせたことにのみ心からの謝罪を告げ、手早く茶器を回収し机を片付けるバラドを見守る。俺が口に出すまで片付ける気をみせなかったバラドについては、気が付かなかったことにする。
そうして、若干もやもやとした気持ちを抱えたままであったものの、俺はお茶を入れなおしに行ったバラドの背を見送った。
「……悪いな。俺はそこまで気にしないが、バラドがいる時は口に気を付けてくれ」
「そうさせてもらう。流石、若様の従者だな。大人しそうな顔して恐ろしいことしやがるぜ」
「バラドは、俺を大事に思ってくれているんだ」
「……若様。そういう台詞は、俺から目を逸らさず言ってくれるか?」
「すまない」
清々しいくらいシオンの存在を無視したバラドのフォローを試みるが、上手い言葉が見つからず、ありきたりな言葉を告げた。
その際、そっと目を逸らしたことを見咎められたので、それ以上の言い訳は諦め素直に謝罪する。
「そこは謝るなよ! 不安になるだろう!?」
「すまない。バラドは護衛ではないから、お前に跡の残るような怪我はさせられない………………多分」
「多分って、不確定過ぎんだろ!? そこは言い切れよ!」
荒れるシオンを安心させる為には、バラドはスキル上戦えないと伝えるのが一番だが、バラドとシオンではバラドの方が大事なので、そこはぼかしながらシオンを宥める。
バラドの能力は学園に通う者は知っているので、調べれば簡単にばれてしまうことだが契約が切れれば離れていくような奴に、俺が親切に明かしてやる必要はない。
「戦闘能力的にはお前の方が格段に上だが、伝手が広いからな。まぁ、俺の迷惑になることは絶対しないから、俺の目がある間に害はない。それは保証する――――――契約が切れた後のことは保証しかねるが」
「頼むからそこは保証してくれ! お前が居ても思いっきりお茶かけられたんだぞ!? くだらないこと聞いた俺も悪かったが、あの従者は怖すぎる」
「バラドのことだ。熱湯ではなく、ギリギリ飲める少し熱いくらいの温度だっただろう?」
「そうだけどな! むしろ大した怪我にならない程度の温度だったことに、彼奴の計算高さを感じたわ!」
しかし中途半端な慰めなど効く訳がなく。「あの後の態度見ただろう? 彼奴の暴挙は、あの位なら絶対お前が怒らないと計算した上で、だ。性質悪りぃ!」と吐き捨てたシオンに、「それは一理ある」と思ったが、その言葉はのみこむ。
確かにシオンの言う通りなのだが、俺に害はないからな。バラドとて、問題にならない程度の匙加減は心得ている。実際シオンの腕も大した怪我ではなく、氷で冷やさずとも問題ない程度のはずだ。
甘いと言われようとも、咎めるほどではないのだ。それに元々はシオンが俺を庶子扱いしたのが原因なのだから、両成敗ということでいいだろう。
バラドの性質が多少悪いのは認めるが、俺がバラドを窘めることはない。
『もしかしてあの煩いのが、貴方の言っていた子?』
『違うわ。私の愛しい子はあっちよ』
『よかった。貴方の選んだ子を悪くは言いたくないけど、煩いのは苦手だからあっちだったらどうしようかと思ったわ』
『あら。私の大事な子は、とっても素敵なのよ。きっとあなたも気に入るわ』
『それはどうかしら。ところで、あの煩いのは誰なの?』
『さぁ? 新しいお友達かしら?』
しばらくの間、適当にシオンの相手をしながらバラドを待てば、感じ慣れた気配を側に感じて辺りを見回す。
慣れ親しんだ風の精霊の気配を探せば、上から楽しそうな声が聞こえたので顔を上げ、天井を仰ぎ見る。
待ちわびた彼女は、天井すれすれの位置でふわふわ浮きながら、水色の髪を編み込んだ少女とのおしゃべりに夢中だった。
美しい容姿をしたラファールと、雪解け水を思わせる少し冷たい雰囲気を持つ美人が宙に浮きながら楽しそうにおしゃべりに興じる姿は、教会などに描かれている宗教画を思い起こさせた。
恐ろしい気もするが、思わず魅入ってしまうのは彼女達の人外な美しさ故である。
「おい。どうした若様。上に何かあるのか?」
『ん? ねぇ、私達何かみられてない?』
『あら』
俺が造った肉体をラファールが使用していない為、俺が何を見ているのかわからないシオンが焦れて声を上げる。
そして、天井を見渡しながら俺に問うシオンの声に、気が付いた水の精霊。
彼女の言葉によって、ようやく俺が見ていることに気が付いてくれたラファールが、嬉しそうに微笑む。
「――お帰り、ラファール。そちらの清冽な雰囲気を持つ女性が、件の水精霊殿だろうか?」
ようやく目があったラファールに笑みを浮かべ告げれば、水の精霊は驚きに目を見張り、シオンは即座に机から飛退き俺達から距離をあける。
「そうよ! ただいま愛しい子。私がいない間、何もなかった?」
水の精霊とシオンの表情が驚きと警戒に染まる中。
突然肉体をもって降ってきたラファールを受け止めれば、彼女は花が綻ぶように笑った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
私事ですが、来週より筆記・実技とテスト週間に入りますので、しばらくの間お休みさせていただきます。
更新は早くて23日、遅くても26日には再開させていただきますので、今後ともどうぞよろしくお願い致します。




