第百六話
様々な外観の宿屋が並ぶ通りの外れ。活気づく宿屋が段々少なくなり、灯りの灯らない空き家が増えていく。
その中の一件。フォークとスプーンが交差した絵の下に「宿屋」と書かれた看板を掲げる古ぼけた建物。中は暗く、窓には交差させた板が打ちつけられており、そのうえ入り口に打ちつけてある『営業中止』と書かれた板は隅が朽ちはじめている。お世辞にも綺麗とは言えないその外観は、宿屋が廃れてから結構な時間この状態で過ごしてきたことを物語っていた。
そんな、閉鎖して随分経つ元宿屋だった建物の入り口で、一人の傭兵が足を止める。足を止めた傭兵は辺りを窺い人の気配がないことを確認すると、扉のノブを回し引き扉の隙間に身を滑らせた。
古ぼけた外観に反し滑らかに開いた扉は、傭兵が手を離した途端空気の抜ける音と共に閉じる。一方、建物の中に入った傭兵は迷わず受付の中に入ると、身を屈めた。そして床辺りで何かを引く動作をしたかと思えば、灯りとはいい切れないほど淡い光が傭兵の影を濃くする。
そして傭兵の頭が受付に隠れ完全に見えなくなった数秒後、淡い光もゆっくりと収束し消えた。
「(いくぞ)」
「(はい)」
「(おー)」
『『『『『(はーい)』』』』』
宿屋の中が再び暗闇に戻ったことを確認した俺は、バラドとワルドに目配せする。受付裏から地下に消えた傭兵の姿を扉近くの窓から覗いていた二人は、俺の視線に気が付くとしっかり頷いた。
二人の肩にとまり僅かに羽を広げることで意思表示したアインス達の姿も確認し、俺は先ほどの傭兵同様ノブに手をかける。
閉鎖されているはずの宿屋の扉は頻繁に手入れがされているのか、驚くほど軽やかに動いた。
人一人分ほど開けた扉に身を滑り込ませる。そして中から締まらないよう扉を支え、バラドとワルドが入ってくるのを待つ。
アインス達を乗せた二人が無事中に入ったのを見届けた後、改めて室内を見渡せば、窓から差し込む月明かりが、床の上に薄らと積もった埃に残る多くの足跡を浮かび上がらせていた。
気配を探るバラドと室内を眺めるワルドに身振り手振りで足跡を教え、足跡をなぞるようにして受付の裏に向かう。
足跡をなぞるのは余計な罠を引っ掛けない為、声を出さないのはバラドに気配を消してもらっている為だ。
バラドの気配を消す為のスキルは、文字通り気配を消してくれるが臭いや音は消してくれない。また、対象と一定の距離をあける必要がある。
しかしその三点に気を配れば、先ほどの傭兵が扉の近くに立つ俺達に気が付かなかったように、気配を悟られることも見咎められることもない。傭兵団に獣人がいることを考慮して臭い消しを使っているので、音にさえ注意して行動すれば俺達の存在が気付かれることはまずないだろう。
それでも、心配といえば心配だがな……。
ちらりと盗み見たバラドの顔色に変化はない。むしろ常よりもその表情が明るく感じるのは俺の気の所為ではないだろう。
正直なところ、必要だったとはいえ荒事になるとわかっている場にバラドを連れてくるのは抵抗があった。その為、少しでも嫌がったら置いてこようと思っていたのだが、バラドは俺が用件を言い切る前に了承した。
どうやら、昔約束したとはいえ己だけ安全な場所で留守番しているのは不満だったらしく、「戦闘に関して私が役に立たないことは存じております。だからこそドイル様が最近のお供にワルドを選ばれるのも黙認しておりました。しかし、本来ならばドイル様に付き従うのは私の御役目! ドイル様がいかれるのでしたら、例え火の中水の中であろうとご一緒する覚悟がございます。ドイル様が必要としてくださるのなら、多少の危険などあってないようなもので――!」といった具合である。
その際「ドイル様の足手まといには、絶対になりませんのでご安心ください」と真顔でいわれ少し不安になったので、念の為ワルドに荒事になったらバラドを守るよう交渉してある。また、アインス達にも異変があったら知らせるように言いつけておいた。
一抹の不安は拭えないが今更一人で帰らせる訳にはいかないし、バラドのスキルが必要なのは此処からである。「絶対、怪我させないように気を付けよう」と再度気合を入れ直し、俺は先ほどの傭兵が使った仕掛けを探す。
そして指先に意識を集中させながら床の上で手を滑らせること数分。
指先に僅かに感じた段差に爪を引っ掛ければ、カタンと小さな板が持ち上がる。持ち上がった5センチ四方の小さな板を掴み持ち上げれば、ギッと床が軋んだ。
……此処だな。
隠し扉の形にそって走る淡い光の糸を見つめ、顔を上げる。ワルドとバラドが頷いたのを確認した俺は隠し扉へと視線を戻し、そっと扉を開けた。
半畳程度の隠し扉の先には大の大人が余裕で通れる大きさ穴があり、目を凝らせばかろうじて足元が見える程度の淡い光と、ぼんやり見える階段。
意外と簡単に見つかった隠し通路に、口元が緩む。
「(いくぞ)」
「(はい!)」
「(任せろ!)」
階段に降り、ついてくるよう二人に促せば嬉々とした表情で二人も降りてくる。既に剣を抜き身で持っているワルドに倣い、俺もエスパーダを抜いた。
最後に入ったワルドが、ギィと軋む音を響かせながら隠し扉を閉じれば、一瞬暗さで目が眩む。
しばらくして全員の目が薄い闇に慣れた頃、俺達は目的地に向かい歩き出した。
きたぞ、シオン。
落とし穴に落とされてから、およそ五時間。
シオンは想像もしなかったであろう、早すぎる再会が間近に迫っていた。
シオンが逃げ込んだ先は【古の蛇】という傭兵団の根城だった。
古の蛇は四十五年前の大戦後、故郷を失った難民達が作り上げた傭兵団で俺が目をつけていた傭兵団の一つである。名前といい、設立された時期といいオピスとの繋がりを感じさせるからな。
そんな古の蛇は元々が難民の集まりだけあって種族の垣根は無く、来る者拒まずの精神故に抱える団員も多い。また様々な出身地の団員がいる為、世界各国様々な場所に拠点を持つという。当然マジェスタにも結構前から入り込んでおり、ワルドのところにいた古株の傭兵達は当然のように根城の場所を知っていた。
古の蛇は様々な種族を抱える故に、現地の傭兵達としばしば習慣の違いによる揉め事を起こすものの、傭兵団としては礼儀正しく印象は悪くないと聞いている。主に魔獣、それも大型魔獣の退治を請負っており、その実力は中々のものらしい。
普段は各国の拠点に散り好き好きに動いているように見えるが、その内情は騎士団のように細かく部隊わけされており、新入りの指導も組織だって行われる実に統制のとれた仕組みらしい。噂では幹部に亡国の騎士が何人かいるそうで、その影響だそうだ。
実際、俺達の前にいる傭兵達は皆身綺麗で、行儀正しく酒宴を楽しんでいる。「傭兵にしては」の注釈はつくが。
「で、シオンさんはどうしたんですか?」
「そりゃ勿論、逃げきったに決まってんだろ? 勇者一家の継嗣様が魔王を倒したっていうのは有名だが、噂じゃあのテルモス元魔術師長のお気に入りらしいじゃねぇか。前に会った時よりも身のこなしが見違えるようだったし、あんなのと正面からぶつかるなんざ死んでも御免だ!」
「シオンさんがそういうって、どんだけっすか!?」
「ありゃ、化け――」
「どうした?」
「いや、今何か悪寒が……」
酒を片手に俺の話で盛り上がるシオン達の言葉にバラドが目を細めた瞬間、何かを感じ取ったのかシオンが首の裏を手で覆いキョロキョロと辺りを見回す。
その際、シオンの仕草にワルドがさりげなくバラドの服の端を掴み、飛び出さないよう捕獲しているのが目の端に映る。以前も思ったが、ワルドは意外に気の利く男である。
「継嗣様は氷魔法がお得意らしいから、呪われたんじゃね?」
「「「あり得る!」」」
「……勘弁してくれ。あ、また」
「おいおい、まじかよ」
「大丈夫かぁ?」
「風邪か?」
「いや、馬鹿は風邪ひかねよ」
「でも、夏風邪は馬鹿がひくって言いません?」
「「「確かに!」」」
「お前ら、酷くねぇか!?」
シオンの叫びにそこかしこから上品とは言い難い笑い声が響く。
同時に、バラドの口を塞ぎ捕獲するワルドの姿がある。「そのようなヘマはしません!」とワルドを睨み付け、不満露わに足を踏みつけているバラドも見えたが見なかったことにした。
……悪いがそのまま捕獲していてくれ、ワルド。
手筈どおり、バラドと共に比較的安全な場所に避難しはじめたワルドに心の中で謝罪し、二人からそっと目を離す。そして、未だ俺の目の前で酒宴を楽しむシオン達に視線を戻した。
隠し扉から地下道を抜けやってきた【古の蛇】の根城は、地下とは思えない明るさと、百人はゆうに収まる広さを持つ人工洞窟で、床には多くの料理が並べられていた。
また、至るところに酒樽が置かれており、どいつもこいつも水のように酒を飲み干すと酒樽に直接ジョッキを突っ込み、酒を汲んで飲んでいる。
陽気な声と赤らんだ顔が彼等の気の緩みを物語っており、同時に俺達の存在に彼等がまったく気が付いていないことを示していた。
「でも、よく逃げ切れたな」
「【陥穽】使ったからな」
「そりゃ、継嗣様相当プライド傷つけられたんじゃね?」
「知るか。向こうは捕まえる気満々だったんだぞ? 俺は命が惜しい!」
「……シオンさんにそこまでいわせるなんて、相当っすね」
シオンの言葉に訳知り顔で返す男と神妙な顔で喉を鳴らす若い男。その傍らにはそれぞれの武器が置かれているが、彼等が酒や料理から手を離す気配はない。
二、四、六…………五十前後といったところか。この位なら一人でいけるな。
ざっと洞窟内を見渡し、そう結論付ける。
恐らくこいつらは留守番組なのだろう。比較的年若い奴が多く、手練れの気配が少ないのは幸いだ。
エスパーダを握り準備も万端。後はどのタイミングで姿を現すか、である。
「さて、どうするかな」と様子を窺っている中、一人の女性が立ち上がる。
弓を背負った彼女は豊かな赤い髪を靡かせながら真っ直ぐシオンの元に歩いてくると、シオンの隣に無理矢理腰を下ろした。そして若い男が持っていた酒を奪い取り一気に飲み干すと、シオンの肩をそっと掴む。
「でも、脱出不可といわれる学園を婚約者の為に抜け出して迎えに来るなんて、若様イイ男じゃない? その上、可愛い婚約者の名誉の為に事を大きくせず解決してみせてさぁ。血の気が多い年頃でしょうに、敵を前に戦わず逃げる選択ができるなんて偉いわぁ。逃げる機会は何度もあった癖に、きな臭さと強い奴に目が眩んで王女誘拐に加担した挙句、傭兵団解散の危機を引っ提げてのこのこ帰ってきた馬鹿とは大違いよね。若様の男気に免じて捕まってあげたらぁ?」
「姐さん。俺、仲間だよな?」
酒を片手に据わった目でシオンに絡む彼女は、まごうことなき絡み酒である。
完全に酔っていると思わしき口調でシオンに辛辣な言葉を吐く彼女に、周囲も苦笑いだ。一部「そうだそうだ!」「姉さんのいうとおりよ!」と囃し立てているので、これはいつも流れなのだろう。対応するシオンも言葉とは裏腹に、何処か楽しそうだ。
「仲間云々の前に私は可愛い女の子の味方よ! 女誘拐して好きにしようなんて下種な男は死ねばいいわ!」
「姐さん、酷ぇ!?」
「それにあんたが犠牲になれば、うちも安全だしねぇ? あんたの所為で、ゼノスは連れていかれてるでしょうし……向こうが無かったことにしている以上、罪状は王女誘拐以外でしょうから、あんたが掴まれば向こうもうちを殲滅しようとまでは思わないはずよ。事情も事情だし、サクッと捕まって数年無償で奉公すれば多分許してくれるわ」
「――そのとおりだ、シオン。そこの美しいご婦人が仰るとおり、大人しく吐いて俺に協力すれば罪状も考慮してやるぞ?」
「なっ!?」
ひたりとシオンの首元にエスパーダをあて、彼女の言葉を受け継ぐ。その際、シオン達に近づき、声を出したことでバラドのスキルの恩恵が切れたのを感じた。
宴の最中、突如姿を現した俺に傭兵達の顔が驚愕に染まる。同時に攻撃しようと床に置いてあった大剣にシオンが手を伸ばしたのを見た俺は、シオンが柄を握る前に刃を踏みつけ抵抗を封じる。
ついでに切りかかってきた若い男の剣を、左手で抜いたエスパーダの鞘で受け止めた。
「さっきぶりだな? 有るか無いかもわからぬ縁を待つほど、俺は気が長くなくてな。待ち切れなくて会いに来たぞ、シオン。先ほどから俺を肴に楽しそうで何よりだ」
「ハ、ハハ」
バッとシオンの周囲にいた傭兵達が飛退き武器を構える。俺に切りかかってきた若い男も他の傭兵に回収されており、皆ぎりぎりエスパーダの射程外の距離を保ち、俺に武器を向けている。
シオン達から離れた場所にいた傭兵達も臨戦態勢をとっており、ピリピリとした緊張感が漂う。武器を構える彼等の顔は真剣で、先ほどまでの酔いを感じさせない姿はプロ集団と呼ぶに相応しい。
「お前、どうやって此処に? というか、何故此処がわかった?」
「秘密だ。貴族をあまり舐めない方がいい。まだ子供と思って甘く見ていると、痛い目みるぞ?」
「――たったいま、痛感してるよ」
悔恨の籠ったシオンの声を聞いている最中、必死に剣を奪おうとするシオンの抵抗を足の裏で感じ、さらに体重を乗せる。そして見下ろしたシオンの顔色は、頗る悪かった。
「何しに来た?」
「あの時とさっきのお礼をしようと思ってな」
「……このまま、俺の首でも持ってくか?」
「まさか。俺はグレイ殿下の騎士だぞ? 不意打ちなんて卑怯な真似はしない。潜入ついでに少し驚いて貰おうと思っただけだ」
苦々しい声を出すシオンと会話を続けながら、ちらりと背後に目をやる。
洞窟の隅、俺を囲む傭兵達から大分離れた場所にアインスがとまっているのを見つけ、バラド達の避難が終わったことを確認する。
そして大剣から足を退け、エスパーダをシオンの首からおろし数歩離れた。
「何の真似だ? 俺を捕えるんじゃないのか?」
大剣から足が離れた途端剣を拾い、体勢を整えたシオンはそんな俺の行動に訝しげな表情を浮かべる。しかしその構えに隙はなく。他の面々同様、俺の一挙一動に意識を集中させているのが感じられた。
「ああ。此処でお前を倒して連れていく。お前には聞きたいことが沢山あるからな」
「おいおい、俺達のこと忘れてんじゃねぇか?」
「シオンさんに手だして、此処から無事に出れると思ってんのか!?」
若い傭兵達が怒り露わに叫んだのを皮切りに、「舐めんなよ餓鬼!」と至るところから声が上がる。
「……残念ながら、俺は騎士様でもお貴族様でもないからな。この状況で仲間の手を借りず一騎打ちなんてしねぇ。此奴らと一緒に全力でお前を倒させてもらうし、もし俺を倒せても仲間達がお前を此処から出さないぞ」
一気に殺気立った傭兵達を片手で宥め、真剣な顔で告げるシオンに俺もエスパーダを構え答える。
「構わない。元より、お前ら全員倒して堂々とお前を此処から連れていくつもりだ」
「流石公爵様。いってくれる!」
前回同様、こちらを見据え剣を構えるシオンに俺は大きく息を吸う。
真剣に向かい合っているように見えて、常に退却方法を考えている此奴の手には二度とのらない。この場の主導権を握るのは俺だ。
この場にはいい感じに冷静さを失ってる奴らがいることだし、利用しない手はないだろう。この殺気立った現状を利用し、シオンを逃がさない為にはどうするべきか。
考えた末、俺は周囲に聞こえるように叫ぶ。
「一騎打ちなどまどろっこしい! ――まとめてかかってくるがいい!」
「おい!?」
そう言い切った途端、洞窟内に先ほどの比ではない怒声が響く。
俺の言葉にシオンが慌てて声を上げるがもう遅かった。
煽り文句が効いたのか、結構な勢いで降りそそぐ矢や短剣、魔法の類いを一太刀で薙ぎ払い。騒乱の中、シオンとの距離を詰める。
「待て、お前らは戦うな! 上の命令を聞いて――ちっ! 本当にやってくれるぜ、公爵! そうまでして俺と戦いてぇってか!」
俺同様、降りそそぐ矢や魔法達を薙ぎ払ったシオンは、エスパーダを受け止めながら舌打ちする。
若手の先走った攻撃は味方を撒き込み、少なくない被害をだしている。それに伴い、頭に血が上った若手を止める為に動く幹部達の制止の声と、無差別な攻撃に巻き込まれ苛立ちを募らせる者達の怒声まで聞こえだしている。
逃走するどころか、統率が困難になった面々に舌打ちするシオンを眺め、俺も気合を入れ直す。
……シオンの得物がハルバートでないのが残念だが、これでようやく戦える。
一度目は俺が背を向け、二度目はシオンが背を向けた。
三度目の今回、流石にこの状況で仲間を置いて逃げるという選択肢はないらしく、戦う覚悟を決めて俺の前に立つシオンは肌に刺す殺気を放っている。そんなシオンの覚悟を前に、俺もエスパーダに氷を纏わせ、構えた。後に引けなくなったのは俺も同じだ。
「ドイルだ、シオン。俺はまだ公爵位を継いでいない――まぁ、なんだ。誰も殺しはしないから安心するといい。逃がさんがな」
「そりゃどうも! 根に持つ男は嫌われるぜ?」
「同じ轍は踏まないだけだ」
「こんなことになるなら、あんな仕事受けるんじゃなかった!」
「後悔先に立たず。自業自得だ」
「っとに、嫌な餓鬼だぜ!」
そして前回同様、互いの主張を叫び合い。
三度目となる対戦の幕が切って落とされたのだった。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。




