第百三話
「怪しいと感じられたのでしたら、適当な理由をつけて騎士団に連れていってしまえばよいでしょうに。一晩騎士団の牢に拘束しておけば、その間にドイル様がお求めの情報を手に入れることも、店内の捜索も思いのままですよ?」
「……今の段階では、ゼノスは何の罪も犯していないだろう?」
ぼんやりとろうそくの明かりで照らされた店内。
文字の羅列を目だけで追う俺の隣で、唇を動かさず、また俺の耳にだけ届くよう話かけてきたガルディに、俺も同様の方法で表情をかえず答える。
「確かに仰るとおりですが、罪を犯してからでは遅いという考え方もあります。国を害する可能性を未然に摘むのも貴族の義務かと」
「疑わしきは罰せずだ。それにあまり自由に振る舞っては、周りに迷惑をかけることになる」
「周囲の迷惑を気になさるなど、甘いですねぇ。まぁ、ドイル様の場合そこが良いとも言えますが……高位貴族としての義務を果たすのなら、時には迷惑を承知で独断専行することも必要だと思いますよ? 小を犠牲にして大を生かす。上に立つ者の基本です。それにーー」
「時には、な。もう終わるからその話は後にしてくれ」
「ドイル様にはグレイ殿下もいらっしゃるのですから、少しくらい強引に事を進めても問題ないでしょうに……」と続いたガルディの言葉を、聞かなかったことにして遮る。そしてすぐさま紙に目を落すことで、強制的に会話を切り上げた。
そんな俺の態度に、これ以上会話を続ける気がないことを察したガルディは、最後に「御心のままに」と囁くと口を噤んだ。
ガルディが完全に黙ったのを確認した俺は、ガルディとの会話を一旦頭の隅に追いやり、改めてゼノスから受け取った紙に書かれた文字達を記憶に刻む。
ホーンモモンガの角、アイアンスネークの鱗、ミラージュコクーンの糸、フェーニチェの卵の粉末、月影草、人面花、マンドレイクに亜種のアルラウネ、ドラゴンの血、幻覚花の花粉、スライムの核、聖水、毒ムカデの毒、オークの胃液と油などなど。
様々な薬草や魔獣から採取された素材が書かれた紙の、上から下までなめるように目を滑らせる。
その際、紙に書かれている薬草や魔獣の素材名を忘れぬよう、すべて目に焼き付けた。
またもう一枚の紙に書かれた銀獅子、竜の爪などの名だたる傭兵団の名前も忘れぬよう、しっかりと記憶していく。
ガルディが脅すまでもなく素直に申し出に応じたゼノスは、そんな俺を若干心配そうな様子で眺めていた。
……普通、なんだよなぁ。
実験中に焦がしたのか、煤けた袖から伸びる白い指を忙しなく動かし俺を待つゼノスの姿にそんな感想を抱く。
ぼさぼさの黒髪をちょこんと後ろで一つに結び、黄色や紫色など何の汁だかわからない液体で汚れた白衣の様なものを羽織った、ゼノスは極々普通の青年であった。
入店当初、見るからに高貴な雰囲気を持つ騎士を引き連れていた俺達に目を見張ったゼノスだったが、彼は俺の申し出を聞くと二つ返事で頷いた。
今まで訪ねた薬師達と違い渋る素振りさえ見せなかった為、ガルディの脅しも必要なく。
慌てて店の奥に引っ込み帳簿を探す姿は、予期せぬ騎士の来訪と協力の申し出に戸惑いを感じているがやましいことは何もないように見えた。
また違和感を覚えた看板について問えば、前店主に「店に残っている物は使うなり処分するなり、すべて好きにしていい」との言付けを貰った為、雨風にさらされ文字の薄くなった看板の上から新しくナイフで彫ったのだという。
内容、口調、表情共に極めて自然な答えであった。
出迎えてくれたゼノス本人は少々草臥れていたが、この場所で華やかな未来を夢見る薬師達と比べれば大差なく。店内も薄暗く雑然とはしていたものの、これまで訪ねた薬屋となんら変わらない。
違和感を与えた店の外観、噂や傭兵達からの評判等々。
様々な情報から抱いた印象から一転、入店前に頭を過った予感はなんだったのかと思うほど、ゼノス・ヴェルヒという薬師は何処にでもいそうな平凡な青年であった。
……あの予感は俺の勘違いだったか?
ガルディとの出会いや態度が衝撃的だったから、疲れて判断を誤ったか? などと下らないことを考えつつ、店の外観を目にした瞬間感じた違和感を思い出す。
普通看板の文字などそこまで気になるものではないはずなのに、ゼノスが営む店の前についた瞬間、強烈に目を引かれた。
あの瞬間、俺の本能というか勘が、此処には何かあると告げていたのだ。
またそんな俺と同じようにガルディが警戒を深めたのでゼノス・ヴェルヒは黒、とまではいかずともこの店には何かしらあるのだと思う。
故にゼノスに対する疑惑は、今も俺の中にあるのだが……。
「――ご協力ありがとうございました」
「いえいえ。騎士様方のお役に立てたのなら、幸いです」
決して噛みあわない、店を見た瞬間に覚えた違和感とゼノスの今の印象を気にしつつ。言葉と共に薬草の一覧と受注記録を返した俺に、ゼノスは浅緑の目を細め答える。
笑顔とまではいかないまでも、人のよさそうな表情を浮かべ俺の手から紙を受けとったゼノスは、人畜無害という言葉が似合う凡庸な雰囲気だ。
扱っている薬草や素材の中に、怪しい物や極めて危険な物はなく。
依頼者達の名前は豪華であるものの、傭兵達に卸した薬も本人も危険はなさそう、というのが入店してからこれまでを振り返った俺のゼノス・ヴェルヒへの印象である。
「……それで、俺の仕入れや仕事に何か問題がございましたでしょうか?」
「いいえ、問題ありません」
「それはよかった! これで安心して今後も仕事を続けられます」
俺の返答に顔を綻ばせ息を吐くゼノスは、心から安心した様子であった。
その言動に可笑しな点はない。
店の印象と異なりあまりに問題がなさ過ぎた為、ガルディは余計ゼノスに対する警戒を深めたらしく、先ほどからしきりに「捕えて本人と家を徹底的に調べましょう」と俺に進言していたわけなのだが……。
これほど怪しい点の無いゼノスを捕え尋問するのは、いささか問題があり過ぎる。
……何かいい理由があれば、連れていって尋問したいのは山々なんだがな。
問題無さ過ぎて逆に怪しいというガルディの主張はわからなくはない。
怪しいと思った自分の感覚を信じるべきだというのも。
しかし現在の俺はエピス学園の授業で王都にきている生徒の一人であり、ガルディは手伝い目的で王城から派遣されてきた平の近衛騎士でしかない。
ゼノスを騎士団に連れていったところで尋問に参加できるかわからないし、何よりゼノスから何も出なかった場合、お爺様にご迷惑をおかけすることになる。
そうなった場合「怪しいと思ったから」という言い訳は通用しない。
俺に負い目を感じているらしいお爺様は大目に見てくださるかもしれないが、近衛騎士の部隊長を筆頭に王城や王都の騎士達は違う。
俺とガルディの何の成果もない独断専行により、元大元帥が尻拭いする羽目になった場合、騎士達の目に俺がどの様に映るか。
見返してこいとグレイ殿下に言われている以上、下手な手を打って折角集まり始めた好意を零にしてしまっては意味がない。
ガルディもそれを察しているからこそ、ゼノスをここでどうするかの判断を俺に委ねてくれたのだと思う。
……どうしたものか。
確実に成果を見込めない独断専行は慎むべきだが、ゼノスには何かあると俺の勘もガルディも告げている。
無茶をする場面ではないものの、此処で素直に引き下がるのは惜しい、というのが正直な本音であった。
ゼノスを連れていくのにいい理由はないかと思案することしばしば。
不意に、店内を流れる空気がかわったのを感じた。
極々わずかな変化であったのだが、場の雰囲気が変化したことを感じとった俺は、気配察知を使い辺りを探る。
すると、この店に近づいてくる何者かの気配が俺の気配察知に引っかかった。
この店に用がある客といえば、傭兵か?
感じた気配にそんなことを考えながら、俺は扉の向こう側にいる訪問者に意識を向ける。店の扉のすぐ向こう側まで寄ってきている訪問者に、俺同様空気の変化を感じ取ったガルディやバラドが扉の向こう側へと注意を向けていた。
扉の外を気にしている俺達の様子に気が付いたジェフやソルシエ、一年生達が同じように扉へと視線を向けた頃、訪問者がゼノスの店のドアノブを回した音が店内響く。
そしてドアが軋む音と共に、訪問者は勢いよくゼノスの店の扉を開けた。
「おい、ゼノス! 生きてっか?」
先客の存在に気が付いているだろうに、訪問者は無作法に扉を開け放ち、ずかずかと店の中へと足を進めた。
無遠慮な男にバラドが眉を顰めた姿を横目に、俺は入ってきた訪問者の観察をはじめた。
所々擦り切れた外套の上からでもわかる鍛え抜かれた体と、腰にある大剣らしき武器から見るに、男は傭兵のようだった。
無遠慮ながら洗練された足さばきは、武術を長年嗜んできた人間特有もの。
一見乱暴に見えて隙のない身のこなしと、場の空気をも変える独特の雰囲気が相まって、男が傭兵の中でも強者と部類される人間なのだと周囲に知らしめる。
……手練れだな。
先ほどの空気の変化と今目の前にいる男の姿から、訪問者が手練れの傭兵であることを感じ取る。また、訪問者の親しげな口調から、傭兵とゼノスの付き合いの長さが感じられた。
これほどの傭兵もゼノスの薬を愛用しているのかと、傭兵と言葉を交わすゼノスへの評価を僅かに改めつつ、俺は二人の観察を続ける。
「傷薬が切れちまったから融通してくれや」
「し、シオン様、今は先客が……」
「五本でいい。薬貰ったらすぐ帰るからよ。俺とお前の仲だろう?」
傭兵は俺達の存在を完全に無視しながら、親しげな態度でゼノスに薬を無心する。
そして次の瞬間、被っていたフードを脱いだ。
「――お前は」
「ん?」
露わになった傭兵の顔に俺の視線は釘づけとなり、驚きのあまり息をのむ。
そして数拍後、思わず零れた俺の声にようやく傭兵の男は振り向き、その目に俺達を映した。
「――げっ」
俺と視線が絡むやいなや嫌そうな声を上げた傭兵に、驚きが確信へと変わる。
曝け出された顔と、フードの中から零れ落ちたジェミ二色の髪。
そして何より印象的な、アイスブルーの瞳。
見間違えるはずがない。
クレア救出時に対峙した、ハルバートの男の姿がそこにあった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




