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甘く優しい世界で生きるには  作者: 深/深木
本編(完結済み)
102/262

第百二話

 薬師を訪ね歩くこと数刻。

 しきりにこちらを気にする店主に心の中でため息をつきながら、ガルディの脅しで手に入れた薬草の購入記録等を確認したのがつい先ほど。

 現在俺達は、本日最後の薬師を訪ねるべく、移動中である。




 薬師達や職人達が住まう地区の中でも、独立したばかりの年若い者達が住まう一角。

 一人暮らし用の小さい家々はどれも住居兼店であり、そこで若き職人や薬師達は日夜研鑽に励む。そして何時か有名店が立ち並ぶ大通りに、己の店を出す日を夢見る。


 ひしめく家々の間は狭く、立ち上った逃げ場のない煙が視界を曇らせ鉄や炭、薬草を煮た独特な香りを漂わせている。

 すれ違うのも困難な、人一人とおるのがやっとな道は複雑に入り組んでおり、初見の人間がこの中から目当ての店を見つけるのは至難の業だという噂も頷ける。

 そんな王都内でも有数の複雑な場所を、バラドは確かな足取りで進んでいく。


『こっちよ』

『その赤い屋根を右です』

『左!』


 時折俺達の様子を伺いながらも迷いなく進むバラドは、一見この複雑な場所を完璧に把握しているように見える。しかし実際は、アインス達の先導に従っているだけ。アインス達の存在を隠す為に、さもバラドが案内しているように見せかけているのだ。


 アインス達の言葉をバラドは理解していない。

 故にバラドはアインス達の姿を目で追っているはずなのだが、前だけを向いて歩き続けるバラドは自身の意思で道を選び、進んでいるように見える。

 アインス達の存在を隠すよう指示したとはいえ、まるでバラドに案内されているような気分にさせられる態度は見事なものであった。


 ――上手いな。


 鳥の群れに紛れつつ、難解な場所では小さく鳴きながら道案内するアインス達と、彼等を目印に進んでいるはずなのに、そのようなそぶりは一切みせないバラドの姿に感心する。

 ガルディや一年生達が居なければこんな面倒なことはさせずに済んだのだが、アインス達ではなくバラドが案内しているように見せる偽装は、今後を考えれば必要な手間だった。


 いかに王都内といえども、複雑に入り組み、人の入れかわりも激しいこの一角を完全に把握し続けるのは、アギニス公爵家をもってしても困難を極める。正直、王家でも難しいだろう。

 若者が夢を見るのも、夢破れ挫折するのもよくある話だからな。


 そんな場所から目当ての薬師を見つけられたのは、単にアインス達という人ならざる目があったからである。

 アインス達を使っての情報収集は今回が初めての試みだったが、俺やセルリー様によって育てられたアインス達は、押し付けられた当初からは想像できないほど賢く育ち、優秀な働きをみせてくれた。

 この調子で育てば、アインス達は今後俺の貴重な情報源となるだろう。


 そんなアインス達の存在を隠すのは当然。

 特にガルディに対しては、極力己の手札を明かさない方がいい。

 味方であるのは確かだろうが、セルリー様の例もある。味方だからと安心しきって油断していると痛い目に遭う気がするので、ガルディを警戒するにこしたことはないだろう。

 

「ドイル様、次は何処に行くんですかー?」

「ゼノス・ヴェルヒという薬師のところだ。治療薬がよく効くと最近評判らしい」


 迷うことなく目的地へ進むバラドに感心しながら考察していると、後方からジェフの声が聞こえた。聞こえてきた質問に振り返れば、ソルシエや一年達も聞きたそうにしていたので、俺は傭兵達に聞いたそのままの情報を口にする。


「へー」

「……ゼノス・ヴェルヒ、ですか」


 ……まだ傭兵達の間で話題になっているだけの薬師だし、名前を聞いたところでそんなものだよな。


 名を聞いてもピンとこなかったのか、気のない声をだしたジェフにそんなことを思いながら、会話を切り上げ再び前を向けば、俺のすぐ後ろを歩くルツェが小さく呟く。

 呟かれた名にちらりと背後を見れば、ゼノスのことを以前から知っていたのか、記憶を探るように視線を彷徨わせているルツェの姿が目に入った。


「ルツェ。ゼノス・ヴェルヒを知ってるのか?」

「……確か、最近うちの商会で大量の薬草や魔素材を購入した薬師がそんな名前でした。薬の需要が増えていたので薬草類の搬入を増やしていたのですが、それでも間に合わずトレボル男爵に融通していただいたとか。大変だったと、父がぼやいていた覚えがあります」

「同一人物だろうな。俺が偽の情報を掴まされていなければ、ゼノスはいくつかの傭兵団と専属契約を交わしたらしいからな」

「左様で……お得意様になっていただけそうなら、薬草類の搬入をもっと増やしましょうかねぇ」


 どうやらこれから訪ねようとしているゼノス・ヴェルヒは、ヘンドラ商会のお客様らしい。ゼノスが以前ヘンドラ商会に発注した品々を思い浮べているのか、俺の言葉に口端を上げ思案するルツェの目は輝いている。 

 ヘンドラ商会にかぎってそのようことはないと思うが、商売の為に傭兵達を引きとめられてはたまらないので念を入れて釘を刺しておく。


「いらぬ世話だろうが、所詮傭兵相手の商売など一過性のものだぞ」

「承知しております。我々も国を荒らしたくはございませんので」

「ならいいが……ほどほどにな。わざわざ危ない橋を渡るなよ」

「はい。ご心配ありがとうございます」


 釘を刺す俺にルツェが力強く頷いたのを確認し、会話を切り上げる。レオ先輩達の一件もあったことだし、念の為ヘンドラ商会の監視を強めておこうと心に決め、俺はゼノスへと思考を戻す。


 ゼノス・ヴェルヒは最近傭兵達の間でよく話題に上る薬師で、年の頃は二十代前半。

 薬の値はどれも安く、よく効くらしい。特に切り傷や打撲に使う治療薬の効能が素晴らしく、いくつかの傭兵団が彼の薬を愛用しているようだ。


 それほどよく効く薬をつくるゼノスは、さぞ凄い経歴を持っているのかと思いきや、有名な薬師に師事した訳でも何処かの城や店に勤めていた訳でもなさそうで。

 調べた結果、これまでに大した経歴も見つからなかったので情報の真偽を疑っていたのだが、ヘンドラ商会の在庫でも間に合わない量の薬草を注文したというのなら、一概に嘘の情報だったという訳でもなさそうで一安心である。


 しかし安心する一方で、噂が確かなら何故ゼノスは今まで埋もれていたのかという疑問が生まれる。

 ここ十年間のエピス学園の卒業者名簿にゼノスの名はなかった。勿論、王都の薬師に師事していたという過去もない。

 それでも彼は、いくつかの傭兵団が専属契約を求めるほど優秀だという。


 といってもエピスの名簿と王都内や噂に上るような有名な薬師を調べただけなので、怪しいと断じるのは時期尚早だ。マジェスタの王都に店を出すことを夢見て、他国から移動してきたなど、色々な可能性が考えられるからな。

 この付近は若手中心とはいえ腐っても王都内。

 それなりの実力がなければ研鑽を積むことさえ難しい為、入れ替わりが激しい。

 此処にいる人間の経歴を詳しく洗おうと思ったら、それなりの時間が必要だ。


 しかし傭兵達の話が確かならばゼノスが契約したのは、傭兵達の中でも名を馳せている傭兵団ばかり。中には聞き覚えのある傭兵団の名もあった。

 名だたる傭兵団を虜にする薬をつくるゼノスは、一体誰からその知識を継いだのか。

 薬師という職業はいくらスキルや適性に恵まれたとしても、一から自己流で何とかなるものではない。かならず礎となる知識をゼノスに与えた人間がいたはずだ。


 ……レオ先輩かメリルなら知っているか?


 ゼノスの腕が噂通りならば、その師匠は余程腕のいい薬師だったと思うのだが、そんな薬師や弟子の噂など聞いたことがない。

 ゼノスは一体誰に教えを受け、何処からやってきたのだろう。


「――ドイル様、此方です」

「ああ」


 バラドの声に、ゼノスの過去から現実へと意識を切り替える。

 バラドが示した店の軒先には古ぼけた板がぶらさがっており、短剣か何かで『薬屋 ゼノス』と荒々しく彫られていた。


 板自体は古そうだが彫り跡はまだ新しいな。作ったばかりのように見えるが……。


 板は何度か雨風にさらされたのか変色しているが、彫り跡は白くまだ新しい。

 その辺りから適当に板を拾ってきて作ったとも考えられるが、軒先に吊るしてある板の留め具は板同様建物に馴染み、何ともいえない風情を醸し出している。

 端的にいえば、新しく彫られただろう文字だけが浮いて見えた。


「――これはまた意味深な外観の店ですね、ドイル様」


 店の前で佇む俺の耳元でガルディが囁く。

 自然な動作で俺にだけ聞こえるように囁き、すっと離れゆくガルディの口元は固く結ばれていた。

 店の異質な雰囲気を感じ取ったらしいガルディは、相変わらず無害そうな笑みを浮かべているが先ほどまでとは違い目が笑っていない。

 気を抜けば見逃してしまいそうなほど薄い反応であったが、初めてガルディが見せた警戒に、自然と俺の気も引き締まる。

 どうやら最近噂のゼノス・ヴェルヒは、一筋縄ではいかない人間のようだ。


 鬼がでるか蛇がでるか……まぁ、会ってみればわかるか。


 ガルディが見せた意外な反応に、一抹の不安と共にそんなことを考える。幾ら目の前の店が気になる外観であろうとも、ここで考察したところで何もわからない。

 結局の所、ゼノス・ヴェルヒについて知りたければ、この店に入店し本人に直接会って確かめるしかないのだ。


「入るぞ」

「はい」


 覚悟を決め入店を告げた俺に、バラドが薬屋のドアを開ける。

 ドアの先に見える店内は薄暗く、ろうそくでぼんやりと照らされていた。


 ――案外此処に俺の求めている手がかりがあったりしてな。


 薬屋の扉をくぐった瞬間、ふと思い浮かんだ予感に「いや、まさかな」と自嘲しながら、俺はゼノス・ヴェルヒと対面すべく店内へと足を進めた。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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