その2
「あ、ねえねえ空海。あれは取れそうかな?」
透明なケースの中。ボーっとした顔のクマ人形を指さして、天音が空海の服の袖を引っ張った。髪型は変わらずポニーテールだが、服装は当然エプロンではなく長袖の上に半袖のブラウスを着て、キュロットパンツにブーツという出で立ちである。
「んー……四手かかるな。どうしても欲しいんでなければパス」
対して空海は、天音コーディネイトの薄手の長袖に半袖の上着。ズボンは普段通りにカーゴパンツだ。着替えを用意されている時はどんなものかと思ったが、あまり普段と変わらなかった。おそらく、空海がさして服の種類を持っていないせいだろう。
「二人でここに来るのも久しぶりだよね」
空海の隣で、天音が嬉しそうに笑っている。
複数のBGMが混ざり合って、もはや騒音と化しているゲームセンターの中を二人はあちこち歩き回っていた。
近場のこのゲームセンターは五階建てで、一階部分がクレーンゲームばかりが置いてあるフロアになっている。景品は多岐に渡り、お菓子が取れるものも少なくない。先ほども袋入りのチョコレート菓子を一つ取ったばかりだ。
ボタン操作をするだけなので、左腕しか使えない空海でも十分に遊ぶ事が出来る。
「ほんと、空海はクレーンゲーム上手いよね。私なんか全然取れないのに」
「天音はどれもこれも一回で取ろうって考えるからだろ。あと、掴んで上に持ってくだけがクレーンゲームの攻略方法じゃないんだぜ?」
空海の経験から言って、そんな方法で取れるのは景品の形がクレーンのアームにぴったりはまった時くらいである。主に小物が複数取れた時によく起こる現象だ。
「他の方法って、さっきやってたタグに引っ掛けるとか転がして穴に落とすやつの事?」
「ああ。最近じゃテレビで紹介されたり、壁紙に張り出されてたりするけどな」
取り方がわかっても、結局狙った場所にクレーンを運べない事には意味が無い。こればっかりは経験と勘が左右する問題なので、取り方のネタ晴らし程度は痛手にもならないのだろう。
「しっかし、思ったよりも変わってないのな。天音、何か欲しいもんとかあったか?」
「んー、今のところは――あ、ねね、あれはどう? あれ」
きょろきょろ周囲を見回していた天音が、少し離れた場所にあるクレーン台を示した。近くに行ってみると、どうやら二つで一組のペンダントが景品になっているものらしかった。
それらは細長のケースに入っており、ケースにはアームを通すためと思われるリングが二個取り付けられている。素人が手を出すとほぼ確実に成功しないタイプのものだ。
「お、これ結構やりがいあるんだよな。いいぜ。どれ狙う?」
「うーんと……あ、あれあれ。あの勾玉が二個くっついたみたいなのがいい」
天音の示すそれは、いわゆる太極図と呼ばれるものだった。女の子が欲しがるものとしては珍しいものではないだろうか。
「あれか? 別に良いけど、他のハートとか星とかじゃなくて良いのか?」
「うん。あれがいい。……じゃないと空海着けてくれそうに無いし」
「ん? 何か言ったか?」
「ううん。何も言ってないよ」
なにやらぼそぼそと言葉が続いたような気がした空海だったが、天音が首を振って否定するので、気のせいかとそれ以上は追及しなかった。
とりあえず、改めて獲物を見定める。初期位置では左右のリングにアームを通す事は出来ないので、最低でも一手使ってお膳立てをする必要がある。空海の見立てでは最速で二手。四手あれば確実に取れる自信があった。
「んじゃ、いっちょ取りますかね」
「ガンバレー」
天音の声援を受けて、空海はコインを投入する。まずは初期位置をずらさなければならない。ここで上手く動かせれば、二手目で取れるはずだった。
クレーンを動かし、穴に近いほうのリングに右のアームを通すようにクレーンを配置する。アームを広げて下降したクレーンは閉じる時に狙ったリングを引っ掛け、上昇するときに景品の箱を斜めに持ち上げて穴の方へ引き寄せた。
当然、片側だけの中途半端な引っ掛け方をしているので、上昇しきる前に景品はアームの隙間から零れ落ちてしまうが、初期位置からずらしたことで今度は左右のリングにアームを通せるようになった。
「よし、ベストポジション」
「ああ、最初のはずらすために片方しか引っ掛けなかったのね」
ふむふむと天音が頷いて感心している。彼女がクレーンゲームを制する日はまだまだ遠そうだと、空海は胸の内で苦笑した。
――さて、二手目で頂きだな。
空海が再びコインを投入。横移動を完璧な場所で止め、縦の移動に入る。ぴったりで止めるのはもう慣れたものだ。
――よしここで――
ゾクリと、空海の背中に悪寒が走った。同時に、鋭く刺す様な視線に背中を貫かれ、空海は反射的に背後を振り返った。そのせいでクレーンの操作は確実にミスってしまったが、そんな事は些細な事だ。
「あれ? ねえ空海。なんか失敗――どうしたの?」
天音の問いを無視して、空海は注意深く周囲を見回した。まだ開店から一時間程度だが、休日とあってそれなりに人出はある。だが、それらは皆思い思いにゲームを楽しんでおり、誰かが空海たちを見ている様子はない。
――気のせいか? いや、あれだけはっきりと感じたんだ。絶対に間違いじゃない。
それは確信だが、目の届く範囲に怪しい者はいない。加えてゾクリとした感覚もすでに引いており、おそらくはどこかへ移動したのだろうと空海は結論を出した。
「ねえ空海。本当にどうしたの?」
くいくいと服を引っ張られていることに気がつき、空海は天音の方へ視線を向けた。突然の事に戸惑い半分心配半分といった感じだ。
「いや、何か変な感じがしてな。悪い、二手でいけると思ったんだけど失敗した」
「ううん。それはいいんだけど、本当に大丈夫? なんか顔色良くないよ」
言われて、空海は透明ケースに薄く映る自分の顔を見た。鏡ほど鮮明ではないので分り難いが、確かにやや血の気の失せた顔をしている気がする。
「大丈夫だって」
「……本当に?」
「ああ。今度こそ取るから見てろよな」
「う、うん……」
三枚目のコインを投入し、今度は何の失敗もなく景品を手に入れる。隣で手を叩いてはしゃぐ天音にそれを渡すと、彼女は早速中からペンダントを取り出して、
「はい。こっちは空海の分」
「え?」
陰陽の陽の側を空海に差し出してきた。
「知らないの? 陰陽って陰が女で陽が男なんだよ」
「へー、そうなのか。って、そうじゃなくて」
「いいじゃんいいじゃん。お揃いだよ」
ずいと差し出された陽のペンダントを、空海はやや首をひねりながらも受け取る。二つそろうと円だが、こうしてバラバラになっていると確かに勾玉のようである。
「あ、空海片手じゃ着けられないよね」
「おいおい……」
自分で押し付けたペンダントを空海の手から奪い去り、天音が戸惑う空海の首に手を回す。正面からの作業なので、かなり近い。その上彼女の豊満な胸が眼前に差し出される形になったので空海は思わず固まってしまった。
「よしっと」
空海の首から下げられた陽のペンダントを軽く指で弾き、次いで自分の首から下がる印のペンダントに触れた天音が、嬉しそうに笑っている。
――まあ、いいか。
天音の大胆な行動に心臓が高鳴りっぱなしだが、その笑顔を見れるのならば悪くはない。自分といても笑顔を作り続けてくれる誰かを、空海は大切にしたいと思う。
――一度捨てようとして、結局出来なかったしなぁ。
ふと昔を思い出して、空海は自嘲気味な笑みを浮かべた。
今の空海がいるのは天音のおかげだ。だから、彼は絶対に彼女を守ると誓いを立てている。離れない彼女を巻き込んでしまうのなら、何があろうと。
「空海?」
ボーっとしているように見えたのだろうか。天音がきょとんとした顔で空海の顔をのぞき込んできた。空海はごく自然に、その額にピシリとデコピンを叩き込む。
「はうっ!」
可愛い悲鳴を上げ、おでこを押さえてやや後退する天音を見て空海は思わず噴出した。破壊力抜群だった。
「ちょ、何するのよ空海!」
「いや、悪い悪い。なんかいきなりイジメたくなった」
「何よそれ。もう、お返し」
天音がつかつか歩み寄って来て、さあ行くぞとばかりに手を伸ばしてデコピンを仕掛けてくるが、
「甘い」
空海はそれをひょいとかわした。
「あ、ずるい!」
避けられた事で闘志を燃やされたのか、天音の追撃が飛んでくる。しかし、空海はそれをことごとくかわしていく。稚拙な攻撃を避ける事など、彼には造作もない事である。
「こら逃げるな」
「やなこった」
空海は舌を出して挑発し、それにますますムキになった天音がなんとしても彼の額に一矢報いるべく攻撃を仕掛け続ける。
騒音響く店内に、二人の楽しそうな声が加わった。