その3
空海にはシュナイツァの言葉の意味が分からなかった。空海が死ななかった事とミスの発覚が遅れた原因とに、一体どんな関係があるというのだろうか。
「運命流は基本的に絶対です。ブレによる例外が無いわけではありませんが、死に関しての間違いはありません。死ぬはずのない者が死んだとなれば、魔界の閻魔大王からも苦情が飛んでくるでしょう。あ、先の問題が発覚したのも、昨日の貴方の事故で死ぬはずのない人間が死んだからでして」
――閻魔様って実在すんのかよ。ってか、あのドライバーが死んだの手違いかよ。
さらりと混ざる驚愕の真実に突っ込みを放ちつつ、
「で、結局どういう事なわけ?」
空海は話の核心を求めた。
「あなたが幾つもの事件に巻き込まれつつも死なないで来れたのは、その元運命課の神がその都度あなたの運命流に手を加えて死の危険を除去していたためです」
「……って事は、俺が死ななかったのは仕事をミスったその神様がミスを隠すために生かしてたって事か?」
「そうです。そしてその神は現在査問にかけられているため、あなたが事件に巻き込まれた際に命の保障はしてくれません」
鋭く切り込まれたシュナイツァの言葉に、ドクン、と空海の心臓が大きく脈打った。
――おいおいおい。ちょっと待てよそれってつまり――
彼の不運体質は神のミスのせいだった。死なない強運はミスを犯した神の力だった。そして今、その神がいないという事は、残るのは不運体質のみ。
「ん、んじゃあ何か? 今度俺が何か事件に巻き込まれたら――」
「何もしなければ確実に死にます」
即答されたその答えを、空海は一度自分の口の中で反芻し、
「マジで?」
「はい。ですが――」
「なんじゃそりゃあっ!」
何かを続けようとしたシュナイツァの言葉を遮って、空海は絶叫した。
言葉を遮られたシュナイツァは若干顔をしかめつつ、
「落ち着いてください。だからこそ私がここにいるのです。今日から一週間、私があなたのサポートに回りますので、それでどうにか生き抜いてください。サポートの方法は――」
流れるような動作で、シュナイツァは持ってきていた鞄から薄いピンク色の用紙を三枚取り出し、テーブルの上に並べて空海に示した。
謎の用紙を掲示された空海は、まじまじとそれを眺める。
「……何だこれ?」
「奇跡の申請書です。それも腰の重い上層部を徹底的に叩いてどうにか引っ張り出した特権付きという垂涎の代物です」
説明の熱の入りようからしてどうにも貴重なものらしいが、件の用紙は申請者名記入欄と実行者名記入欄の他に承認印欄が幾つか区分けされているだけで、他は全部大枠一つと言う手抜き用紙にしか見えない。
「で、これで何をどうしろと?」
「この申請書に書かれた内容で私に実現可能な事、つまり何かを創造する願いをその場で即叶える事が出来ます。本来は何回もの検閲を経て処理されるものですが、まあこの細かい説明は省きましょう。要はあなたには神の奇跡を三回行使する権利が与えられるという事です」
神の奇跡の行使が可能と聞いて、空海はもう一度目の前に並ぶ三枚の用紙をまじまじと眺め、再びシュナイツァへ視線を戻す。
「マジ?」
「はい」
即答だった。
「この一週間であなたが巻き込まれる事件は三件です。その三件を三回の奇跡で乗り切って頂きます」
「え? 三件って、数分かってるのか?」
「はい。現在あなたの運命流はかつてないほどの混沌具合ですが、運命課の八割以上の人員が協力してはじき出した計算結果です。間違いはありません」
人員が全部でどれだけいるのかは知らないが、それだけ苦労してやっと解析出来る自分の運命流は、果たしてどうなっていると言うのだろうかと空海は遠くを見たい気分になる。
「まあとりあえずは、一件で一回か」
「ええ。それを乗り切れば、晴れてあなたはその厄介な運命から逃れられ、我々の問題も解決と良い事尽くめです」
原因の一端を担う側から言われるのは何となく釈然としないが、不運体質がなくなるというのは空海にとって非常に魅力的な話だった。どうにか折り合いはつけつつ生きてきたが、苦しいと思ったことが無いなどとは言えないのだから。
――普通になれたら、俺は――
「あ、ちなみに最初の一件は今日、あと十分後に起きますので、最初の奇跡の行使はお早めにお願いします」
希望に満ちた明るい未来を想像していた空海は、シュナイツァの言葉に目を見開いた。
「ちょ、待て待て待て。聞いてないぞ!」
「時間があまり無いとは散々申し上げたと思いますが?」
「具体的になんで時間が無いのかは言ってないだろうが!」
空海の指摘に、シュナイツァが視線を上に逸らしてなにやら記憶を探り始めたかと思うと、
「…………あ」
ぼそりとそんな声を漏らした。
「あ、じゃねえ! ってか十分後って何か? 俺は今まで安全だったはずのここで何か死の危険に晒されるってのか?」
散々いろんなことに巻き込まれてきた空海だが、その人生の中で我が家でだけはただの一度も事件に巻き込まれた経験がない。何かあるとすればそれはいずれも外での話しだ。だからこそ、空海は我が家が唯一の聖域だと考えていた。
「今までと現在は異なりますからね。あ、あと七分ですよ」
「くっそこのやろ。で、いったいどんな危険が迫ってるんだ? それが分からないと何を願っていいのか全く分かんねーぞ」
「さあ?」
シュナイツァはさも他人事ですとでも言う様に首を傾げた。
「あくまで死の危険があるというだけで、具体的にどのような危険があるかまでは分かりません」
「いやいやいや、だからそれでどう対処しろって言うんだよ……」
死んだら困ると言っておいての無責任さに、空海は怒りを通り越して呆れが生まれ始めていた。
「あれだ。安直だが不老不死とかにはなれねえのか? 出来れば一週間で効果が切れるようなやつで」
「そういった肉体を創る事は可能ですが、ただの肉人形で魂が入っていないので無駄ですよ? 私では魂までは創れませんし、もちろん移せません」
ついでに、自分の身体を創り変えるような奇跡はろくな事にはなりませんよ、と脅され、空海は第一案を破棄した。
「じ、じゃあ、今すぐこの場からいなくなるってのはどうだ? 物質転送機なんかで瞬間移動とか」
「悪くありませんが、ああ、一つ伝え忘れました。何かこの世界には実在しない物を創り出す際には、申請書の大枠に最低限大まかなデザインを描いて頂く必要がありますよ?」
シュナイツァはトントンと机に置かれたピンクの用紙を指で示し、その冷めた目で空海に、描けるんですか? と尋ねてきていた。
「いや、絵はちょっと……」
残念ながら空海に絵心はない。
「ある程度の補正は出来ますが、私もそういったものを作り出した経験がありませんからまともなものが出来上がるか保障出来かねますね」
「お前創造神じゃないのかよ」
「神が何でも出来るのであれば、私とあなたがこうして出会う事もなかったでしょうね」
正論だった。空海は黙るしかない。
「しかし、先ほどからあなたの意見はそこに転がるゲームか何かに出てきそうなものばかりですね」
ついと直された眼鏡が光らず、その奥に深い憐れみの色を見て取って、空海はほっとけとかなんでゲームって知ってるんだよと突っ込みを入れつつ第二案も棄却した。
その後も幾つか案を出す度にシュナイツァによって駄目出しを喰らい、空海はうんうん唸り始めた。
彼の傍でちらりと時計を確認したシュナイツァは、未だに良案を見出せない事に呆れたのか一つ溜息を吐き出し、
「仕方ありませんね。最初の一回目は私が全て代筆しましょう。本来、こういった行為は職務の逸脱なのですが、背に腹は変えられません」
彼はテーブルに並ぶ用紙を自分の側に寄せ、申請者名に空海の名前を、実行者名に自分の名前を書き込み始めた。次いで、
「種類はブレスレット。効果は身代わりで回数は三回。デザインは……」
大枠に何かちょこちょこ記したかと思うと、フリーハンドで大雑把なスケッチを始めた。
「悠長に絵描いてる場合じゃねえだろ!」
「さっき言った事をもう忘れたのですか? 創造に関する申請書類には、その世界に実在するもの以外は具体的なデザインを添えなければならないのですよ。全く新しい物を創るのですから、当然でしょう?」
空海と会話している最中にもシュナイツァの手は止まらず、やがて大雑把だったはずのスケッチが立体感すらうかがわせる見事な絵に変貌していた。輪状の装飾品かなにかのようで、三つの宝石があしらわれただけのシンプルなものである。
「少々おまけ機能も付加しておきました」
「おまけ?」
「ええ。使わないに越した事はありませんがね。では申請を行います」
言って、シュナイツァはスーツの内ポケットから判子を取り出すとそれを高々と掲げ、
「実行者、第四級創造神シュナイツァ・ドミニオーンの名において、この申請を承認します!」
宣言とともに承認印欄に判子を叩き付けた。その直後、
「うおっ!」
眩い閃光が空海の目を焼き、彼の視界は一時白に包まれる。ややあってから視界が元に戻ったので、空海は閃光を放った書類のあった場所を見てみた。
「……お?」
そこには先ほどシュナイツァが用紙に書き込んでいたものと瓜二つの腕輪らしき物が存在していた。シルバー色の本体に、青、黄、赤の信号色の宝石が一つずつ並んでいた。しかし、腕輪にしては大きさにずいぶんと余裕がある造りをしている。
「残り一分です。急いでそれを身につけて下さい」
「え?」
「早く」
急かされ、空海は言われるままに左手で腕輪を手にし、するりと通した。すると、腕輪は空海の手首に至るや急激に収縮し、その太さにぴったりの大きさになった。
「なんだこれ?」
「あと十秒。九……八……」
デジャブのようなカウントダウンが始まり、空海は思わず身構えた。立ち位置は居間のほぼ中央。いったい、何が起こるのか全く見当が付かない。
「三……二……一……。来ます」
シュナイツァの言葉と同時に、空海は先ほどドアが破壊された時よりもずっと激しい轟音を耳にし、直後にとんでもない力によって背中を打たれ、コンマ一秒後には家の壁に叩きつけられていた。
そのまま床に落ちたショックで息が詰まり、なおかつ折れた右腕をどこかにぶつけたようで泣きたくなる痛みが空海を襲う。
――いっつ……って、あれ?
痛みに耐えながら、空海は自分の状態が何かおかしいことに気がつく。痛みを感じるという事は意識がはっきりしているという事になるが、あれだけ派手に吹っ飛んで意識があるのはどういうことか。
加えて、右腕は痛いが背中や他の部分には不思議と全く痛みが無い。
そんな自分の状態に多少混乱しながらも頭を振って立ち上がり、いったい何が起こったのかと今まで背を向けていた方へ顔を向けて、空海は絶句した。
「……おいおいおい」
空海の視界に飛び込んできたもの。それはぐしゃぐしゃにひしゃげた小型の飛行機だった。かなり急角度で落下してきたのだろう。まるで墓標の様にその機体が居間の床に突き刺さっている。
「間に合いましたね」
呆然とする空海の隣で、シュナイツァが平然と立っていた。いつの間に今の騒ぎで粉砕したテーブルから回収したのか、その手にはピンクの用紙が二枚ある。
「さて、あと二回。どうにかして切り抜けましょうか」
その日初めて見たシュナイツァのセールススマイルは、空海にとって悪魔の微笑み以外のなにものでもなかった。
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