その2
「さて、それでは説明させ頂きます」
陸奥家の居間に、指示棒を持ったシュナイツァがホワイトボードを叩く音が響いた。
空海はボードの前で椅子に座り、テーブルに肘を突いている。
いわゆるプレゼンテーションのようなセッティングだが、空海の家にホワイトボードも指示棒も常備などしていない。
だがそこには間違いなくそれが存在している。何故か。
――創造神って、マジっぽいよな。
空海はシュナイツァのトンデモ発言を半ば信じざるを得ない状況になっていた。何も無い所からホワイトボードと指示棒を出現させたり、破壊された玄関ドアや電話機はすでに元通りに戻されている。
特に破壊された玄関ドアと電話機に至っては、破壊されたものは変わらずに放置されて、新しいものが元々あった場所に収まっているのだから――語弊はあるが――手品とかそういったちゃちなものでは断じてない。
また、彼が着ているスーツも見た目はどこにでもある普通のものだったが、いわゆる神の加護が宿っているため恐ろしい防御力を誇り、決して破れないのだという。
――どこのゲームの伝説の防具だよ。
当然空海はそれらに対しての突っ込みを入れたのだが、
「創造神ですから、基本的に創れない物はありませんよ?」
と返されてしまった。もう反論する気にもなれない。
そんな空海をよそに、眼前のホワイトボードにはでかでかと『狂った運命流を元に戻そう計画』と書かれている。ちなみに『運命流』のみ赤字で色分けされており、おそらくは重要な用語なのだろうと空海は理解する。意味はさっぱりだが。
「まず、私たちの仕事について触れさせて頂きます。核心に関しては、こちらをある程度知っておいて頂かなければ飲み込めませんので」
そう言って、シュナイツァがペンでなにやらボードに書き込み始めた。その筆記速度は尋常ではなく、空海の目の前で見る見るうちにホワイトボードに黒が書き込まれていく。
彼が書いているものはいわゆる組織図と呼ばれるもので、『全能神』を筆頭に『評議会』『申請課』と続き、そこから『時空課』『運命課』『創造課』の三つに枝分かれしている。
最後にそれら全てを大枠に含め、『神の奇跡』と書き込むと、シュナイツァは再びボードの横に控える形になった。
「お待たせしました。では、先ほどお渡しした名刺をご覧下さい」
シュナイツァに言われ、空海は手元にある彼の名刺を眺める。何度見ても冗談にしか思えない代物だ。
「私は『神の奇跡』という組織に属しています。ここには地界、つまりこの世界で生じた無数の願いが届けられます」
コンコンとホワイトボードで組織名を示すと、シュナイツァは組織図の右隣に中サイズの円を描き、『地界』と記す。次に円の中に『願い』と書き込んで、そこから無数の矢印を『神の奇跡』へと伸ばした。
まさに今、彼自身が説明したものを図化したものだ。
「願いが届けられる?」
「ええ。あなた方下賎な人間が日常の中で時も場所も分もわきまえずに望んでいる事も含めた、この世のありとあらゆる願いです。ちなみに、人間だけではなく『願う』という行為が出来るのなら、どんな生物の願いでも届けられます。無論、一番多いのは人間のものですが」
若干蔑みのこもった様な目で、シュナイツァが椅子に座る空海を見下ろしてきた。
――なんか、言葉遣いは丁寧だけど、絶対にこいつ人間好きじゃないな。
先の後遺障害確定の催眠使用を目論んだ前科もある。空海はシュナイツァの危険因子レベルを上方修正しつつ、説明に耳を傾ける。
「しかし、ありとあらゆる願いが届くとは言っても、日々絶え間なく無数に生じるもの全てを受け取っていては一瞬でパンクしてしまいます。ので、実際は幾つかのふるいにかけられて、限られたものだけが我々の下へ届きます」
再びシュナイツァはボードにペンを走らせ、先ほど伸ばした矢印を分断するようにして数本の赤線を書き込み、幾つかの矢印を修正してシャットアウトされているような表現に書き換えた。
「ふるいの条件は特にありません。望む者が聖人君子であろうが極悪非道であろうが、届く時は届きますし届かない時は届きません」
まさしくふるいである。空海がその図を見て真っ先に思い浮かんだのは、抽選という言葉だった。そう考えると、俗に言う神に祈りが通じたという言葉は、実に言い得て妙ではないだろうか。
「そうして送られてきたものの内、空間と時間に関する事柄は『時空課』へ。運命流、つまり個々の先の道筋や過去の事実に関するものは『運命課』へ。そして物体に関する事柄は我々『創造課』へ回されます」
ホワイトボードに書かれた各名称をそれぞれ示しながら、シュナイツァの説明が続く。
「と言っても抽象的ですので、それぞれに少しばかり具体例を述べましょう」
彼はそこで一度言葉を切り、スッと眼鏡の位置を調整して、蛍光灯の光を反射させてから再び口を開いた。
「空間と時間に関する事柄と言うのは、ある物体を一瞬にして別の場所へ移動させるような空間に干渉する事柄や、未来又は過去を改竄、及びその時間軸へ移動するような事柄を指します」
『空』間干渉や『時』間干渉の類を扱うから『時空課』というわけだ。実にファンタジックかつSFチックな話だなと空海は思う。
――ああ、神隠しなんかの原因ってこれだったりするのかね。
試しに聞いてみても良かったが、空海は思うだけで言葉にはしなかった。
「では次に運命流ですが、これはその個々の歴史と、未来の歴史だと考えてください」
個々の歴史と聞いて空海が思い描くのは、今の今まで歩んできた己の人生と、これから先にあるはずの未知の人生である。おそらく間違ってはいないだろう。
「例えば、あなたの歴史上、昨日の朝食はトースト一枚でしたが、運命流をいじる事でトーストではなくハムエッグ『だった』という歴史に変える事が出来ます。当然、明日の朝食が本来はトーストであるのなら、それをハムエッグに変える事も出来ます。直接時間を遡って、自分でそうしてもいいでしょう」
急激に話のレベルが落ちた気がしたが、シュナイツァの説明で空海は一つの推論に行き当たった。
「今の説明だとすっげーしょぼいけど、それってつまり明日俺が事故に遭って死ぬんだとして、それを死なないように変える事も出来るって事か?」
「その通りです。そもそも事故そのものに遭わないように改変する事も可能です」
なるほど、と空海は一人頷いた。つまるところ、運命流とは俗に言うアカシックレコードに近いものだと考えればいいのだろう。
それを改変するとなれば、確かに神の所業である。
――ん? 事故に遭わないように出来るって事は逆に――
空海はふと湧いた疑問を口に出そうとしたが、
「最後に我々創造課ですが、これは先の二つに比べると非常に簡単です」
シュナイツァの説明が続いてしまったので、とりあえず保留にした。
「例えば飢えて死にそうな時に食べ物が欲しいとか、莫大な金銭が欲しいといった物的な望みを、実際に望まれた物を創造する事で叶えます」
「ああ、確かに分かり易いな」
先の二つに比べて非常にイメージが容易である。空海の勘だが、件の届けられる願いの中で最も多いのがこれではないだろうかと思う。
「以上がおおよそ我々が行っている仕事の概要になりますが、何か質問はありますか?」
「あんたがどういった事をしているのかについては特にないな。ただ、結局なんで俺の所に来たんだ? それが最初からの最大の疑問なんだけど」
空海の問いに、シュナイツァは片眉を跳ね上げ、
「では、今までの説明を頭に入れた上で、もう一度このタイトルをみて何か思いつきますか?」
シュナイツァが示すのは、ホワイトボードに最初に書き込まれたもの。即ち『狂った運命流を元に戻そう計画』である。
「何かって、いや別にそのままの意味だろ。運命流がおかしくなったから、それを元に戻すんだろう?」
「では、その狂った運命流とは、誰の運命流だと思いますか?」
「ん? 誰ってそんなの俺に分かるわけ――」
自分でそこまで言って、空海はある事実に気がついた。目の前にいるシュナイツァは誰かの狂った運命流を元に戻すために動いている。運命流は個人の歴史とこれから刻まれる歴史の事を指すのだから、元に戻すためにやってくるとしたらその運命流の持ち主の所である。
空海は大きく深呼吸をする。
――さて、もう一度理解してみよう。今、目の前にいるのは誰だ?
「俺のかよっ!」
「……ふう」
叫んだ空海に対し、シュナイツァは眼鏡をハンカチで拭きつつやれやれと溜息を吐きだした。
「ちょっと待てちょっと待て。なんだって俺の運命流が狂ってんだよ。あんた何しでかしたんだ?」
「まあ、長くて複雑な話になるのですが、地界時間で十一年前に、運命課に所属していた一名の神が仕事をしくじりましてね。その結果です」
「短い上に単純じゃねえか! ってか、十一年前のミスとかなんで今更対処してんだよ」
「仕方が無いでしょう? ミスを犯した神がそのことを長く隠蔽していましてね。事が発覚したのは地界時間で昨日の事で、しかも発覚直前にその神が無茶をしたせいで方々に飛び火。今うちでは人員が総出で復旧に当たっているのですよ」
「大事っぽいけどイマイチ分かんねえ……」
ともかく、空海一人だけの問題かと思えば、かなり広範囲に問題は広がっているようである。
「まあそれはそれとして、十一年も前から狂ってるって言う俺の運命流はどうなってるんだ? いや、正直すっごい思い当たるんだけどさ」
十一年前。つまり空海が五歳の時から狂ってると言えば――
「おかしいとは思っていたようですね。まあ、当然でしょうか。あれだけの事件に巻き込まれる確立は、通常ならこちらの言葉で言う天文学的な数値ですから」
「やっぱり俺の不運体質の事か」
まさかの事実が判明した。空海の不運体質は、実は神様の手違いで生じ、なおかつ隠蔽され続けた結果だったのである。
「そういった事情で、私たちが歪みを調整し切るのに、地界時間で一週間ほど必要になるのです。それで、現在飛び火によって歪んだ部分を切り取りまして、一時的に拡張したあなたの運命流にプールしているのですが――」
「まてまてまて。またぞろすっごい嫌な台詞が聞こえた気がするんだが?」
シュナイツァがさらりと説明した言葉に、空海は言いようもない不安を覚えた。
運命流の拡張とか歪みのプールとか、明らかに空海の運命流がいじくられまくっているとしか思えない発言だ。それによって何がどうなるのかは分からないが、不運体質が歪みの一例だとすれば、何が起きても不思議ではない。
「細かい部分は省きますが、あなたの運命流は現在歪みによって非常に濁りきった川だとでも考えてください。その濁りを薄めるために幅を拡張し、通常の五十倍にしてあります。分母が大きくなれば自然と割合は下がるという、いわば反則技ですが、そうでもしないと我々も対処出来ませんでしたから」
「神が対処出来ないってなんだそれ!?」
「これにはわけがありまして。運命課はそれぞれの神が分割して運命流の管理を行っているんですよ。なので、通常の流れが理解出来ていれば歪みを直すのにそれほどかかりませんが、正常な状態がわからない物を正常に直すのは至難といいますか」
つまるところ、どこかの医療関係のドラマなんかで見る、正常を知らずして異常を知ることは出来ないというものと同じなのだろう。なんとなくだが、空海はそう理解した。
「まあ、我々は全能神ではありませんからね」
「なら全能神に対処させろよ……」
「地界ではどこの馬の骨とも知らぬ人間一人を守るために、首相や大統領個人が尽力するのですか?」
そう言われると、空海は言葉に詰まる。
――というか、あの組織の長は首相とか大統領クラスなのかよ。
せいぜい社長クラスだと考えていた空海は多少驚きつつ、そういえば社長でも個人で尽力するケースはほとんどないなと納得する。
「そもそも、今私がこうしてここに来ているのも、現状のまま放置するともっと大事になりかねないせいです。死者の運命流をいじくる事は出来ませんから、問題解決まであなたには生きていてもらわなければなりません。そうでもなければ神が直接対象と接触するわけがないでしょう?」
やれやれと頭を振るその姿は、明らかに面倒臭そうで、有体に言って貧乏くじを引かされたという表現がぴったり来るものだった。
そんな仕草は癪に障るが、空海は死ななければ良いという達成条件を聞いて、早くもこの問題に飽き始めていた。
「死ななければいいんだったら、別にあんたが来る必要は無かっただろ。俺、事件にはよく巻き込まれるけどそうそう死なないし」
「いえ、次は死にますよ」
「だろ? 死なない強運に関しては結構――え?」
思いも寄らない返答に、空海はきょとんとなる。
その視線の先で、シュナイツァは眼鏡を光らせ、
「ですから、次は死ぬと言いました。何故なら、あなたの不運体質は元運命課の神が仕事で犯したミスが原因です。そしてそれが十一年も発覚しなかったのは、あなたが死ななかったせいなのですから」
「…………は?」