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終章


 空海の意識はまどろみの中にいる。ふわふわと不安定な、けれどぬくぬくと心地良い。

 頭は起きなければと分かっているのに、身体が言う事を聞かない。早く起きなければならないと分かっているのに、力の入らない身体はピクリとも動かない。


 ――あー……そうだ。早くしないと天音が……


 ふと、霞んだ思考の中に一人の少女の顔が浮かぶ。大切な人。守りたい相手。そして何よりも愛しい想い人。

 そう。早くしなければ彼女が――


「……こぉら空海! さっさと起きなさい!」

「んあ? だっ!」


 突然後頭部に激痛の走った空海は、夢見心地から一気に現実世界に引き戻され、


「痛たたってうおっ! だっ!」


 眼前に現れた眉を吊り上げた天音の顔に驚いて思わず頭を引き、再度後頭部をタンスに強打する羽目になった。


「何よ。人の顔見るなり驚くなんて失礼じゃない?」

「いってー。真面目にいてえ」


 二回連続で強打したせいで相当に痛い頭をさすりつつ、空海はきょろきょろと周りを見回した。そこは古風な畳部屋で、最近はもうずいぶんと見慣れてしまった部屋だった。


「あー、お早う」

「お早うじゃないよ。もう七時回ってるんだよ? ご飯食べて学校行かないと」

「おー。もうそんな時間か。んじゃちょっくら着替えますかね」


 天音に言われて枕元の時計を確認した空海は、ぐいっと身体を伸ばして身体をほぐすと、そのまま立ち上がっていそいそと寝巻きを脱ぎ始めた。


「ちょ、空海それって……もうっ!」

「ん?」


 突然顔を赤くして何か文句を言った直後に部屋を飛び出して言った天音を見て、空海は首を傾げた。


 ――今更何を恥ずかしがってんだあいつ。


 空海が天音の着替えを見たならともかく、男の裸に耐性が無いほど初心ではないはずの彼女の反応は不可解だった。

 妙だなとは思いながらも空海は着替えを続行して、寝巻きのズボンを下ろそうとしたところで自分自身の不覚を自覚して赤面する。


「やべ……」


 この後顔を合わせて朝食を取るのかと思うと非常に気が重い。空海は盛大な溜息を吐きつつ血の巡りを意識して身体を調える事にした。


    ◇


 騒がしかった日々は終わりを告げていた。

 あの日以来、空海はごく普通の生活を続けている。

 道を歩いていても通り魔に襲われず、事故にも遭わない。銀行へ寄っても銀行強盗はやって来ないし、誰かと一緒にいてその誰かが怪我をする事もない。

 そんな普通の生活だ。


 ――ってもまだ三日程度だけどな。


「じゃあ空海。あたし先に出るから戸締りよろしくね」

「おー」


 空海の朝食の用意をすると、天音はバタバタと先に学校へ行ってしまった。何かしら用事があるという事だったが、詳しくは知らない。


 知らないといえば、あの日の事を天音は覚えていなかった。シュナイツァの転送で涼風家の居間へ運ばれた空海は、時同じくして目覚めた天音にその日一日の記憶が無い事に気が付いた。

 本人が言うには何かをしていたような気はするがはっきりとは覚えていないという事だったが、断片的に語られたその内容は空海の記憶とは大きく食い違っているものだった。

 事が事なので結局天音に何も伝えてはいないが、おそらくはシュナイツァの仕業だろうと空海は睨んでいる。

 もう一度会う機会でもあれば問い詰めたいと空海は思っているが、事件も終わってしまった今、あの銀縁オールバックが再び現れる事もないだろうとも思っていた。


 ――少しは礼を言っておいても良かったかもしれないな。


 天音の朝食を口に運びながら、空海はぼんやりとそんな事を考えた。経緯はどうであれ、シュナイツァの助けがあって今の空海がいる事に間違いはない。

 それならば一言だけでも礼を述べるに問題はなかったはずだった。その事は空海にとって若干の心残りである。


 ――あ、そういや今日は弁当作ってもらってねえな。


 用事で天音が早くに学校へ行ってしまったため、空海は自分のかばんの中に弁当が入っていない事を思い出した。

 仕方がないので道すがらのコンビニに立ち寄り、さて何にしようかと棚に並ぶパンを中腰で選んでいると、


「全員動くなぁ!」

「死にたくなかったら一箇所に集まれ!」


 いきなり男の怒鳴り声が二人分聞こえ、空海は中腰になっていた身体を起こしてコンビニの出入り口へ目を向ける。すると、そこにはそれぞれ赤と緑目出し帽を被った見るからに怪しい太っちょと痩せぎすの二人組みの男がいて、なぜかその手に拳銃を持っていた。


「は?」


 突然の状況に空海が混乱していると、


「うわあああっ!」

「きゃあああっ!」


 空海と同じく店の中にいたサラリーマンと女子高生が悲鳴をあげ、レジにいたアルバイトらしき店員があわあわと震え上がり始めた。


「うるせえ! 黙れ殺すぞ!」


 自分のせいだというのに騒がしくなった事が癪に障ったのか、赤い目だし帽のふとっちょが天井へ向けて銃を発砲。見事に蛍光灯を打ち抜いて硝子の砕ける音と客の悲鳴が店内に響き渡った。


「おい! 死にたくなかったら全員レジの奥へ集まれ! フライヤーの前でおとなしくしていろ!」


 緑目出し帽の痩せぎすの男が近くにいたサラリーマンの身体を突き飛ばしてレジへ向かわせ、次いで女子高生の腕を引っ張って同じようにレジへ押し込む。


「おいそこのガキ! お前もだ早くしろ!」


 銃を向けて威嚇され、空海は半ば異常混乱しながらも大人しく相手の指示に従ってレジの奥へ入る。先に来ていた三人はがたがた震えているが、ただ一人空海は自分の中から沸き起こる疑問の嵐によって恐怖心がどこかへ消えてしまっていた。


 ――え? 何だこの状況?


 ゴールデンウィーク明けの登校途中、立ち寄ったコンビニに銃を持った二人組みが押し入って来ました。人質になりました。


 端的に言えばそういう事になるわけだが、まったく意味が分からない。そうこうしている内に外に大量のパトカーが集まり始め、


「犯人に告ぐ。大人しく投降しなさい。君たちは完全に包囲されている」


 お決まりの拡声器を使った勧告まで聞こえ始めた。


 ――え? 何で?


「おや、早速始まっているのですか」

「なっ――」


 すぐ横から聞こえて来た聞き覚えのある声に反応して顔を向ければ、カウンターの向こうに銀縁オールバックにスーツという代わり映えのない格好でシュナイツァが佇んでいた。


「おま――」


 思わず空海は声に出そうとして、


「うるせえぞ死にてえのか!」


 それに反応して振り返ってきた太っちょに全力で首を振って否定を示した。相手が舌打ちをして外の様子を伺いだした事を確認して、


 ――何やってんだよこんなとこで。


 空海は心の中でシュナイツァへ話しかける。


「仕事ですよ。先の一件の報告書と始末書を片付けた途端、もう次の仕事が入ってしまいましてね」

 ――仕事?

「ええ。これからまたしばらくお付き合い頂く事になりますけど、よろしくお願いします」


 言って、シュナイツァは鉄面皮のままで手を差し出してきた。それはどう見ても握手を求めているようにしか見えない。


 ――おい。

「はい?」

 ――どういう事だそれは。説明しろ。


 とんでもなく嫌な予感を覚えつつ、空海はそれでもせざるをえない質問をした。すると、


「どういうも何も、この間と似たようなものですよ。この場を死なずに切り抜けて下さい」

 ――やっぱりか! ってかどうなってやがる。俺の不運体質はあの一件で改善されたんじゃなかったのか?


 シュナイツァの最初の説明では、三回の危機を乗り越える事によって空海の不運体質は改善されるという事だった。最後に余計な事件が加わりはしたものの、空海はしっかり三回の危機を掻い潜って生存している。

 実際、ここ数日はまったくの平穏だった。それはいつもならば家に閉じこもってでもいない限りはありえない事で、だからこそ空海は自分の体質が改善されたのだと思っていたのだ。


「ああ。はい。確かに十一年前の出来事によって引き起こされた貴方の体質変化は改善されていますよ」

 ――だったら何で今こうなってるんだ? それともこれは本当に偶然なのか?


 そうでなければ辻褄が合わない。空海の不運体質が引き寄せたことでないとするのであれば、これを偶然でなくてなんと言えばいいのだろうか。


「一言でいうのであればツケですかね」

 ――ツケ?


 その言葉を聞いて空海が思い出すのは支払いのツケだとか代償の類だが、それと今の状況がどう繋がるのかがまるで分からない。

 そんな空海の雰囲気が伝わったのかどうか定かではないが、


「空海さん。貴方は最後に身代わリングに私が付加したおまけを使ってしまいましたよね?」

 ――……ああ、使ったな。それがどうしたんだ? お前が付けてくれた保険だったんだろ?

「ええ。そして、私はこうも言いましたよね? 使わないに越した事はない、と」

 ――………………


 シュナイツァの言葉を聞いて、途端に空海の内にとてつもなく嫌な予感が膨れ上がる。よくよく思い出してみれば、あの時へレンがやたらとシュナイツァに噛み付いていたのはその部分だ。加えて、彼女が何か言おうとしたのを彼は無理矢理止めている。

 つまりは――


 ――おい。

「はい」

 ――まさかとは思うがあのおまけ機能、何かとんでもない代償を払う必要がある代物だったんじゃないよな?


 空海は横目でじろりとシュナイツァを睨みつけた。

 するとシュナイツァはしばし明後日の方向へ顔を向けたかと思うと、


「…………さあ?」

 ――ここでごまかしてんじゃねえ! 明らかにその辺に問題があるのは明白じゃねえか!


 心の中で空海がそう非難すると、シュナイツァはわずかに空海から目を逸らし、


「………………ちっ」

 ――だから舌打ちすんな! 意味分かんねえよ!

「まあ冗談はこのくらいにしましょう」

 ――くそ。一瞬でもお前に感謝した方が良いとか思った俺が馬鹿だった。


 空海はがっくりと肩を落とした。そんな空海の様子に周囲の人質たちが訝しむ目を向けてくるが、今はそんな事はどうでもよかった。


「酷い言われようですね。貴方にかけた保険を使われたせいで私は一垓とんで三京四千二百九十九兆七千三百四十六億五千九百十二万七千八百十一枚に渡る始末書を書かされたんですよ?」

 ――どんな始末書だそれ!


 想像を絶するとしか言いようのない数値を聞かされ、空海は思いっきり目を見開いた。

 しかし口にした当の本人は涼しい顔をして、


「その辺りも含めた詳しい事情はここを切り抜けたときにでも。まあ()()()ちょっと難しい方ですが、基本的にはそう難しくもありませんよ」

 ――ちょっと待て。今回はって何だ今回はって。まさかこれっきりじゃないとか言わないだろうな?

「え? これっきりな分けないじゃないですか。ご自分が何発銃弾を受けたか忘れたんですか?」

 ――何発って……


 言われて、空海は自分の記憶を探る。あの時背中に受けたのは五発だ。という事は――


「そういう事です」

 ――……ああくそっ! 分かったよ。今度は五回どうにかすればいいんだろ? それで、用紙はないのか?


 文句を言っていてもしょうがないと悟った空海は、やけくそ気味にシュナイツァへ奇跡の申請書を要求する。

 そんな空海に対し、


「おや、奇跡ですか? では――」


 シュナイツァはごそごそと懐を漁ったかと思うと、


「申請書にご記入下さい」


 これ以上にない営業スマイルでボードに挟まった用紙を差し出して来たのだった。





























 ――ん? この用紙ピンクじゃなくて白いな。しかもやたら記入するところが多くてわけが分からないんだが……

「それが通常の奇跡申請書ですよ。ああ、ちなみにこの用紙の場合、申請が受理されるまでに地界換算で一週間程度かかりますので――」

「間に合わねえよ!」







 おしまい。


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