その4
工場内に響き渡った銃声はおそらく複数。突然過ぎて空海には最初の一発以外分からなかったが、最低でも五発以上は撃たれている事は分かった。
五発という数字が出せるのは、その背中に受けた衝撃が五回だからである。
それ以上は感覚が追いついていないせいかまるで痛みがなく、今はまだ意識もはっきりとしていた。
そのため、空海は自分の下敷きになっている天音が驚きに目を見開いているのがよく分かる。その様子に苦しさが混じっていないところ見る限り、天音には一発も当たっていないであろう事も分かった。
――良かった。
空海は思わず笑みをこぼしていた。守りたいと願った少女を守る事が出来たのだという確信に、空海は安堵したのだ。
「空……海……?」
震える声で天音が空海の名を呼ぶ。彼女にも状況は分かっているのだろう。あの瞬間は背中を向けていたために空海のとっさの行動の意味は理解出来なかっただろうが、身体の位置を入れ替えた事で変化した彼女の視界にはしっかりとヘレンの姿が映ったはずだ。
喜悦に歪む表情で隠し持っていたもう一丁の銃を乱射する彼女の姿が。
「空海……?」
声と同じく震えた手が空海の頬に伸ばされる。おっかなびっくりで、触れれば壊れてしまう物へ手を伸ばすような、そんな躊躇いを見せる伸ばし方だった。
その様子に、空海はなんと言えばいいのか分からなくてただ苦笑いを作った。おそらく自分はひどい顔をしているのだろうと予想がつく。
――まあ、しょうがないよな。
背中に五発も銃弾を受けたのだから、主要な臓器の一つや二つはやられているだろう。後頭部でも撃たれていたら即死だったことを思えば、その点だけは幸運と言えるのかもしれない。
死への猶予が存在する事で、大切な人の無事を確認する事が出来るのだから。
空海がそんな事を考えている内に、怯える手つきで伸ばされた天音の手は空海の右頬に触れ――ぐにーんと引っ張ってきた。
「…………は?」
ほっそりした指に頬をつままれたまま、空海は天音の行為にきょとんとなる。まったく持って意味が分からない。身を挺して弾丸から守った相手に対する仕打ちとしてはいささかおかしいと言わざるを得ない。
突然の事態に空海が驚いていると、何を思ったのか天音が右手も伸ばして空海の左頬を同じように引っ張り始めた。
「ほい、ひゃめろ」
「空海、何で光ってるの?」
「……え?」
仰向けになったまま不思議そうに首を傾げる天音の言葉を受けて、空海はようやく自分自身へ目を向ける。すると、確かに天音の言う通り空海の全身が銀色に輝く光の膜のような物で包まれていた。
正確に言えばその膜は天音に覆い被さる空海のさらに上から覆い被さっているのだが、ぴったりと空海に張り付くようになっているために天音から見れば空海が光っているように見えるのだろう。
「いや、俺にも分からな――って、何で俺大丈夫なんだ?」
周りの状況をよく確認するために身体を起こそうとして、空海は自分の身に何の障害も発生していない事に気が付いた。
がばりと身を起こして左手で背中をさするが、痛みも無ければ服に穴が開いているような感覚も無い。
そうこうしている内に身体にまとわりついていた銀光も徐々に消え始め、
――どういう事だ?
空海がそんな疑問に内心首を傾げた直後、
「――んで!? なんで死なないのよ!」
頭上からいきなり女の金切り声が聞こえて来て、空海はとっさに真上を向いた。そこには吊るされたままのヘレンがいて、弾切れになった事に気が付いていないのかホールドオープンした銃の引き金を引き続けている。
恐ろしく驚いているところを見るに、彼女としても空海が無事なのは予想外もはなはだしい事態であるようだ。
「うーん。結局使ってしまいましたか」
そんな驚愕が支配する空気を壊したのは、コツコツと床を鳴らしながら近付いてくるシュナイツァだった。
銀縁のブリッジに手を当てつつ、目を伏せて盛大な溜息を吐いている。
「シュナイツァ! 貴方一体何をしたの!?」
吊るされたままのヘレンが引き金を引く事をやめ、弾切れになった銃をシュナイツァへ投げつけた。
しかし狙われたシュナイツァは飛来する銃をひょいとかわし、
「別に私は何もしていません――というと嘘になりますが、まああらかじめ用意していた保険が機能しただけですよ。使わない方が良かった保険なんですがねぇ」
やれやれと言う様にシュナイツァが頭を振っている。
二人の会話から空海もなんとなく自分が無事なのはシュナイツァのおかげという事は分かったが、それにしても何がどうなっているのかさっぱりである。
「ね、ねえ空海。あの人誰と喋ってるの?」
「え?」
くいくいと服と引かれ、空海はいつの間にか自分の下から抜け出して床に座り込んでいた天音に視線を向ける。
そこで彼女にはシュナイツァが見えていない事を思い出し、
「え? さ、さあ? なんなんだろうな」
空海はさっぱり分からないという事をアピールするために手と頭を同時に振ってごまかしにかかった。
「ああ、ほら、混乱してるんじゃないのかな?」
適当な事を言ってみるが、天音は眉をひそめて明らかに訝しんでいる。
「でも、今シュナイツァって誰かの――」
「ちょっと失礼しますよ」
「あ、おい――」
それは突然だった。急に横合いから手が伸びてきたかと思うと、その人差し指が天音の額に触れ、直後に話している最中だったはずの天音が目を閉じてぐらりと倒れ始める。
「天音!」
慌てた空海が左手で天音の身体を支えようとするが、何故か気を失っているらしく左手一本で支えるには無理があった。
「くっ」
このままでは床に勢いよくぶつかってしまうと判断した空海は、自分の身を滑り込ませる事で天音の身体を支え、どうにかゆっくりと床に寝かせる事に成功する。
そうして天音の様子を確かめるが、彼女が普通に静かな寝息を立てている事を確認して安堵の息を吐き、
「おいシュナイツァどういうつもりだ」
隣でしゃがみ込んでいる創造神へ非難の目を向けた。
「どういうつもりも何も、天音さんが起きていると面倒ですからね。ちょっと眠ってもらっただけですよ」
ふうと小さく息を吐くと、シュナイツァはゆっくりと立ち上がり、
「さて、今度こそ貴女の負けのようですね。ヘレンさん」
「……ふざけないで。貴方、自分のした事が分かっているの!?」
いつもの表情で上を見上げるシュナイツァに対し、吊り下げられたヘレンは驚愕に満ちた顔をしていた。
何にそんなに驚いているのか空海には分からないが、とりあえず空海も立ち上がってシュナイツァの隣に移動する。
――あれ? そういや身代わリングどこ行った。
空海は左手に残っていたはずの身代わリングが無くなっている事に気が付いた。すわ今の流れで無くしてしまったかときょろきょろ周囲を探すと、
「もうありませんよ。今さっき最後の効果を使い切って消滅しました」
隣のシュナイツァが淡々とそんな事を言ってきた。それに対して空海が何か言うよりも早く、
「冗談じゃないわ。こんなの、正気の沙汰じゃない」
「ええ、さすがの貴女でもこれは読みきれなかったでしょう?」
ヘレンが息を呑み、シュナイツァがしてやったりというように口の端を釣り上げて笑っている。
――全く分からねえ。
神と元神の共通認識による会話は、傍で聞く空海にはほとんど理解出来なかった。いくつか推測が立つとすれば、先ほどの銀光によって空海は銃撃を受けても無傷であり、その銀光が無用になったと思っていた身代わリングによって生じたものという事くらいだろうか。
――あとはあの元神がそれを計算に入れてなかったっぽいって事くらいだよな。
「その通りです。なにぶん、あれはあくまで使うような状況にならないに越した事はない保険ですから」
言われて、空海は最初に身代わリングを創造したときにシュナイツァが言っていた言葉を思い出した。
「ああ、そういやそんな事言ってたな」
「保険? それが保険だって言うの?」
「保険ですよ。だって、実際にそうなったじゃないですか。あれがなければ貴女の願いは成就していました。貴女の望み。自分勝手な都合で存続させてしまった運命流の処分、ですよね?」
キラリと眼鏡を光らせたシュナイツァの指摘に、ヒステリック気味に叫んでいたヘレンがぐっと言葉を詰まらせた。
その反応から見るに図星という事なのだろうと空海はヘレンの姿を眺めながら思う。
「正直おかしいとは思っていたんですよ。いくら愚鈍な上層部でも今回の件に貴女を投入しない理由はない。貴女は神権剥奪の取り下げ要求が降りなかったために協力しなかったと仰ってましたが、その実上層部は最初から貴女を利用する事は不可能だと考えていたんですよ」
シュナイツァの言葉に、ヘレンが形のいい眉を跳ね上げた。
「……どういう事かしら?」
「単純な話ですよ。我々の目的と貴女の目的が相反しているからです。貴女は貴女の責任の下、二人の運命流を本来あるべきだったように抹消するつもりだったのでしょう?」
「当然よ。二つの運命流は地界換算で十一年も前になくなってしまうはずのものなのだから。わたしの都合で残してしまった物をあるべき形へ、あるべきだった通りに返すのが当然でしょう?」
まるでそれが絶対的に正しい事であるかのようにヘレンが語る。
あるべき形とは空海と天音の死。あるべきだった通りというのは天音のせいで空海が死に、それを悔いて天音が死ぬという筋書きを差しているようだ。
空海にしてみればふざけるなとしか言いようがない。どんなお題目であろうと、それは彼女の勝手な都合で引き起こされた事を今また勝手な都合で終わらせようとしていた身勝手な言い分にしか聞こえないのだから。
例え本来の定めがそうであったのだとしても、空海も天音も現在進行形で生きているのだ。それを今更間違いだったから死ねと言われて納得出来るはずがない。
空海はふつふつと湧き上がって来た怒りをいまだ自分の正しさについて語り続けるヘレンにぶつけようとして、
「そこが間違いなんです」
氷のように詰めたいシュナイツァの言葉に制される形で出かかった言葉を飲み込んだ。
ヘレンもまたシュナイツァに気圧されたのか口を噤んでしまっている。
「貴女のしてしまった事は確かに間違いでした。その一点に関しては正しいと言えます。しかし世界とは、運命流とは常に変化を起こすものです。それはより密接に携わって来た貴女であればよくご存知のはずではありませんか?」
じろりとシュナイツァがヘレンを睨みつけ、宙ぶらりんの彼女は居心地悪そうにわずかに身をよじった。
「分からなかったのですか? 世界にとってこの二人の運命流が存在する事はすでに必然になっているんですよ。例えどれだけの歪みを孕んでいようが、そう変化してしまっているのですよ。他ならぬ貴女の手によって」
淡々とした口調で話すシュナイツァの言葉に、ヘレンが下唇を噛んでいるのが空海には分かった。
これもまたシュナイツァの指摘が正しいという事なのだろう。中身の正確な意味はとんと分からない空海だが、この神と元神の間で行われているやり取りが今回の件の核心に関係している事であろう事だけはなんとなく理解出来た。
「歪められ、長い間異常を溜め込んできた物をそのままにまとめて消し去ろうものなら、今回以上の被害が出る事は明白です」
そこでシュナイツァは一度小さく嘆息し、
「それに、ただでさえ今現在の空海さんの運命流にはさらなる余計なものが入り混じっている状態なのですから、その被害は予定にない死者の運命流が起こす被害とは比べ物になりません」
――なんか俺、爆弾みたいな扱いだなおい。
「実際その通りですからね」
なんとなく考えた心の内を読まれ、空海は盛大に溜息を吐き出した。がりがりと頭をかき、所在なさげに目をあちらこちらに泳がせると、
「で、結局どうすんだ? 色々わけの分からん事になったけど、天音も取り戻したし相手はこの通りだ。考えてみればこの後どうするかなんてまったく気にしてなかったんだが」
「それは大丈夫です。先ほど私の方で組織に連絡を入れました。そこの主犯をもう一度天界で裁判にかける必要がありますから、身柄はこちらで預かります。ご苦労様でした。今回の件は一先ずこれで終了です」
いつもの鉄面皮から一転、シュナイツァがさわやかな笑みを浮かべた。
それは一つの仕事をやりきった達成感から生まれたもののようで、
――ん?
空海はなぜかぶるりと身体を震わせた。次いで、何かとんでもない思い違いをしているような錯覚に陥る。
――なんでだ?
自分でも理解出来ない感覚に空海が内心で首を傾げていると、
「ふん。これで終わりですって? シュナイツァ。貴方は彼にな――」
「おっと」
ヘレンの言葉に被せるように、シュナイツァが突然指を弾いた。すると、
「――――? ――――!」
吊るされたヘレンが自分の喉を押さえたかと思うと、何かを叫ぶように思いっきり口を開き始めた。しかし彼女は何も言葉を発しない。いや、発そうとして発せていないという方がしっくり来そうな感じである。
「うるさいのでちょっと静かにしてもらいました」
「え? お前の仕業なのか?」
相変わらずのさわやかスマイルのままそんな事を言ってきたシュナイツァへ、空海は驚きの目を向ける。
「ええ。この程度神である私には造作もありません。ああ、そう言えば片腕しか使えない貴方には天音さんをつれて帰るのは難しいでしょう。ちょっとサービスして私が家まで送り届けますよ」
「え? ああ。えっと、それは代わりに天音を運んでくれるって事か?」
まくし立てられるようにして続けられたシュナイツァの言葉に若干押されながら、空海はチラリと床に横たわったままの天音を見る。
実際シュナイツァの言う通り意識のない人間を左腕一本で運ぶのは無理がある。手伝ってくれるというのであればありがたいところだった。
「いいえ。ここから天音さんの家までお二人を転送するという事です。まあ俗に言う神隠しの要領ですよ。本来は時空課の領分なんですが、まあ今となってはこのぐらい構わないでしょう。人間二人程度なら創造神のを私にでも送れますからね」
「ちょっと待て。お前俺に隠してる能力を後何個持ってやがる」
なんでもない事のように転送などと言われて、空海は思わず突っ込んでいた。
「ってか、お前転送は難しいから止めとけって一番最初に会った時に言ってなかったか?」
「あれは転送装置を創って使うのは止めた方がいいといったんですよ。今回のこれは私の、神の力ですからね。この程度造作もありません」
屁理屈のような事を言われて、空海はどう返していいものか判断に迷った。
「では行きますよ」
「え? ちょ、ま――」
ピタリと、シュナイツァの人差し指が空海の額に触れた。すると空海はまったく身体を動かせなくなり、ヘレンと同じように声すらも発せられなくなる。
「へたに動かれると危険なので固めさせてもらいました。安心してください。転送後にすぐ元に戻ります」
――そういう事は先に言えよ!
心の中でそう思うと、シュナイツァがにやりと笑って眼鏡の位置を直した。
「では行きますよ。……ああ、そうそう先ほどの質問。私の能力の総数でしたね」
パチパチと静電気のような音を立たせながら、シュナイツァの身体が薄く青白い光を放ち始めた。
演出なのか付随する効果なのかは不明だが、それが徐々に空海にも伝播して行く。肌を軽く撫でられるような感覚に空海は動けない身体で身じろぎをした。
「そうですね。まあおおよそ――」
青白い光が一際強くなり、空海の身体に移ったそれがシュナイツァの眼鏡をキラリと光らせ、
「百八つです」
――煩悩かよ!
思わず心の中で突っ込みを入れた直後、空海の周囲の景色が急激に歪み、同時に意識が急速に黒で塗り潰されていった。
そうして完全に意識を手放す瞬間、
「またお会いしましょう」
シュナイツァのそんな言葉を空海は聞いた気がした。




