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その2



「……まったく、優秀な神材(じんざい)が敵に回ると厄介ですね。ヘレンさん?」


 パンパンと手を払って、シュナイツァが光らない眼鏡の位置を調整した。底冷えした眼光がヘレンを射抜くが、射抜かれた当の本人はそよ風程度にも感じている様子はない。


「優秀? 冗談を言わないで。わたしは失敗を犯して追放された落ちこぼれの元神よ」

「下手な謙遜は嫌味ですよ? 貴女の言うような落ちこぼれが地界換算で十一年もの間ミスを秘匿出来るはずがない。用意周到に隠蔽し続ければこそ、ここまで大事になったのです。ギリギリまで気付かせなかった貴女は、間違いなく優秀ですよ」


 シュナイツァの視線とヘレンの視線が交錯し、見えない火花が飛び散る様を空海は想像した。しかしそんな熾烈な睨み合戦はすぐに終わりを迎え、


「実際、見事なものですね。彼の運命流には我々が色々と手を加えてしまっているというのに、あなたはそれをほぼ完璧に読み切った行動を起こしている。今日の暴走バスにしても、昨日の火事であれだけの人間が予定外に死ねばこそ起こってしまったものなのですから」

「え……?」


 シュナイツァの言葉を受けて、空海は今朝の新聞にあった火事の記事を思い出す。

 つまりあの事件は目の前にいる神が空海の運命流へ影響を及ぼすために起こしたもので、火事で死んだ人は空海の巻き添えになったという事になる。


 空海は思わずシュナイツァにどういう事か問いただそうとして、


「貴方が気に病む事ではありません。気に病むのだとしてもそれは全てが終わってからにしてください。……それに、もし本当に気に病む必要があるとすればそれはあの元神を魔界ではなく地界へ追放する事を決めた我々の査問委員会です」


 それを制するように言葉を吐き出したシュナイツァに万力のような握力で右肩を掴まれた。骨がミシミシといってかなり痛いのだが、その痛みとギリリと歯を噛み締めているシュナイツァを見て、空海は取り乱しかけていた心を落ち着かせる。


「そうね。今にして思えばうちの査問委員会は本当に馬鹿ばっかりだったわ」


 呆れたように笑って、ヘレンが小さくため息を吐き出す。


「ただでさえ運命流は過去から未来への流れを把握していなければ管理が難しいというのに、担当者だったわたしの力を借りずにどうにかしようとするから面倒な事になるのよ」

「貴女への協力要請は当然に行われているはずですが? それを断ったから即刻追放処分になったのでしょう?」

「連中がわたしの神権剥奪処分を取り下げなかったからよ。それを取り下げれば協力するって言ったのにね」


 憎々しげに顔を歪めたヘレンが吐き捨てるように言葉を放つ。どうも彼女にとってそこが一番気に喰わない部分であるらしかった。


「神権剥奪処分が変えられない決定事項であるというのなら、わたしが協力する意味なんてこれっぽっちもないもの。だから頭の固い連中に思い知らせてやろうって思ったの。ちょっとした情報を小耳に挟めさえすれば後は簡単なものよ。自分が長い間気にかけてきた運命流だからというのもあるけれど、ね」


 細められた鋭い睨みを受け、空海はほんの少しだけ気圧される。だが、すぐさま奥歯を噛み締めて引きかけた気持ちを持ち直させた。

 こういう場で相手に飲まれたらもう何も出来なくなってしまう。相手を飲む必要はない。ただ気持ちを落ち着け、クリアな状態を維持しなければならないだけだ。


 ――こんなところで、負けてられるか!


 今の空海に必要なのは時間だ。出来得る限りの時間が欲しい。今までの会話で多少は稼いでいるが、まだ足りない。それにヘレンには一箇所に留まっていてもらわなければならない。そのためには――


「なあ、元神様」

「…………何かしら?」


 今まで黙っていた空海の問いかけに対し、ヘレンはやや間を置いてから反応を示した。片眉を跳ね上げているところを見るに、どうも訝しんでいる様子である。


 だが、空海は相手の態度には構わずに、


「一つ聞きたいんだけど、何でこんな事をしているんだ? あんたは」


 ずっと聞きたいと思っていた質問をする。一応の見当はついているが、それにしてもここまで手の込んだ方法を取った理由がまるで分からないのだ。

 空海を殺す事でシュナイツァたちの目的を邪魔するためだとするならば、あのアパートの一件で空海を殺してしまえばそれで終わっているはずなのである。


 だが実際には目の前の元神はあの場で殺されかけた空海を助けている。それは、明らかな矛盾だ。


「……いいわ。最後だし、教えてあげる。ちょっとこっちに来なさい。ああ、シュナイツァはそこから動いちゃ駄目よ」


 くいくいと手招きをするヘレンに対し、空海は一度隣にいるシュナイツァを伺った。すると彼は小さく嘆息し、コクリと頷いた。

 時間稼ぎも終わっていない。ここは素直に相手に従えという事だろう。


 空海は視線をヘレンに戻し、罠を警戒して周囲をじっくり観察しながらゆっくりと足を踏み出した。

 ヘレンはそんなおっかなびっくりな空海の様子を薄く笑みを浮かべたまま眺め続けている。

 そうして空海がヘレンのいる場所まで残り三メートル程まで近付いたところで、


「そこで止まりなさい」


 静かな、しかし身体を縛るほどに冷たい声によって、空海はピタリと足を止めた。

 警戒していた周囲から改めてヘレンへ視線を戻せば、相手の瞳におぞましいまでの憎悪が浮かんでいるのが空海にははっきりと見て取れた。背筋が凍りつくほどの感情。そんな物を目の当たりにしたのは初めてだ。


「う……」


 突然、それまで身動き一つしていなかった天音がかすかにうめいた。見れば身体を縛られているだけではなく猿轡までかまされているようだ。


「天音!」

「あら、やっと起きたの? まったく、全ての元凶の癖にのんきなものね」


 空海の叫びに続いて、ヘレンの冷ややかな言葉が続く。彼女はゴミを見るような目で天音を見下ろしていた。


「う……、うっ! うーあい!」


 うっすらと目を明けて顔を上げた天音が空海の存在に気が付き、猿轡のせいでまともな発音にならない声を上げた。


「天音! 大丈夫か!」


 空海としてはすぐにでも駆け寄りたいところだが、ヘレンは相変わらず銃口を天音に向けたままなので下手に動く事が出来ない。

 じりじりと焦れる心のまま、その場に留まって声をかける事しか出来なかった。


「うーあい! うーあい! う――」

「うるさい」

「っ! 止め――」


 天音の声と空海の制止を掻き消して、乾いた音が二回工場の中に響き渡った。

 目の前に弾痕が刻まれる様を見た天音は大きく目を見開き、駆け寄ろうとした空海は一歩踏み出した足先に放たれた弾丸によってその動きを止められてしまった。


「二人とも静かになさい。この場はわたしが絶対なのよ。次に勝手な行動を取ったらすぐに殺すわ」


 じろりと睨まれ、空海は奥歯を噛み締めつつも踏み出していた足を元の位置に戻す。


「……さて、それでなんでわたしがこんな事をしているのかを知りたいんだったわよね?」


 空海と天音がそれぞれ黙った事を確認すると、ヘレンは再び銃口を天音に向けたまま空海を見つめてきた。そして、


「貴方はまだ思い出さないのかしら?」

「……何の事だ?」


 いきなりの妙な質問に、空海は素で首を傾げてしまった。


「ふん。そう。貴方は何も覚えていないのね。――けど、貴女はどうなのかしら?」


 チラリとヘレンに視線を向けられて、天音の身体がビクリと震えた。そうして今にも泣きそうな目で空海を見つめて来る。恐怖に怯えていることは明白だが、どこか様子がおかしかった。


「その様子だと、あなたは覚えているようね。そして覚えているくせに彼には何も伝えていない」

「あええ……」


 へレンが意地の悪い笑みを笑みを浮かべている。その様子に気が付いた天音が、猿轡のせいで言葉にならない声を発しながら必死に首を振っていた。

 わずかに聞き取れる天音の言葉は、どうやら「止めて」と言っているようだ。


 ――何だ?


 そんな天音に、空海は内心で首を傾げる。話の内容からして、ヘレンは失った空海の記憶に関して何かを知っているようだった。そして天音も同じ事を知っている。

 だが、二人の態度はまるで違う。ヘレンは相手をいたぶるためのいい方法を見つけたといった感じで、天音はどうもそれを空海には知られたくないような感じなのである。


 ――違和感はこれか。


 空海は先ほどの天音から感じた違和感の正体を理解した。天音は先ほどから死の恐怖に覚えているのではない。何かを空海に知られる事の恐怖に怯えているのだ。


「ふふふ。いいわねその表情。この十一年間、わたしが溜め込む事になった鬱憤が少しは晴れるというものだわ。けど、まだ足りないのよ」

「うぅー!」


 クスクスと笑うヘレンに対し、いよいよ持って天音が懇願するような表情になっている。だが、そんな天音の顔を見れば見るほどに、ヘレンの笑みは強く濃くなって行く。そして――


「せっかくだから貴方にも教えてあげるわ」


 ニヤニヤと天音を精神的にいたぶっていたへレンが、突然空海へと視線を移してきた。


「十一年前、貴方は涼風天音の隣の家へ越して来たわね?」

「……ああ」


 ヘレンの問いに、空海はコクリと頷く。


「その時、涼風天音はどういう子供だったか覚えているかしら?」


 視線を天音に向けながらの質問にも、空海はゆっくりと頷いた。

 引っ越してきたばかりの頃、天音は非常に引っ込み思案な女の子だった。いや、今にして思えば家族を含めた自分とは違う人間を怖がっているような感じだろうか。

 彼女はいつも家に篭りっきりで、両親はもちろん祖母とでさえ一緒に出かけるところを空海は見た事がなかった。


「そう、五歳当時の涼風天音は誰かといる事を非常に厭う子供だった。それは実の両親や祖母だとしても同じ。けれど――」


 ヘレンの視線が再び空海へ向けられ、


「そこへ貴方という存在が現れた」


 鋭い目で睨み付けられる。

 何故このタイミングで睨まれるのかが分からなくて、空海は軽く混乱した。


「貴方は涼風天音に干渉し、いつの間にか彼女の中へ入り込んでしまった。そして彼女自身もまた貴方という存在を受け入れた。それは何でだと思う?」

「…………さあな。聞いた事がない」


 お隣さんの同年代という事と親同士の交流もあって、空海は自然と天音にちょっかいをかけていた。今にして思えば最初は結構な拒絶をされていたのだが、そういう反応が面白くてちょっかいをかけ続けている間に、いつの間にか天音が空海の後を付いて来るようになったのである。

 そこからはごく普通に公園に行ったりなんだりで一緒に遊ぶようになっていた。

 だから空海はその事を疑問に思った事はないし、改めて尋ねてみた事もなかった。


「そう。いいわ。じゃあ教えてあげる。それは貴方が、涼風天音にとって()()()()()()()()()|だったからよ」


 軽く鼻を鳴らしながらのヘレンの言葉に、空海は片眉を跳ね上げた。天音が待ち望んでいた存在という言葉の意味がまるで分からなかったからだ。


 ちらりと天音の様子を見てみても、彼女はすでに嗚咽を漏らしながらいやいやと首を振り続けているだけだ。

 しかしヘレンはそんな空海には構わず話を続けていき、


「涼風天音は幼いながらも懸命に神へ祈っていたわ。『ともだちがほしい』とね。そしてその願いの叶った形こそが、陸奥空海。貴方なのよ」


 またぞろ妙な事を言い始めていた。


「は?」


 空海は思わずきょとんとしてしまった。自分の事を人の願いの形と言われても、さっぱり意味が分からない。

 そんな空海の表情をどう取ったのかわからないが、


「安心しなさい。別に貴方が神に作られた人間とかそういうわけじゃないから。貴方はれっきとしたただの人間よ。ただし、涼風天音の願いを叶えるために神の加護を受けた人間であるというだけ」


 ヘレンがそんな補足を加えてきた。続けて、


「貴方は神に選ばれた人間。まあ、こういうとちょっと語弊はあるのだけれどね。でも、涼風天音の側にいるためには神の加護でもなければどうしようもなかったのよ」


 銃を持っていない左手だけで器用に肩をすくめて見せてきた。


 それ以上はすぐに話を続けないところを見ると今ので一括りの説明は終わりのようだったが、空海には大きな疑問が残っている。それは――


「ちょっと待て。今の話を聞いていると、俺は神の加護を受けた人間って事でいいんだよな?」


 空海の質問に、ヘレンはニヤついた顔のまま頷く事で肯定を示してくる。


「だとするとおかしくないか? 普通神の加護って運が良いって言うか、なんにせよプラスに働くもんだよな?」


 少なくとも空海はそう考えているし、古今東西神の加護を得るという事はご利益という言葉があるように自分自身に有益であってしかるべきだ。


「けど、俺はこの十一年どっちかって言わなくても不幸続きなんだぜ? それを神の加護って言われても納得いかねえよ」

「それはそうでしょうね。大丈夫……というのも変だけど、貴方にかけられた神の加護と貴方の不運体質はまるで違うものよ。貴方がこの十一年不幸に見舞われたのは運命流が狂ったからね。その影響で神の加護の効果がかき消されているのよ」


 狂わせたのは自分だというのに、ヘレンはまるで他人事のようにそんな事を言ってきた。

 一応の筋は通る説明ではあったが、空海にはまだ決定的に分からない事がある。


「それはそうとしても、何で天音の望みを叶える為には俺に神の加護を付けなきゃならなかったんだ? 運命流が狂った事で俺の不運体質が生まれたんだってんなら、それ以前の俺は普通だったんだろ?」


 ヘレンの説明から類推すれば、空海の不運体質を打ち消すために神の加護を付加されたわけではない事はすぐに分かる。そもそも天音の願いが『ともだちがほしい』であるのならば、そんな妙な人間ではなくごく普通の人間が選ばれてしかるべきだ。


 しかしどういうわけか選ばれた普通の子供である空海には神の加護を与えられているわけで、何がどうしてそこへ繋がるかまったく分からないのだ。


「簡単な話よ。涼風天音は生まれながらにしてありとあらゆる災厄を引き寄せる星の下に生まれてしまった。そしてそれはともすれば自分の家族にさえ及んでしまう程に強力なものだったというだけ」

「え……?」


 予想だにしていない言葉に大きな衝撃を受けて、空海は呆然となる。それでもどうにか錆付いたロボットのような動きで天音へと視線を向ければ、彼女は空海と目が合った瞬間に気まずそうに逸らしてしまった。


 それは、ヘレンの言っている事が正しいという証明でもあった。


「え? いやちょっと待てどういう事なんだよ。天音が俺と同じ不運体質だって言うのか? そんなわけあるか。だって俺は子供の頃に天音と遊んでいて、何かあった事なんかないぞ」


 一緒に行動するようになってから、空海は天音と色んなところへ行って遊んでいる。事故の影響もあって色々と思い出せない事も多いが、少なくとも大きな事件に巻き込まれたのはあの時をおいて他にない。

 もし天音が不運体質だというのであれば、それ以前にもっと何かが起こっているはずだった。


「言ったでしょう? 貴方は涼風天音と一緒にいるために神の加護を受けた人間なのよ。彼女の災厄を物ともしない唯一の存在。彼女の純粋な願いの形」


 だから空海に災厄は訪れなかった。ヘレンは淡々と、そんな説明を空海にして来る。




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