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奇跡ですか? では申請書にご記入下さい  作者: 天笠恭介
第三章 創造神の誤算
13/22

その4



 警察の事情聴取は二時間ほどで終了した。

 人質になっていた女性はどうしても外せない急用があったとかでまだ事情聴取が出来ていないらしく、代わりに空海と天音が詳しく聞かれる羽目になったのだ。


 お昼時になっていた事もあり、容疑者でもないのに警察署でカツ丼を食べたのは特異な経験かもしれないなと空海は意味も無く考えていた。

 ちなみに、カツ丼の料金は当然空海が支払っている。


 警察署を出て、再び城主一国なる人物――本名はしろぬしいちこさんで、なんと女性だった――の元を訪れて差し入れを渡すと、空海と天音はそのまま家に直帰する事にした。

 精神的に疲れた事が最大の要因だが、今日はもう遊ぼうという気にはなれなかったのだ。


 ガタゴト揺れる電車の中で、座席に座る二人はさながら恋人の様に寄り添っている。正確には、天音が空海の傍を離れたがらなくなっていた。まるでどこかへ行ってしまうのを必死で引き止めるように、彼女は彼の左手を拘束している。

 空海としてはどうにも恥ずかしい面がある上、左腕に触れる天音の非常に女性的な柔らかさに煩悩を激しく揺さぶられてしまっている。

 だが、その痛々しささえ覚えるほどの必死さを振り払う事など出来ず、またそうされる事が決して嫌ではないという事もあってされるがままにしていた。


 ――そういや、前にも一回こんな事があったっけな。


 ボーっとした思考のまま、空海は昔の出来事を思い出す。

 中学一年の冬、両親が当てた少し大口の年末宝くじを家族で換金するために銀行に行って、見事に銀行強盗に巻き込まれた。その時たまたま天音も祖母と銀行を訪れており、お隣さん同士仲良く人質と相成ったわけである。

 強盗犯は銃を所持していて、人質となった人々は戦々恐々としていた。

 犯人は銃で武装している事で強気だったのか、当然の如く銀行が警察に囲まれても人質を盾に結構粘っていた覚えが空海にはある。


 そんな緊張状態の中、空海は一人動いた。それまでの経験を踏まえ、どうせだからと前々から考えていた仮定の証明を実行に移したのだ。

 彼は家族や天音の悲鳴を無視して犯人に突進した。

 普通に考えれば蛮勇とさえ言えない無謀な行為。だが、すでに幾度となく死の危険に晒されてきた空海はそういう空気に慣れてしまっていた。

 また、自分の事で両親が非常に心を痛めている事を知っていたため、よしんばここで死んだとしてもそれはそれで両親が自分という重荷から解放される。それも悪くないと考えていた。


 空海の仮定とは、不運体質と死なない強運がセットであるとする場合、自ら危険に飛び込んでもなお死なないのではないかというものだ。

 それを確かめるための突進。当然動き出してすぐに気が付かれ、空海は銃を向けられる。それでも構う事なく突っ込み、犯人は容赦なく引き金を引いた。


 しかし犯人の銃から弾は出なかった。このタイミングでの、不発。


 全力で体当たりを仕掛けた空海は犯人と一緒にもんどりをうって床に転がり、犯人の落とした銃が暴発して足を撃たれた。

 犯人の手から銃が離れた事と空海の行為に触発された他の人質が犯人に飛びかかる騒ぎの中、激しい痛みとともに空海は確信した。自分はどれだけ危険な目に遭っても決して死なない運命にあるのだという事を。


 ――過去の栄光……いや、愚行、だよな。


 全てのタネが分かった今にしてみれば、完全な自殺行為だ。


 ――そういや、あの時天音、何であんな事言ったんだろう。


 回想を一時止め、空海は首を動かして左隣で静かにしている幼馴染を見る。彼の肩に顔を埋めているので、その表情は読み取れない。わずかに左腕を動かそうとすると、それに反応してさらに強くしがみつかれた。


 ――……ごめんね、か。


 空海の意識は再び過去へと向かう。

 怪我のため救急車に乗せられ、その車内で泣きじゃくる天音は何故か空海に対してごめんねと謝罪を繰り返していた。

 その意味がまるで分からずに空海は混乱したが、とにかく泣き止んで欲しくて慰めの言葉を口にしていた。


 ――あと、昨日はたまたまお願いしてなかった、だっけか。


 あの時の天音の言葉で最も意味が分からなかったのがこれだった。お願いしていなかったと言うが、いったい何の事か分からない。一度聞いてみようと思いつつ、結局今に至るまで空海は彼女に聞く事が出来ていない。


 そんなこんながあって、二日ほど今のような引っ付き虫状態が続いたのである。ちょうど冬休み中であった事と、休みが終わる頃には元に戻っていた事もあり、学校でおかしな噂が立つ様な事が無かったのは幸いだった。

 もし学校でもこのような状態だったなら、間違いなく勘繰られただろう。ついにデキたのかと、周囲から温かな目で見られるのはなかなかにきつい。


 ――そりゃ、本音を言えば嫌なわけじゃないけどな。


 空海は天音が好きだ。おそらくも何も、一人の異性として好意を持っている。だが、その身に宿る特異性から深く関わり過ぎてはいけないとも思っていた。

 彼の不運体質は平気で他人を巻き込む。己自身のみに降りかかるのならまだしも、周囲に迷惑をかける様な状態でこれ以上天音に近付くわけには行かない。


 すでに十分近付き過ぎている事は空海にも分っている。だがどうしても突き放しきれなかった。距離を置いても平気で踏み込んでくる、踏み込んできてくれる彼女に、どうしようもないほど惹かれるのだから。


 ――こいつはどうなんだろうな。


 空海は再び天音の様子を確かめる。彼女は相変わらず彼の肩に顔を埋めていて、やはり表情は見えない。

 彼が幼い頃から知っている少女は、ここ最近になってぐんと綺麗になった。高校に通い始めてまだ一月だが、彼女の存在は同級生のみならず上級生にも伝わっていると聞く。浅いながらも付き合いのある級友の弁ではすでに片手分は何かしらのアプローチを受けているとも。

 だが、彼女はそのことごとくを断っているらしい。何故か。


「…………ふう」


 自らの脳裏に浮かんだ自惚れに、空海は自嘲気味な笑みを浮かべ、小さく息を吐き出した。


 ――けど、この一週間を乗り切れば俺は普通になれる。そうなったら――


 空海が胸の内で決意を新たにした頃、電車はちょうど降りるべき駅のホームへ進入して行くところだった。


    ◆


 妙に疲れた遠出を終え、天音の状態を鑑みて夕食を作るのは絶望的と判断した空海は、引っ付き虫状態の彼女を連れて駅からの帰り道にある弁当屋に立ち寄った。

 普段から全く利用しない店なので味は不明だが、下手に見知った場所に行って今の状態を見られるのは避けたいと考えた結果だ。元より天音の料理と比べること事態が愚かしい。


 彼女は電車を降りても終始無言で、ただただ空海の左腕に張り付いていたが、清算の際にはさすがに使える左手を解放してくれた。ただしそれが終わって空海が弁当を受け取るや否や、元通りである。

 店員のおばさんのあらあらとでも言いたそうな顔付きを努めて無視しつつ、空海は店を出て天音の家に戻ってきた。


「で、もう家に帰ってきたわけだが、さすがにこの状態だといろいろ面倒だからそろそろ離れないか?」


 玄関先で、空海は隣の天音に声をかけた。この状態で靴を脱いで上がるには、相当息を合わせなければ転倒の危険を避けきれない。


「……ん」


 それが天音にも分るのか、それとも自分の家というテリトリーに戻ってきた事で少しは落ち着いたのか、彼女はすんなり空海の左腕を解放して自分の靴を脱ぎ始めた。

 それを確認して空海も靴を脱ぎ、天音よりも先に家に上がって、


「お?」


 何故か後ろに引っ張られる感覚を覚えて足を止め、振り返った。


「何、してんの?」


 振り返った先には再び泣きそうな顔をした天音と、彼女が掴んだために伸びた空海の服の裾があった。どうやら腕は放してくれても彼自身を完全に放すというわけではないらしい。


 ――やれやれだな。


 内心で溜息を吐きながらも、前回がだいたい二日だった事もあり、空海は今回もそのくらいで収まるだろうと予測を立てた。




 それが、甘かった。




 その日の夜、彼はある意味で昼間の事件よりも衝撃を受ける事態に直面することになる。


 昼間に嫌な汗をかいたため、空海は風呂に入る事にした。涼風家の風呂掃除を行う際はまるで見張られているような状態だったのだが、天音もさすがに人の風呂にまで付いて来る事は無かった。

 また、彼女が風呂に入る時にもしっかり空海を締め出していたので、風呂上りの段階ではもうすでに空海に服の裾をつまんだりいちいち後をついてくるような事はしなくなっていた。

 空海は直るのがやけに早いなと思う一方で、二度目ともなると変わるのかなと一先ず納得した。


 風呂から上がってからは特にやる事もないので、空海は早々に寝る事にして自室に戻る。

 布団を敷いて、さて寝ようとしたところで、扉がノックされた。


「何だ?」


 ノックする相手は一人しかいないのでわざわざ確認はしない。空海が返事をしてからしばらくして、


「その、ちょっと入ってもいいかな?」


 ぼそぼそとした天音の声が聞こえてきた。普段の快活さが無いのはまだ昼の事を引きずっているのだろうが、その声に微妙な躊躇いが含むまれている事に空海は首を傾げる。

 良いも悪いもここは元々彼女の家で、昨日も今日も朝にずかずか入ってきているのだ。空海としては今更何を躊躇うというのだろうかというものである。


「おう」


 しかし許可を求められた以上明確な返事をしないわけには行かない。空海は感じた疑念をそのままに、深く考えないで天音の入室を認めた。

 ガチャリと音がして扉が開き、髪を下ろした天音が枕を片手にデフォルメされた猫さんパジャマ姿で現れた。風呂から上がってまだ間もないので、うっすらと朱色になった頬が妙に艶かしい。

 一瞬その姿に見とれた空海はすぐにはっと我に返って、


「ど、どうしたんだ?」


 多少声を上ずらせながら尋ねた。


「……うん。あの、ね。その……」


 ややうつむき加減に、前に抱えるように持ち直した枕を両手でいじりながら、天音はなにやらモジモジとしている。明らかに様子がおかしい。


 ――どうしたんだ? って、そういやなんで枕なんか持っ――


 天音の手に持つものを正しく認識して、空海の思考がある可能性に辿り着く直前、


「えっと、だからね。怖いから、一緒に寝てくれないかなって」


 彼女の口からその可能性が具体的な意味を持って放たれた。


「………………………………はい?」


 非常に長い間を置いて、空海はやっとそれだけを返す。言われる前に可能性に思い当たっていればもう少しまともな反応が出来たのだろうが、残念ながら思い当たる直前であったために彼の思考は不意打ちによって完全にフリーズしていた。


「うん。ありがと」


 空海の言葉を了解と取ったのか、天音は礼を言って固まったままの彼の隣を通り過ぎ、ごく自然に持ってきた枕をしかれた布団の上に置き始める。


「って、ちょま、待てって」


 ようやく我に返った空海は、着々と寝る準備を進める天音の肩を掴んで自分の方へ向き直らせる。


「え、何?」


 きょとんとした、何か問題でもあるのかという表情の天音を見て、空海は一瞬自分が間違っているのかと勘違いしそうになった。だが、

「いやいやいや、常識的に考えて駄目だろ。一緒に寝てくれって、お前どうしたんだよ」


 どうにか間違った疑問を振り払い、彼は彼女にその真意を問う。すでに幼い子供ではないのだから、その言葉がどんな意味を内包するか理解していないわけではないだろう。


「どうしたって、どうもしてないわよ?」


 ところが天音は変わらず不思議そうに小首を傾げるだけだった。


「一緒に寝ちゃ、駄目なの?」


 そんな彼女を見て空海が感じたのは、小さな子供が無邪気に願っているという、そんな印象だった。


「そりゃ、だって年頃の男女がど……同衾(どうきん)って不味いだろ色々」


 どうにも要領を得ないので、空海は自分自身の頬が熱くなるのを感じながらも、何とか天音の説得を試みる。その際にどうしても頭に浮かんでくる煩悩は全力で無視してはいるが、いつまで持つか分からない。


「昔は良く一緒に寝てたじゃない」

「そりゃ小学生の時で、しかも低学年の時だろうが」


 一次性徴も迎えていない子どもならば特に目くじらを立てる事でもないだろうが、両者ともに思春期真っ盛りともなれば大問題も大問題である。


「いいじゃない。減るもんじゃないし」

「そういう問題じゃねえ!」


 状況によっては減るなどとは口が避けても言えず、空海はただ絶叫するしかない。


「……私と一緒に寝るのが、そんなに嫌?」


 じっと見つめられて、空海はやや圧され気味になり、


「だ、だから、嫌とかそういう事じゃなくて――」

「嫌なの? そうじゃないの?」


 卑怯な質問だった。空海は天音に好意を持っている。その相手から一緒に寝て欲しいと言われて嫌だと答えられる男がどれほどいるだろうか。

 嫌と答えれば拒絶になる。嫌と答えなければ同意になる。空海が相手に出したい答えはあくまで同衾を断るという事で、この質問からではその答えは出せないのだ。故に、


「……嫌じゃねえけど、駄目だ」


 相手から顔をそらした上で、非常に中途半端な答えしか返せない。

 そんな空海の言葉に対し、


「…………嫌なの。怖いのよ。空海がどっかに行っちゃいそうで。わ、私の前から、いなくなっちゃいそうで」


 うつむき加減に、天音がぼそぼそと言葉を紡ぐ。


「あの時はお願いしなかったからあんな事になった。そう思ってた。でも、昨日はちゃんとお願いしたのに、今日はあんな事になった」


 だんだんと言葉が不明瞭になり、泣きじゃくる子どものように彼女は頭を振る。


「駄目なの。不安なの。だからお願い、安心させて。どこかに行っちゃわないで……」


 天音の潤んだ瞳から大粒の涙がこぼれ、そこで空海は限界を向かえた。自然な動作で彼女の肩を掴んでいた左手を頭の後ろに回し、ぐいと引き寄せて自分の胸に押し付ける。

 急に抱き寄せられた天音は一瞬だけ身を強張らせたが、すぐに力を抜いて空海に体重を預けてきた。


「大丈夫だ。俺はここにいる。明日も明後日も、天音の傍にいるよ」


 ゆっくりとその柔らかな髪を撫でながら、空海は幼い子供をあやすようにして静かに語りかける。相手を安心させるための言葉を。己の決意でもある言葉を。


「ほ、んとう……?」

「ああ」

「…………うん」


 さらに強く押し付けられてくるその頭を優しくなでながら、空海はしばらくそのままでいた。

 やがて、小さな寝息が聞こえ始めたところで、彼は盛大な溜息を吐き出す。


 ――で結局、どうすんだよこれ。


 穏やかな寝息を立てる天音とは正反対に、空海にとってはうかつに眠れない夜の始まりだった。





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