序章
序章
――またかよ。
ゴールデンウィーク直前の朝。高校へ向かう途中にある大通りの交差点を渡り始めた陸奥空海は、自分の耳が捉えた音にうんざりした表情を作った。
中肉中背、黒の短髪に同色の目。学校指定のブレザーを着込むその姿は、せいぜいその名前が興味を引く程度の、どこにでもいる一般高校生と評してなんら間違いはない。強いて違いを挙げるのならば、その佇まいにあまり隙を感じられないといった程度だろうか。
そんな彼をしてまたかという気持ちにさせたものは、けたたましいブレーキ音だった。
加えて、周囲の空気が粘性を持ち、全ての動きが緩慢に、まるで時の流れが遅くなったような錯覚を覚えるのも、もう何度目だろうかと空海は内心で溜息を吐き出す。
これまでの経験から言って、こういう状況では思考だけが普通と変わらない状態で働くため、実時間で一秒にも満たない間にいろんな事が確認出来る事を空海は知っていた。
例えばそう、空海は周りの人の反応を観察してみた。
こちらを見て目を見開く者。すでに目を逸らしている者。口を押さえて怯えた目を向ける者。
妥当な反応を示している者ばかりだ。これもいつも通りといえばいつも通りである。
そんな幾つもの反応をゆっくりと視界で捉えながら、空海は半ば諦め気味に音が聞こえた、右側の方へと顔を向ける。
まず目に飛び込んでくるのは、派手に真っ赤なスポーツーカーだった。現在進行形で彼に向かって突っ込んで来ている。
運転席に座る男と目が会った。とても泣きそうな感じの顔をしているが、空海にしてみれば泣きたいのはこっちの方だと言ってやりたい気分である。どう考えてもお前に泣く資格は無いだろうと。
そう考えながらも、空海は相手の突進コースを予測し、被害を最小限に抑えるべくやや身体の向きや重心を調節して衝撃に備えた。
目を瞑らずにいたので、運転手が必死に回避を試みようとしているのが空海にも分かったが、もう遅い。むしろ余計な事はしてくれるなとさえ思う。
――予測を外されたらさすがに――
ドン、という思ったよりは軽そうな音が聞こえると同時に、空海の身に衝撃が走った。十六年の人生で五度目の交通事故。意識を失うほんの刹那の間、彼は間違いなく宙を舞っていた。