悪意
貴族科と護衛学科の合同訓練。
それは名目上、
「相互理解と役割確認」のための時間だった。
実際には、
立場の違いを再確認する場でもある。
訓練場の中央で、貴族科の生徒たちが輪を作っていた。
その外側に、護衛学科の生徒が控える。
配置からして、すでに答えは出ている。
「護衛学科は、後ろで待機」
教官の指示が飛ぶ。
「貴族科が前進する。
護衛は“守る想定”で動け」
想定。
その言葉に、クロエは小さく息を吐いた。
(……守る側は、いつも想定だ)
視線の先。
護衛学科の列の端に、
小柄な少女がいた。
名前は、エマ。
実技の成績は悪くない。
けれど、口数が少なく、
自己主張もしない。
――狙われやすい。
「ねえ、ちょっと」
貴族科の女生徒が、エマに声をかけた。
伯爵家の令嬢だったはずだ。
「そこ、立つ位置違うんじゃない?」
「護衛は、もっと後ろでしょ?」
言葉は柔らかい。
でも、退路を塞ぐ位置取り。
エマは、何も言えずに俯いた。
「すみません……」
謝る必要なんて、ないのに。
クロエの足が、わずかに動いた。
(……出るな)
自分に言い聞かせる。
これは訓練。
教官もいる。
自分が出る理由は、ない。
「ほら、早く。
邪魔なの」
その一言で、空気が変わった。
エマの肩が、小さく震える。
――次の瞬間。
クロエは、もう前にいた。
考える前に、体が動く。
エマと貴族科の生徒の間に、
自然に立っていた。
「その位置で問題ありません」
声は、静かだった。
だが、はっきりしている。
「護衛学科は、
貴族科を包む配置を取ります」
「……あなた、誰?」
「クロエ・ヴァルディアです」
名乗りながら、
無意識に重心を落とす。
守る時の立ち方。
エマを背に、
正面だけを見る。
「合同訓練では、
互いの役割を尊重する、と
事前に説明がありました」
正論。
貴族科の生徒が、眉をひそめる。
「護衛のくせに、生意気ね」
その言葉を、
クロエは正面から受け止めた。
「生意気でも構いません」
少しだけ、声を落とす。
「でも、
誰かを下げて成り立つ訓練なら、
それはもう訓練じゃない」
一瞬、周囲が静まる。
教官が、こちらを見ていた。
止めない。
――黙認だ。
「……行きましょう、エマさん」
クロエは、後ろに手を伸ばす。
引っ張らない。
押さない。
ただ、そこに立つ。
エマは一瞬迷ってから、
小さく頷き、その背後に入った。
「ありがとう……」
か細い声。
クロエは、振り返らずに答える。
「気にしないでください」
それが、
守る側の役割だから。
少し離れた場所で、
リリアが、その光景を見ていた。
(……まただ)
前に出る癖。
盾になる動き。
そして。
クロエの背中は、
どこか懐かしいほど、自然だった。
合同訓練の翌日。
クロエが訓練場に向かうと、
すでにそこにエマがいた。
「……あ」
目が合った瞬間、
小さく息を呑んでから、ぺこりと頭を下げる。
「おはようございます、クロエさん」
距離が、近い。
昨日までなら、
視線を逸らして終わっていたはずだ。
「おはよう」
クロエは、いつも通り返す。
すると、エマは一歩、また一歩と寄ってきて――
気づけば半歩後ろ。
(……後ろに入るな)
言いかけて、やめた。
その位置が、
彼女にとって一番安心できる場所だと、
分かってしまったから。
訓練が始まる。
簡易模擬戦。
護衛学科は二人一組で動く形式だった。
「ペアは自由に組め」
教官の指示。
次の瞬間、
エマは迷いなくクロエの横に来た。
「ご一緒しても、いいですか……?」
問いかけは、控えめだが必死。
「もちろん」
断る理由は、ない。
模擬戦中。
エマは、クロエの動きをよく見ていた。
前に出ない。
無理をしない。
けれど、危険が来る瞬間だけ、
必ず一歩、前に立つ。
それが、自然すぎて。
「……すごい」
休憩中、エマがぽつりと言った。
「何が?」
「クロエさん、
“守る”のが、当たり前みたいで」
クロエは、水筒を閉めながら答える。
「当たり前じゃないですよ」
少しだけ、間を置く。
「でも……
誰かが前に立たないと、
後ろの人は、動けない」
エマは、その言葉を噛みしめるように頷いた。
「私……
いつも、後ろにいるのが怖くて」
「怖いのは、普通です」
「でも、昨日は……」
視線が、クロエの背中を見る。
「クロエさんの後ろなら、
息ができました」
クロエは、返す言葉を失った。
(……これは)
護衛される側の言葉じゃない。
盾を信じた人間の言葉だ。
「……それなら」
クロエは、静かに言う。
「訓練の間くらいは、
私の後ろにいればいい」
エマの顔が、ぱっと明るくなった。
「はい!」
――その様子を、
離れた場所から見ている視線があった。
貴族科の女生徒たち。
昨日、注意された者たちだ。
「……調子に乗ってるわね」
「護衛のくせに」
声は低く、冷たい。
その中心にいる少女が、
静かに言った。
「次は、
“守れない状況”を作りましょう」
クロエは、まだ気づかない。
自分が今、
狙われる側になったことに。
合同訓練、三日目。
訓練内容は、前日までと明らかに違っていた。
「本日は“想定実戦形式”を採用する」
教官の声に、ざわめきが走る。
「貴族科は指揮・後方支援役。
護衛学科は前衛および防御役だ」
一見、普通。
だが――
「編成は、こちらで指定する」
その瞬間、
クロエは嫌な予感を覚えた。
「クロエ・ヴァルディア」
名を呼ばれる。
「単独行動だ」
一拍。
「……はい?」
周囲が静まる。
「本来、護衛は“個”でも動けねばならん。
今回は例外的に、一人での防御を課す」
言葉だけなら、筋は通っている。
けれど。
(……エマは?)
視線を向けると、
エマは別班に回されていた。
しかも――
貴族科の班と。
「大丈夫よ」
貴族科の少女が、柔らかく笑う。
「守られる側も、
実戦では動くことがあるもの」
その笑顔の奥に、
冷たい意図を感じ取る。
訓練開始。
クロエは、前に出る。
盾役として、
攻撃を引き受け、受け止め、捌く。
問題は――後ろだ。
「エマ、下がって!」
声を張る。
だが、貴族科の指示役が言う。
「いいえ、前に出なさい。
想定上、あなたは“標的”よ」
「――っ」
意図的だ。
エマを、前に。
(やめろ)
クロエは、反射的に位置をずらす。
エマの前に、体を滑り込ませる。
その瞬間。
複数の魔法模擬弾が、
同時に放たれた。
盾一枚では、受けきれない。
「クロエさん……!」
エマの声。
(守る)
思考は、それだけ。
――間に合わない。
そう判断した瞬間。
「そこまで!」
鋭い声が訓練場を裂いた。
全員が振り向く。
そこにいたのは――
リリアだった。
「訓練の想定、逸脱しています」
貴族科が眉をひそめる。
「こんな危険な進行は看過できません」
「何を根拠に?」
問いに、リリアは一歩前へ。
「護衛学科の単独行動を課しながら、
守る対象を強制的に前線へ出す」
淡々と。
「それは“実戦”ではなく、
事故誘発です」
場が、凍りつく。
教官も、言葉を失った。
クロエは、
初めて背後を振り返った。
エマは、震えていた。
そして。
自分の前に立つリリアの背中を見て、
胸の奥が、わずかにざわついた。
(……守られた)
その感覚に、
戸惑いを覚える。
訓練は中止となった。
解散後。
「クロエさん」
リリアが、声をかける。
「……大丈夫?」
その一言が、
妙に優しかった。
「はい」
短く答える。
けれど、リリアは視線を外さない。
「さっきの配置、
おかしいと思った」
核心に、踏み込んでくる。
「あなたが“盾”だから、
成立してしまっていた」
クロエは、黙る。
「でも」
リリアは、少しだけ声を落とす。
「あなたが傷つく前提の訓練は、
私は認めない」
その言葉に、
クロエは小さく目を見開いた。
(……この人は)
守られる側の人間だ。
なのに――
線を越えて、こちらを見ている。
「ありがとう、リリアさん」
それだけ言った。
でも。
この日を境に、
クロエははっきりと理解する。
――自分は、
もう目立ってしまったのだと。
守ることで。
そして、
守られたことで。




