同室の令嬢
入学式が終わると、生徒たちは講堂を後にし、学園内の回廊へと誘導された。
王立女子学園は大きく二つの学科に分かれている。
――貴族科。
――護衛学科。
前者は将来、社交と政治の中枢を担う者たち。
後者は、剣と身をもって彼女たちを守る者たち。
自然と列が分かれていく。
(……護衛学科、か)
クロエ・ヴァルディア――
その名で呼ばれることに、もう慣れた。
だが内心では、アレンとしての自分が静かに状況を観察している。
護衛学科の列は、思ったよりも少ない。
それでも全員が少女だ。
――全員、例外なく。
「それでは、クラス分けを行います」
担当教員が、淡々と名簿を開いた。
「護衛学科一年A組。
リリア・エーデルフェルト」
一瞬、空気が変わった。
ざわ、と小さなざわめき。
「伯爵家の主席が……護衛学科?」
「貴族科じゃないの?」
だが、名を呼ばれた少女――リリアは、静かに前へ出る。
背筋は真っ直ぐ。
その佇まいには、護衛としての覚悟が滲んでいた。
(……強い)
アレンは、盾役としての感覚でそう思う。
名は続く。
「ミレイユ・アルノー」
「クラリス・ヴァン・ノルディア」
「クロエ・ヴァルディア」
自分の名前。
クロエとして一歩前へ出ながら、内心で小さく息を整える。
(呼ばれ方は違っても……立つ場所は、同じだ)
クラス分けが終わると、間を置かずに次の宣告が来た。
「続いて、寮の部屋割りを発表する」
ここで、アレンの背筋にわずかな緊張が走る。
王立女子学園の寮は、全員相部屋。
例外は、ない。
「護衛学科一年A組。第一寮」
教員は、容赦なく読み上げた。
「リリア・エーデルフェルト」
「……クロエ・ヴァルディア」
一瞬、時が止まった。
(……同室?)
主席。
伯爵家。
しかも、護衛学科の象徴のような存在。
周囲がざわつくのを、アレンは肌で感じた。
リリアは、ゆっくりとこちらを見た。
視線が合う。
その瞳には、驚きよりも――
観察するような静けさがあった。
「問題ありません」
彼女は、はっきりと言った。
教員は一瞬だけ考え、頷く。
「異議なしとする」
こうして。
クロエ・ヴァルディアは、学園初日から――
最も目立つ令嬢と同室になることが決まった。
寮へ向かう廊下で、リリアが口を開く。
「……クロエさん、ですね」
「はい」
「これから同室になります。
よろしくお願いします」
丁寧で、距離を測るような声。
アレンは、自然と一歩だけ前に出そうになるのを、必死に抑えた。
(守る側の癖が……抜けてないな)
「こちらこそ、よろしくお願いします」
クロエとして微笑む。
その裏で、アレンは思う。
――これは、剣も盾も持たない戦いだ。
そしてきっと、
この少女は、簡単には誤魔化せない。
第一寮は、古いが手入れの行き届いた建物だった。
白い石壁に、磨かれた木の扉。
女子学園らしい柔らかさの中に、規律の匂いがある。
「ここですね」
リリア・エーデルフェルトが、鍵を開ける。
扉が開いた瞬間、クロエ――いや、アレンは、部屋の構造を一瞬で把握していた。
(入口、窓は一つ。
ベッドが二つ、机が二つ。
距離は……十分)
前世の癖だ。
危険がなくても、空間を測ってしまう。
「……どうぞ」
「ありがとうございます」
クロエとして、柔らかく返す。
部屋は左右対称。
ベッドの間には、小さなテーブルが置かれているだけだった。
沈黙。
最初に動いたのは、リリアだった。
「先に、着替えても?」
「はい。えっと……私、窓側を使いますね」
自然な提案。
視線を合わせず、距離を保つ。
アレンは、背を向けて鞄を開いた。
(落ち着け。
これは任務じゃない)
布の擦れる音。
靴を脱ぐ、静かな気配。
意識しないようにしても、人が同じ空間で着替えているという事実は消えない。
だが、リリアは必要以上の動きをしない。
音も、気配も、控えめだった。
(……この子も、緊張してる)
クロエは、用意してきた寝間着を手に取る。
動きはゆっくり。
余計な音を立てないように。
それは、盾が味方を守る時の所作に似ていた。
「……クロエさん」
不意に、リリアの声。
「はい?」
「その……」
一瞬、言葉が途切れる。
「もし、生活で不都合があれば、言ってください。
同室ですから」
形式的で、真面目で。
でも、どこか探るような響き。
「ありがとうございます。
私も、何かあれば」
クロエは、微笑んだ。
沈黙が戻る。
やがて、灯りが落とされる。
夜。
それぞれのベッドに横になり、天井を見つめる。
布団越しに伝わる、もう一人の呼吸。
(……近いな)
アレンは、目を閉じる。
剣も、盾もない。
守るべき敵も、味方もない。
だが――
守りたい、という衝動だけが残っている。
リリアが寝返りを打つ、微かな音。
それだけで、意識が覚醒する。
(……おかしい)
前世では、仲間が隣で眠っていても、こんなことはなかった。
これはきっと、
“クロエ”という仮面のせいだ。
男として、アレンとして、前に立てない。
守ると宣言できない。
だからこそ、余計に神経を張ってしまう。
「……クロエさん?」
暗闇の中、リリアの声がする。
「はい」
「あなたは……
護衛が、好きですか?」
一拍、間。
アレンは、正直に答えた。
「……はい。
前に出るより、後ろを守る方が、落ち着きます」
暗闇の向こうで、リリアが小さく息を吸った。
「……そうですか」
それきり、会話は途切れた。
だが。
その夜、リリアは眠りにつくまで、
何度もクロエの方を見ていた。
そしてアレンは、
最後まで眠らず、部屋の静けさを守り続けていた。
朝の鐘が鳴る。
クロエ・ヴァルディアは、いつもより少し早く目を覚ました。
(……夜、ほとんど寝てないな)
だが体は問題ない。
前世で鍛えた耐久力は、こういうところでも無駄に働く。
向かいのベッドを見ると、リリアはすでに起きて身支度を整えていた。
「おはようございます、クロエさん」
「おはようございます」
昨日と変わらない距離感。
けれど、どこか探るような視線だけが残っている。
朝食を済ませ、二人で教室へ向かう。
護衛学科一年A組。
教室に入った瞬間、クロエは空気を感じ取った。
(……視線、多いな)
当然だ。
主席のリリアと並んで入ってくる、見慣れない令嬢。
――しかも、どこか頼りなさそうで、静か。
「おはよー!
新しい子?」
明るい声で話しかけてきたのは、栗色の髪の少女だった。
「え、えっと……」
「ミレイユ・アルノー!
同じ護衛学科ね、よろしく!」
「クロエ・ヴァルディアです。
こちらこそ、よろしくお願いします」
頭を下げると、ミレイユはにっと笑った。
「真面目だなぁ。
護衛学科っぽくない!」
(……よく言われる)
アレンとしては、むしろ褒め言葉だった。
やがて、担任が入室する。
「着席。
本日は、初めてのクラスということで自己紹介を行う」
ざわ、と教室が沸く。
「名前、家名、志望理由。以上三点で簡潔に」
簡潔、という言葉に救われた生徒も多いだろう。
前の席から、順に立っていく。
「クラリス・ヴァン・ノルディアです。
家の伝統で、剣を……」
無難な挨拶が続く。
そして――
「リリア・エーデルフェルト」
教室が静まる。
「伯爵家の長女です。
護衛学科を志望した理由は……」
一瞬、間を置いて。
「守られるだけの存在でいたくないからです」
それだけ。
だが、その一言は十分だった。
教室の空気が、少し引き締まる。
(……強いな)
盾の感覚が、彼女を“前衛”と判断する。
そして、次。
「クロエ・ヴァルディア」
名を呼ばれ、立ち上がる。
視線が集まる。
アレンは、心の中で一度だけ息を整えた。
「ヴァルディア家のクロエです。
護衛学科を志望した理由は……」
少しだけ考えてから、言った。
「誰かの後ろに立つ方が、安心するからです」
一瞬の沈黙。
それから、くすっと小さな笑い声。
「なんか可愛い理由……」
「護衛向きなの、それ?」
クロエは、気にせず続けた。
「至らない点も多いと思いますが、
精一杯務めます。よろしくお願いします」
着席する。
その瞬間。
リリアが、こちらを見ていた。
まっすぐで、迷いのない視線。
(……やっぱり、見抜かれてる気がするな)
だが、今はまだいい。
この場所では、クロエでいればいい。
そう、アレンは思っていた。
――この日常が、いつまで続くかも知らずに。
朝の鐘が鳴る。
クロエ・ヴァルディアは、いつもより少し早く目を覚ました。
(……夜、ほとんど寝てないな)
だが体は問題ない。
前世で鍛えた耐久力は、こういうところでも無駄に働く。
向かいのベッドを見ると、リリアはすでに起きて身支度を整えていた。
「おはようございます、クロエさん」
「おはようございます」
昨日と変わらない距離感。
けれど、どこか探るような視線だけが残っている。
朝食を済ませ、二人で教室へ向かう。
護衛学科一年A組。
教室に入った瞬間、クロエは空気を感じ取った。
(……視線、多いな)
当然だ。
主席のリリアと並んで入ってくる、見慣れない令嬢。
――しかも、どこか頼りなさそうで、静か。
「おはよー!
新しい子?」
明るい声で話しかけてきたのは、栗色の髪の少女だった。
「え、えっと……」
「ミレイユ・アルノー!
同じ護衛学科ね、よろしく!」
「クロエ・ヴァルディアです。
こちらこそ、よろしくお願いします」
頭を下げると、ミレイユはにっと笑った。
「真面目だなぁ。
護衛学科っぽくない!」
(……よく言われる)
アレンとしては、むしろ褒め言葉だった。
やがて、担任が入室する。
「着席。
本日は、初めてのクラスということで自己紹介を行う」
ざわ、と教室が沸く。
「名前、家名、志望理由。以上三点で簡潔に」
簡潔、という言葉に救われた生徒も多いだろう。
前の席から、順に立っていく。
「クラリス・ヴァン・ノルディアです。
家の伝統で、剣を……」
無難な挨拶が続く。
そして――
「リリア・エーデルフェルト」
教室が静まる。
「伯爵家の長女です。
護衛学科を志望した理由は……」
一瞬、間を置いて。
「守られるだけの存在でいたくないからです」
それだけ。
だが、その一言は十分だった。
教室の空気が、少し引き締まる。
(……強いな)
盾の感覚が、彼女を“前衛”と判断する。
そして、次。
「クロエ・ヴァルディア」
名を呼ばれ、立ち上がる。
視線が集まる。
アレンは、心の中で一度だけ息を整えた。
「ヴァルディア家のクロエです。
護衛学科を志望した理由は……」
少しだけ考えてから、言った。
「誰かの前ろに立つ方が、安心するからです」
一瞬の沈黙。
それから、くすっと小さな笑い声。
「なんか可愛い理由……」
「護衛向きなの、それ?」
クロエは、気にせず続けた。
「至らない点も多いと思いますが、
精一杯務めます。よろしくお願いします」
着席する。
その瞬間。
リリアが、こちらを見ていた。
まっすぐで、迷いのない視線。
(……やっぱり、見抜かれてる気がするな)
だが、今はまだいい。
この場所では、クロエでいればいい。
そう、アレンは思っていた。
――この日常が、いつまで続くかも知らずに。




