セレスティア救出作戦
盗賊団の隠れ家は、森の奥に口を開けた廃石窟だった。
崩れかけた石壁、苔むした地面。足音は反響しやすく、正面突破は不利――そのはずだった。
(……でも)
クロエ・ヴァルディアは、迷いなく一歩前に出る。
盾を構え、呼吸を整える。
その姿は、王立女子学園の護衛学科の生徒として、あまりに自然だった。
だが、内側では違う。
(――ここからは、“守る側”の名前だ)
胸の奥に沈めていた記憶が、確かに息をしている。
前世で、何度も仲間の前に立ち続けた感覚。
剣ではなく、盾で命を受け止めてきた日々。
リリアは一歩後ろに立ち、息を殺している。
「……数、六。奥にもう一人いるかも」
「ええ。誘拐役は奥でしょう」
声は低く、静か。
それでも命令ではない。
“前に立つ者”としての、当然の判断を共有しているだけだった。
クロエは盾を構えたまま、あえて足音を立てて進む。
「――誰かいるぞ!」
盗賊の声が響く。
次の瞬間、矢が放たれた。
ガンッ!
盾に当たる衝撃。
衝撃を逃がす角度、踏み込み、重心移動――すべてが無意識に行われる。
盗賊たちが息を呑む。
「……は?」
「女の子、だよな……?」
次々と矢が放たれるが、一本も通らない。
クロエは一歩ずつ、確実に距離を詰める。
――前に立つ。
――倒れても、後ろは通さない。
リリアはその背中を見て、なぜか安心していた。
怖いはずなのに、逃げたいはずなのに。
(……クロエさんが前にいる限り、大丈夫)
それは理屈ではなく、本能だった。
盗賊の一人が剣を抜いて突っ込んでくる。
クロエは盾で受け、体ごと押し返す。
「ぐっ……!」
力が違う。
明らかに、“護衛学科の少女”のそれではない。
――その違和感を、はっきりと認識したのは。
「……なるほど」
奥で拘束されていた、セレスティア・フォン・アルヴェインだった。
目隠し越しでも分かる。
音、空気の変化、間合いの詰め方。
(これは……“盾役”の動き)
しかも、完成されすぎている。
盗賊の剣が、セレスティアの方へ向かおうとした瞬間。
「下がれ」
クロエの声が、低く響いた。
その声に、命令ではない“圧”があった。
盗賊の足が、思わず止まる。
次の瞬間、クロエは盾を地面に叩きつけた。
ドンッ!
衝撃音と共に、盗賊たちの意識が一瞬散る。
リリアがすかさず魔術で拘束を展開。
「今です!」
クロエは迷わず奥へ。
セレスティアの拘束具に手をかけ、素早く外す。
「大丈夫ですか」
「ええ……あなたが来ると思っていましたわ」
クロエはすでに前に立ち、彼女を庇っている。
「リリア、撤退経路を!」
「はい!」
最後の盗賊が突進してくる。
クロエは迷わず、真正面から受け止めた。
――逃げない。
――避けない。
――通さない。
その姿は、盾そのものだった。
盗賊が倒れ、森に静寂が戻る。
クロエは、ようやく盾を下ろした。
「……終わりました」
その声は、また“クロエ”のものだった。
リリアは息をつき、セレスティアに駆け寄る。
「会長、大丈夫ですか!」
「ええ。二人とも、見事でしたわ」
セレスティアは微笑む。
だが、その視線は一瞬だけ、クロエに深く向けられた。
(秘密、ということですのね)
(それも……重たい秘密)
クロエは、その視線の意味に気づかないふりをする。
――バレたかもしれない。
でも、それを口にされない限り、盾は下ろさない。
盗賊は衛兵に引き渡して、
――終わった。
そう思った瞬間だった。
「……ほう。随分と派手にやってくれたな、お嬢ちゃんたち」
低く、粘つく声が石窟に響いた。
クロエが即座に盾を構える。
奥の闇から現れたのは、他の盗賊とは明らかに違う気配を纏った男だった。
大柄。
筋肉の付き方が、実戦を潜り抜けてきた者のそれ。
そして――視線が冷たい。
「頭領……!」
倒れた盗賊の一人が呻く。
男は鼻で笑った。
「役立たず共が。
……で、公爵家の“宝”はどれだ?」
その視線が、セレスティアに向く。
クロエは一歩、前に出た。
「――通しません」
短く、だが揺るがない声。
頭領は、クロエを値踏みするように見下ろす。
「ほう……盾役か。
女にしちゃ、いい立ち方だ」
その言葉に、クロエの内側で何かが静かに軋んだ。
(……来る)
次の瞬間、頭領は一切の前振りなく踏み込んできた。
重い。
盾に叩きつけられた一撃は、これまでの盗賊とは次元が違う。
衝撃が腕を通して全身に響く。
「っ……!」
足が、半歩下がる。
――まずい。
リリアが叫ぶ。
「クロエさん、下がって!」
「いえ!」
下がらない。
下がれない。
セレスティアが、後ろにいる。
頭領は嗤った。
「守る気か。
……だが、それで全部守れると思うなよ」
次の瞬間、頭領は剣を振るう――が、狙いはクロエではなかった。
「――っ!」
横から放たれた短剣。
リリアが即座に気づく。
「会長!!」
クロエは反射的に盾を振るが、間に合わない。
ザッ
セレスティアの肩口が切り裂かれ、血が散った。
「……っ!」
膝をつくセレスティア。
その瞬間、クロエの中で何かが“切り替わった”。
⸻
「クロエさん、伏せて!」
リリアは叫び、地面に魔術陣を展開する。
――幻惑。
光と音をずらす、即席の視界撹乱。
頭領が舌打ちする。
「小賢しい!」
だが、その一瞬で十分だった。
クロエはセレスティアの前に立ち、完全に庇う。
次の攻撃を盾で受け止め、体ごと押し返す。
「……撤退します」
声は、異様なほど低かった。
リリアは一瞬驚き、それから即座に理解する。
「はい……!」
頭領は追おうとするが、幻惑が完全には晴れない。
「ちっ……!」
その隙に、三人は石窟を離脱した。
⸻
森の中。
セレスティアは、もう立てなかった。
「……申し訳、ありませんわ」
気丈に言おうとして、声が震える。
クロエは、迷わなかった。
「動かないでください」
そう言って――
セレスティアを、抱き上げた。
いわゆる、姫抱っこ。
だが、ぎこちなさは一切ない。
重心は安定し、腕は確実に彼女の体を支えている。
軽々と。
――あまりにも自然に。
セレスティアは、クロエの胸元に顔が近づき、息を呑んだ。
(……違う)
骨格。
腕の太さ。
体温。
何より、抱き方。
(これは……女性が無理に真似できる動きではありませんわ)
クロエの顔は、必死だった。
守ることだけに集中している顔。
リリアは後ろからついていきながら、少しだけ目を丸くする。
(……すごい安定感)
だが、それ以上は考えない。
セレスティアは、静かに目を閉じた。
(確信しました)
(クロエ・ヴァルディアは――)
(男の人です)
だが、その事実に恐怖はなかった。
むしろ。
(……それでも、この方は)
(私を守る盾であることを、選んだ)
クロエは、何も言わない。
ただ、確実な足取りで森を抜ける。
その背中は、
“護衛学科の少女”ではなく――
誰かを守るために生きてきた者の背中だった。
セレスティアは、胸の奥でそっと決める。
(この秘密は、私だけのものにいたしましょう)
(――今は)
守るべきものがある限り。
森を出る帰路。
夕暮れの中で、三人の影が長く伸びていた。
その影の一つだけが、
ほんの少しだけ、他よりも“強く”地面を踏みしめていた。




