園外演習 攫われた令嬢
夜の帳が街を覆うころ、郊外の廃屋に微かな灯が揺れていた。
窓の割れ目から差し込む月光が、埃に舞う煙を銀色に染める。
中には、黒いマントに身を包んだ人物たちが数名、円卓を囲んでいた。
リーダーの影が長く伸び、静かに口を開く。
「ターゲットは決定だ」
手元の地図を押さえ、リーダーの指が一点を指す。
「公爵家令嬢、セレスティア・フォン・アルヴェイン」
その名が空気を震わせる。
誰も声を出さず、全員が地図に視線を落とした。
「学園の園外演習――あの森を抜けるルート、引率の護衛学科の配置、教官の動線も確認済み」
一人の下っ端が小さく息を飲む。
「…でも、なぜ令嬢を?」
リーダーは顔を上げ、冷たく笑った。
その瞳には一切の温情はなかった。
「理由は単純だ。身代金でも、交渉材料でもない。
我々が欲しいのは“影響力”だ」
森での一瞬の誘拐によって、王族や貴族家の警戒を揺さぶる。
学園という公の場で行われれば、失敗すればただの事件に終わるが、成功すれば一族に圧力をかける交渉材料になる――計算された手段だった。
「失敗は許されぬ」
リーダーの声が低く響く。
その冷静な口調に、集まった者たちの背筋がぴんと伸びる。
「誰も、余計なことをしてはいけない。
学園の護衛学科や教師たちに怪しまれず、計画を完遂する」
静寂が続く。
外の月明かりが、建物の隙間から差し込み、影を一層長くする。
闇の中、誰もが思う――
(…計画は完璧か?)
リーダーは指先で地図上の木々の位置をなぞる。
そこには、小道や茂み、池まで正確に記されていた。
事前に偵察を重ね、引率の教師や護衛の動線を読み切った上で、最適な時間帯に行動する――
完璧なタイミング以外は、成功しない。
隣で、部下が息を吐く。
「…本当に、公爵家令嬢を一人で森に?」
リーダーは小さく笑った。
だが笑みは優しくない。冷たく、計算された笑みだ。
「公爵家だからこそだ。学園の引率を行う護衛学科を挑発し、
その実力を測る。
誰かが動く。それも計算のうち。
我々の狙いは、混乱と圧力、そして交渉のカードを得ること」
部下たちは頷く。
リーダーの言葉に、一切の疑念はなかった。
全員が、計画を遂行する覚悟を胸に刻む。
⸻
夜が更け、廃屋の闇は深まる。
窓際の影で、リーダーはひとり呟く。
「明日の演習、森の中――
全ては、この手の中だ」
その声は低く、冷たく、そして静かに闇に溶ける。
月光が揺れる廃屋の壁に、盗賊たちの影が長く伸びた。
翌日の園外演習、何も知らぬ学園生たちは、まだ穏やかな朝を迎えるだろう。
だが――その平穏の裏で、影はすでに動き出していた。
――
園外演習の日。
空は澄み渡り、陽の光が森の木々を照らしていた。
クロエ・ヴァルディアは、いつも通り前衛として隊列の最前線に立つ。
リリアは少し離れた位置から、彼女の背中を見守る。
「クロエさん、今日は森の北側まで回ります」
副教官の声が響く。
隊列は整っている。
だが、リリアは何か胸の奥にざわつくものを感じた。
(……なんだろう、この違和感)
クロエは前を見据え、盾を手に、静かに呼吸を整える。
その姿は、いつも通り穏やかで、揺るぎない。
でも、リリアは知っていた――彼女は常に周囲の空気を読む。
だからこそ、今の緊張感に気づいているはずだ、と。
⸻
森の中を進むにつれ、影がちらつく。
枝の揺れ、かすかな足音、普段なら気にならない小鳥の飛び立つ音――
クロエの目は、それらを逃さず追っていた。
「クロエさん、あそこ……」
リリアの視線が、木の陰に潜む人影を指す。
クロエは頷き、盾を少し前に出した。
その手つきには、いつもの優しさもある。
けれど、前に立つ者としての緊張が、背筋に走る。
(……怪しい)
リリアには分かった。
ただの森の影ではない――
盗賊、もしくは襲撃者の気配。
⸻
そして、演習も終盤に差し掛かった頃。
「セレスティア様!」
声が途切れる。
振り向くと、公爵家令嬢であり生徒会長のセレスティア・フォン・アルヴェインが、少し前方の茂みの向こうで姿を消していた。
リリアの心が、ざわりと波立つ。
(……消えた?)
クロエは、何も言わず走り出す。
盾として、目の前の対象を守るために――
そして、リリアもすぐ後ろに続く。
⸻
森の中で、木々の隙間からちらりと見えたのは、黒い布で覆った人物の影。
それは明らかに、誘拐を企てる者の足取りだった。
クロエの心は、冷静そのものだ。
感情で動くのではなく、事実だけを見据えて判断する。
(……逃がさない)
盾としての本能が、全身に走る。
そして、リリアもその覚悟を理解していた。
この戦い――
ただの園外演習では済まされない。
森の奥、盗賊が待つ闇の中へ、クロエは一歩前に出た。
クロエは即座に周囲を見渡す。
茂みの揺れ、遠くで枝が折れる音、そしてかすかに漂う足音。
盾としての本能が、体の奥から警鐘を鳴らす。
(……盗賊だ)
リリアもその直感を感じ取り、クロエの横に並ぶ。
「追います!」
二人は声を揃えて森の奥へ足を進める。
足音を押さえ、枝をかき分け、盗賊の残した痕跡を追う。
⸻
森の中、盗賊団はセレスティアを確保し、移動を急いでいた。
彼女は抵抗を試みるが、手足を拘束された状態で声も届かず、もどかしそうに周囲を見渡す。
クロエの目には、セレスティアが無力な状態であることがはっきり映る。
その瞬間、盾としての全神経が集中した。
(……この身を盾にするしかない)
リリアはクロエの隣で、心臓が早鐘のように打つのを感じる。
しかし、クロエの冷静さが伝わり、不安は少しずつ収まった。
――前に立つ者の背中を信じる、という確かな感覚。
⸻
盗賊団は森の小道を抜け、隠れ家へ向かう。
クロエは一歩先に出て、リリアに目配せする。
「注意を逸らさず、動きを観察してください」
リリアは頷き、クロエの指示に従う。
まるで呼吸を合わせるように、二人の足取りは無駄がない。
茂みの陰から盗賊の姿が見えた。
数は少なくない。だが、クロエは一歩も退かず、盾を握り直す。
(……ここで動く)
その瞬間、クロエの動きが一瞬だけ普段とは異なった。
リリアは微かに気づく。
声のトーン、筋肉の動き――それは男性としての本能的な判断と力の入り方だった。
(……気のせい? いや、でも…)
その瞬間は言葉にしない。
まだ、敵を追い詰めることが先決だ。
⸻
盗賊たちは気づかず、セレスティアを移動させる。
クロエは、茂みに隠れながら次の行動を考える。
(ここで飛び出す。狭い通路で前に立つ。
リリアは後方で支援。
誘拐者を分散させる。…成功するはず)
計算を完璧に整えたうえで、クロエは一歩前へ。
盾としての動きは自然で、盗賊たちも予想外の反応に戸惑う。
「――誰も動かすな」
低く、しかし確実に響く声。
クロエの視線は前方、セレスティアを確保する盗賊に注がれる。
その瞬間、盗賊の一人が一瞥し、クロエの立ち姿に違和感を覚える。
――そして、その違和感を察知したのはセレスティアだけだった。
彼女の目に、クロエの声や構え方が、今までと少し違うことが映る。
――男としての本能的な動き。
セレスティアは静かに、しかし確信を持って理解した。
(…クロエは……男……?)
だが、口には出さない。
今は、目の前の危機を最優先するしかない。
⸻
クロエは冷静に敵を牽制し、リリアは援護に回る。
森の奥、影が揺れ、盗賊たちは少しずつ混乱し始める。
クロエの盾としての立ち振る舞いが、圧として敵にのしかかる。
セレスティアは、混乱する盗賊の間で、クロエの存在に頼りつつも、心の奥でひそかに衝撃を受けていた。
それは、事件が終わった後に明かされる秘密の片鱗だった。
ヒロインは違和感察知能力が高いという仕様です




