覚悟と矜持
生徒会からの呼び出しは、
昼休みの終わりだった。
「クロエ・ヴァルディア」
名を呼ばれた瞬間、
周囲の空気がわずかに揺れる。
(……来たか)
案内されたのは、生徒会室。
扉の前で一度、深呼吸をしてからノックする。
「どうぞ」
中は、静かだった。
大きな窓。
整えられた執務机。
そして――中央に座る一人の少女。
淡い金髪。
気品ある立ち姿。
視線は柔らかく、だが鋭い。
生徒会長。
「初めまして」
穏やかな声が、空間を支配する。
「セレスティア・フォン・アルヴェインです」
クロエは、静かに一礼した。
「クロエ・ヴァルディアと申します」
その名を聞いて、
セレスティアは微笑む。
「ええ。存じています」
机に指を重ね、こちらを見る。
「最近、学園で最も話題の護衛ですから」
世辞ではない。
観察と評価。
「昨日の合同訓練」
「……はい」
「あなたの動き、とても印象的でした」
ひとつずつ、言葉を選ぶように。
「盾の構え、
後方確認の頻度、
守る対象との距離」
すべて、正確。
(……全部、見られている)
「“守る”という行為を、
身体で理解している」
少し間を置き。
「ですが」
声音が、わずかに変わる。
「同時に、あなたは危うい」
断定。
「自分が傷つく前提で立つ癖がある」
クロエは、否定しなかった。
「それは美徳です」
即座に切り捨てない。
「けれど、ここは学園」
セレスティアは立ち上がり、
窓の外へ視線を向ける。
「美徳は、利用される」
振り返る。
「昨日の訓練、
私は“事故一歩手前”と判断しました」
「……生徒会長が?」
「ええ」
小さく頷く。
「だから、リリアを動かしたのです」
すべて、把握済み。
「彼女は、線を越えられる子ですから」
クロエは、息を呑んだ。
(この人は……)
優雅で、冷静で、
そして――学園の力そのものだ。
「ひとつ、聞かせて」
セレスティアは、真正面から問う。
「あなたは、
護衛学科として、
この学園で何を望みますか?」
試されている。
クロエは、迷わず答えた。
「……守りたいです」
「誰かが前に立てるように」
セレスティアの目が、細くなる。
「良い答え」
歩み寄り、クロエの前で止まる。
「覚えておきなさい、クロエ・ヴァルディア」
声を落とす。
「あなたは、もう“無名の盾”ではありません」
一瞬、視線が鋭くなる。
「そして私は、
優秀な護衛を無駄にする趣味はない」
それは庇護か。
それとも監視か。
「今日の話は、以上です」
背を向ける。
「困ったことがあれば、生徒会室へ」
クロエは、深く頭を下げた。
扉を閉めた瞬間、
胸の奥がざわつく。
(……目をつけられた)
だが同時に――
守られる側の世界に、
一歩踏み込んでしまった
そんな感覚も、確かにあった。
(クロエ視点)
合同訓練は、表向きは再開された。
だが、空気が違う。
貴族科の視線が、露骨に減った。
(……避けられてる?)
昨日までの敵意ではない。
距離を取る、慎重な態度。
エマも、不思議そうに言った。
「最近、貴族科の人たち……
何も言ってきませんね」
「そうだね」
クロエは頷きつつ、
内心では違和感を噛みしめていた。
(急すぎる)
人は、こんなに急に変わらない。
変わるとしたら――
変えられた時だ。
その日の午後。
生徒会掲示板に、新たな通達が貼り出された。
【合同訓練における進行管理の再確認】
【指揮権の独断行使を禁ず】
名前はない。
だが、誰に向けたものかは明白だった。
「……生徒会長の」
誰かが、小声で呟く。
クロエは、胸の奥が重くなるのを感じた。
(私のせいだ)
守った結果、
誰かが動いた。
それが、
学園で最も強い立場の人間だという事実。
(ありがたい……けど)
同時に、逃げ場もなくなった。
その夜。
エマが、ぽつりと言った。
「クロエさん……
私、もう大丈夫です」
「え?」
「私のことで、
クロエさんが目立つの、嫌で……」
クロエは、即座に首を振る。
「それは違う」
声が、思ったより強く出た。
「守るのは、私が選んだ」
エマは、黙った。
(……これが、庇護の重さ)
誰かを守ると、
相手まで気遣わせてしまう。
⸻
(セレスティア視点)
執務机の上に、報告書が並ぶ。
――貴族科第三班、注意後の行動変化
――護衛学科生徒への接触、停止
セレスティアは、紅茶を一口含む。
(素直で、分かりやすい)
圧をかければ、引く。
だが、それでいい。
引ける者だけが、残る。
「……クロエ・ヴァルディア」
呟く。
彼女の動きは、
計算ではない。
だからこそ、厄介で、
だからこそ、価値がある。
(自分が傷つく前提で立つ盾)
かつて、
そういう者は、必ず潰された。
学園でも、
戦場でも。
(だからこそ)
潰させない。
生徒会副会長が、控えめに声をかける。
「やりすぎでは?」
セレスティアは、微笑む。
「いいえ」
静かに、しかし断定的に。
「これは“教育”よ」
報告書を閉じる。
「盾を折る者には、
折れない盾がいると教える」
それだけ。
感情ではない。
だが。
(……少しだけ)
あの瞳を思い出す。
試されても、
揺らがなかった視線。
(珍しい)
守る者であって、
従属する気配がない。
だからこそ。
「しばらくは、
目の届く場所に」
誰にともなく、そう呟いた。
⸻
(クロエ視点)
夜。
寮の廊下で、クロエは立ち止まる。
(私は……)
守られている。
それは確かだ。
でも同時に、
選別された側にもなった。
エマが、後ろから声をかける。
「クロエさん」
「どうしたの?」
「……ありがとうございます」
理由は、聞かなかった。
クロエは、静かに頷く。
その背中に、
学園の視線が集まっていることを、
彼女はまだ完全には知らない。
――守る盾は、
いずれ、
試される。
それは、昼休みの終わりだった。
クロエは、エマの姿が見えないことに気づいた。
(遅い)
いつもなら、
鐘が鳴る前には必ず戻っている。
「クロエさん?」
リリアが声をかける。
「エマ、見てない?」
リリアは、首を振った。
「今日は一緒じゃなかったの?」
胸の奥が、ひやりとする。
「……少し、探してきます」
理由を言わず、
クロエは歩き出した。
足が、勝手に早まる。
⸻
旧校舎裏。
人気のない場所。
そこで、声がした。
「だから言ってるでしょ?」
貴族科の女生徒。
「あなたが前に出るから、
変な護衛が調子に乗るのよ」
エマは、壁際に追い詰められていた。
「わ、私は……」
「“守られる側”は、
大人しくしていればいいの」
その瞬間。
「――そこまでです」
低い声。
クロエが、二人の間に立つ。
自然な動き。
盾役として、無意識に。
「あら」
貴族科の少女が、眉を上げる。
「来たのね、盾役さん」
クロエは、エマを背中に庇った。
「彼女に、何をしましたか」
声は、静か。
だが――
一切、揺れていない。
「何も?」
肩をすくめる。
「忠告よ。
分を弁えろって」
クロエは、一歩前に出た。
ほんの半歩。
けれど、空気が変わる。
「分を弁えるべきは、
あなたです」
「……は?」
初めて、相手の表情が崩れた。
「この学園で」
クロエは、相手の目を見たまま続ける。
「弱さを利用する行為は、
最も卑怯だ」
言葉に、棘はない。
事実だけ。
「あなたは、
エマさんを使って、
私を動かそうとした」
図星。
貴族科の少女が、歯噛みする。
「護衛のくせに……!」
その言葉で。
クロエの中で、
何かが切れた。
「――違います」
声が、低くなる。
「私は、護衛です」
拳を、握らない。
構えない。
それでも、
前に立つ意志だけが、
圧として広がる。
「だから、
守る相手を選びます」
「……何を」
「卑怯な人間は、
守らない」
一拍。
「そして」
視線を、逸らさない。
「守る相手を傷つける者を、
私は許しません」
沈黙。
貴族科の少女は、
初めて一歩、後ろへ下がった。
「……覚えてなさい」
捨て台詞。
だが、声は震えていた。
去っていく背中を、
クロエは追わなかった。
⸻
「クロエさん……」
エマが、震える声で呼ぶ。
クロエは、振り返る。
いつもの、穏やかな表情に戻っていた。
「大丈夫ですか」
エマは、こくこくと頷く。
「……ごめんなさい」
「謝る必要はありません」
即答。
「守る側が、
怒るべき場面でした」
エマは、涙をこぼした。
「怖かった……」
クロエは、そっと頭を下げる。
「遅れてしまって、
すみません」
その言葉に、
エマは首を振る。
「……来てくれました」
それで、十分だった。
⸻
少し離れた場所。
柱の影で、
セレスティアが、その光景を見ていた。
(……なるほど)
口元に、わずかな笑み。
(怒りで振るう刃ではない)
守るために、立つ盾の怒り。
「これは……」
誰にともなく、呟く。
「折れないわね」
むしろ。
「――鍛えがいがある」




