嫁入り前夜
「いくら何でも、急すぎやしないか」
ヴァレンシュタイン公爵の文が届いてから翌日。
昼食のレシピを届けたカノンに、愚痴のようにアルマが語り出した。
「向こうからすれば、ようやく、といったところでしょう。公爵家同士の権力争いを理由に断られ続けた縁談です。その大本の原因がついに解消されたわけですから」
建前に使っていた理由そのものが、今回ようやく収まったのだ。
向こうからすれば、縁談を断られる理由がなくなった。そうなれば文をよこし、フェルティナを迎えに上がるのも自然な流れだろう。
「あんたとじゃあ気が合わねえ、って言って、断るのは?」
「……ほとんど不可能ですね。向こうの家の位が上です。我々から縁談を断れば、向こうの家名に泥を塗ることになる」
「……縁談を破談にできるのは、向こうからだけと」
「はい」
「嬢ちゃんの意思はどこにある」
「向こうからすれば、家と家との話です」
ヴァレンシュタイン公爵はともかく、その公爵家の人間からすれば、家の位に相応しい、見目麗しい才女を妻に迎え入れるだけの話だ。
フェルティナに婚約を申し出るのはヴァレンシュタイン公爵の意思だが、跡継ぎの話にも絡んでくる以上、政治的な意味合いも含めないわけにはいかない。
国が注目する大きな婚約話を、飯が理由で破談にするなど、とても公にはできないことだ。
「……向こうが『来い』って言ったら、行くしかねえのかよ」
「……」
ここで「はい」と答えないあたり、カノンも縁談に前向きではない。
しかし、「いいえ」とも答えられないのは、そういうことだ。
ここにいる自分たちも、フェルティナも、セルヴァラント伯も、誰もこの縁談の行方を決めることはできない。
厨房の中で、煮込まれたスープがくつくつと音を立てる音だけが響いた。
温かい調理の熱ではどうにもならないほど、厨房の空気は冷え切っていた。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢
そして、ヴァレンシュタイン公爵が迎えに上がる前日の夜。
「今日の食事は皆で食べませんか」
フェルティナが父にそう提言すると、父も快くそれを了承した。
立食パーティーで使った広いエントランスに机を並べ、家の使用人たちと共に豪華な料理を立食パーティー式で楽しんだ。
嫁に入れば、当然ヴァレンシュタイン家の屋敷に身を移すことになる。
これで最後、というわけではないが、幼い頃から育ったセルヴァラント家の屋敷に訪れる機会は大きく減るだろう。
世話になった使用人一人一人に、これまでの感謝を伝えて回ると、皆別れを惜しむように目に涙を浮かべていた。
そのパーティーには、友人の中で唯一、フェルティナの胸の内を知るエリも呼ばれた。
「……行ってしまわれるのですか?」
寂しさよりも、フェルティナへの心配が前面にでた声色だった。
「……ご家族の方は、フェルティナ様の気持ちは知っているのですか?」
「ええ、もちろん。私も改めて伝えたわ。……でも、あくまで気持ちは気持ち。家のことだもの。私一人のわがままで、互いの家名に泥を塗るわけにはいかないわ」
結局、父からの返答はないままだ。
家としての返答が得られない以上、自分の気持ち一つで縁談話を断るわけにはいかない。
自分勝手な行動は、父やこの場にいる使用人、果てには領民たちまで害を被ることになる可能性がある。
「……さよならも、またいつかも、正直嫌です」
フェルティナの寂しさの混じった諦めた声に、エリは少しだけ食い下がった。
「毎日のように、アカデミーで、一緒にお食事を摂りたいです」
困らせると分かっていても、伝えずにはいられなかった。
そんなエリの言葉に、フェルティナも綺麗に保っていた表情が少し歪んで、
「……私も、もっと、毎日。ここにいる皆で、……一緒に、好きなものを——」
堪えきれず、ポロポロと小さい涙をこぼし始め、エリの胸の中に蹲るように抱き着いた。
どうしようもないことなのに、自分の気持ちを伝えてしまった後悔がエリの胸に宿り、寂しさと罪悪感からエリも細い涙を流し始める。
「ごめん、なさい……! 私……!」
「違うの、エリ。嬉しかっただけだから……」
フェルティナはエリの胸の中で、涙をこぼしながら笑った。
「私は、本当に良い学友と、使用人たちに恵まれました……!」
フェルティナの心に寄り添うように、使用人たちが涙を流した。
皆が涙を流す中、カノンは表情を崩さなかったが、いつもよりも固い口元や、組んだ手に力がこもっていたりと、何かを堪えているように見えた。
寂しさを共有しあった後、その後は皆で笑って豪華な食事を楽しんだ。
味付けはもちろん、フェルティナの好きな味が強く、濃い料理を存分に堪能した。
美味しいものを素直に美味しいと言える食卓。
気のしれた者たちと同じものを食べて笑いあう日は、次はいつになるだろうか。
確かに遠くなった幸せを噛みしめるように、料理を楽しみ、皆と語り明かした
そして翌日、
「ヴァレンシュタイン公爵様が、ご到着されました」
煌びやかな装飾が施された馬車が屋敷の前に泊まり、そこから純白のスーツに身を包んだ、ヴァレンシュタイン公爵が現れたのだった。




