食べることとは、生きること。
最終章。あと少しだけお付き合いいただけると幸いです。
1月18日(日)12時頃、完結させる予定です。
「私は、ヴァレンシュタイン公爵からの縁談を、断りたいと思っております」
セルヴァラント邸、その領主室。
大きな机の奥に座る父に、フェルティナが真正面から切り出した。
あまりに正直すぎる宣言に、カノンが少し驚いた表情で、フェルティナの横顔を見る。
だが、フェルティナの父は一切動じることもなく、小さく息を吸ってから、椅子に深く座り直した。何を言いに来たのかは、フェルティナの表情で察していたらしい。
「念のために聞こう。それは交渉か?」
「交渉です」
背筋を正して尋ねる父に、フェルティナは頷く。
「今回の縁談。お断りすることは可能でしょうか」
尋ねる、というよりは宣誓に近い、芯の通った言葉だった。
そんなフェルティナを見て、父の眉間に少し皺がよった。可能な限り平静を保っているようだが、混乱はあるらしい。
「……ヴァレンシュタイン家は、私たちよりも位の高い家だ。こちらから縁談をお断りするには、それ相応の理由が要る。お前にはそれがあるのか」
「はい」
確認を促す父に、フェルティナははっきりと答えた。
「公爵様と婚約を結べば、おいしいご飯を食べれなくなってしまいます」
その宣言に、少し辛そうに目を細めてから、手で目を覆い、机に少し顔を伏せながら父が続ける。
「……私はお前を大事にしてきた。大事な娘だ。——だが、それと同時に、お前はこの領地の政を預かる、セルヴァラント伯のご令嬢。このセルヴァラントに住む民の、顔とならなくてはならない人物だ」
「はい」
「そのお前が、好きなものを食べたいという理由で、公爵家側からの縁談を断るというのは、いささか勝手がすぎるとは思わないかね」
「はい。私の勝手です」
あっさり引き下がったかのような言葉に、カノンが少し心配そうにフェルティナを横目で伺った。
「しかし、『食べることとは、生きること』です」
食べることとは、生きること。
生きることとは、食べること。
セルヴァラントという土地が信念として、歴史として。そして、フェルティナ達領主が、そこに仕える者たちが、その領地に住む者たち皆が人生の柱として掲げてきた言葉に、父の表情が揺らいだ。
「家の位は理解しております。政をさておいて、個人の感情を優先することが、領主の娘として許されないことも理解しております。……しかし、私が政のために捧げようとしているそれは——私が他の何を捨ててでも守りたい、一番大事なものの中の一つなのです」
まっすぐとした瞳に、父がゆっくりと向かい直る。
「食べることは生きる上で、一番の喜びです。ヴァレンシュタイン公爵は素晴らしい方です。しかし、どんなに素晴らしい方といえでも、その喜びを共有できない以上、私は結ばれたくなどございません。彼は言います。私を愛していると。しかし、生きる喜びに共に手を取り合えない縁談など、まるでお飾りではありませんか」
フェルティナの揺らがない言葉に、父の体が小さく揺らぐ。
「胸の内を打ち明ける、機会をくださりませんか」
フェルティナが尋ねるも、答えは返ってこない。
それを打ち明けるということの意味を、この場にいる全員が理解している。
「縁談を断る、機会をくださりませんか」
領主室を、重い空気が包み込んだ。
空気は重いが、冷え切ったようには感じない。
呼吸をするたびに、熱の通った息が、父から、フェルティナから、カノンから小さく漏れる。
父は自分を真っすぐ見てくるフェルティナと、自分の机を交互に見ながら、何かをずっと考えていた。
「気持ちは受け取った。……今日は、下がりなさい」
結論を出せなかった父に、「失礼いたしました」とフェルティナとカノンが礼をして部屋を去る。
「……今日の夜食は、ビーフシチューでしたね」
俯くフェルティナに、カノンが優しく告げた。
今になって、心臓の鼓動が速くなり始めた。
「……すでに、お腹が空いてしまいました」
「間食を用意させましょう。……カロリーの低いなにかで」
「こういうときでも、あなたはしっかりものですわね」
フェルティナがおかしそうに笑うと、「お茶と菓子の用意をしてまいります」とカノンが厨房に向かった。
その日は使用人たちも交えて、一緒に茶会を行った。
久しぶりの茶会に、皆喜び、会話も大いに花が咲いた。
そんな日の夜、夜食の最中に、ヴァレンシュタイン公爵からの文が届く。
そこには記載されていた一文に、皆が目を見開いた。
公爵家同士の争いが落ち着いたので、近々フェルティナ嬢を迎えにあがる。と




