夜更けに令嬢が訪れるわけがない。
「エリ。ランプに火を頼む」
「はいはい。わかってますよーっと」
セルヴァラント領の食堂街メインストリート。
そこからやや外れにある2階建ての宿舎が、エリの家族の家、そして彼女らが運営する食堂である。
清掃を終えた後、食堂の壁に設置されている並んだランプに火を灯す。
なんでも、今セルヴァラントをの食の最先端を行くという『食の女神』は、清潔で騒がしくなく、ある程度店内が明るい店を巡る傾向があるとのこと。
エリの店も元々ランプはついていたが、その噂を聞き増設した形だ。
ランプだって安くないんだけどなあ。と噂に振り回されている父に呆れながら、ランプを灯し終える。
多分今日も暇なんだろう。と、キレイに清掃された店内を一瞥し、ドアの立札を『OPEN』に返した。
ただ、少し気がかりなのが——
「……ねえお父さん。万が一お偉いさんが来ても、妙な真似しないでよね」
「ん? どうした急に」
「別に。何となく」
フェルティナが食事の最中、店の場所を聞いてきた。
答えはしたが、ここは大通りから外れた位置にある大衆食堂。フェルティナのような令嬢が訪れるとは思えない。
……が、それでも口にしてしまうということは、ほんのり期待してしまっているということか。
今日のお礼をしたい気持ちが7割、フェルティナが訪れることで店の評判が広まるという下心が3割だ。
(……って、何を失礼なことを考えているんだ、私は)
エリが両手で頬を叩き、接客モードへと面持ちを切り替える。
しかし、日が暮れてから夜が更けるまで、数えられる程度の客しか来なかった。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢
「はあ~、ねむ……」
夜中になり、大通りの店が賑わう時間帯。
エリは磨いたばかりのテーブルで頬杖を突きながらあくびをした。
「明日もアカデミーに行くんだろ? もう寝ていいぞ」
「今から他のメニューを試作するんでしょ? お父さん夢中になるとすぐに周り見えなくなるんだから。閉めるまではここにいるよ」
アカデミーで配布された教本を取り出し、机の上で読み始める。
エリの父親は少し申し訳なさそうに眉をひそめてから「そうか」と頷いた。
「まかない作ってやろうか」
「ありがと。余ってるやつでいいよ」
今日の仕込みを見るに、出されるメニューは『あれ』だろう。
この国の人たちの流行にも合うよう、ボリューミーかつこってりなメニューを開発した。
食べた者たちからは好評だが、その評判が広まるにも時間は必要らしい。
その魅力が伝わるまで、うちがもてばいいけどなー。
なんて、ネガティブな物思いに耽りながら教本を読む。
「……フェルティナ様、良い人だったな」
教本を読みながら、アカデミーでのことを思い出し、少し残念そうにため息をついた。
思った以上に、店に来ることを期待してしまっていたらしい。
そもそも、興味を示しただけで、来るとは一言も言っていないし、来るとしても今日来るとは限らない。
精いっぱいのおもてなしをしたかったなあ。
もうこんな時間だ。フェルティナのような令嬢はもう寝てしまっている頃だろう。
こんな夜更けに現れるわけがない。
そう思っていたところ、入り口のドアが静かに開いた。
「あ、1名様ですね。開いている席へどう——じょ?」
「ありがとう。そこの席にいいかしら」
フードで顔を隠した女性。
そのフードの奥に見える特徴的な銀の髪と琥珀色の瞳に、エリは思わず呆けた声を上げてしまうのだった。




