後半
男の突飛な提案はその時だけの口約束ではなく、ちゃんと実行された。
戦の時に新兵らしく最前線に行こうとしたら呼び戻された。
そして伝令みたいな役割を与えられた。次の時には後方支援に回された。
仲が良い者を優遇するという流れかと思ったが、そうでもなかった。
次の時には最前線に送られた。どうやらその時その時での最善の場所に回されているらしい。
どういう時にどこの部隊を押し進めるか、それとも引かせるか。
それらはあの男の頭の中に有る判断基準で決まるらしい。
つまり、今回は総力を持って敵軍に突き進むのが最善と判断したという事だ。
私は必死になって剣を振るい、敵を倒した。
朝に開始した戦は昼になっても終わらず、日が暮れて相手が視認出来ないほど暗くなってようやく中断された。
何とかその日を生き延びる事が出来た。感想はただそれだけだった。
思い返せば自らの命を手放していてもおかしくなかった場面が無数にあった。
偶々に偶々を重ね、何とか生き残った。
次の日もまた、最前線で剣を振るう。
一人また一人と倒していき、ある人物と対面する。
もと居た国の訓練場で訓練していた時の同輩だった。
こちらは目深に兜を被っていたので、おそらく向こうは気が付いていないのだろう。
私より遅れての初戦なのだろうか。
訓練で教え込まれた事が出来ておらず、全身に力が入りすぎで動きがぎこちない。
私は彼の力いっぱいの一撃をよけて、そのあいた体に一撃を入れた。
彼はそのまま倒れ動かなくなった。
彼の様子を見てあげたいが、そんな事をする暇もなく次の敵が目の前に現れる。
一瞬で彼の事を忘れ、目の前の相手に集中する。
そうして、相手を倒し何とか生き残る。
敵軍が撤退を始め、争いが終わった時には全身が痛かった。
見れば無数の擦り傷やかすり傷。更には跡が残りそうな傷口まである。
自分がそこまでぼろぼろになっている事に今更ながら気が付く。
何とか自軍の陣まで戻る。
乱雑ながら的確な治療を受ける。
さらなる負傷をして寝かされている人達に比べれば軽傷の扱いなのだろう。
その日の夜に司令官から呼び出された。
未だに痛む体を引きずり指定された場所に向かうと、そこは酒宴の会場だった。
話を聞く限り司令官の酒好きは相当で、今回のような小さな勝利でも酒宴を設けるらしい。
渡された杯を片手に待っていると、先ほどまで座って談笑していた司令官が立ち上がり声を上げた。
「先に散っていった仲間達に」
彼の音頭に合わせて、参加者の皆が無言で杯を掲げる。
一時の静寂の後、酒宴は開始され誰もかれも騒ぎ出した。
知り合いが居るわけでもない私は、一人で酒を飲む。
考えるのは手にかけてしまった彼の事。
手加減をする事は出来なかった。そんなことを一瞬でも考えていれば、倒れていたのは私の方だっただろう。
きっと彼にも、あのときの私のようにその最期を悲しんでくれる人がいたのだろう。
それでも、私は彼を倒した。この手を血で染めながら。
もう私は復讐を諦めて元の国に戻る事は許されないだろう。私の手は汚れすぎた。
元々考えてもいなかった退路が閉ざされた。
私に出来るのは、復讐を遂げるか、その前に戦の消耗品として戦場に倒れるかのどちらかだけだろう。
そんなことを考えて居るうちに、酒宴はお開きとなった。
考え事と疲労は、酒の量を増やした。
村に居た時よりもはるかに早く多くの酒を飲んだ。
さらに言えば村の酒より飲みやすいのに、かなり濃い。
許容量を超えた酒は私の視界をふらつかせた。
何とか自分の寝床にたどり着き、寝入ってみるも短時間で起きてしまった。
外は既に白み始めていた。
このまま寝床で転がっていても寝付けないだろうと思い、ひどい頭痛のする頭を支えながら外に出た。
新鮮な空気でも吸い込もうかと思っていたが、ある人物が目に留まった。
昨夜はあれだけ杯を空にしていたはずなのに、二日酔いどころかふらつくこともなくその男は馬にまたがっていた。
「おはようございます」
「ああ。その表情からして二日酔いだな」
司令官は笑いながら言ってきた。
「お恥ずかしい。随分と飲み過ぎてしまったようで。
ところで、どこかへお出かけですか」
「いや、毎日の日課さ。こいつに乗って索敵も兼ねて周りをぐるっとな。
どうだ、お前も馬に乗ってついてくるか。二日酔いも吹き飛ぶぞ」
私は丁重にお断りをした。
「私は馬にまたがった事すらありません。操るなんてとても不可能です」
男は私の反応を見て更に笑う。
村に居た頃に馬の思い出と言えば、行商人の荷車を牽いていた馬を見たぐらいだ。
牛と同じように操るだけだと行商人は言っていたが、とても同じとは思えなかった。
そんな事を考えていて、ふと思いついて口に出す。
「馬車でしたら私も同乗出来るのですが」
男は鼻を一つ鳴らして、答えた。
「俺は馬車が嫌いだ。特にこんないつ襲われるかわからないような戦場では乗るもんじゃない。
あんな周りを壁で覆われていたら、敵襲に気が付くのが遅れる。
乗るのはせいぜい安全な都市の中ぐらいだな。
それに引き換え、馬は良い。辺りは見渡せるし、刻一刻と変化する天気もすぐに観察出来る」
「なるほど」
「では、また後で」
そう言うと、男は馬に合図を送る。馬は途端に駆け出し、あっという間にその姿は小さくなった。
男の言い分に納得する半面、軍人として馬を乗りこなせられるという矜持も幾分か混ざっていたのであろう。
私は当初の目的を思い出し、深く深呼吸した。頭痛が一向に良くならなかった。
時に司令官の男のすぐ傍で、時に後方支援として、そして時には最前線で剣を振るう。
そんな日々が続く。
命を落としかけた回数もすでに数えきれない。
全身に傷が増える。未だに四肢を動かせている事すら奇跡に近かった。
戦の後の酒宴にも毎回呼ばれた。少しずつあの男と話す事も増えて互いの距離も近づいてきた。
もう少し、もう少しであの男の胸に剣を突き立てられる。
娘の復讐があともう少しの所まで近づいてきた。
そんな中での、その日の勝利はいつも以上に意味が有った。
戦争の全体からすればわずかな勝利にしかならないが、ここの所この勝利を目の前の目標と定めていた軍にとっては大きな進展だった。
その日の夜もまた酒宴が行われる事になった。
私も呼ばれている以上、参加する。
だが、今日だけはいつもと気持ちの面で別だった。
忘れもしない。今日は娘の命日だった。
そんな私の微妙な表情を読み取ったのか、司令官が話しかけてきた。
「こんな素晴らしい日にそぐわない暗い顔だな。何か有ったか」
「いえ。あくまで私事ですけど」
そう前置きをしてから、今日がどういう日かを説明した。
私の娘を切り伏せた事すら覚えていない男は、私の話を真剣な表情で聞いていた。
「・・・そうか、わかった」
それだけ言うと、男は立ち上がり会場の全員に聞こえる様に声を張り上げた。
「先に散っていった仲間達に、そして、我々が奪還に1年もの年月を掛けてしまったせいで犠牲になってしまった民間人に」
皆が無言のまま杯を掲げる。
今日の勝利は道の奪還だった。一年前に娘が倒れたあの道。
私は何か運命めいた物も感じていた。
男の一言が気になり聞いてみた。
「一年ぶりの奪還ですか」
「ああ、正確には1年と少しだな。ああ、おい、」
通りかかった部下を捕まえる。
「あいつらに道を奪われたのはいつだったか、詳しく覚えているか」
唐突な質問に部下は考え込む。独り言を呟きながら、どこか遠くを見ながら指折り計算する。
「私の記憶通りなら、奪われたのは聖人の日の3日後ですので、今日の奪還は1年と4日ぶりになるはずです」
「そうか。ありがとう」
部下は敬礼して去っていった。
「奪われるのがあと4日遅ければ、もしくは我々がすぐに取り返していたら、お前の娘さんも悲劇に巻き込まれなかったのにな」
「あ、いえ。」
「俺たちもすぐに取り返そうと、躍起になっていたがやはり向こうの司令官はなかなかに手強いやつでな。
すぐに取り返せるはずが、気が付けば1年越しになってしまった」
「・・・」
そこから男の武勇伝が始まり、適当に相槌を打った。
しかし、私は一つの考え事が頭を占領していた。
娘が切り伏せられた1年前は、あの道を占拠していたのは向こうの国の軍だと、男は説明してきた。
確かに、この男への説明では「向こうの国の司令官が私の娘を殺した」と言った。
だからこそ男は矛盾を感じる事なく、滔々と話し続けている。
だが、私がこの男にした説明は、この男を油断させる為の嘘だったはずだ。
それなのに、その嘘の説明が状況と一致している。
そんなはずは無い。
目の前の男が私の娘を切り伏せたという事は、まぎれもない事実のはずだ。
もしかしたら私に教えてくれた彼自身が、嘘の報告を手に入れていたのだろうか。
いや、その可能性は無いだろう。彼は優秀で軍の中でも上の方に居たはずだ。そんな彼が嘘の報告をつかまされる事が有るとは思えない。
では、彼自身が私に嘘をついたのだろうか。
それこそ考えにくい。娘さえあんな事にならなければ彼は私の義理の息子になっていた。
娘を愛し私にも敬意を払っていてくれた彼が、なぜ私に嘘をつかなければならないのか。
それにもし万が一嘘だった時、私はどうすればいい。
もう一度本当の仇に近づいて、1年の歳月を戦争に費やして信頼を勝ち取れと言うのか。
この1年をもう一度行ったら、私が生き残る事は出来ないだろう。それほどに命を落としかけ続けた1年だった。
今は偶然の上に何とか生きているだけ。次はそうは行かないだろう。
私は、どうすれば。
手に持ったままだった杯をあおる。
酒が入ると、思考があらぬ方向でひらめく。
ああ、そうか。何とも簡単な事だ。
状況と事実が一致しないのであれば、状況が間違っているのだ。
そう、この男はすでに気が付いているのだ。
私が娘の復讐の為に近づいてきている事を。
その上で、この男は自分の命が惜しくなったのだ。
だから私に嘘をついて、自分は仇では無いと弁明をしているのだ。
全てこの男が悪いのだ。
では、どうするか。それはとっくの昔に心に決めている。
杯に残った酒を流し込み、一息ついてから男に話しかけた。
「私の娘の事で、あなたの耳に入れておきたい事実があるのです」
そう言いながら、あたかも耳打ちをするかを装って近づく。
男も興味を示しこちらに近づき耳を傾けてきた。
私は男の耳にそっと呟いた。
「私の娘を殺したのは、おまえだ」
懐に隠し持っていた短剣を引き抜き、男の胸に突き刺す。その様子をたまたま見ていた男の部下の一人が驚愕の声を上げる。
そのすきに短剣を抜き、もう一度別の場所に突き刺す。
そこまで行った時にはもう私の体は、男の部下に突き飛ばされた。直後に羽交い絞めにされ、殴られ蹴り飛ばされた。
それでも私の視線の先は男にくぎ付けだった。男は私に向って何かを言おうとしたが、声にはならず口から血が漏れ出した。
男の部下たちが応急処置を施しているが無駄だろう。それほどに血だまりは早く広がっていった。
私は蹴られた衝撃で意識を失う瞬間、娘に報告した。
「ソフィアよ。お前の仇は取ったぞ」
ある時から敵軍の動きが明らかに変わった。
今までは言ってみれば縦横無尽に軍を動かし、その尻尾をなかなかつかませてくれなかった。
それが今では愚直な動きをするだけになっていた。
私の直感は上官も同意してくれた。
狡猾な上官がこのような契機を逃すはずもなく、勢いよく攻め立てた。
一方の私は、密偵を敵軍に放ち情報を仕入れさせた。
今までの接戦が嘘のように快進撃は続いた。
我々は川のほとりまで進軍した。
いくら小さいからと言って川を越えて進軍するのは、準備が必要となる。
少なくとも連戦で疲弊した兵士たちだけで行うのは危険すぎた。
川を挟んでのにらみ合いの日々が続いた。
そのころになってようやく密偵の情報が私の所まで届いた。
その情報を手に上官の部屋に向かう。
「失礼します。
やはり読みは当たっていたようです。
敵国の司令官は死亡しているようです」
「ほう。やはりそうか。しかし、戦死ではあるまい。戦場では見かけなかったからな」
「ええ。それが、どうやら暗殺されたようです。行ったのは、あの男です。男は直後に処刑されています」
娘を殺され復讐を誓ったあの人の事は上官とも共有していた。
「ああ、そうか」
上官はにやつきながら言葉を続けた。
「まさか自国の村娘の命と敵国の司令官の命が交換になるとは。
俺の運の良さの賜物だな。たまには村娘の命を奪うのも悪くないな」
私は後ろ手に握りこぶしを作り、その中に感情を押し込めた。
「だが、その男はお前の友人だったのだろう」
私は爪が突き刺さるほどに握りしめる。その代わり表情を変えずに淡々と述べた。
「友人です。しかし、その前に私は軍人です。
軍人である以上祖国に勝利をもたらすためには、使えるものは全て使うべきだと考えています」
そんな私の返答を上官は大いに気に入ったらしい。
「さすがは俺が見込んだ奴だ。お前だったら俺が居ない間も安心して任せられる」
「ありがとうございます。こちらの件も報告書に書き記しておきます」
「ああ、頼んだ」
敬礼をして司令官の部屋を出る。
ざわめく心を抑え込みながら、自分の机に戻り報告書に密偵の情報を書き足す。
戦況は膠着状態にある。攻めるにしても増員は必要だ。
ここで停戦をするか更に攻め込むか、その判断をする権利は我々現場の人間には無い。
上官はそれらを更に上の人に伺うため、都市に戻る事になっていた。
今書き足した報告書は、その決断の為の資料として上官と共に都市に運ばれる。
書き足した報告書を報告書の束の上に重ね、一息つく。
私は机の中から別の紙を取り出す。
ある意味、報告書以上に熱を込めて書き上げた文章。
それは告発文だった。
この戦場で行われたありとあらゆる上官の不正行為が書き記されている。
その最後には彼女の件も書いた。
あの時、上官を止めていれば。少なくとも上官と一緒に馬車を降りていれば最悪の事態は防げたはずだった。
ただあの時の私は、いつもの上官の悪い癖だとため息一つで済ませてしまった。
私は気がつかなかったとは言え、彼女を見殺しにしたのだ。
そして、あの人についても私に原因が有る。
確かに私はあの人に嘘を付いた。
だが、それは彼に復讐を諦めて欲しかったから。
さすがに敵国の司令官だと言えば、その途方もない距離から諦めてくれると思っていた。
それでもあの人はやり遂げた。やり遂げてしまった。
もう一つ理由も有った。
私自身、何度上官を暗殺しようと思った事か。
だが、この場所は戦場だ。
いかなる理由であろうと戦場で暗殺されれば、都市は上官を戦死として扱うだろう。
そして国威を上げるために、上官には「名誉の戦死」という不釣り合いな称号が贈られ、国中から賞賛を浴びるだろう。
それだけは避けたかった。彼女を切り伏せておいて、名誉ある称号を贈られるなんてとても許せない。
あいつにふさわしいのは、法廷でその犯した罪をすべて白状させられ、人々から蔑まれ、唾棄されるべきなのだ。
そして地下牢の最奥で一人むなしく処刑をされるべきなのだ。
だからこの告発文を法廷に届ける。兵士たちが家族に送る手紙に混ぜて一緒に運ばせれば、上官の目に留まる事もないだろう。
彼女よ、そしてそのお父様。私はこのような職場に居る以上、すぐにそちらに向かう事になるでしょう。その時は心から謝罪をさせてほしい。
そして、神よ。この罪深い私に罰をお与え下さい。その上で欲深い私の願いを聞いていただけるなら一つだけお願いがあります。
その罰を上官の処刑の報を受けた後にお与えください。そうすれば、私は彼らに朗報を持って行く事が出来ます。
私は告発文を封筒に入れ封をして、郵便物の山にまぜた。




