「そのひとは、光のかたちをしていた」
はじめまして、こんにちは。
恋を知らない傾国の美女(中身はウブ)が、喫茶店でちょっと困った作家さんに出会ってしまうお話です。
恋愛、ギャグ、そしてほんの少しの秘密を添えて。
気軽に読んでいただけたら嬉しいです!
この喫茶店には、窓が二つある。
一つは東の壁に、もう一つは、私の心に。
——などという詩的なことを思ってしまうのは、きっと、あの人のせいだ。
「華ちゃん、スプーン入れすぎ。テーブルの上、銀食器の祭壇みたいだよ」
店長のからかい声に、私は我に返った。
右手には、何本もスプーン。左手には、ちょっと震えてるトレー。
「す、すみませんっ……! なんとなく……三本くらいあったほうが、華やかかなって……」
「一人分のカフェラテに? お客さん、どれ使うか迷うよ」
「えっ、それは……あの……三本の中から、運命の一本を選んでいただける感じに……」
「合コンか」
私は御堂華、二十四歳。恋は、未経験。男友達も、いない。
でも、傾国の美女だと言われる。……主に、祖母とご近所さんから。
いま働いている喫茶店「橙灯」は、東京の片隅にあるちいさな店。
年季の入ったソファ、色あせたランプシェード。
そして、窓から差しこむ光だけは、なぜか毎日きれいだ。
きれいな場所には、きれいな人が現れるものらしい。
あの人が、来るようになったのも、春の光が店内に広がりはじめた頃だった。
「お待たせしました。カフェラテ……で、ございます……」
「ありがとう。スプーン三本、……やっぱり今日も迷うね」
「えっ、えっ……あのっ……一番、右のが、おすすめです」
「……そう。じゃあ、それにしようか。君の選んだやつを」
そのときの笑顔。
やわらかいのに、どこか影がある。
まるで夕陽みたいに、まぶしいのに切ない。
あのひとは、光のかたちをしていた。
毎週、火・木・土の午前十一時にやってくる。
ノートパソコンと文庫本を二冊、いつも左手に。
服装はシンプルだけど、無精髭も、寝癖さえも、整って見えるのが不思議だった。
「——あの、もし、あの、気を悪くされたら、すみません……!」
「え?」
「パソコン……いつも、開いてるだけで、打ってないなって……あの……ずっと、カフェラテ見てる気がして……」
「……それ、見てたの?」
(ち、ちがう! そういう意味じゃ……!)
「ちがっ……あのっ……お客さまのことを、見てたわけでは……あっいや見てました、けど! ちがくて……」
「……ははっ」
笑った。
その声を聞いた瞬間、心臓がひとつ、飛んだ。
私は、自分がこんなに「恋の初心者」だったとは思っていなかった。
だって、小説も詩もたくさん読んできた。
「恋とはこういうもの」って、知っているつもりだった。
けれど——
目が合うだけで息が止まりそうになって、
声をかけられただけで汗が止まらなくなって、
スプーンの数を間違える。
こんなの、知らない。知らなかった。
「ねえ、華ちゃん」
店長が、気配を殺してカウンター越しに囁いてくる。
「わかってるよね。あの人、たぶん普通の人じゃない」
「……はい」
「先月来たとき、スマホに“週刊真潮社”って着信入ってた」
「しんちょうしゃ……出版社?」
「文芸誌出してる大手だよ。あの人、作家か編集者か……どっちかだと思う」
「……え、作家……っ?」
「華ちゃん、気をつけなよ。ああいう物書きは、モテるよ。恋愛も、トラブルも、だいたい書き尽くしてるから」
その言葉が胸に刺さった。
まるで、私の“最初の恋”なんて、とっくに見透かされてるみたいで。
でも。
——それでも、惹かれてしまう。
あの人がカフェラテをすする音。
カップを置く指先の静けさ。
読みかけの本を、いつも最後まで読まないくせ。
ぜんぶ、知ってしまったら、もう目をそらせなかった。
私は知らなかった。
恋が、こんなにくすぐったくて、こんなに不安なものだなんて。
私はまだ、なにも知らなかった。
この気持ちが、なにを連れてくるのかも。
ただひとつ。
心の奥で、確かに聞こえた。
あの人の笑い声が、
私の「これまで」を、静かに、終わらせた気がした。
——
最後までお読みくださり、ありがとうございました!
主人公・華はとてもウブで反応が大げさですが、これは本気なんです。たぶん。
次回は、少しずつふたりの距離が近づく……かもしれません。
よろしければ次話もお付き合いくださいませ!