敗北
「アイリス――!」
叫びは虚しく、炎熱の魔撃は黒髪の魔女へと容赦なく炸裂した。
爆発の勢いで吹き飛ばされてきたアイリスの体を受け止める。全身は黒くひどい火傷の痕に見舞われ呼吸は浅い。彼女の命は、風前の灯であった。いや、そう言うのももはや可愛げがある。彼女は、死の間際だ。
「は……っ、は……っ」
無意識的に呼吸が荒くなる。フラッシュバックする己の記憶に、流れ込んでくる忌まわしき過去の記憶が、俺の魂を貪り尽くす。
「あっはっは! いいねえその表情。まるであの時とは完全に逆だ。立場も、何もかも」
もう、奴の声など俺には届いていなかった。
また、守れなかった。
二度と失いたくなかったというのに。
「まあまあ、そんなに落ち込むことはないじゃない銀狼ちゃん。所詮、あの娘は『器』でしか無いんだから」
「な、に……?」
今奴はなんといったのか。
器? 一体何の?
思考がまとまらない。腕の中で静かに横たわる少女と、視界の隅で浅い呼吸を繰り返す剣闘士。何もかもで手一杯だった。
そして、生まれた疑問の答えを聞く前に、老騎士の側にいる魔女が立ち上がる。
「ガレス様、行けます」
「あ、そう? じゃあ、最後に――」
回復した魔女が転移門を展開。それから、ガレスがこの洞窟内の地面に巨大な魔法陣を描いた。中心部に収束する膨大な魔力。
俺は、この魔力を知っている。遠い過去に相対した魔物が持っていたもの。
そして、怪物が顕現する。
「コイツは……っ⁉︎」
洞窟内を埋め尽くすほどの巨体を翡翠色の鱗に覆われ、その殺意を赤眼に宿す魔竜。かつてこの地にて人々を恐怖の色に染め上げ、災害として恐れられたその魔物の名は――、
「――魔獣ハイドラ。チミが昔倒した竜族の一角。さあ、思う存分遊んでくれたまえよ」
そう言い残し、魔女と共にゲートの向こう側へと奴は消えた。
俺はもはや戦う気力を失っていた。頼ってしまったライリーを、守るべきはずのアイリスを、二人を死に追いやってしまった。俺は、治癒の力は扱えない。かといってあの魔竜を前に死の淵を彷徨う二人を抱えて街にたどり着くかもわからない。いや、まず街にたどり着けたとて二人の命がそこまで持つ保証がない。
完全にやられた。
奴にことごとく踊らされ、負けた。どうしようもないくらいに完敗だ。
もういっそ、俺もこのまま――。
魔力とは精神力の現れ。強力な魔力には相応の精神力が必要となる。それは銀狼の持つ魔を弾く不可侵の力も例外ではない。万全であれば、完全なる一対一であれば、対面する魔竜に遅れを取ることなどありえない。
だが、今の憔悴しきった銀狼では――。
天地を揺らすハイドラの咆哮がこの洞窟全体へと響き渡る。だが、今の彼にはそれすら届かない。
高まる魔力。迸る光線の予兆がじわじわと洞窟内に輝きを広げる。それを前にしても、銀狼は戦う意志を見せなかった。
そして今、咆哮が放たれる。それは銀色の剣士が持つ不可侵領域を打ち破り、何もかもを破壊してゆく凄まじい威力を秘めたもので。過去、自らを討ち取った憎き剣士を殺すために、彼の魔獣が魅せた奥義。死して尚待ち望んだ悲願を達成せんとしていた。
「……」
絶望し、諦めた彼の目に映る最後の光景は、腕の中で眠る一人の少女の姿。
この日、最強の剣士は、敗北した。




