別れ、そして挑戦
――二人で勝つぞ!」
金髪の魔女エリスは兄の力強い言葉に鼓舞され、怯えることなく目の前の脅威に挑もうとしていた。
「……」
エリスだけが知り、兄は知る由もない事実が二つ存在していた。
まず一つ目――エリスはアルトリウスよりも強いということ。
ひとえに強いと言ってもその方向性は様々。剣士であるアルトリウスは対人戦闘に、逆に魔物との戦闘においてエリスはアルトリウスを遥かに凌駕する力を有している。
それは何故か。彼女は、魔法に愛されているからだ。
「ガゥルアァァ!」
エリスに向かって雄叫びをあげる茶狼。呼応するように、地面から無数の岩の棘がエリスの腹に風穴を開けんと迫り来る。
土の魔法――〈グランド・ソーン〉
対するエリスは至極冷静。ただ一心に、己の持つ魔力を世界に干渉、具現化させて解き放つ。
「――〈フリーズ・コフィン〉」
エリスが小さくそう唱え、その瞬間、彼女の手から魔力が放出される。
大地を、木々を、空間を凍てつかせる氷の牢獄。圧倒的なまでの魔力の差で、フェンリルの放った魔法は凍りつき、その先にいるフェンリルすらも氷結の檻に閉じ込めた。
短期決戦。一撃必殺。
兄が壁の向こうで死闘を演じているというのを知らぬまま、エリスはたった一回の魔法で山の王を倒して見せたのだ。
「……」
しかし、当のエリスは未だ集中力を切らさず。いつ何が来ようと迎撃できるよう再び魔力を溜めている。彼女は知っているのだ。この山に足を踏み入れた時から、自分が狙われていたということに。狩られるなら今が絶好のタイミングだということに。
――彼女は、魔法に愛されている。
それ故に、魔力を持つものの位置がある程度ならわかる。それが強大な魔力であればより鮮明に。一介の魔物程度の接近、急襲ならば即気付ける。
「――」
ただ、その力に頼り過ぎているせいで。強者との戦闘経験があまりにも乏しいせいで。
――『エーテル山の王』の『気配』に気づくことができなかった。
「エリスッ!」
土壁が崩れさり、その先の景色が目に入った瞬間。全身にかかっているダメージなど全て忘れて走り出していた。落ちる砂煙が視界を濁す。しかし、確かにその目に捉えていた。
――腹に大きな穴が開き、血を吹き出して倒れている妹の姿を。
「あぁ、エリス、そんな……」
俺はエリスの側に膝をつき、彼女の負った傷の深さに絶望していた。辺りを赤黒く染める鮮血が、彼女はもう助からないということを意味している。しかし俺はその事実から目を背け、ただ妹を助けたいと、その一心で彼女の傷口に布を当てた。
「……に、いさ……」
弱々しく、今にも途切れそうな声でエリスが呟く。
「喋るな! 今、いま何とかするから……! だからもう……」
「むり……だよ」
「無理なもんか! 治れ! 治れよ‼︎」
叫び、吠え、激情のままに手をかざす。何度も何度も。
何度も見た、彼女の持つ癒しの奇跡を。癒しの力を使わんと。ただ――、
「くそッ……頼む、頼むから……」
何も起きない。何もできない。俺には力がない。妹と違って俺には才能がない。世界に干渉し、事象を具現化することが許されていない。――――俺に、妹は救えない。
もうすでに分かりきっていて、過去にも味わっていた絶望感。何もできない無力感。この世で最も大切な妹を救えない自分の力のなさに、目の前で失ってしまう現実に、感情が爆発してしまいそうだった。
「にい、さん……」
エリスはか細い声で。もうほとんど入らないであろう弱々しい力で俺の頬に手を当てる。涙を堪えながら、俺はその小さな手の上に自身の手をそっと重ねる。
「ごめんエリス……俺じゃ、お前を……」
「なに、言ってるんですか……冒険者になると決めた時、から覚悟は……できてましたよ? まさかこんなに早くなるとは、ですけど……」
ふふっと笑みを浮かべてエリスは言う。でも、俺はどうしても笑う気にはなれなかった。
これから二人で世界を旅して、色んな場所を探検して、宝物を見つけて、怪物から女の子を助けて、女の子にデレデレして怒られて、強大な敵に二人で挑んで、二人助け合って、手を取り合って生きていくんだと。そんな日々を夢見て、それが現実になるのだと、そう思っていた。
「なんで……」
――エリスなんだ
なぜ俺じゃなくて、エリスだったんだ。エリスは才能があって、可愛くて力もある。努力を怠った日なんて一日たりともない。悪いことなんて一つもしていない。なのに、なぜエリスがこんなにも早く死ななければならないのだ。
もし神がこの運命を定めているのだとしたら、俺は今すぐその神を殺したい。俺の妹の命を奪った罪を、何百倍にもして味わわせてやりたい。
「そう……悲観しないで。私は兄さんの中で、生き続けます……」
「なに……言って……――っ⁉︎」
瞬間。頬で重なる手を通じて、体の中に何かが入り込む感覚が俺の中を駆け巡った。暖かく優しい力の奔流。俺の持たざる奇跡の力。――エリスの魔力だった。
「これで、私はもう必要ありませんね……」
「そんなことねえよ‼︎ お前がいないと、俺は……」
妹の言葉を俺は全力で否定する。俺一人では何もできない。妹が……エリスがいたから頑張れたんだ。何度も何度も、数えきれないほどエリスに助けられて。エリスがいなくなれば俺は、もう……。
すると、エリスはゆっくり俺の頬から手を離し、直後――パーンと音が響き、頬に痛みと軽い衝撃がやってくる。今、自分が頬を叩かれたのだと理解するのに少し時間がかかった。
「私の前で……弱気にならないで、ください。せっかく、託したんですから」
「……っ」
「私の分まで生きて……冒険を、してください。夢を、約束を……かなえてください、ね?」
もう少しの力も感じられない妹の手を握り、俺は涙を堪えて嗚咽を我慢して言葉にならない声でひたすら頷く。
そして、エリスはそんな俺の姿を見てふっと優しく聖母のような微笑みを浮かべ、
「また、ね……」
掠れた声で、別れの言葉を口にして。そっとその瞼を閉じた。
「……くっ……ぅっ」
我慢していたもの全てが、今俺の中から溢れ出してしまいそうだった。行き場のない感情の波が、堰き止めていた心のダムをいまにも破壊してしまうんじゃないかと、意識を保つので精一杯だった。
どれだけつらくとも。どれだけ悲しくとも。今、それを爆発させてはいけない。エリスが残り少ない、ほんの僅かな力で俺の頬を叩き勇気を与えてくれた。鼓舞してくれた。その思いを、彼女の決意を無駄になんてできない。したくない。してはならないのだ。
「――――」
後ろから感じた狩人の気配。
妹の命を奪うだけじゃ飽き足らず、強欲にも今度は俺の首をも狙おうと、黒狼――フェンリルが姿を現したのだ。
「……よく俺の前に出てこれたな、クソ狼」
俺は振り返り、妹の亡骸を背に守るようにこの山の主に剣を構える。
そして目尻の涙を拭い、力強く。俺たちの試練に挑んだ。




