カルネアデスの鏡
刑法第37条 『緊急避難』
急迫な危険・危難を避けるためにやむを得ず他者の権利を侵害したり(省略)
破壊したりする行為であり、本来ならば法的責任を問われる所を
一定の条件下にそれを免除されるものを言う。
※Wikipediaより抜粋。
『ある看護師の日記』
〇月15日
先日、搬送されてきた患者(以後『彼』)への苦情が後を絶たない。
他患者と口論や看護師達へのナンパが大半だ。
大事に発展こそしてないが、それでも苦情を無視はできない。
何か良い案は無いだろうか?
〇月22日
『彼』の様子が落ち着いてきた。
何か心境の変化があったのかも知れない。
そういえば最近、消灯後に徘徊を行う患者が居るらしい。
それに伴い夜間巡回の回数とシフトを増やすそうだ。
何故か『彼』を真っ先に思い浮かべてしまった。
ただの杞憂だと願う。
〇月28日
夜勤の最中に『彼』が脱走したと連絡が回ってきた。
消灯前に『彼』を見たから、脱走は消灯してからだろう。
早期に発覚したからすぐ見つかるはず。
今の私に出来る事は家族に連絡を回す事だ。
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某市郊外の海浜公園。
その一角に立つ石碑の前に『僕』は居た。
少し前に公園の沖合で客船が沈んだ。
目の前の石碑はその事故の犠牲者達の慰霊碑だ。
刻まれた犠牲者達の中に恋人の名前がある。
最期に見た恋人の顔は今でも鮮明に覚えてる。
そう、僕は我が身可愛さに恋人を見捨てたのだ。
生還した僕には司法の裁きが下る筈だった。
しかし何故か判決は無罪だった。
だが罪に問われずとも見殺しにした事は変わらない。
どれだけ悔いても罪は消えない。
だから『僕』はここへ来た。
冥福を祈るのがせめてもの贖罪と信じて。
「やっぱりここに居たのね」
突然の声に振り向くと1人の女性が居た
それは恋人の姉だった。
『舞姫さん』
「いつまで逃げるつもりなの?」
『え?』
「あれだけトラブルを起こした挙句に脱走だなんて」
『何を言ってるんだ?』
「大方、他の人との口論が原因かしら?」
『美姫を、貴女の妹を馬鹿にしたんだ!許せない』
「・・・確かに家族を馬鹿にされるのは腹が立つ。でも貴方も人の事を言えないわよ?美姫が本当に死んでるのならー」
「今『私が話してるのは誰』なの?」
『えっ?』
「病院からは釘を刺されてたけど、この際だから言うわ」
『な、何をー』
「『カルネアデスの板』を掴んだのは『貴女』、でも『彼』を見捨てて生還した自分が許せなかった。罪に問われていれば心を病まずに済んだかもだけど、そうはならなかった。だから自分を『彼』と『思い込む』事で心の均衡を保とうとした」
『ちがう・・・僕はー』
「違わない。これが現実よ」
遠くからサイレンの音が近づいてくるのが聞こえる。
「病院へ帰ろう『美姫』、まだやり直せるわ」
舞姫さんの後ろに、救急車が停まり人が降りてくる。
『違う、『カイト』は生きてて・・・違う、カイトは『私』で・・・』
亡き恋人を騙る『彼女』の声は誰にも届かなかった。
『ある看護師の日記』
〇月3日
今日、患者が転院してきた。
患者は女性で、時折自分を男だと思い込んでいた。
カルテには精神疾患とだけ書いてあったがこれ程とは。
一体何が彼女をここまで壊したのだろう?