第15話 対面
とんでもない爆弾発言が、邪神ナグ・ナウロから放たれると、真っ先に反応したのはロズワグンであった。
「は、母様!」
「娘がこうも男の話を繰り返すのは珍しい。どれ、どんなものかと思っておったが……いやいや、中々の偉丈夫、婿と呼ぶにふさわしい」
「仰るほど私は背も高くなく、偉丈夫と呼ぶには……」
「我の方が背は高かろうな。だが、その戦に特化したような体躯は見事。それとも、我と娘の見立て違いか?」
これは、褒め殺しなのか?
甘い言葉で取り込もう的なアレかと思えたけど、ロズワグンが顔を赤くしてプルプルと震えている様子から、違うんじゃないかと言う気になった。
対する師匠はと言えば、浮かれるでもなく、照れるでもなく平然としている。
邪神の最後の問いかけは一気に圧が増したように俺ですら感じたが、それすらも平然と受け流す。
「見立て違いは良く行われております。この世界では特に」
「ほう?」
「私の生き様を、修練を、足掻きを、そして戦いを知る者は只一人、私を置いて他に居ない。故に誰もが見立て違いをおこしましょう」
「己を知るのは只一人己のみと?」
「なればこそ、士は己を知る者の為に命を捨てるのです。付き合いの浅いあなた方が見立て違いを超すのは道理、間違えて当然の事ならば気にされる必要はない」
偉丈夫と言う言葉が気に入らなかった訳では無さそうだが、師匠はそう言い切った。
ナグ・ナウロはじっと師匠を見つめ、ロズワグンは自分の母親と師匠に視線を行ったり来たりさせていた。
俺? 俺は背中から冷たい汗を流しながら何時でも戦える様に、逃げ出せるように算段していた。
していたけど、出入り口、閉ざされているんだよなぁ……。
沈黙の時間は果たしてどれ程だったのか。
長かったような短かったような……ともあれ、その時間は不意に終わりを告げる。
邪神は師匠を凝視したのちに言葉を紡ぐ。
唄にも似た単語の羅列を。
「雪、白い息、両手に持つのは丸い蓋の付いた桶」
その言葉に、師匠が初めて身を強張らせた。
「謀反、罠、刺客」
歌う様な節で告げらる言葉を聞きながら、師匠は淀みなく腰の刀の柄に手を添えて、抜こうとした。
「斬るか? それも良い。……思うだけで他者の生を覗き見れる我は確かに斬られるべきかも知れん」
「力の一端、と言う訳ですか」
「連続しない過去のヴィジョンだ、これだけでは意味がない。とは言え、覗き見の非礼を詫びても良いが、条件がある」
玉座の邪神は身を乗り出して師匠を見つめる。
その視線は、先程よりも力強さが増しており、狂気すら感じられた。
「我が一族に加わるが良い。貴様の敵は、確かにこの地にある」
「……」
「それとも、やはり我を斬るか? 一刀で斬り伏せ、逃げ出せると考えるならばやってみよ」
邪神は何を見たんだ? 師匠に対する扱いがなりふり構わなくなった気がする。
いや、元々、こう言う性質なのを猫かぶって誤魔化していただけかも知れないけれど。
師匠は刀の柄からようやく手を放して、ロズワグンを見やる。
「君の母御は、聊か強引なようだが」
「――そう、だな。母様! 母様は何を焦っておられるのか?」
「おや、愛する男の味方をするのか? それも良し」
「そうではなくて!」
「見えたからよ。黒い髪、丸メガネ、腰に刀を吊るしてインバネスコートを羽織り、山高帽を被った男。その者を、な。奴の名は?」
「芦名大納言唯冬」
「魔術師か?」
「さて、この世界では何と言いましょうか。西方の公家にして黄衣の王に帰依する外法使い、そして判官流の達人」
ロズワグンの問いかけにからかいの言葉を返したナグ・ナウロだったが、師匠を見据えて誰かについて問いかけると、師匠は淀み無く答えを返した。
「そやつは、数百年生きるのか?」
「……私が生きている以上は、奴を討ち漏らしたのかも知れません。が、そんなに長く生きられるはずが」
「三百年前に生まれたばかりの聖天教を率い、攻めてきた」
「……」
「黒刀の使い手がこの地に居らねば、それで我らも終いだったかもしれん」
「芦屋が今も、生きていると?」
「気配を感じ続けておる。それに、そろそろ時が来る。三百年前と同じように。これが貴様を欲する理由だ。アシヤなる者はこの世界をひっくり返す大計を持っておる」
「黄衣の神……」
「我が一族に加わるならば、我が持てる物を全てくれてやる」
「娘御も?」
「全てと言った」
何だか、口がはさめる状況ではなくなった。
褒賞品にされかかっているロズワグンですら、固唾を飲んで文句も言わない。
話が一気に大きくなりすぎて、頭がくらくらする。
でも、そう言えば、亡霊たちが騒いで居た筈だ、黒刀の使い手を殺せと……それはつまり。
「嫁は私と相手が同意した場合に限り娶りたいと言うのが夢でしてね。それで見合いも断ってきた」
「ほう」
「魅力的な申し出であるのだが、即答はしかねる。ただ、今回の序列を決めると言
う話はこれに関係しての事で?」
「そうだ」
「では、貴方が序列の一位となってから、一族に加わるか決めましょう。それまでは娘御の協力者として扱って頂きたい。ただ、まかり間違って娘御とそう言う話になった際には……」
どさくさに紛れて、何だか話を進めようとしている。
と、言う事は師匠はロズワグンが好きになって来たんだろうか?
確かに、最近は他の人外娘を見ても少し反応が薄くなってきていたような。
「我が序列の最高位に立てればな」
「……では、精進しましょう」
邪神ナグ・ナウロは不意に肩の力を抜いて、微かに笑いながら告げた。
途端に、張りつめていたような空気が消えて、俺は安堵の息を吐き出す。
ロズワグンは、怒るべきか、喜ぶべきかを迷っているように見えたが、不意に踵を返して何処かに行ってしまった。
さて、邪神との対面が終わると俺達は第5層の中にある客室に通された。
客間がある事に驚いたが、更に驚くべきことは多くのモンスターが使用人のように働いている事だ。
蜘蛛に女の上半身がくっ付いたような姿とか、首を片手に持った女戦士とかが普通に徘徊している。
師匠にとってはパラダイスじゃないのかと思わぬでもないが、その師匠はあまり反応を示さず疲れたとベッドに横になっている。
俺は少し硬めのソファに座り、気疲れを癒そうとしていたが、ふと気になって問いかけた。
「――邪神は師匠の過去を勝手に見たんですね」
「そうだ。気分が良いもんじゃないね」
そう告げながら上体を起こした師匠は、扉の方へと視線をやった。
「入りたいなら入れ、君の家だろう」
「……邪魔する」
扉が開くとロズワグンが入ってきたが、浮かない顔をしている。
そして、入って来るなり師匠に頭を下げた。
「母様が不躾な事をした、申し訳ない」
「娘の君が謝るべき事でもない。それに……こちらも少々無礼な物言いをした」
「あの様に高圧的な振る舞いを母様がするとは思わなんだ……それだけ、アシヤが怖いと見えるが……その、お主とどんな因縁が? あ、いや、喋りたくないなら」
「私の率いた隊の仇、私の上官の仇だ。聖天教を知った時から奴の影は感じていたが、まさか未だにのうのうと生きていたとはな」
師匠は渋い顔でベッドの脇に立てかけてあった刀を引き寄せて、刀身を露わにする。
「斬った筈なんだ、体が上下に分かたれた筈だ……なのに生きているとはな」
小さく息を吐き出して、語ってくれたのはこの世界に飛ばされる事になる事件だった。
それは、軍人と言う生き物の凄味を俺に教えてくれる話だった。