第11話 峠の屋敷
欲望都市への道中。
コダとか何とかと言う四足の獣の干し肉が特産の近隣の村を出立してから既に1週間。
峠に差し掛かった辺りで、もう何回となく聞いた女の声が響いた。
「征四郎! ここであったが百年目! 今日こそはお主に勝つ!」
「いや、いい加減用事とやらを話せ」
流石の師匠も勝つまで話さないと言うロズワグンの頑固さに苦笑を浮かべながら、相対している時に周囲に見知らぬ女性の声が響いた。
助けを求める恐怖に引き攣った声だ。
だが、奇妙な事に師匠もロズワグンもその声が聞こえないのか、試合と言う名の鍛錬に興じている。
以前は一時休戦して、共に野盗を退治していた事もあったのに、なぜ動かないと苛立ち、俺は声の主を探すために走り出す。
峠道は険しく、周囲に民家など無いからきっと旅人が何かに襲われたんだろうと声の方へと駆けた俺の予想は裏切られた。
峠の先の道を外れ、急な坂道……獣道か? を駆け昇ると……場違いな屋敷がそこにあった。
屋敷の中から再度、何かに恐れた様な叫び声が響く。
門扉は開け放たれ、庭に入り込めそうだが……。
「ここまで来て恐れるな」
自分を鼓舞して中に入ろうとすると、屋敷の扉が開き、美しい亜麻色の髪の女性が此方に向かって駆けてきて、俺の胸に飛び込んできた。
「っ!?」
「ああ、ああ、お助けください、騎士様。邪悪なる生命喰らいが屋敷に入り込みまして……」
「生命喰らい……」
そんなモンスターは知らない。
これは、師匠の下に戻った方が良いと理性が告げるんだが……俺の胸に顔を埋めて震える女性の必死な訴えと、薔薇の様な濃厚な香りに頭がくらくらとする。
「ああ、あの窓に!」
振り返り、恐怖の声を上げる女性が示す二階の窓に……赤い髪の誰かが居た。
俺はそれが不遇職の村で出会った女戦士に思えた。
「俺が見てきます、ここで待っていてください」
「お願いいたします、若き騎士様」
「俺は騎士なんかじゃないですよ、ただの旅人です」
騎士様と言う言葉のくすぐったさに俺は否定の言葉を残して、屋敷の中に足を踏み入れた。
屋敷の内装は、言ってしまえば良くある洋館風。
この様式は何時の頃の何々でと言う知識がないので、そうとしか言えない。
当然、電気ガスはない。
いや、アビスワールド準拠でもその辺りは無いんだから当然なんだが、そう思ってしまうほど何処か近代的な造りに見えた。
どの辺りがと問われても、俺にも良く分からないんだけれど。
先程まで晴れていた筈の外は、屋敷の窓から見ると一気に雲が広がって薄暗くなっている。
一雨来るのだろうか?
そんな事を考えながら、赤い髪の誰かが居る場所に向かった。
玄関のエントランスから軋む階段を上り、二階の目的の場所と思われた部屋に辿り着く。
「ここか?」
小さく呟き扉を開けると、骨と皮だけになりながら、頭部に赤い髪だけが残ったミイラの様な男が立っていた。
これが生命喰らいか?
そんな事を思うも無く、赤い髪のミイラは手に持っている剣を振るう。
それは俺と同じ得物、ロングソードだった。
骨と皮だけのミイラの一撃は、ともかく早い。
早いが力自体はそれ程ではないので、盾で受け流したり、剣を打ち合わせて巻き取ろうと試す余裕はあった。
室内に余計な物が無かったおかげで、戦い自体はスムーズに行える。
踏み込みながら腕全体をしならせ剣を振り下ろす。
その一撃をミイラが剣で受け流すべく斜めに打ち合わせたが、俺の一撃は勢いが然程死なず、鍔まで火花を散らして滑る。
いや、そればかりかミイラの剣は古かった為か鍔を破壊した。
鍔を破壊されたせいか体勢を崩し、剣を持つ腕が伸びてしまったミイラに剣を振り上げると、ロングソードが伸びた腕ごと剣を切り飛ばす。
思ったより大した事無いな……。
俺がそんな事を考えると、赤い髪のミイラが微かな声で喋った。
「俺の命を与えないでくれ……」
か細い声。
そして。
「お前の強さは見た、それに相応しき振る舞いをする事を……」
そこまで告げると、ミイラは俺の背後を気にする素振りを少しだけ見せて死体に戻ったのか、崩れ落ちる。
外で雷鳴が鳴り、激しい雨が窓を叩く。
「何を……」
「ああ、旅のお方、ご無事でしたか!? ああ、可哀想に……倒れたお方は生命喰らいに食われて僕となってしまたのね」
屋敷の女性が背後から、俺にそう告げる。
こいつは単なる僕で、大元は別にいるような言い方だ。
だが、この屋敷に他の気配は感じられない。
いや、俺の感覚が正しいかは分からないけれど。
「生命喰らいとは……?」
「貴族のような恰好をした男です、生命を奪い、奪った相手を僕とする恐るべき怪物……ああ、旅のお方、お助けくださいまし。今は、今は屋敷に居ないようですが、また再び戻ってきますわ」
怯える女性に、俺は幾つか胸の中で湧き出た疑問をぶつけた。
「屋敷の方は他には?」
「辺鄙な所にありますので、使用人は買い出しに。数年前までは父母も居たのですが、病で……」
「そ、それは失礼を」
不味い事を聞いたと俺が慌てると、恐怖のためか、両親を思い出したのか眦に涙をためて女性が囁く。
「いいえ、いいえ、お気になさらずに。ただ今だけは寂しく怖いのです。旅のお方を引き留めるのは申し訳ないのですが、今宵一晩お泊り頂けませんか?」
「ぇ……お、俺には同行者が居るので」
「そうでしたか、ですが既に夜……明るくなってから追った方が早いのでは無いでしょうか?」
「夜?!」
さっきまで昼の最中だったじゃないか!
そう思い窓から外を見やると、雨は止んで空には星々が瞬いていた。
「夜……だ」
「激しい戦いでしたのね……大したおもてなしもできませんが、どうぞこちらに」
薔薇にも似た濃厚な香りを漂わせて、女性が近づく。
微笑みを浮かべ、唇を赤い舌先がそっと這うのが見えた。
これが恐怖する女の顔か?
それにこの抗いがたい感覚、以前に感じた……。
(おいおい、俺のを破ったのに、そんな女のには引っ掛かるのかよ?)
視線をずらし、赤い髪のミイラを見た時に、そんな言葉が脳裏を過る。
今倒れ伏すミイラと同じ赤い髪をした、戦う者の気品を感じさせたあの女戦士を。
「――騙したな」
「いいえ、騙していないわ。共に楽しみましょう?」
「――お前は師匠好みでも無いな」
俺は確信を込めて告げる。
師匠は人外娘が好きだが、人外ならば何でも好きな訳じゃない。
どれ程好みの外見だろうと、内面がどす黒ければ容赦なく斬るだろう。
女は、何を言っているのかと首を傾いだが、その目がくわッと見開かれた。
俺がその腹にロングソードを突き立てたからだ。
「勘違いならば俺は人殺しだ」
「……ならば、貴方は人殺しよ、若き騎士様」
口の端から血を流しながら女は囁くように言った。
どっと背中から冷や汗が流れ落ちる。
何が本当で何が嘘か、分からなくなったかと思えた。
ヨロヨロと階段を降りて屋敷の外に出ると……師匠とロズワグンが屋敷の庭の門扉の所に立っていた。
「ロウ君、こんな廃屋に駆けこんでどうした?」
「生命喰らいにでも誑かされたか?」
廃屋? 訝しげに振り返れば、そこは薄汚れ、一部崩れ落ちた屋敷の廃屋だった。
「……ああ、アビスワールドの」
「ん?」
「いえ、アビスワールドのゴシックイベントで使われた屋敷そのものだったので」
「こんな廃屋が?」
近代的に感じるはずだ。
俺が生きていた時代の人間が設計したゲームデータの残滓だったのだろう。
そう思えば、あの女も過去にここに居た怪物だったのかも知れない。
そう遠い目をする俺を見て、師匠とロズワグンが訝しげに視線を交わしている。
この二人大分仲良くなっているなと思いながら、赤いミイラが眠っているだろう場所を見上げる。
と、美しい亜麻色の髪が靡いた様な気がして、俺は二人が待つ門扉まで逃げるように向かった。