007「目覚めから出発前まで」
「夢じゃなかったか」
翌朝。私は目を覚ますと、寝心地抜群のベッドの上にいることを確認した。横を見れば、ナイトテーブルには、黒い猫耳カチューシャもある。
一晩寝たら、点滴を射されたり包帯を巻かれたりしながら、真っ白な病院のベッドの上で仰向けになってるという自分を想像してたんだけど、そうイメージ通りには進まないらしい。
「失礼します。お目覚めのようですね、アミさま」
「あっ、ヘレナさん。おはよう」
「おはようございます。湯あみの用意が出来てますので、お召し替えの前に、汗を流してはいかがかと。道中は、なかなか入浴できませんから」
「そうね。お昼前には出発するって言ってたから、そうさせてもらうわ」
「はい。では、こちらへどうぞ」
ヘレナさんに先導されて、私は入浴を済ませた。水が冷たかったこととか、シャワーが無いこととか、現代日本とは違う点はいくつもあったんだけど、細かいことは割愛させてもらおう。
ともかく私は、ブレックファーストに極彩色のクレープに巻かれたお肉を食べ、シンプルなリンネルのワンピースに着替えて馬車に乗る段となったのである。そして、私の目の前には、鎧を着た騎士が兜を片腕に抱え、栗毛の馬の横に立っている。腰には、立派な装飾が施された剣も差している。右は白い髪に蒼い眼をしていて、左は茶色い髪に翠の眼をしている。ピンと立つ耳も、髪の色に準じて二色だ。切れ長の眼とシャープな輪郭の顔からは、他人を寄せ付けないクールさが漂っている。
「彼女は、キャネル・フェリックスといいます。まだ二十八歳ですが、この辺境伯領の騎士団長をしている実力者です」
「彼女? えっ、女性なんですか、キャネルさん」
「さようです。護衛任務の他に、ヘレナの代わりにアミさまの身の回りのお世話をするようにも頼んであります。何でも気軽にお申し付けください」
「はぁ。そうですか」
事も無げにサラッと言わないでよ、ジャンさん。不用意な発言をしたら、剣の錆にされそうじゃない。わぁ、こっちに来た。
「呼びましたか? 私の名前が聞こえたように思ったのですが」
「アミさまに、キャネルさまのことを紹介していただけですよ。口下手なあなたに代わって」
「口下手は余計だ。――キャネル・フェリックスだ。よろしく」
「こ、こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」
キャネルさんが手を差し伸べたから、私も手を伸ばした。容赦なく掴まれることを覚悟していたら、力強さはあるものの、適度に手加減をしてくれているのが伝わる、優しい握手だった。声は成人男性並みに低いし、体格も逞しいけれど、心の中には女性らしさを秘めているようだ。
そんなことを考えていたら、馬車の向こうからヘレナさんが姿を見せた。
「ウフフ。団員から鬼の団長と恐れられるキャネルさまも、アミさまには弱いんですね」
「コラ。その二つ名を出すな」
「鬼の団長?」
「えぇ。訓練において一切の妥協を許さず、たとえ新卒であろうと決して甘やかさないので、そのように呼ばれているそうです。――レオさまは、何と?」
「先にアミさまを乗せて待ってるように、と」
レオくんは、まだ出発準備が整ってないのか。忙しいんだな、辺境伯は。
「団員さんが嫌いなんですか?」
「そうじゃない。私はただ、弱音を吐く人間が嫌いなだけだ。出来ないことを求めはしないが、出来ることをやらなかったら叱るのは、上官として当然だろう?」
なるほど。必要以上に威張り散らして、恐怖で支配してるわけでは無さそうだ。部下にしてみたら厳しい上司だけど、理想的かもしれないな。信頼と人望は厚そうな予感がする。