016「ガラスの靴は必要ない」
猫脚の鏡台や瀟洒なインテリアが飾られた部屋の中央で、エマは不貞腐れた様子で頬を膨らませながら、天蓋付きのベッドのサイドに腰を下ろしている。その横に立つメイドが、頭からカチューシャを外しながら辛辣な口調で言う。
「だから、言っただろう? こんなザル作戦が成功するはずないって」
「うるさいわね、ノエル。まさか、甘草飴を持ってるなんて思わないじゃない。しかも、ニンニクが平気だなんて、反則だわ」
「ガーリックラスクを用意させるほうが、よっぽど反則だろうに。これで、負け決定だね」
「フン。仕方ないから、レオのことは諦めましょう。でも、これで勝ったと思わないことね」
「やれやれ。手に入らないなら駄目にしてしまおうという態度を改めなければ、ろくな王子と結婚できないよ、エマちゃん。あなたの倍は年を食ってる私が言うんだから、間違いない」
「なによ。ここへ来たときは、真っ黒に日焼けして狩人か山姥みたいな格好をしてたくせに、偉そうな口をきくじゃない」
「だから、あれはマルキューでプリ撮るために盛ったんだって。ていうか、昔の話を持ち出さないでくれる?」
*
ユリさんの飴が効果覿面だったようで、さっき貧血を起こしたとは思えないほど、レオくんは元気いっぱいである。
「無理をなさってはなりませんぞ、レオさま。エマさまも、お部屋に戻られたことです。我々も、客室に戻るべきではありませんか?」
「心配しすぎだよ、ジャン。僕なら、この通りピンピンしてるし、せっかく礼服に着替えたんだ。パーティーを楽しまなきゃ」
「しかし……」
「大丈夫ですよ、ジャンさん。私もついてますから」
「はぁ、まぁ、そうですね。では、これ以上、私からは何も言わないことにいたしましょう」
そう言って、ジャンさんが側を離れると、レオくんは私に向かってニッコリと微笑み、上着の裾をパパッと外側に払うと、正面に跪き、片手を胸にあてながら、もう片方の手を差し伸べて言った。
「|一緒に一曲踊ってくださいな(シャル・ウィー・ダンス)」
「喜んで」
私じゃなきゃダメだという人物がいるなんて、思ってもみなかった。しかも、それがハンサムで、勇敢で、浮気しないとあっては、恋に落ちるなというほうが無理である。
だから私は、金輪際、純粋な王子さまの愛を疑うことをやめて、素直に受け止めるとこにした。この世界に来てから今日まで、なんだか色々と学ばされた気がする。
「イタッ!」
「あっ、ゴメンナサイ」
考え事をしていたら、うっかりレオくんの足を踏んでしまった。少なくとも社交ダンスについては、まだまだ学ぶべきことがありそうだ。
読了ありがとうございます。
最後に、これまでの登場キャラクターをまとめておきます。
橋下アミ:二十一歳。日本人。これといった特技や資格は無い。幼児体型。黒髪茶眼。
ヘレナ:三十五歳。ミネット家のメイド。そそっかしい。スレンダー。茶髪翠眼。
ジャン:四十二歳。ミネット家の執事。心配性。ダンディー。白髪蒼眼。
レオ・ミネット:十四歳。辺境伯。アミに一目惚れ。ハンサム。黒髪金眼。
キャネル・フェリックス:二十八歳。ミネット辺境伯領の騎士団長。豪快。クールビューティー。右が白髪蒼眼、左が茶髪翠眼。
河上ユリ:四十二歳。日本人。旅の薬売り。元は薬剤師。ボーイッシュ。黒髪茶眼。
エマ・ルージュ:十四歳。選帝侯の娘。レオの幼馴染。グラマー。金髪紅眼
ノエル:二十八歳。ルージュ家のメイド。元ギャル。黒髪茶眼。