015「紳士淑女とクロワッサン」
翌朝。なんとかレオくんが普通に身体を動かせるようになったので、再び馬車に乗って移動を再開した。
森を抜けて門をくぐって都市に入ってからは、時折、反対から走ってくる馬車や荷車にぶつかりそうになったり、ヤジを飛ばされたりする以外は、特にコレといった問題も無く移動が進み、道も石畳に舗装されてるおかげで、乗り心地もずいぶん良くなった。
「ジャンさん。マナーらしいマナーを習ってませんけど、大丈夫でしょうか?」
「平気だよ、アミ。僕がついてるから」
「レオくんには言ってません」
「ご心配なく。私もレオさまも、出来る限りのフォローをいたします」
「そうですか。問題が起きなきゃ良いんですけど」
昼前に都市に入ってから、右へ左へと蛇行しなら徐々に山手へと進み、夕方近くになって、ようやく選帝侯の城に辿り着いた。
晩餐会は、すでに始まっていたので、私はノエルという名の黒髪茶眼のメイドの助けを借りつつ、急いで身支度を整えて会場へ向かった。会場は、絢爛豪華という言葉が霞みそうなほどのゴージャスさである。
社交界デビューなどせず、庶民として平凡に生きられればそれで良かったのに、どうしてこうも極端から極端に走るのかと、思わず場違いな考えをせずにはいられない。
「温かい料理と冷たい料理は一度に取らず、また、プレートの半分以上に盛りつけないようにするとエレガントです。それから、料理のことにばかり気を取られずに、楽団の演奏や周囲の歓談にも耳を澄ましてみましょう。余裕があれば、話し手の顔と名前を覚えたり、流行の情報を押さえたり出来ると良いですね」
「あっ、はい」
「ジャン。そんなにたくさんのことを一度に言ったら、アミが混乱するだろう。――急に話しかけれて困ったときは、お愛想に笑いながら僕のほうを向いてくれれば、あとは僕が何とかするからね。リラックスして良いよ」
「あっ、はい」
ジャンさんによるマナー講座が始まり、さっきから「あっ、はい」ばかりを繰り返していると、派手に着飾った紳士淑女の中でも、ひと際目立つ格好をした金髪紅眼のグラマーが、レオくんに話しかけてきた。私は、蠅取り紙のような縦ロールから、心ひそかにクロワッサンというあだ名を付けた。
「やっと来たわね、レオ。待ちくたびれたわ。さっ、私のお部屋に行きましょう」
「エマ。君には、僕の横にいる人物が眼中にないのか?」
エマと呼ばれた高飛車クロワッサンに手を引かれる前に、レオくんはサッと一歩下がって距離を置き、隣にいた私とジャンさんのほうを向いた。すると、エマさんは指摘されて初めて気付いた様子で、私をシゲシゲと観察しながら言った。
「あなた、どちらさまですの?」
「えーっと、私は……」
「このかたは、橋下アミさまと申しまして、レオさまにとっては、大変に大事なかたで」
「早い話が、僕の婚約者なんだよ、エマ。僕はアミ以外とは、誰であっても結婚しない」
言いよどむ私に、ジャンさんが隙の無いフォローをしていると、レオくんは大胆な宣言をしてくれた。その発言を受け、エマさんはショックを隠し切れない様子で両手を口元に当てながら驚くと、憎々しげな視線をこちらに送ってきながら言った。
「どうやって誑し込んだか知りませんけど、レオと私は、物心つく前からお付き合いしてるんですからね。レオのことを一番理解してるのは、幼馴染であるこの私ですわ」
「チンチクリンで取り柄がない私より、エマさんのほうがお似合いだと思います」
私がお世辞半分に言うと、エマさんは勝ち誇ったかのように胸を張った。レオくんが毛嫌いする理由が、なんとなく察することが出来た気がする。なんとまぁ、ライバル心むき出しで、絵に描いたような悪徳令嬢だこと。
「それじゃあ、話はまとまったようだから、向こうへ行きましょう」
「待て、エマ。君は、もし僕が猛スピードの馬車に轢かれそうになったとき、とっさに身を挺して助けるかい?」
「そんなことしないわ。馭者に止めるように叫ぶでしょうけど」
「そういうところなんだよ、エマ。その違いが、僕がエマを選ばなかった理由さ。――さぁ、行こう」
「あっ、はい」
心ここにあらずといった様子で呆然とするエマさんをその場に残し、私はレオくんに手を引かれるまま、会場を移動した。ジャンさんも、静かに三歩下がってついてきた。