この世界
「ああ、俺も元はお前達と同じ世界に居たんだ」
「あなたも?」
「……ガイアルドさんもそうなの?なんか普通に日本語喋ってるけど……」
怪訝そうに亜希が聞く。異世界という割には普通に意思の疎通ができる。元々は同じ世界の出だというロルフはともかく、ガイアルドは?
そう考えるのも当然だった。
「実はの、お前さん達が食べていたシチューの野菜にな、意思疎通を可能にする術式を込めたものがあったんじゃよ」
「そうなの。おいもみたいな奴に術がかかっててねー、翻訳おいも?みたいな風になってるんだー」
そういえば確かにシチューにはうずらの卵くらいの大きさの、芋のような食感の野菜が入っていた。
しかしそれに術が込められていて、意思疎通が可能とは。
なんと言っていいのか解らないといった体の亜希とは対照的に、落ち着いた様子の御琴。
先ほどの話では、彼女が何者なのかという事は解らなかったが、少なくとも霊力で『扉』を斬るという芸当を見せたのだ。
あちらの世界でも術などは存在するし、「そういった方面」の事をよく知っているのだろう、とロルフは推察した。
「元々異世界人用ってわけじゃない。本来は未知の場所を探索するときなんかに使うもんだがな」
「この世界は、なんというか……どんな世界なんでしょうか?」
意を決したように御琴が問いかける。
「そうだな。とりあえずここを出て、移動するのは確実だし落ち着いて話せるうちに話しておくべきかもな」
「あちらとの違いは解らんからな、説明はお前に任せるぞ」
ガイアルドは荷物からなにやら瓶を取り出すと、カップに注いで飲み始める。
「ま、仕方ないか……少し長くなるかもしれないが、聞いてくれ」
「飲み物チャージだー」
ユキが相変わらずののんびりした口調でガイアルド以外に飲み物を注ぐ。コーヒーのようなそれはあまり苦くはなかった。
「コーヒー?」
亜希が意外な顔をする。異世界と言うわりに、食べ物や飲み物は意外と口に合った。
「みたいなものだねー、おいしいでしょー?」
「はい、美味しいです」
御琴の顔にも笑みが戻った。
そして、ゆっくりとロルフが話し始める。
「この世界の事を俺は『輪界』と呼んでる。俺は、というのは、この世界自体には特に決まった呼び名がないんだ。しかしまあ呼び名があった方がいいと思って、勝手に付けた名前だ」
「『わかい』?どうして『わ』?」
落ち着いたのか、やや砕けた口調になった亜希が聞き返す。
「この世界には――」
そう言ったロルフの前に、金色のリングが現れる。
30センチくらいだろうか。あまり太くはないリングだ。
「いや正確には、この世界で生きる物は、こういう『リング』を持っているんだ。俺もいつの間にかこんな具合にリングを出せるようになってた。だから『輪界』と呼ぶ事にしたというわけだ」
「……」
「俺たちの世界と大きく違うのは文化や社会制度、色々とあるが……所謂『科学』の進歩はあまりなく『法術』という独自の技術がある点だ」
「法術、ですか」
「まあ今は詳しい話は省くが、例えばこの世界には電気をエネルギーにするという考え方ががない。つまり家電製品もない」
「えっ?」
亜希は慌ててスカートのポケットからスマートフォンを取り出す。バッテリーはまだ切れていないがアンテナは見事に圏外となっている。
「(圏外の表示ってこうなるんだ)」
今日日、町中ならば地下だろうと電波の繋がらない場所はほぼない。亜希はそれなりに都会に住んでいるし、極端な僻地へ行った事もない。スマートフォンを買って貰ったのも初めてだから、使い古しの機種をいじった事もなかった。
「そして……生きてるのは俺たち人間、動物、昆虫……まああちらの世界と同じような物も居るにはいるが、それ以外の物もいる」
「化け物の類いですか」
意外と平然と言い放つ御琴。やはり「そういった方面」の事にそれなりに通じているようだと、ロルフは感じた。
ややきょとんとした亜希を尻目に、ロルフが答える。
「化け物……というか魔物の類いだな。モンスターって言えば解りやすいか?」
「モンスターって、ゲームじゃないんだから」
亜希はゲーマーなのか、すぐに比較対象を持ち出した。実際、帰宅部で時間のある亜希は、スマホゲームが趣味の一つだった。
「ゲームじゃないが、居る所にはいるさ。しかもここは異世界だぞ……とにかく、そういった物騒な生き物もいる。あっちなら、夜中にコンビニに行っても普通の街なら特に問題はないだろうが、こっちではそうはいかない。もっとも夜中に開いてる店なんて限られてるけどな」
「つまり、危険が大きいと……」
「勿論危険なのもそうだが、単にそれだけじゃなくて、死体なんかを目にする事もあるって事だ。どうしようも無く襲ってくる魔物も居るし、人もいる」
「え……人も?」
亜希は現実に引き戻されたのか、やや怯えたように目を細める。
「勿論人殺しはしたくないし、戦いを避けようとは思っているが、そうも行かない事もある。って事は解ってくれ」
「頑張ってなんとかするからー、ね?」
亜希の後ろから、ユキが優しく手を回して抱きしめる。
温かい抱擁に少し落ち着いたのか、後ろから回された腕を抱えたままロルフに聞き返した。
「それで、あたし達はどうすればいいの?」
「とりあえずここに居ても仕方ない。街に出て……こっちの世界の服なんかを手に入れた方がいいな。そんな制服を着てたんじゃたちまち噂になる」
「……そうなるとまずい事が?」
しばらく考えた後、御琴が聞き返す。確かに文化が違う以上、こんな服はこの世界にはないだろうしそれを着ている者が居るとなれば奇異の目で見られるだろう。
しかしそれ以外にも何か意味がありそうだ、と御琴は考えた。
「まずいって程じゃないが、色々とな。詳しい事は街までの道中にでも教えてやるよ。明日明後日に帰してやる、というわけにはいかないんだ。こっちでそれなりの日数を過ごすのは覚悟しておいてくれ」
「それなりって……どれくらい?」
「最初に言っただろ、どうやったら帰れるのか解らないんだ。単純に『扉』に入れば元の世界に戻れるという保証もないし」
「えー……」
問答の末に悄気てしまった亜希をユキが優しく諭す。
「ごめんねー。でもさ、死んじゃったわけじゃないんだしなんとか頑張ってみようよ?」
「でも、お婆ちゃんになっても帰れないって事も……」
「不安なのは解るが、動けば何かしら糸口が見つかる可能性もある。なに、悪いようにはせんからやってみたらどうじゃ?」
ガイアルドの優しい呼びかけに、御琴は頷いた。
「そだね……わかった」
亜希も頷く。
「よし、とりあえず話は終わりだ。明日は朝から山を下りて街に行こう」
「どれくらいかかるんですか?」
やや不安げに御琴が訪ねる。何せここが山だという事は、昼間に外を見て知ってはいたが、民家が見当たらなかった事が気にかかっていた。
「まあ、二、三日といった所かのぉ」
「それは俺たちだけの時の話だろ。二人は『この世界』にすら慣れてないんだ。もう少しかかるんじゃないか?」
何気なくそんな話をしているロルフとガイアルドに、亜希は割って入った。
「一応聞くけど、歩き?」
「一応答えておくか。歩きだよ」
「うそー……」
明日は筋肉痛になりそうだ。
そんな事を考えていたからか、その日の寝付きは、やや悪かった。