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浮幽士シバ  作者: 下上次郎
2/2

別界の浮幽士 二


○   2


 司馬鳳仙は、山麓のなかほどにある神社の境内で、司馬李玄の帰りを待っていた。

 別界(司馬らのいる本界の下位世界。呼び名は通称である)についたのは二日前だが、李玄と鉄斎には会えぬままだ。

 李玄たちがねぐらとしているのは、太守神社という小さな社である。

 瀏帝は本界との通路を、この小さな社に築いたのだ。

 過去には別界と本界は自由に行き来をしていた。が、現在では皇家が往来を禁止して、別界に渡る術も隠匿している。

 とはいえ、犯人捕縛に協力してはいる。司馬一族の者が兄を殺した後も、瀏帝は養育掛かりであった鉄斎を信頼しているようだ。


 鳳仙は霊力を視覚と結びつけて下界の様子を探っていた。

 「五体を霊力と結びつける法」とも内界術とも呼ばれている。

 神社から眼下の道路に続く石段を李玄がのぼってくるのが見えた。どうやら鉄斎を背負っているようだ。

 また無茶をしでかしたらしい。

 鳳仙は吐息をつくと、階段を下りていった。


○   3


「何者だ!」と李玄が階上にたつ鳳仙に目を止めて言った。が、すぐに鳳仙の装束に気がついたようだ。「本界の者か? そこで何をしている?」

 鳳仙は顔をしかめた。親しくはないが、顔見知りのはずである。

「そうか、貴様デュナンとかいう契約霊だな」

 と鳳仙は言った。李玄がうなずいた。

 よく見ると、その目は青みがかっている。肌も白いようである。

 鳳仙は契約霊がつくと、浮幽士の体に若干の変化が起こるという話を思い出した。

「司馬殿は眠っておられる」

「眠っているだと? 契約霊を取り憑かせたままでか」

 そんなことをすれば、体を乗っ取られてもおかしくはない。

 鳳仙は、叩き起こせ、と怒鳴った。

 神社の戸が開いた。声を聞き付けて出てきたのは、朱仙と羌櫂である。ともに司馬一族の霊術使いだ。鳳仙は霊力で五体を高めると、すばやく李玄――デュナンに身を寄せて、唇を耳にそばよらせた。

「あの二人は司馬一族の者だ。しばらく李玄の振りをしろ」

 と言った。


○   4


 鉄斎は司馬一族の天才だから、たいていの者が手ほどきを受けている。

 朱仙と羌櫂も弟子である。

 二人は鉄斎の様子に驚いて、急いで社に運びこんだ。

 李玄の目を覚まさすのなら今の内だった。鳳仙は李玄を境内の脇につれていった。ややうつむいた李玄の目が、青から黒に変わるのを見たが、表情を変えず、「戻ったか?」と鳳仙は訊いた。

「鳳仙? なぜここに?」

 と李玄は目を一杯にして身をひいた。現在、別界にいる司馬一族は、自分と鉄斎だけのはずだったからだ。

 デュナンはすでに体を抜け出して脇に浮いている。生前は東方の騎士だった男だ。死後も金髪碧眼の姿を保っている。鎧を着込んでいるが、それが死んだ直後の姿なのだという。

 が、依り代の体質でない鳳仙には見えない。

 ――この娘、里で見かけましたな。

 とデュナンが心に語りかけてくる。李玄は鳳仙には気づかれぬようにうなずき、

 ――宗家の一人娘だよ。俺は苦手だ。

 と返した。李玄は分家の出だからろくに話したことがない。感情を表に出さない娘で、どこか近寄りがたかった。整った顔立ちだけに、実際の性格よりも冷たく見える。李玄よりも二つ若いが、霊術を使いこなすことに関しては天才である。

 李玄は疲労が重りのようにのしかかってくるのを感じた。眠気を強く感じる。

 李玄はそれを振り払って、

「皇帝一家との約定を忘れたのか? 別界に来ていいのは、師匠と俺だけのはずだぞ」

 鳳仙が李玄の口をおさえて黙らせる。意外に小さな手だった。

「お主こそ自体が飲み込めていないな。約定の期限まで三月だ。もうほとんど過ぎてしまったぞ。汪豹殿をいますぐに捕らえなければ、一族がどうなるやわからんのだ」

 李玄は口元の手をおしのけると、涙を隠すように頭をかいた。

 司馬汪豹が皇兄の玄武を殺害したのは、半年前のことだ。

 司馬一族でも飛び抜けた天才霊力者で、宮廷術士として都に召し出されていた(前任者は鉄斎)。占術の他に、宮廷の術者の育成、皇家の護衛にも携わっていた。それが、皇兄を暗殺したうえ、別界に遁走するという事件を起こしたのだから、都は天地を返す騒ぎとなった。

 皇家は異能者ぞろいの司馬一族を畏れもしたし利用もしてきたが、今度ばかりはその恐れが現実となったわけである。

 目撃者こそなかったが、現場には確定的な証拠がいくつも残されていた。宮廷での信任は厚かったが、都を抜けたことはいただけない。宮廷術師が無断で都を離れること自体禁じられているのである。

 政府では、汪豹と反瀏組織(瀏は国家名。反政府組織のこと)との結びつきを疑っている。

 鉄斎は都におもむき、汪豹の無実を主張したが、宰相たちは聞き入れない。そもそも得体のしれない霊力者自体を嫌っているのである。

 司馬一族は自らの手で同胞を捕らえ、都に護送せねばならなくなった。

 鳳仙はちらりと社をかえりみて、「朱仙殿と羌櫂殿も別界に来ている。声を抑えろ」

「叔父きもか?」

 李玄はいくぶんほっとした。朱仙は汪豹の弟だし、鳳仙とて元々は汪豹の弟子なのだ。

 長老たちが殺害の腹を決めたのかと思ったが、生きたまま捕縛することを諦めてはいないようだ。都に戻り、申し開きをすべきだと。

 鳳仙は吐息をつくと、視線を有らぬ方にやった。

「――が、羌櫂殿も一緒だ。大臣たちは鉄斎殿の遅れを疑いはじめている」

「師匠まで? なぜだ?」

「反瀏組織との関わりを鉄斎殿も疑われているのだ。言いがかりだが、司馬一族自体がつながっていると、噂する者もいる」

 と鳳仙は言ったが、この疑惑は以前から囁かれてもいた。

 ともあれ汪豹が無実ならすぐに出廷していいはずだった。鳳仙は、

「汪豹殿に会ったのか? デュナンは戦いに敗れたと言っていたぞ」

 李玄はつと目を反らしたが、

「本当だ。二人がかりだったが父上にはかなわなかった」

 そもそも二人は汪豹と戦うつもりがなかった。汪豹が本当に皇兄を殺めたとは考えられなかったからだ。都でも複数の下手人が手配されていた。

 汪豹が、罠にはめられた、とも考えられていたからだし、李玄はそう信じている。けれど――

 汪豹はそもそも聞く耳を持たなかった。

 李玄は不意打ちをくらい、危うく死にかけた。後はもう、ろくに話すことも出来ずに霊術合戦だ。

 このことの意味することは何か?

 李玄の心は千々に乱れた。疑惑が蛇のようにとぐろをまいて、胸の中をうねっている。

 唯一の肉親が、会得した霊術で人を殺したんだろうか?

 それも皇兄を殺したのか?

 李玄は下を向いて吐き気に耐えた。

 鳳仙は話をそらし、「ここは別界のどこにあたる」

「日本という島国だ」

 と思いを断つようにして額をぬぐう。

 鳳仙の後方に浮かぶ神主装束の男を顎で示し、

「そこに宮司がいる。二十年前に死んだそうだ」

 李玄、と鳳仙はさらに声を低めた。『五感を霊力で高める法』を恐れてのことだ。司馬一族は、聴覚をたやすく高めるから、気が置ける。

 彼女は李玄も知らぬ話を説明した。

「羌櫂殿は使い手には違いないが、汪豹殿にやぶれ宮仕えを逃した過去も持っておられる。お主ら浮幽士のことも快く思っていないのだ。霊に関することは口にするな」

 李玄は少し青い顔をしてうなずいた。羌櫂が怖いというよりは、過去の迫害をまざまざと思い出してのことだった。

 浮幽士の術は、浮幽霊と契約を結ぶことからはじまる。契約霊の持つ能力(デュナンであれば剣術)を五体に発現する者のことを言うのだ。

 が、今となっては禁術である。

 かつて浮幽士だったものが、能力の高い者を次々と殺し、契約霊にしてしまったことがあるためだ。

 以来、長老たちはこの体質の者が生まれることすら嫌った。修行を積んだ浮幽士は、司馬の里でも汪豹しかいない。

 李玄も表向きは浮幽士としての修行を受けていないことになっていた。デュナンという霊を従えていること自体、知る者は少ない。

 そもそも、浮幽士の術は体質によるところが多かった。霊と交信のできる霊媒の体質でなくてはならない。膨大な霊力も必要だ。普通の術士では霊力の消耗が激しすぎて、逆に体を乗っ取られかねない。そもそも素質のある者自体が少ないのである。

 李玄は幼い頃から忌み子と呼ばれ続け、孤独な少年時代を過ごしてきた。

 李玄は我に返ると、鳳仙を見た。この娘はじっと李玄を見つめている。

「皇家はなんと言ってる。父上を殺してでも連れて来いと?」

「当然だろう。皇兄を殺して蓄電してしまったのだからな」

「だから使い手のお前と羌櫂が選ばれたのか?」

 李玄は身を引いた。鳳仙の大きな目が、急に険しくなって迫ってきたからだ。

 鳳仙は李玄の目前に顔を立て、

「忘れるな。汪豹どのは私にとっても師に当たるのだ。汪豹殿が死ねばいいなどとは、里の者も思っておらぬ――皇兄を殺したのが、汪豹殿などと……間違いであればよかったのだが」

 李玄は黙りこんだ。

 汪豹は自分と鉄斎すら、殺しにかかったのだ。

「李玄、我々も困り果てている。汪豹どのが出廷せぬのなら、王宮での嫌疑を自ら認めたことになるのだぞ」

 鳳仙は苦渋に目を曇らせる。李玄がはじめてみる、感情をのせた顔だった。

 李玄は恥じ入るようにうつむいた。師匠以外で汪豹の味方についてくれる者が、他にいるとは思わなかった。

 ――よい娘ではありませぬか

 デュナンがとりなすように言ったが、李玄は答えず、

「羌櫂殿と話してみよう。父上をどう思っているのか、確かめておきたい」

 鳳仙はうなずいた。李玄はハッと黙り込んだ。朱仙が音もなく現れたからである。鳳仙も驚いて振り向いた。

 『五体を天地に溶かす法』を用いたのだろうが、鳳仙の背後をとるとは、この朱仙も相当の使い手だった。

「朱仙叔父……」

 と李玄は言った。信頼できる叔父の顔を見て、李玄は心の緊張が保てなくなった。

 父親に殺され掛かったという事実よりも、父親にすら否定されたような気がして、そのことの方が辛く感じた。

 李玄は拳を突き下ろすような格好をしたまま、とぼとぼと涙をこぼした。

 朱仙は李玄の肩を叩くと、そのまま抱くようにして神社のほうへ連れて行った。鳳仙も無言で後に続いた。


○   5


 司馬一族が暮らす山里は、里名すら伝わっていない。一族の霊力で隠されているために、場所は皇帝ですら知らないとされている。

 そもそも本界でも目にすることの少ない司馬の術者が、四人も別界にそろうのは、珍妙なことだった

 司馬の里の者は老若をたがわず霊術者である。子供の頃から霊力を練り続けるため、特異な体質者が多かった。

 その霊術の内容も謎に包まれている。学術的にまとめた者がいないため、まとまった名称も存在しない。各家で術名も微妙に食い違い、里の者でもその全体像を把握する者は少なかった。


 練り上げた霊力は様々なものに応用されるが、内容は、『外界術』と『内界術』に大別されている。

 外界術は『五大元素と霊力を結びつける法』とも呼ばれている。内界の霊力を外界と結びつける、とも表現する。

 内界術は『五体を霊力で高める法(五感を霊力で高める法をふくむ)』のことである。内界の霊力で五体を練り上げろ、と教わることが多い。

 術の応用はほとんど無限だが、李玄はどちらも苦手で使えない。

 司馬一族は独特の衣装をもちいるが、その色は白を基調に各家で装飾色が決まっている。李玄と朱仙は赤だし、宗家の鳳仙は紫、羌櫂は青。

 装束には霊力がこもるとされるが、確かに丈夫で汚れにも強かった。

 鉄斎はまだ目覚めていない。

 李玄は、これまでの経緯を、羌櫂らに語らねばならなかった。

 羌櫂は目つきの鋭い男である。李玄は、この男が、幼少のころから苦手だった。天才であることは疑いないが、自分の術を研くことにしか興味がなく、その分他人に冷たい男だ。今も、汪豹が皇兄殺害の下手人であると決めてかかっていた。

「だから、浮幽士などを宮廷にだすべきではなかったのだ。禁術となって以来、里の者でも術の実体を知らぬ。得体のしれぬ術をあつかう者が、不安定におちいるのは当然ではないか!」

「ちがう、父上ははめられたのだ」

「ならば、なぜお主を攻撃する。師である鉄斎殿を殺そうとしたのはなぜだ? 申し開きができぬのであれば、汪豹は我々の手で殺さねばならん。奴を殺したとて、皇家の怒りはおさまらぬのだぞ」

 二人が言い争う間も、朱仙は腕を組んで考えこんでいる。細身だった兄に比べるとずっと大柄で筋骨格もずっしりしている。広い顎を引き結ぶようにして唸り声を上げた。

「殺すなどと、それでは皇兄殺しが、汪豹殿の仕業と認めたようなものではありませぬか」鳳仙が珍しく声を荒げる。「今なら、汪豹殿は、下手人の一人にすぎませぬ」

「父は裁判にかけられるのか」

 李玄の声は重く沈んだ。深海のような悲しみが、押しつぶしていた。肩が下がり、背が丸まる。そんなふうにしていると彼は十五才の若者から一挙に老人になってしまったようだった。

 デュナンがそっと手を添えて、注意をひいた。李玄は小さくうなずいた。

 羌櫂はそんな李玄を横目に見ながら、

「もはや事実がどうのという話ではない。刻限は三月、もう二ヶ月が過ぎた。大臣どもは司馬の里を襲う覚悟を固めていると聞く。無実ならば宮廷に出向き、申し開きをしなければならん」と言ってから、李玄を睨み、「里の者はお前を連れて行ったこと自体を、疑問視している」

 李玄は悔しさに顔を赤らめ、頬の肉を噛んだ。霊力者として半人前なのは、自分でもよくわかっていた。なにせ霊術がほとんど使えないのだ。霊力をいまだに制御しきれない。

 霊媒の体質者は外界の影響を受けやすく、霊力のコントロールも不安定になってしまう。この体質を忌み嫌うものが多いのは、精神的に不安定な者が多いからだった。羌櫂が李玄親子を嫌うのは、なにも宮廷術師の地位を逃したからばかりではない。

「今はそんなことを申している場合ではあるまい」と朱仙がとりなす。「しかし、兄上が大人しく捕につかぬとなれば厄介だ。我々だけでは抑えられんぞ」

 と眠る鉄斎を見つめる。

「汪豹殿は本当に反瀏組織とつながっているのでしょうか」

 と鳳仙が訊いた。

「それはあるまい」と朱仙が答えた。「ならばなぜ反瀏組織に合流せず別界になど逃げたのだ」

 だけど、皇兄を殺したのでないならば、別界に来る必要もなかったはずだ――その思いがまた李玄の胸を締め付ける。

 司馬の里では、親が我が子を教えることを禁じている。だから、李玄の稽古は鉄斎が行ってきた。

 父の記憶はわずかだった。逆にそのことが汪豹の存在を大きくしていた。宮廷術師となった父親のことが誇りであり支えだった。忌み子と呼ばれても耐えられたのは、この体質すら父とのつながりのように思えたからだ。

 朱仙は李玄の思いをくみ取るように、「反瀏組織が暗殺するならば瀏帝のはず。なぜ皇兄の玄武を?」

 一同は答えあぐねて沈黙する。

「鉄斎殿はいかほどで回復する」

 羌櫂が言った。

 朱仙が、「ここは下位世界だから霊力が薄い。早くとも三日はかかろう」

「それでは遅い。そうしている間にも、都では里への軍隊を差し向けているかもしれん」羌櫂は鼻から大きく息をつくと、鉄斎のことを顧みる。「司馬一族の手で汪豹を捕らえろというのは、瀏帝の温情に他ならん。が、鉄斎殿が亡くなれば、その温情も失せよう」

「そんな言い方は……」

「李玄、今は一族存亡の危機であることを忘れるな」

 と羌櫂。里に残っていただけに現状がわかるのだろう。鳳仙と朱仙は同意するようにうなずいた。

「汪豹が戦いを望むのなら仕方あるまい。奴を封じて都に護送する他ない」

 羌櫂が内心の焦りを隠すように手を組んだ。汪豹ほどの術者を生かしたまま捕らえるなど不可能に近い。

 ――司馬殿

 とデュナンが言った。

 李玄も顔を上げてお堂の外に目線を向けた。何者かが結界をやぶるのを感じたのだ。三人の術者も異変を感じたらしかった。

 鳳仙がすぐさま鉄斎に飛びついた。

 羌櫂が膝をたてつつ、霊剣を手元に引きつける。

「汪豹か」


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