第69話:セバスチャン
大変御待たせ致しました。
「死んだ?」
「ええ、死体が見つかりました」
屋敷へ戻った翌朝、食事をしながら受けた報告にリリアンヌは眉を顰めた。
干し肉の濃い旨味が染み出したスープを啜りながら、疲れの残る身体で思考を巡らせる。
「そもそも脱走したという報告自体を未だ受けていませんが」
脱走の可能性は当然有り得たのでそこは不思議に思っていない。邪教徒ならば仲間がいるだろうし、手引きをすることもあるだろう。最悪、邪神の加護もある。
だが調査隊がファルスを追跡して処分したにしては早すぎる。
「発見したのは誰です?」
「…………」
「セバス?」
当意即妙が常の従者が、一瞬黙った。
ただの報告で詰まるようなセバスチャンではない。そして……無言で通すような臆病者でもない。
「リリアンヌ・ル・ブルトン様」
畏まった口振りに、リリアンヌも匙を置いて姿勢を正す。
「この後、少しお時間を頂きたい」
「ええ構いませんよ。……では早めに平らげてしまいましょうか」
「そうですな。食べ過ぎないようにお気を付けを」
「ふふ、分かってますよ」
僅かな緊張を孕んだ会話。しかし嫌な気持ちはしない。セバスが何かを決心したのなら受け止めてやるのが主人の勤めというもの。
この後何があるのか少しだけ楽しみに思いながら、リリアンヌはパンを千切って口に運んだ。
「準備は宜しいですかな」
「いつでも」
朝食を終えて片付けをカロルに任せた二人は、庭に出た。
セバスはいつもの侍従服。空の右袖が風に小さく揺れている。
対面するリリアンヌは……厚手の布服に革ベルト。そして宝剣と短剣。
「戦闘用の装備ですか」
「合ってるでしょう?」
「当然」
二人、小さく笑う。同時に背後へ一歩ずつ。
リリアンヌは両の剣を抜き構え、セバスは腕をだらりと下げて立つ。
「行きますよ」
セバスが宣言する。
「いつでもどうぞ」
リリアンヌも静かに身構える。
両者、静止。
戦闘ならば積極的に攻めるのがリリアンヌのスタイルだが、今回は『会話』だ。
相手が語ろうというのに、話す前に畳み掛けるのは野暮というもの。先手は譲り、受けに回る。
リリアンヌがセバスについて知っていることは、驚くほど少ない。
両親の代からこの家に仕えていること。隠形が得意であること。執務ができ、政治にもそれなりに明るいこと。趣味だか仕事だか分からないが日常的に主人を不意打ちすること。そのくらいだ。
出自どころか年齢も知らないし、過去何をしていたのか全く聞いたことがない。当然どのような戦い方をするのかなど知る由もない。
ただ家族として大切な人であり、彼もまた大切にしてくれていることは確かだ。
向かい合って十を数えたあたりで、リリアンヌも些か困惑を隠せなくなった。
まるで動く様子がない。武器を出すでもなく、魔力を練るでもなく、ただその場で樹木のように立ち尽くすのみ。
こちらの動きを待っているのだろうか……そう考え様子見に動こうとした時、緩く風が吹いた。
庭の木々がざわざわと揺れて下草はさざめく。リリアンヌの服も小さく揺れてセバスの空っぽの袖が―――動かない。
気付いた瞬間、背筋を悪寒が走った。直感のままに魔力を高める。
「『炎よ、巻け』っ!」
自身の周囲を巻くように炎の蛇が走る。真上を除いて一薙ぎしてみれば、
「おっと危ない」
”目と鼻の先にいたセバス”が炎を避けて飛び退いた。
追って踏み込み、右剣を袈裟に振るう。
腕のスナップで走る一閃は、セバスが左手に握る短剣に弾かれた。
とん、と軽やかにステップを踏むセバスに対してリリアンヌは距離を積めんと駆ける。
「今のは……!」
「ちょっとした小技ですとも」
あんなものが小技であってたまるものか。
セバスが仕掛けたのはファルスがやっていた惑乱と同じ。対敵の認識を欺き、気付かれぬままに接近する。
服を揺らす風が吹かなければ気付かなかったろう。
セバスが動いていることも、短剣を何処からか抜いていたことも、一切気付かなかった。間違いなくこれは―――
「同門か!」
「私が師で、彼が子でした」
意図的に主語を抜いたが、セバスは察して返答する。
セバスからは未だ魔力の気配を感じない。それどころか、戦闘機動においては避け得ないはずの動きの力みすら見て取れない。音もしない。
疾走しながらの突き込み。右の肩口を狙った一撃も受け流される。
「養子に引き取って育てたのですが、才能溢れる反面手のかかる子でしてね」
セバスは返す刀で短剣を投擲。腹を狙った低めの一発を、左手の短剣でなんとか弾く。
「私の教育が悪かったのか……家出して行方知らずで」
もはや様子見をしている余裕はない。魔力炉を回してリリアンヌも本来の戦闘機動へと入る。
風の壁を踏んで跳び、立体的な動きで更なる択を迫る。
しかしセバスの動きを上手く捉えることができない。侍従服に隠せるような短い刃で、片手剣も分厚い短剣も受け流される。牽制で魔法を放ってもすんでのところでひらりと躱される。
剣という武器は振れば広い範囲を斬ることが出来る……というものではない。
無論柔肉を切り裂くだけであれば何処でも当てるだけでいいし、一寸斬り込めば手も足も上手く動かなくなり、首ともなれば死が見える。
しかし防具を着けて戦ったり得物を握った者同士が切り結ぶとなれば違ってくる。
刃といえど根本では布地を斬るのも難しい。剣としての機能が十全に果たせるのは先端からの僅かな長さだ。角度も真っ直ぐでなければならない。
それを行えるからこそ剣士は剣士たり得るのだ。
セバスが行っている戦闘はその悉くを『外す』もの。
真っ直ぐ切り込む長剣に対して、短剣をまともにぶつければ当然短剣が弾かれる。ほぼ腕力で受ける短剣と遠心力をもって振り回される長剣では籠められたパワーがまるで違う。
それをセバスは避ける。
ギリギリ届かない位置へ下がったり、逆に間合いを詰めて力が入り切らない剣の根本で受けたり、力を受けないよう角度を変えて流したり。
最初からそのつもりだと分かっていればこちらも動きを変えればいいのだが、振り切って当たる寸前では剣を曲げることは難しい。
追えば去り、退けば迫る。セバスの掌の上で踊っているような錯覚すらある。
「―――ははっ」
刃を重ねていくうち口端が上がる。
金属音を奏でて汗が散り、革の装具に小さな切り傷が増える。
外され続ける剣戟を強引に制御してセバスに追い縋るリリアンヌを見て、セバスもまた少しだけ口を歪めた。
「如何ですかな、リリアンヌ様」
「決まってるでしょうじいや!」
突き込まれる短剣に髪を数本舞わせながら応じる。
「―――楽しい!」
「そう仰ると思いました」
好奇心の強いリリアンヌにとって未知は楽しみだ。それが例え刃のやり取りであろうとも。
捉えられない体術も、巧妙に力を誘導する短剣術も、そしてそれを実現するに必要な眼力も、これまでのセバスがずっと隠していたもの。
それを目の前にこうして晒してくれる喜びと、身を以て体験できる楽しさは格別だ。
一度下がって大規模な魔法攻撃を行えばきっと倒すことはできる。
だがそれはしない。魔法は牽制程度に留め、あくまで剣での攻略を挑む。
短剣一本で良いように転がされるのは癪であるし……何よりセバスがそれを望んでいる気がしたから。
「ふッ!」
右の長剣を肩に担いで振り下ろせばセバスは短剣でそれを受け流す。
同時、左の短剣を突く。
「む……」
くるりと身体を回してセバスは下がる。
セバスは隻腕だ。短剣は一本しか握れず、短い得物ではカバーできる範囲が狭い。必然的に右半身はカバーが甘くなる。
それでも容易には隙を晒さないのが彼が強い証拠。しかし揺さぶり続ければいずれ隙は生まれるし疲労もこちらより大きいはずだ。
強い部分を押し付ける。戦いの常道である。
「よっ、はっ!」
「むぅ」
左右上下、特にセバスの右側を重点的に狙っていく。
下がろうとする彼に食らいついて逃さない。仕切り直す余裕を与えたら、崩されるのは技量に劣るこちらだ。
全力で前に出て剣を振る。長剣を受けさせて短剣で攻める。
下がるセバスが庭端の木立に差し掛かった。セバスも気付いたのか背後にちらりと目を配らせる。
樹木はまばらだが背を向けて下がるには些か不都合だ。
対してリリアンヌは正面を向いているため苦にはならない。
「おらぁー!」
昂ぶって雄叫びを挙げながらリリアンヌは長剣を振り下ろした。
セバスのことであるから無防備に一太刀入るということはあるまい。しかし避けるには狭く、受けても左の短剣が待つ。これで決着だ。
避けられぬ長剣の一撃をセバスは短剣で受け―――
「へ?」
長剣は”狙い通り”短剣を叩き落とした。
受け流すのでもなく躱すのでもなく、長剣に叩かれるままに短剣が落下する。
手応えは軽い。まるで握っていなかったかのように。長剣に籠められた力は余り、リリアンヌの身体を傾がせる。
しまった、と思うも遅い。
するりとセバスが懐に潜り込んでくる。
掌をそっとリリアンヌの腹に押し当て……ここで初めて魔力を揺らがせた。
「覇ッ!」
「か……!」
意識が激震した。
全身を地面に叩きつけたような衝撃と、馬車の酔いを何倍も激しくしたような吐き気に襲われ、たまらず膝を突く。
俯いて動けないリリアンヌの肩を、硬質なものがコンコンと叩く。
「決着ですな」
ゆっくりを首を持ち上げれば、目の前に立ったセバスがリリアンヌの肩を短剣の腹で叩いていた。そのまま横に振り抜けば秒と経たずにリリアンヌは亡き者となる。
無論そんなことはしないのだが。
音もなく短剣を仕舞うセバスに嘆息しつつ、ゆっくりと立ち上がる。
「……負けました」
「勝ちましたな」
二人揃ってくつくつと笑う。
「今の技は……魔力で私の身体を叩いたのですか?」
「少し違います」
セバスは掌を見せて、再び魔力を湧き上がらせた。
「魔力を励起させている時、こうして魔力を全身に満たしています。リリアンヌ様もそうですね?」
「ええ、普通のことですね」
理由は幾つかある。
まず一つは、いつでも魔法を行使できるようにするため。魔力を瞬間的に漲らせるのは非常に難しく、出力も不安定になりやすい。身体への負担も大きくなる。
もう一つは魔法に対する防御力を得るため。魔法とはマナの動きであり、魔力はマナを操る力である。故に魔力の塊に対してはやや魔法の効きが悪い。あくまで保険で、素で喰らうよりはマシ程度のものであるが。
「身体に魔力が満ちている状態は、例えるならば布袋に水が詰まっているようなものです。
ただ押したり叩いたりしてもただ揺れるだけで空っぽの時と代わりは無いのですが、中の水を上手く揺らしてやることが出来れば……」
「袋全体が激しく振動する?」
「左様」
セバスの魔力によって揺れ動いたリリアンヌの魔力はその肉体に影響を与え、物理的に全身を揺さぶられたのと同じ状態となった。それがセバスが使った技の正体ということか。
マナを操作する魔法ではなく純粋な魔力を用いた戦技。こんなものがあったとは。
「じいやは、これを教えてくれようと?」
「教えはしますが、使える必要は無いかと考えております」
ひらひらと掌を振ってみせる。
「リリアンヌ様にはこれから、私が扱える技を何度か受けて頂こうと思います。そして如何なる術理によるものかを理解して貰いたい」
成る程、とリリアンヌは得心する。
知らぬ技と知る技では相対したときの脅威度がまるで違う。
今後、セバスのような妙技を持つ相手と遭遇した時のことを考えてのことだ。
「教えて頂けるのなら是非。……しかし良いのですか。これまで隠していたのでは?」
「何、全てを教えるとは申し上げませんとも」
奥の手はまだある、ということ。
なんとも食えない侍従だ。流石はル・ブルトン家に仕える者である。
「では遠慮なく見せてもらいましょう。だけど甘い技だったらその場で叩き返しますからね」
「その意気で御座います」
長剣と短剣を拾い上げて構えるリリアンヌに対して、セバスが深々と一礼して。
「―――始めますよ」
「ぐべっ」
知らぬ内に背後へ回っていたセバスがリリアンヌの後頭部を叩くと、面食らったリリアンヌは無様に地面とキスするのであった。




