第68話:昏き場所の逢瀬
Tips:リリアンヌも転生前の記憶保持・魔法適性高という一種の加護持ち。
順調な旅程で屋敷へと帰り着いたリリアンヌを待っていたのは。
「……なにか言うことは?」
「申し訳ありません……」
門扉で仁王立ちするレオナルドに、深く頭を下げて謝罪する。
「ん」
差し出された掌に、懐から取り出した包みを乗せる。ずしりと重いそれは、無断で持ち出した領主印。
包みを開いて無事を確認すると、ようやくレオナルドは安心したように息を吐いた。
「怪我はないか?」
「あ、はい。大丈夫です……けど……」
「ならいい。―――食事の準備をしてもらっている。疲れたろう。今日はゆっくり休むといい」
そう言い残して屋敷へと戻ろうとするレオナルドの裾を反射的に掴む。
「あ、あの……怒らないのですか?」
「怒ってるよ」
言葉と裏腹に、苦笑しながらレオナルドが言う。
「いつもの場所から領主印が消えてたからそりゃあ焦ったよ。なるべくなら持ち出さないで欲しいし……君が何日も戻らなくて心配した
んだからな?」
「重ね重ね申し訳ない……」
「でも、こうして無事に戻ってきたからもういい。あとは二人にみっちり叱られること。……さ、行こう」
「ばあやは、怒ってるでしょうねえ……」
「そりゃそうさ」
二人連れ立って門扉を潜れば、いつもの鉄面皮でセバスが迎える。
「お帰りなさいませ。お怪我は?」
「ちょっとだけ。治療はしましたので、すぐ治りますよ」
やや無茶な魔法行使を行ったため節々に違和感があるし、殴られ蹴られと痛む箇所もあるが、大怪我というほどのことはない。
その答えにセバスの眉が跳ねる。
「難敵でしたかな?」
「加護持ちでしたよ。高速再生と……あれは五感を狂わせるものですかね。なかなか厄介でした」
「―――五感を?」
「ん?」
その言葉に僅かな違和を覚えて、セバスに顔を向ける。しかしいつもの平静な顔が映るだけだった。
「…………詳しくは、後ほどお伺い致します。今はゆるりとお休みを」
「あ、ああ。そうさせて貰います」
どちらにせよ相談するつもりだったので、すぐに引き下がる。
そのまま三人で食堂へ向かい……カロルにガミガミと説教を食らいながら食事をして、その日はレオナルドと主に早々に床へと入った
。
草木も眠る夜闇の淵。
静寂を押し退けるように、茂みを掻き分け一人の男が歩いていた。
「くそっ……くそっ……あのガキ……!」
上等な仕立てだったのだろう服は無惨に破れ、薄汚れている。端麗な容姿も怒りと屈辱に歪んでいては台無しだ。
しかしそんなことは欠片も気にした様子を見せず、ただ情動を滾らせて男は―――幽閉されているはずの、問われてファルスと名乗っ
た男は歩いていく。
「―――あった」
街道を避けて山中を歩くファルスは、茂みの隙間から見えた光景にほくそ笑んだ。
丘から見下ろす平地。僅かな月明かりに照らされた屋敷の屋根。
ル・ブルトン男爵邸である。
「ヤツは戻ってるか……?
いや、どっちでもいい……居れば奴隷にして跪かせて殺してやる……居なければ家族を皆殺しにして、その後にヤツを……?」
爛々と輝く瞳でぶつぶつと呟くファルスは、ふと足を止めて周囲を見回した。
「―――誰だ」
誰何。
答える声はない。だがファルスは確信していた。
誰かが自分を見ている。
ざわり、ざわり。風が微かに枝葉を揺らす音だけがする。
ファルスが身構えて数呼吸。それを見てか、夜闇より一つの影が姿を現した。
「―――――久しいですね、ツヴァイ」
滲み出るように現れたのは、執事服を身に纏った隻腕の老爺。
ル・ブルトン男爵に仕える使用人のセバスチャンであった。
「お前は……アインか!?」
「その名で呼ばれるのは久しぶりです。ですが、仮にも養父を『お前』呼ばわりはいけませんな」
「その腕はどうした。老いたか?」
「まあ、そんなところです。私ももう一線を退く頃ということでしょう」
やや親しげにも、敵対的にも思える口調でファルスは話しかける。
「……何故お前がここにいる?」
「それはこちらの台詞でしょう、ツヴァイ。貴方はオーバンの街に拘留されていたはず」
「ハ、相変わらず耳聡い。神の助けで逃げ出してきたのさ」
ふむ、とセバスチャンは一つ頷く。
「で、どうして此処に? 隣国にでも逃げますかな?」
「そこまで知ってるなら解るだろう。報復だよ」
「まあそんなところだろうとは思いましたとも」
セバスは現れた時の姿勢のまま直立。
ファルスはいつでも動けるよう、軽く前傾して静止。
視線が交差する。
「生憎と、彼女は今の主でして。義息子とはいえ見逃すわけにはいかないのですよ」
「―――ハッ、お前が雇われだと?」
「ええ、身の回りのお世話をしております」
「人殺しではなくか?」
一瞬の無言。
「……………本当に邪魔をする気なんだな。昔も今も」
「そうですね、ツヴァイ。貴方は昔から本当に優秀で、手のかかる子供でした」
セバスが僅かに目を眇める。
それを隙を見て、ファルスが仕掛けようと足に力を込め―――
「―――――ガッ………?」
一切の身動きが取れずに呻いた。
全身をギリギリと締め付けられて声すらまともに出せない。
混乱するファルス―――ツヴァイを前に、先程から変わらぬ調子でセバス―――アインが語る。
「僅かな動作の複合で五感を狂わせる技も、隠形も、体術も、貴方は本当にするすると飲み込んでくれましたね。まさしく天才児……い
ずれ私の後を継ぎ、陰ながら王家へ仕える筈の子供でした」
首も回せぬ中で必死に目を動かしたツヴァイは、月明かりに照らされたそれを見る。
微かに月光を反射する細い細い糸。金属で作られた特別性の鋼糸。
それがツヴァイの全身をきつく締め上げていた。
「しかし貴方は力を得るたびに増長していった。本当に手を焼きました」
いつ仕掛けられたのか。考えるまでもない。
ツヴァイが動きを止めた時―――即ち、アインが姿を現す前には既に糸が仕込まれていたのだ。
あるいは、ツヴァイが気配に気付いたときには既に―――
「私を嫌い、逃げ出した貴方を本気で追跡しなかったのは間違いでした。
……私が止めなければならなかった。あの時止めていればこんなことにはならなかったでしょうに」
アインの手が僅かに動くと、糸は更に締まって肉まで食い込んでくる。
傷はすぐに治るが糸は食い込んだまま。もはや離脱など叶うはずもない。
「この糸、見たことがないでしょう?
私がほんの僅かな仕事でだけ使う、とっておきなんですよ。これを使った相手は……誰一人としてこの世に残っておりませんのでね」
ああ、と嘆くように息を吐いた。
「―――もっと早く、こうしなければならなかった」
アインの手が大きく動くと同時、糸は勢い良く滑り―――ツヴァイの全身を骨ごと寸断した。
能力の起点である脳ごと全身を分解されたツヴァイは、もはや物言わぬ肉片でしかなく。
再生しなくなったことを確認したアイン―――セバスチャンは、緩く月を仰いだ。




