第66話:最高に頭の良い戦法
「おおおおおお■■■■■■■―――――ッ!」
リリアンヌの喉から人ならぬ人の咆哮が迸る。
魔力を乗せて音波を増幅させた、竜の咆哮の模擬。本家には及ばぬが、それでも強烈な音圧が室内を満たす。
「ぐ、う……!?」
突然の耳を劈く咆哮に、ファルスの身体が傾いだ。
その瞬間、ファルスの立ち位置が変わった。正面から、リリアンヌの右斜め前に。
―――これがファルスの仕掛け。
どんな仕掛けなのかはリリアンヌには分からない。何をされたのか、どうすれば突破できるのかも分からない。
ただ何らかの手法により、リリアンヌの認識を歪めていたのだ。
ファルスは瞬間移動していたのではない。
移動していないように感じさせていたのだ。
魔法でないとすれば神の加護か、あるいは純粋なる絶技によるものか。後者であればなるほど、彼は天才と言っていいであろう。認識をずらすなどそうそう行えるものではない。
だがそんなものはリリアンヌには関係ない。
「ガアアアアアアッ!」
魔力を全開で迸らせて左の短剣を振り上げると、そこに炎が生まれる。
そのままファルスの見えた方向へと炎剣を薙いだ。
「うわあっ!?」
リリアンヌの正面から右側にかけて放たれた大きな炎を、ファルスは間一髪で避ける。
速い。リリアンヌの戦闘機動に伍するか、あるいは上回るかもしれない。
だがそれもリリアンヌには関係ない。
「オオオオオオッ!」
右の宝剣から暴風が吹き荒れる。見えぬこれは流石に避けられず、ファルスは壁に叩きつけられる。
そして次に放たれるは左の宝剣からの巨大な水球。
全力で回避機動をとったファルスは間一髪でこれを避ける。破砕音と共に部屋の壁がごっそりと抉れた。
「■■■■■■■―――――ッ!」
立て続けに咆哮が襲う。一瞬動きを止めたファルスをリリアンヌは思い切り蹴り飛ばした。
血の混じった唾を吐きながらファルスが駆け出す。
その行く先には動くに動けず立ち竦むカトリーヌの姿があった。
「っ、止まれ! この娘がどうなってもがぼぉ」
カトリーヌに触れる前にリリアンヌが追いついてその顔面に裏拳をめり込ませる。
リリアンヌの基本的な戦闘スタイルは、両手の二剣と風魔法を用いた立体高速機動である。
女性としての小柄な体躯と無尽蔵の魔力を活かした戦法と言えよう。
ともすれば勘違いされがちであるが、リリアンヌは技巧に優れた戦士ではない。
並の騎士に勝てるくらいには優れているが突出して上手い訳ではない。
小柄な身体もあり、魔法抜きで剣士として打ち合えば互角といったところだろう。
魔法使いとしても、高い魔力と広い属性適性を活かした手数の多さは長所であるが、これもまた技巧に優れているわけではない。
機動力を重視しているため実際の戦闘ではむしろ荒いくらいである。
年齢がまだ若く戦闘経験も多くはないため、駆け引きに強いわけでもない。
では何故、荒い戦い方になるのを承知で機動力重視の戦闘スタイルを選んだかと言えば、それは力押しで勝てない相手を想定してのことである。
例えば勇者ヨシヒコのように力で上回り魔法も通じない相手の場合、機動力で上回って先手の有利を奪うしかない。後手に回れば押し潰されるからである。
粗が多少あろうと、速度と火力を両立できる今の戦闘スタイルはリリアンヌの性に合っているのだ。
機動に魔力を多く割り振っている関係上、火力が若干落ちるのが玉に瑕だが。
動く必要なく、力で制圧出来る相手ならば―――リリアンヌの敵ではない。
「オオオオオオオオッ!」
「ぐ………まるで、獣……!」
吹っ飛んだファルスに更に追撃をかけるリリアンヌ。
ファルスが懐から小さな短剣を投射するが、それはリリアンヌを中心に渦巻く風に逸らされて床に落ちる。
その短剣を走りながら拾い上げ、返すようにファルスの掌へと突き刺した。
「ぐああああっ!」
悶絶するファルスを踏んで立ち上がれないようにして、更に足を剣で刺す。
これでそうそう動けまい。
「フウウウウウ………決着です。降伏するなら命までは取りません」
魔力の陽炎を揺らめかせ、リリアンヌは降伏を勧告する。
事ここに至っては、先程のような認識阻害も意味を為すまい。触覚までは誤魔化せてないのは殴られた時に解っている。
彼の認識阻害はこうして組み伏せていれば機能しないのだろう。
「今ここで殺されるか。降伏して調査団に突き出されるか。……まあ聞きたいことは山程あるので殺しはしませんが―――」
ひとまず縛っておくか、ファルスの服を剥いで紐代わりにしようとして。
「くそ、舐め、るなよ……阿婆擦れが……!」
「おお?」
刺したはずの掌から短剣が落ちる。そこには塞がりかけの刺突痕。
見れば、突き刺した足の傷も塞がり始めている。
「再生!?」
「そう、だ……この……があああああっ!」
言葉を待たずして剣を閃かせ、両手を半ばで断ち切る。
痛みにのたうつファルスの身体をしっかりと踏みつけながら観察。
「……参ったな。けっこー速いぞ」
両腕の出血は数秒で止まり、みるみるうちに肉が盛り上がってくる。この速度なら腕が元通りになるまで一分とかかるまい。
両手がフリーになったら困るので再度、今度は肩口から落とす。
「ぎあああああ、うで、う、うで……っ」
「どうしよう。腕力は普通だけどここまで再生速いとな……縄だと身体壊しながら逃げられるかな……外套で巻いてしまうか……?」
ファルスの顔が恐怖と驚愕に染まっていく。
「な、なん……なんで……っ!」
「何で、ってなんで驚かないのかって言いたいんですかね。驚いてますよ。こんな勢い良く再生されたらたまったもんじゃない。……ああでも生かして捕まえるには楽なのかな」
神の加護なのであろう。再生強度だけならあの勇者ヨシヒコも超えている。
何故こんな男に与えられたのかは分からないが、厄介だ。
だがそれだけの話。
「腕力も並。魔力も、まあここに至って魔法に頼らないあたり得意ではないんでしょう。さっきの惑乱と再生能力だけは面倒ですが」
面倒だな、と思いながら両脚も落としておく。
死なれては情報を引き出せないのであまり損傷を与えるのもいけないが、腕が元に戻るなら脚も大丈夫だろう。
「腕力は人外、範囲攻撃は防御不能、捕縛能力持ちで再生する相手よりはよっぽど楽ですよ」
リリアンヌは、かつて勇者ヨシヒコを殺さんと思索を重ねたことがある。
腕力はどれほどか。速度は如何程か。魔法は使うか否か。
隠された能力はないか。身体の強度は常人と同じなのか。
考えうる限りの能力の中に、当然ながら再生能力も含まれている。
治癒の活性化、状態の復元、時間の遡及、自動か任意かなどなど……再生と一口に言っても色々なアプローチが考えられる。再生速度も色々だ。
対策を練り続けたリリアンヌにとって……単に再生するだけの相手など恐るるに足らず。
「外套、これでいいか。
……あなたのその力、暗殺術なんでしょうね。初手が打撃じゃなくてさっきの短剣ならあなたが勝ってましたよ」
完全に戦意を喪失しているファルスを念入りに巻き上げ、きつく縛る。
「ありがとう。―――弱くて」




