第65話:闇からの来訪者
大変おまたせ致しました。
がたんっ!
「な、何事です!?」
部屋の主の誰何を聞き流し、リリアンヌはさっと周囲を伺う。
広い部屋だ。ぼんやりと揺れる蝋燭の明かりに照らされた室内には、リリアンヌと部屋の主のみ。
明かりの届かぬ端もあるが、気配は無し。
それを確認すると、ぴしりと立ち上がり軽く頭を下げ。
「窓から失礼。スネイル子爵の御息女、カトリーヌ様とお見受けしますが」
「な、何ですか貴女は! 私がカトリーヌだったら何だと言うのです!?」
「ああ、顔は御存知でない? それとも暗くて見えませんでしたか?
―――私はリリアンヌ・ル・ブルトンと申します。用件は分かりますね?」
名乗りを聞いた部屋の主―――カトリーヌは明らかに瞠目した。
「なっ―――貴女は領地にいるはずで……っ!」
「おやおやよく御存知で」
はっ、と気付いたように口を押さえるが、既に遅い。
やはり彼女だ。ル・ブルトンの屋敷に刺客を差し向けたのは。
もしかしたらゴート・カメルと共謀もしていたのかもしれない。
「先日は、貴女の遣いにお世話になりまして。直接お礼に伺った次第です」
皮肉混じりにそう口にすると、カトリーヌは強気を作って答える。
「な、何を根拠にそんなことを……何故、私が貴女を暗殺する必要があるのです?」
「おや……暗殺などとは一言も申し上げておりませんが?」
「ぐうっ……」
苦虫を噛み潰したように唸る。
少々煽りすぎたようだ。こちらも皮肉はやめにしよう。
「御安心下さい。別に貴女を捕まえに来たわけではありません」
何しろ証拠が無い。
どうも陰謀慣れしてないこの令嬢のことだから、調査を行えばボロも出るだろう。
だが調査団は今頃オーランド公のところを出立したかしてないかの段階。現時点で、リリアンヌの一存での捕縛は出来ない。
カトリーヌの元に直行したのは、半ば以上勘働きだ。
普通ならばスネイル子爵のことを疑うであろう。調査団もまずはそちらを調べるのが常道だ。
「何故私を狙ったのか。それだけを聞いておきたくて参じました」
捕まえない、と言いつつも確信は抱いている。そのことはカトリーヌにも理解出来たのだろう。
悔しげな表情で口を開く。
「………貴女が、対帝国の協調路線を支持していることは知っています」
「協調……まあそうですね」
元戦争相手との貿易を主張したのだから協調には間違いない。
「式典での工作も、貴女がいなければ成功していたと聞きました。それでは不十分ですか?」
「分からなくもないですが」
作戦を阻まれたことへの、報復攻撃。それなら理解は出来る。
出来るが。
「それだけではないんでしょう」
「…………何故そう思うのです?」
訝しげなカトリーヌにその言葉をぶつけた。
「貴女は、私と同じく―――帝国に家族を奪われているからです」
カトリーヌは、はっとしたように顔を上げた。
ようやくこちらをしっかり見たな。
そう思いながら言葉を続ける。
「どうして殺されたのかは分かる。死ぬ可能性があったのも知っている。生きて帰ってくる可能性の方が高かったとしても、少しの不運で死んでしまう……それが戦争に行くということ」
リリアンヌも目を逸らさない。
「誰が悪かったのかも知っている。誰が悪くなかったのかも知っている。悪かった”誰か”はもう報いを受けたことも理解してる」
息を、大きく吸う。
「でも」
でも、だ。
「大切な人を失った哀しみは……そんなことじゃあ収まらない」
二人の瞳に宿る炎は、きっと同じもの。
喪失の哀しみと―――怒り。
「勇者とやらが憎い。帝国が憎い。復讐……彼に、彼らに、復讐してやりたい」
憎悪の炎で全てを焼き尽くしたい。
この手で、肉親の仇を縊り殺してやりたい。
だってそうだろう?
憎き仇と、愛する家族の命が、等価なわけがないじゃないか。
「……憎いに決まってるじゃないですか」
リリアンヌの言葉に呼応するように、カトリーヌは言葉を溢れさせた。
「あいつらが弟を殺したんですよ……あいつらが……帝国の奴らが……!」
感情は昂ぶり、満ちて、溢れ出す。。
「殺したい。あいつら全員殺してやりたい! 当たり前じゃないですか!」
「ええ、当たり前です」
リリアンヌも無表情に肯定する。
「それを貴女は……あいつらと手を取り合って商売しようだなんて、受け入れられるわけないじゃないですか!?」
吐露される感情を、リリアンヌは当然のものとして受け止める。
「なんでそんなことが出来るんですか! 貴女も両親を殺されたんでしょう! 仇を討ってスッキリしたとでも!?」
「……だから私を亡き者にしようと?」
「帝国の奴らを庇うなら、貴女も敵よ!」
激情に駆られている。そうとしか見えないだろう。
否定はしない。これは彼女の感情だ。
それをそのものとして受け入れて、リリアンヌも言葉を紡ぐ。
「私は、帝国の勇者とやらに両親を殺されました」
彼女は知っているだろう。その事実を。
だが彼女は知らないだろう。何があったのか。何を思ったのか。
「子供の頃から世話をしてくれたじいやは右腕を落とされ、立ち向かった私は敗北しながらも見逃される屈辱を受けました」
カトリーヌは僅かに驚いた様子を見せた。
「悔しかった。憎らしかった。殺したかった。―――だから卑怯卑劣を駆使して仇を討ちました」
「……満足ですか?」
「そんなわけがないでしょう」
先程のカトリーヌのように、リリアンヌも感情の枷を外す。
溢れ出すどす黒い感情で胸を一杯にする。
「もう一度殺したい。二度殺したい。三度殺したい。殺しても殺しても足りない」
あんなやつと両親の命が、傷付けられた家族が、釣り合うわけがない。
「謝っても償っても死んでも、両親はもう還ってこないんです。許せるわけがないし、許す理由もありません」
だから。
「私は、彼に復讐し続ける」
「復讐……し続ける?」
そうだ。
「彼は……帝国の勇者は。王国の農地を奪って帝国の民を潤そうとしていました」
「帝国はずっと言っておりますわね……それで?」
「そんな魂胆は踏み躙ってやる」
そんな行動は無駄だったと地獄で思い知らせてやる。
「奪わずとも帝国は救えたと。傷付けずとも帝国は守れたと。殺す意味なんて何もなかったんだと、彼の全てを否定してやる」
ヨシヒコの余計な行動のせいで帝国兵は死んだ。
ヨシヒコの余計な行動のせいで帝国民は屈辱を受けた。
ヨシヒコの行動が実を結ばずとも帝国の目的は達成された。
「私は、八つ当たりなんてしない」
全ての恨みは仇に叩き付ける。
その人生を無為にするまで復讐は終わらない。
「全ての人が、あの戦争の犠牲は無駄だったと……そう受け入れさせることが私の復讐」
リリアンヌの激情に当てられ、カトリーヌは呆然と立ち竦んだ。
その様子を見てふっと肩の力を抜く。
「……それに、私が復讐鬼になったら両親が哀しむでしょうから」
あの優しく真摯な二人ならば、無関係な人を殺すことは望むまい。
目には目を。歯には歯を。首の報いはその者の首だけに留めておくべきであろう。
じっと話を聞いていたカトリーヌは、力なく首を振った。
「私は、そこまで割り切れません」
しかし、と言葉を続けて。
「弟は優しい子でした。……非道を働くことを、善しとはしない子でした」
想いを床に落としてカトリーヌは沈黙した。
それを見て、リリアンヌも窓へと下がる。
「数日中に、事件の調査団がこの館を訪れるでしょう。スネイル子爵を想うなら、自白をすることです」
「御忠告痛み入ります。ではそのように―――」
「それは困りますねえ?」
―――ぞくり。
「誰だッ!」
突如として室内に響いた第三の声。
首筋を舐め上げるような気色悪さに、リリアンヌは躊躇なく剣を抜いた。
さっと室内を見回すと……暗がりから一人の男が歩み出てきた。
どこか騎士服にも似た、見慣れない服装の男だ。
細い手指を不気味に動かしながら、片眼鏡を嵌めた顔で三日月のように笑う。
「何者だ」
「名乗るほどの者ではありませんよお。リリアンヌ・ル・ブルトン男爵閣下?」
「質問に答えろ」
「おやおやあ……勝手に入り込んで来たのはそちらでしょうにい」
大袈裟に肩を竦めながらの言葉に、眉を顰める。この男、まさか屋敷の関係者なのだろうか。どう見ても不審者だが。
剣をゆらりと持ち上げながら睨みつけていると、思わぬ方向から答えが来た。
「おじさま、いつの間に!?」
「先程からいましたよお、カトリーヌ」
「おじさま?」
視線を僅かにずらし、カトリーヌの驚いた顔を確認する。
彼女も男の存在には気付いていなかったようだが……どうやら知り合いらしい。
しかしスネイル子爵の実子であるカトリーヌの叔父、あるいは伯父となると相応の地位であるはず。
リリアンヌと顔を合わせていてもおかしくないのだが、見覚えがない。
「カトリーヌ様、彼を御存知で?」
「え、ええ……彼はおじさまで……おじさま……あ、れ……?」
動揺しつつも答えようとしたカトリーヌは、何故か言い淀む。
「どうしました?」
「んふふ、カトリーヌは疲れているのでしょう」
問い詰めようと距離を詰めるリリアンヌの前に、男が立ち塞がる。
「さあカトリーヌ。部屋の隅で待っていなさぁい?」
「は、い……」
男の言葉に従い、ふらふらと下がるカトリーヌを見る。疲れているのは本当のようだ。
暗がりに立ち、こちらをじっと見るカトリーヌから視線を逸らし。
「で、貴方はどこのどなたです?」
「んーふふふ。しつこいですねえ。カトリーヌのおじですよお?」
「名前を聞いているのです。そちらは私の名前を知っているのですから、名乗りくらいは済ませてくださいな」
「お堅いですねえ……ではファルスとでもお呼び下さい」
ファルスとでも、ときた。どうしても名乗るつもりはないようだ。
ますますもって怪しい。
剣を構え、問い掛ける。
「ではファルス殿。単刀直入に聞きます」
「なんでしょうかあ?」
「刺客を手配したのは貴方ですね?」
無言。張り付いたような笑みを浮かべたままのファルスに、リリアンヌは言葉を続ける。
「私のところへ向けられた暗殺者は、戦闘慣れはしていても暗殺には馴染みのない素人でした。
だから最初は、金子や地位のない者が送り込んできたのかと思いましたが……」
「今は違うので?」
部屋の隅でぼんやりと立ち尽くしている部屋の主に視線を投げる。
「そこのカトリーヌ嬢、策謀には明らかに慣れていません。
そんなド素人が、手駒を金で雇い、足が着きにくい装備を整え、自分の元へ辿り着けないように尻尾切りまでする?
……まず有り得ませんね」
人は動かせようが、人の動かし方は知らない。そういう深窓の令嬢だ。
荒事には向かないし、ましてや暗殺など。
誰かの後押しを受けているか、操られているか。そう考える方が自然だ。
「人は見かけに依らぬと言いますよぉ?」
「貴方が清廉潔白な一般人であるよりは有り得そうですがね」
「おやまあこれは酷い」
大仰に嘆いてみせるファルス。
その姿を油断なく睨みながら、リリアンヌは一歩を踏んだ。
「抵抗しなければ傷付けはしません。調査団の到着まで大人しくしていて下さい」
「そんな横暴なぁ。断ると言ったら?」
「大人しくさせます」
おお、と芝居がかった仕草で天を仰ぐ。
そのまま、じわりと間合いを詰めるリリアンヌを見やって。
「―――出来ませんよぉ」
「がっ!?」
”右手側から”殴られたリリアンヌは床を転がった。
混乱した頭でも身体は反射的に動く。
剣で自分を傷付けぬよう自ら回転し、その勢いのままに跳んで振り返る。
先程までリリアンヌが立っていた位置のすぐ横に、拳を振り抜いたファルスの姿があった。
「んーんー、良い反応ですねえ」
「貴様……何をした……?」
「別に、何もぉ?」
薄笑いを浮かべて肩を竦める男に、完全な戦闘態勢で剣を構える。
殴られる直前まで、確かにファルスは正面に立っていた。
―――否。まさしく殴られる瞬間まで正面に見えていたのだ。
衝撃を感じた時に正面から消えた。何も残滓もなく。魔力の気配すら感じさせず。
高速移動どころの話ではない。瞬きほどの時間もなく移動するなど有り得ない。
だが今まさにこの男はそれをしたのだ。
「おお怖い怖い。英雄様にそんな殺気を向けられては、怖くて話も出来ませんよぉ」
リリアンヌは言葉に応えない。
向き合った男に意識を集中させる。
肩を竦めるファルスは、その飄々とした振る舞いと裏腹に目立った隙はない。素人ではなく戦闘慣れした人間の構えだ。
とはいえいくらなんでも移動が速すぎる。あれでは瞬間移動だ。
魔法というものは、原則としてマナに働きかけるものである。
出力と技術によって千変万化なのが魔法というものであるが、当然ながら制約もある。
発動に際してマナを認識せねばならず、具体的にどのようにマナを動かすのかのイメージが必要なのだ。
風を吹かせたいなら風のマナを動かすイメージ。水球を出したいのなら空気中の水のマナが凝集するイメージ。
何をどうすればどんな現象が起こるか、という具体的なビジョンが無ければ魔法はまともに発動しない。
魔獣に魔力があっても魔法を扱わない理由がこれだ。
知能が足りないのでやたらに魔力を放出することしかできないのである。
魔法で瞬間移動を為すならば、時空間に関わる知識とそれに対応するマナの操作が必要である。
リリアンヌの知る限りそんな属性のマナはない。
よしんばファルスがそれを実現していたとして、魔法の発動には魔力の励起が必須なのである。
人間一人を超速度で動かすのにどれほどのエネルギーが必要かなど想像に難くない。
莫大な魔力の放出があれば流石に隠匿は無理だ。リリアンヌにも感知出来るはず。
それがないということは、リリアンヌを遥かに超越する魔法使いか、あるいは……非魔法的手段によるものか。
「何をされたのか理解できない……とでも言いたげですねえ?」
じっとファルスを観察していると、あちらの方から話しかけてきた。
こちらを惑乱するつもりか。それとも勝利を確信しているのか。
リリアンヌはその言葉に無言で耳を傾けつつ、隙なく構えを維持する。
「くふふふ、わかりますよお。『この男はどうやって移動しているのか』……そう考えているのでしょう?」
「……まあ、そうですね」
悔しいが種がわからない。今ここでは調子よく喋らせておこう。
その返答を聞いて肩を震わせたファルスは、大仰に手を広げてみせた。
「凄いでしょお? 貴方にこれを破ることはできませぇん」
「それは、何故?」
「くっふふふふふ。そこまでは教えてあげませんよ」
「………性悪め」
何をされているのか混乱する相手をおちょくるのが好きらしい。とんだゲス野郎だ。間違いなく友達はいないタイプ。
しかし、今のやり取りで分かったことがある。
ファルスは『破れない』と言った。つまり何らかの仕組みがあるのだ。
それが何かまでは言ってくれなさそうだが、それだけ分かればまあいいだろう。
リリアンヌは構えを変える。
「―――んん、諦めましたかあ?」
剣を握った両手をだらりと垂らしたリリアンヌを見て、ファルスは笑いながらそう問い掛ける。
当然それには応えず。
「カトリーヌ嬢」
唐突な問い掛けに、カトリーヌが視線を上げた。
「申し訳ありません。―――屋敷、壊してしまうかも」
その一言にカトリーヌとファルスは困惑を浮かべ………直後、その表情は驚愕に彩られた。
「おおおおおお■■■■■■■―――――ッ!」
―――激音が領主館を揺らした。




