第59話:駄犬の本領
冒険者に憧れる少年は、この世界ではありふれている。
剣一本に命を託し、知恵と力を駆使して世界を股にかけ、凶暴な魔獣もなんのその。
秘められた遺跡を見つけて宝を手にし、征く先々で人を助く。
そんな歌物語が大好きで、父母を手伝って貰ったなけなしの銅貨を握り締め、年に数回来る吟遊詩人の歌を聞いたものだ。
勇者になりたかったわけじゃない。ただ気ままな旅をして、馬小屋に寝泊まれたらそれでよかった。
それすら自分には出来ないのだと、理解した時には日銭を稼いで酒を飲んでいた。
田舎を飛び出て街に住み着き、人並みの剣の腕を頼りに魔獣狩りの手伝いをして食い扶持を稼ぐ。
たまに稼げない時があって、空きっ腹を抱えて木賃宿で眠る。
兵士になろうと思えばなれたかもしれない。田舎に舞い戻って両親のように農夫として生きる道もあった。
なまじ自分の腕で生きられているせいで、矜持を捨てられなくてその日暮らし。
いつもの木賃宿にはそんな無頼で溢れていて。
自分もそんなありふれた輩なんだと突きつけられて。
俺は違う、と言い聞かせても現実は変わらないし、賭けに出る度胸もなし。
このままいずれは魔獣に殺されるか飢えて浮浪者まで落ちるか、と漠然と思っていた。
「―――危険だが、金貨を袋でやれる仕事がある。どうだ?」
いつもの店、いつものカウンターで呑んでいた時に、隣に座った見知らぬ男。
その一言だけで俺はぴんときていた。殺しの仕事だ。
たまにあるのだ。人生に疲れて酒場で呑んでいる輩を、裏仕事に勧誘することが。
失敗したらそれきり、辿られても足はつかない。使い捨ての矢玉。
「………いいぜ」
気付けば俺はそう応えていた。これまで何度も断ってきた闇仕事を受けていた。
その日の内に、裏路地の先の小屋に連れ込まれ。
夜闇に紛れる黒装束と、短剣一本。標的の顔と名前。標的のいる屋敷の簡易な間取りの情報。
そして、自分と同じくすんだ瞳の男二人。
与えられたのはそれだけだった。
「………だから依頼人の名前も知らねえ。悪いな」
吹っ切れたように笑う男を、リリアンヌは無言で見つめた。
屋敷の空き部屋。片隅に木箱が積まれ、倉庫代わりに使われている一室で男達から順次話を聞いている。
残りの二人は既に話を終え、軟禁用の部屋に放り込んである。
彼らは揃って、酒場で飲んだくれているところを誘われたと答えた。全て同じ街だ。呑んでいた店も、声をかけてきた男の顔も違う。
「で、どうすんだ。その小屋の場所なら覚えてるぜ」
「………いえ、もう捨てているでしょう。私ならそうします」
半笑いの男の提案に、首を振った。
男達が話した街は、ル・ブルトン家の屋敷から最も近い街。とは言っても隣領なのだが、そこだ。
小屋はもう引き払っているだろうし、直接の依頼人は街から消えているだろう。
最悪、依頼元から処分されている可能性もある。探しても無駄だ。
「御苦労様でした。素直に話して下さって有り難いです」
「嘘を言ってるかもしれんぞ?」
「無言よりはよっぽどマシですよ」
全くの無言を貫かれたら、本当に何の情報も無かった。それだけは幸いだ。
話した内容がフェイクだとしても、三人ともが同じことを話したならそこにはきっと意味がある。
そして何よりも。
「貴方の眼、疲れ切っています」
「――――――ッ!」
「相手を騙そうって人はそんな眼をしませんよ」
「………英雄サマに何が分かるってんだよ………」
そう呟いて項垂れる、その姿こそが何よりの証明だろう。しかしそれを口に出すことはしない。
「沙汰は全てが終わってからです。……食事はこの後届けます。くれぐれも自殺はやめてくださいね」
そう言い残して立ち去ろうとして。
「ああ、一つ言い忘れていたことが。
―――逃げられても、逃げない方がいいですよ。見つかったら、今度こそ本職が貴方方を処分しにくるでしょうから」
それだけを付け加えて、今度こそ部屋を出た。
廊下を歩きながら、リリアンヌは深く溜め息を吐く。
送り込まれたのは鉄砲玉。殺しの専門家ではないから対処は楽だったが、情報源としても質も低めである。
とはいえ本家本職の殺し屋は来ないだろう、という目算はあった。
何故かと言えば、テロリスト勢力は王国内の政治にさほどの影響力を持たないからである。
憶測ではあるがまず間違いないであろう。
そもそも王国を動かす政治力があるなら、正規・非正規問わず政治に働きかけてしまえばいいのである。
帝国との通商は元々賛否両論あった。止めるならそちらの方が早く確実だ。
潜在的な不平不満は多くあるのだから、断固帝国打倒に傾けば止めるのは難しかろう。
それをしない理由。単純に力がないか、あるいは何らかの事情で大々的に動けないのであろう。
だからテロリズムという過激な手段に訴えた。
そこまでは解っているのだが……
「候補が多すぎる……」
強大な政治力を持たない、恐らくは貴族の者。
そんなもの大なり小なり王国中に点在しているのである。
小規模な干渉ならば、式典の周辺警護の騎士に働きかけるくらい何処の貴族でも出来る。リリアンヌにも恐らく出来る。
だから今回の襲撃からある程度の絞り込みをしたかったのだが……
「徹底して鉄砲玉とは」
これは困った。
彼らの装備もさほど珍しいものではない。何処でも手に入りそうな布地に短剣。
「本当にこれ一本しか持ってないなんて……」
鞘に収められた短剣を手の内で玩ぶ。
意匠の殆どない無骨なデザインはリリアンヌ好みだ。刃は肉厚で丈夫そう。
試し斬りをしたところ斬れ味はそれなり止まりであったが、長く使える量産品といったところであろう。
斬れ味と耐久性の両立はコストがかかる。費用対効果を考えれば、なかなか優秀な一本である。
しかし無骨に過ぎて、特徴らしい特徴がない。
まだ黒装束や靴の方がルートを絞りやすいか……と考えていると。
「だーんーしゃーくーさーまー!」
抱き着いてきた忠犬ティア公を慌てて回避する。
転んで怪我をしないよう背中をそっと押して壁にぶつけておく。
「危ないですね。刃物を握ってるんだから急に抱き着かないでください」
「今のこれは危険じゃありませんのお……?」
「いつものことでしょう」
それもそうですわね、と赤くなった鼻を押さえるティアーヌ。
これだけ雑に扱われてめげないのも一種の長所であろう。大人しくしていて欲しいが。
「で、今日は何の用事ですか駄犬」
「昨晩賊が入ったと聞きましたので、見舞いに」
思ったよりもまともな理由だった。レオナルドあたりから聞いたのだろう。
「お怪我はありませんの?」
「見ての通り。ちゃんと賊も捕まえましたから御心配無く」
「流石は男爵様、安心しましたわ……で、その短剣は?」
「ああ、賊が持っていたもので。依頼人から与えられた物のようなのですが……」
「ガルーダ工房のものとは珍しいですわね」
「ええ、特徴が薄いので――――なんて?」
「ガルーダ工房製の短剣ですわ」
そういえばこの駄犬、鑑定に関しては目を見張るほど鋭いのであった。
改めてしげしげと短剣を見つめる。何度見ても何処にでもありそうな量産品の短剣にしか見えない。
「これ、珍しいものなので?」
「あまり出回っておりませんねえ。工房が小さいですし、特別優れた品でもありませんから。
でも値段の割に丈夫で、特に旅人に人気がありますわ。ほらここに印が……あら、潰されてる」
柄尻を指し示したティアーヌは、ある筈のものが無いことに首を傾げる。
目を凝らしてみれば、確かに模様の痕跡らしきものが見て取れた。特定出来なくするために潰したのであろう。
「流通ルートは特定できますか?」
「工房のある街での販売が殆どですから、十中八九そこですわね。
誰が買ったかまでは分かりませんが……ああでも纏めて買った客がいれば恐らくその者でしょう」
「よし、お手柄ですよ忠犬。事件が片付いたら御褒美をあげましょう」
「男爵様からの御褒美……良い響きですわ……!」
くねくねと身を捩るティアーヌから若干距離を取る。しかし彼女のお陰なのは事実なので、今回は好きにさせてやろう。
事が片付いたら、個人的な褒美とは別にテルン商会に謝礼を出さないといけないな、考えつつ。
「それでは急ぎお願いします。嗅ぎ付けられる前に仕留めましょう」
「はいっ、おまかせあれ!」




