第58話:闇より来る者
ほう、ほう、と梟が鳴く。
月は雲で隠れ、日頃ただでさえ暗い森の中は手を伸ばすだけで闇に呑まれてしまう。
獣も寝静まった夜の帳。その中を駆ける影が三つ。
黒装束を身に纏い、闇に溶け込んだ影は僅かに草を鳴らして森を進む。
「――――――」
先頭の一人が片手を挙げると、後続二人が足を止めた。
気付けば辺りは闇が薄まっている。手が見えたのはそのせいだ。
先頭の男の視線の先、森の切れ目がある。その先に見えるのは、薄雲越しの僅かな月明かりに浮かび上がる邸宅。
ル・ブルトン男爵の屋敷である。
男達がじっと眺める先、窓から垣間見える屋敷内は蝋燭の一本も着いていないように真っ暗だ。
三人は視線を交差させ、揃って頷くと屋敷の裏手に忍び寄った。
「―――――」
僅かな音と共に、黒装束の男達が屋敷へと踏み込む。
貴族の屋敷には似つかわしくなく、施錠は簡単な構造の錠前と閂のみ。容易く侵入した彼らは廊下を進む。
ル・ブルトン男爵の屋敷は小さい。構造は単純で、屋敷の主がいる部屋も調べはついている。
迷いのない足取りで、しかし警戒を怠らず男達は足早に進む。
見張りの一人もいないのか。誰とも遭遇することなく、三人は屋敷の最奥へと辿り着いた。
呼気を潜め、大きな木扉にそっと耳を当てる。
扉越しに、寝返りのような、寝台を軋ませる音が一つ。その後、僅かな寝息。
男達は顔を見合わせ、頷きを一つ。腰裏に固定された短剣の柄を握り込む。
先頭の男が指を三本立てて軽く振った。
一本折り、二本折り、三本目を折り―――
「『風よ、止まれ』」
―――頭上から響いた声に、凍りついたように停止した。
「騒がないで下さいね。中で夫が寝ておりますので」
魔法発動を維持したまま、リリアンヌは廊下の屋根裏から飛び降りた。
とん、と止まった男三人の頭上に降り立つ。
「……まあ、聞こえていないでしょうが」
彼らは今、身動きどころか呼吸もできず、何も聞こえず、混乱していることだろう。
リリアンヌが放った魔法は風の停止。いつもは空中に板のように展開して足場として使うものである。
だが今回は男達を覆うように、キューブ状に固定したものだ。
風とは大気のマナの流動であり、それを固定するのは海の波濤を立板で押し返すが如き所業。
一瞬ならばともかく、長時間の停止は人間が行えるレベルではない。
しかしそれは風の吹く屋外での話。
風の吹かない閉め切った屋内ならばそこまで難しいことでもない。水槽の中の水ならば人間の力でもコントロールは可能だ。
とはいえ人間三人を止めるのは相応に魔力も食うのだが……リリアンヌにとってはさして難しいことではない。
「さて、あと十秒ほど」
このまま固定し続ければ、彼らは窒息して息絶えるであろう。しかしそうするつもりはない。彼らは生かして捕らえる。
発動から一分を数え、魔法を解除する。
男達は糸が切れたように倒れ伏した。
着地したリリアンヌは三人ともが倒れたのを見て、脈を確認しつつ一人ずつ縛り上げる。
舌を噛まぬよう猿轡も噛ませて、短剣も鞘ごと回収しておく。
二人を拘束し、三人目……先頭にいた男の喉元に指を当てると。
「………おや、意識があるのですか」
「ふー………ふー………っ………はぁっ………」
朦朧とはしているようだが、意識がある。突然息を止められて一分間耐えたのか。中々の根性と言える。
丁度良いので手足だけ手早く縛り、猿轡は噛ませずに肩を揺さぶる。
「もし、もし。生きてますか?」
「う、ああ……おれ、は……?」
うっすらと目を開ける。瞳は揺れ、ぼんやりとこちらを見る。
「だれ……だ……?」
夜闇で顔がよく見えないせいか、酸欠で意識が朦朧としているせいか、リリアンヌ当人だとは気付いていないようだ。好都合。
「何がありました?」
「屋敷に、入って……男爵の部屋に入ろうと……いきなり、動けなくなって……苦しくなって……」
「何故男爵の部屋に入ろうと?」
「………………いつもの酒場で……大金をくれると………」
「そうですか……疲れたでしょう。ゆっくり休んでくださいな」
頭を撫でながら囁くと、かくんと落ちた。限界だったのだろう。
念の為に轡を噛ませておく。
「じいや」
「ここに」
すとん、と屋根裏からセバスチャンが現れる。
「彼らを……納屋だと可哀想ですかね?」
「これでもお命を狙ったのですし、待遇は何でも良いかと」
「んん……まあいいでしょう。空室にでも放り込んでおいてくださいな。一応施錠はいつも通りに」
「御意に。屋敷の鍵も元に戻しておきますかな?」
「ええ」
彼ら刺客を引き込む為の仕込み。その片付けに許可を出して。
「二度目が来る前に片を付けましょう」




