第42話:慌ただしき来訪
テルン商会の名を知らぬ者は、この王国には居ない。
創立者であるゴード・テルンの口癖は『金さえあれば何でも用立てる』であったという。
その意志を受け継いでか、テルン商会は食料品から不動産、兵器、情報まで何でも扱うのがウリだ。
噂では奴隷や麻薬まで扱っているとも言われるが、実際そうであってもおかしくないほどテルン商会は手広い。
またその活動範囲も王国全土であり、利益がろくに出ないであろう僻地にすら商隊を通わせるため、人気も高い。
その影響力の大きさは王宮に次ぐとも言われる。
下手な貴族は捻じ伏せられるほどの力を持つのが、イーストエッジ王国に名高いテルン商会である。
「……で、そのテルンの娘が此処に来るんですよね」
「手紙が騙りでなければそうですな」
胡散臭い目で上質な紙を揺らしながら、リリアンヌとセバスは屋敷で待機していた。
手紙に書かれた到着予定日は今日だ。
とはいえ前世と違って通行網が未発達なこの世界で、日時ピッタリの到着は難しい。
一日遅れくらいは普通にあるだろう。
これがその辺の貴族子女であったら、多忙なリリアンヌが自ら出迎えることもないのだが。
「テルンの娘となると、無下にも出来ませんね……」
オーランド公の末子であるレオナルドよりも、下手をすれば影響力を持つのがテルンの娘という立場だ。
来訪の約束が一方的なものであっても、尊重しないわけにはいかない。
ル・ブルトン領は今後商人の行き交う地になるのだから、テルン商会とのコネは尚更重要になる。
だから数日前から屋敷中をピカピカに磨き上げ、庭も綺麗に整えて、良い酒も蔵から出して準備したのだが。
「さて、いつ来るか……」
レオナルドの蔵書から数冊見繕って退屈凌ぎに読んでいるが、これらが終わる前には来て欲しいものだ。
屋敷の扉が叩かれたのは、日も傾き始めた頃だった。
「見て参ります」
「頼みます」
セバスが来客を迎えに行く間、リリアンヌは改めて格好を整える。
不慣れなドレスなど着てみたが、果たして似合っているのかどうか。やはりズボンに革靴が動きやすいと感じる。
曲がっていた背筋をぴんと伸ばし、服装を確認して、にっこりと笑顔を作ってみる。大丈夫だろう。
「………なんだ?」
全力の所作で玄関口へと向かってみれば、何やら騒々しい。
足を早めて覗いてみれば、どうも玄関口でセバスと商人風の男が話していた。
男は必死の形相で、焦ったように何かを口走っている。
「セバス!」
呼び掛けてみれば、眉を下げてリリアンヌの方へと視線を向けた。
何かのトラブルであろうか。
「失礼致します。この屋敷の主、リリアンヌ・ル・ブルトンです。……如何なされました?」
「おお、ル・ブルトン男爵様!」
男はテルン商会の紋章が入った外套を羽織っていた。商会所属であることを示すものだ。
となればティアーヌ・テルンの護衛であろうが、当の本人が見当たらない。馬車の中だろうか。
「テルン商会の方ですね。ティアーヌ・テルン様はどちらに?」
「ああ……ああ、申し訳御座いません!」
ティアーヌの名を出した途端、男は飛蝗の如く這い蹲った。
「申し訳御座いません……申し訳御座いません……!」
「な、何事ですか。順を追って説明して下さい」
その必死ぶりに軽く引きつつ、事情を問い質す。このままでは永遠に謝り続けそうな勢いだ。
質問に対して、男は地面に頭を擦り付けながら応える。
「我々はティアーヌお嬢様の護衛商隊で御座います」
思った通り彼らがティアーヌを連れてきたらしい。しかし気になることもある。男の背後に見える馬車を軽く眺めつつ。
「護衛商隊と言う割には、どうも私兵が見当たらないようですが」
御者も、馬車の周囲を右往左往している男達も、腰に短剣こそ提げているが戦慣れしているようには見えない。
要人を運んでいるというのにこれはどうも不用心だ。
「はい、商会の私兵は居りませぬ」
「兵がいない?」
「此度の訪問は、ティアーヌお嬢様の独断でありまして……商会長に知れては怒られる、とのことで最小限の人員でして」
商会直属の私兵を動かしたら当然トップにも知れる。
お忍びどころかバレたら怒られる訪問とは驚きだ。
その割には馬車の質は良い。ティアーヌの個人用だろうか。
一商人が逆らえる立場ではないので、我儘を通すしかなかったのだろう。
要人警護で兵がおらず、高級馬車に乗って移動。
ここまで来れば何が起こったのか容易に想像が付く。
「盗賊にでも襲われましたか」
「申し訳ございませんんんんん!!」
「謝る相手はテルンの商会長ではありませんかね」
もはや男は失神寸前だ。しかしまだ気絶されては困る。
「平謝り”程度”ということは、まだティアーヌ様は無事なのですね?」
「恐らく……」
「身代金の要求は?」
「こちらです」
男が懐から出した紙を見て、リリアンヌの眉がぴくりと跳ねた。
受け取り、ごわついた紙を開いて文字を読み上げる。
「『明朝、持てるだけの金貨を持って指定の場所まで来い。誰でもいいが一人で来ること』……地図まで用意してまあ」
走り書きだが地元の人間ならば分かる。ここからほど近い山の中腹あたりだ。木々が深く、リリアンヌもあまり立ち入らない。
金額を指定していないのは、用意出来なかったという言い訳を許さない為か。
明朝に来いというのは応援を呼ぶ時間を与えない為だろう。
随分と手慣れている。
「はあ……世話の焼ける。セバス、カロルに伝えて金貨の用意をお願いします。
ダミーは結構、袋一杯に詰めておいてくださいな。それとこの方々に食事、寝床を」
「宜しいのですか?」
「放置するわけにもいかないでしょう」
心底嫌そうに溜め息を吐きつつ、セバスに指示を出す。
不用心極まる訪問とはいえ、リリアンヌを訪ねて亡き者になったら根も葉もない噂が出る。謀殺だの口封じだの言われかねない。
それに。
「恩を売って困る相手じゃあないでしょう?」
「至極尤もで。では金貨の用意を致します。人質と身代金の交換は私が行きましょうか?」
「いえ、私が出ます」
その言葉に商人の男が卒倒しかねない勢いで青くなった。
「だ、男爵様、そこまでのことは!?」
「貴方が行ったところで、金貨を奪われて人質も行方不明になるだけですよ」
最悪、単独で離脱できる人間が望ましい。商人達では心許ないので、この中ではセバスかリリアンヌだ。
改めて紙を見やりつつ、頭を回す。
引き攣り気味の苦笑が漏れた。
「全く、困ったお嬢さんだ」




