第41話:嵐の予感
お待たせ致しました。第二章始まります。
ある世界の片隅に、一つの大陸と二つの国があった。
長い歴史を持つその国々は中央山脈を挟んで東西に分かれ、時に争った。
争いは幾度も繰り返し……しかして今、二国はその懐に長年相対した民を受け入れんとしている。
彼らが呑むのは平和の使者か、それとも―――
「手紙?」
イーストエッジ王国西端、一帯を治めるル・ブルトン男爵位。
その屋敷の一室で二人の男が会話を交わしていた。
「ええ、先刻届きました」
机に対してぴしりと立つ執事然とした風体の老爺は、男爵に仕える従者・セバスチャンだ。
執務の補佐だけでなく防犯や諜報にも長けた、ル・ブルトン家の謎多き執事。
先の戦で右腕を失い空っぽの袖を揺らしているが、その瞳の光は些かの衰えもない。
「宛先は……『愛しのル・ブルトン男爵様』。なんだこれは……?」
セバスチャンから封書を受け取り光に翳して検分する男は、レオナルド・オーランド―――改めレオナルド・ル・ブルトン。
理知的な風貌を、今は怪訝そうに歪めて封書を回す。
「男爵宛、ということはリリアンヌ様宛ですかな」
「妙な枕詞が付いてるのが気になるが、まあ男爵と言えば彼女だろう」
そして屋敷の主、この地を治める領主であるリリアンヌ・ル・ブルトンは此処には居ない。
妙な手紙ではあるが、正式なルートで届いた領主宛の封書だ。レオナルドが勝手に開けるのは些か礼を欠く。
急ぎならば確認しても良い、とリリアンヌから許可は受けているが、どうやら緊急でもないようなので棚へと仕舞った。
「夕食の時に、リリアンヌに渡しておこう」
「それが宜しいかと。―――お、もうそんな時間ですかな」
何かに気付いたようにセバスチャンが振り向いたと同時、執務室の扉が控えめに叩かれる。
『執務中に失礼致します。お昼の準備が出来ましたので、お知らせに』
扉の外から、老婆の声が響く。
このル・ブルトンの屋敷において家事を一手に担う従者・カロルの声だ。
「分かった、すぐに行こう」
『畏まりました』
扉から気配が離れる。
それを確認したレオナルドは、ペンを置いて立ち上がった。
「よい――――せっ」
振り下ろされた鍬が深々と土に刺さる。
柄を軽く揺らせば硬かった地表は柔らかくほぐれ、黒い土が露わになった。
額に汗を浮かべてリリアンヌは畑を耕す。
不慣れな手付きながら持ち前の体力で働くリリアンヌに、近くで同様に鍬を握っていた男がおずおずと話し掛けてくる。
「その……領主様。お気持ちは有り難いのですが……」
瞳に浮かぶ感情は困惑と僅かな不安。
領主がいきなり来て、外出着には見えない使い込まれた稽古着で農作業を手伝っているのだ。怪しさ満点である。
それは理解しているが、リリアンヌはにこやかに対応する。
「私がやりたくてやっているのです。お気になさらず。……皆には大変な思いをさせてしまいましたから」
鍬を地面に立て、周囲を見やる。
固くなってしまった畑。真新しい掘っ立て小屋。生傷を刻んだ農夫たち。
そして少し離れたところに、焼けた廃材の山と―――名前の刻まれた木板を地面に突き刺しただけの簡素な墓標の群れ。
ここは先の戦災に焼かれた国境沿いの村。その跡地だ。
「大変だなんてそんな……これだけで済んだのですから」
帝国に焼かれた村は此処だけで済んだ。
単に帝国兵の練度・統制が不足しており、彼らの虎の子である『帝国の勇者』も消極的だったためだ。
王国軍に被害はあれど占領されてはいない。
ただ最初の攻撃で、此処だけが被害に遭った。
「少なくとも被害は被害。皆には苦労をさせましたね」
今この村を再建しようと働いているのは、間一髪戦災を逃れた村人達だ。
リリアンヌの指示で他の村に保護されていたのだが、やはり故郷が恋しいのと家族の亡骸を放置するのは忍びないと戻ってきた。
それにこの地を再興しようというのは、何も罪滅ぼしの為だけではない。
「その内、ここは多くの商隊が通る場所になります。そうなればもっと豊かな暮らしが出来るようになりますよ」
「商隊が……?」
「貴方達の作る麦を買いに来るのです」
つい先日、オーランド公経由で連絡があった。
国王と帝国首脳部の間で、通商条約が結ばれたとのことだ。
当初帝国側は渋ったのだが、賠償金の減免と食糧の流通をちらつかせたらあっさり乗ってきたらしい。
元々賠償金は吹っ掛けた金額であるし、食糧を売ればこちらには多大な富が入るのだ。王国側に何も損はない。
そして国境に面するル・ブルトン領は穀倉地帯なのだ。
「何も難しいことはありませんよ。これまでのように畑を耕し種を撒き、麦を売って暮らすだけです」
「はあ。領主様がそう仰るなら」
一農夫にそんな事情など知る由もない。それでいい、と思いつつ再び鍬を握り込み。
「おねえちゃーん!」
「ん?」
小さな女の子がこちらへと駆け寄って来る。
「こ、こら、いけません!」
母親だろうか。必死の形相で女の子と止めに掛かる女性も来た。
そんな母の心労も構わず少女はリリアンヌへと語り掛ける。
「おねえちゃん、いまだいじょうぶ?」
「ん、構わないよ。どうしたのかな?」
「はしらがぬけなーい、っておじちゃんがこまってたの」
「そうかい。そりゃあ大変だ。さて何処かな?」
「あっち!」
元気に指差して走っていく姿が微笑ましい。
さて何事かな、と着いていこうとすると。
「も、申し訳ありません、とんだ御無礼を……どうか、あの子の命だけは勘弁して頂けませんか。私は何でもしますから!」
女性に縋り付かれて、足が止まってしまう。
新任とはいえ領主を『おねえちゃん』呼ばわりだから、それはもう生きた心地はすまい。命乞いの一つもしたくなろう。
剣も帯びずに来たのだがなあ、と内心苦笑しつつ。
「何かあったら呼べと言ったのは私ですよ。あの子は私の言う通りにしたのだから、怒る道理はありません。
むしろ妹のようで可愛らしいじゃあありませんか」
軽く肩を叩いてやり、身体を離した時にするりと抜ける。
呆然と座り込む母親を置いて、先程の女の子を追う。
「こっちー!」
「はいはい」
呼ばれるがままに行ってみれば。
「どうしましたかな」
「ああ、これは――――――領主様、何事で!?」
「説明」
「あ、はい……この柱が抜けなくてですね……」
見れば、なるほど太い木柱が地面に突き立っている。
軽く押してみるがびくともしない。よほどしっかりと埋めたのだろう。
周りを掘るしかないか、と判断する。
「よし、私がやりましょう。少し離れていてもらえますか?」
「いや領主様のお手を煩わせるまでもありません。我々が周囲を掘って……」
「すぐ終わりますから」
ぐいぐいと背中を押せば、困った表情で歩き出す。
「君も危ないから離れてなさい」
「はーい!」
とてとてと少女も離れる。素直で良い子だ。
さて、と深呼吸をして精神を整える。
胸の中心にある魔力炉に火を入れ、ゆっくりと励起させる。
そこまでの出力は要らないだろう。あまり強いと子供に悪影響があるかもしれない。
「んー……向こう側に倒してみるか」
根本に何か埋めている可能性もある。ひとまず出してみよう。
腰を落として両掌を地面に当てる。
「『土よ』――――」
魔力を浸透。柱の真下、少し深めに見積もって範囲を設定する。
位置確定。動作も明確にイメージし……魔法は発動する。
「『持ち上がれ』っと!」
ぐぼ。
くぐもった音と共に大きく柱が伸長する。―――否、地面ごと持ち上がっていくのだ。
元々長い柱が、天をも突かんと伸び上がり……しかし当然限界に達して傾ぐ。
「よっと」
念のために一蹴り入れると、柱はリリアンヌから見て真っ直ぐになるよう傾きを大きくしていき。
ドシン、と地を揺らして地面へと倒れ込んだ。
「ああ、やっぱり石が噛ませてあった」
柱の根元に一抱えもある岩が転がっている。支えとして設置されていたもののようだ。手作業で掘り出していたら手間だったろう。
しかしこれは運ぶだけでも大変そうだ。魔法でやるにも限度があるし、人を集めて運んでもらおう。
「すみません、これを運ぶ人手を―――」
「おねえちゃんすごーい!」
「おっとと」
興奮気味に抱きついてきた女の子を受け止める。
母親は泡を吹かんばかりだが、まあいずれは慣れるだろう。
「ぼこ、ってなって、ずどーん!」
「ずどーんだったねえ」
よしよしと頭を撫でてやる。リリアンヌは魔力任せの大規模な術が得意だ。子供からすれば見世物みたいなものだろう。
仕事ついでに喜んでくれるなら一石二鳥で良いことだ。
「ほら、ここからが大変だよ。―――すみません。魔法で運ぶのは難しそうなので人手をお願いします」
「は、はいっ。すぐに!」
呆然と一部始終を見ていた中年の男が慌てて人を呼びに行く。
リリアンヌも、なかなか面白い体験だった、と子供をあやしながら畑へと戻っていく。
「さて、まずは寝床と畑と……あとは何を用意したものかな」
その後、日が暮れるまでリリアンヌは派手な仕事に精を出した。
熱中し過ぎて遅くなったので、風と火の魔法で自身を射出したら、またもや子供が大興奮だったのは言うまでもない。
夕食後。レオナルドより手渡された封書を見て、リリアンヌは眉を顰めた。
「『愛しのル・ブルトン男爵様』……なんですかこれは?」
宛名を指でなぞりつつ問い掛けると、セバスチャンが答える。
「本日届いた手紙でして。不審なのですが、非常に質の良い紙を使っておりますので悪戯目的ではなかろうと」
「届けてくれたのは騎士ですか?」
「いえ、テルン商会所属の商隊です」
「ふむ……」
確かに、そこらでは見かけない紙質だ。艷やかで真っ白。腕の良い職人の手によるものであろう。
一応貴族であるリリアンヌでも、これ一枚買うのに検討が必要な金額だ。
これを運ぶ商人はさぞ緊張したことだろう。下手すれば積荷一台分よりも高い封書を預けられたのだから。
「さて、中身は……?」
緊張の面持ちで開封し、中に入っていた数枚の紙を取り出す。中身は紙のみだ。
文面を開き―――瞬間リリアンヌの顔が引き攣った。
「如何なさいましたか?」
そう問い掛けるセバスチャンに、紙面を開いて見せる。
セバスの眉がぴくりと跳ねた。常日頃から平然とした態度を崩さないセバスが、だ。
どれどれ、とレオナルドとカロルも揃って覗き込む。
「怪文書?」
「恋文では」
「恋文ですな」
「恋文じゃないのか」
リリアンヌを除く全員が、恋文と判断した。
「恋文? これが?」
改めて文面をまじまじと見る。
時節の挨拶から始まる。それはまあ普通だ。妙にくどいが挨拶は大事だ。
先の戦での活躍を褒め称える文章が続く。まあそれも有り得る話だ。これでもそれなりに立ち回った部類だという自負はある。
更に褒め称える文章が続く。この時点で紙は三枚目に達している。
しつこいくらい褒め称える英雄に対する思慕の念がひたすら続く。
続いて続いて、最後には。
「………こっちに来るって書いてあるんですが」
「居ても立ってもいられなくなったのでしょうなあ」
到着予定日がきっちり書かれていた。今日からちょうど一週間後にあたる。
届けたのが商隊の荷馬車であることを考えるに、余裕をもった日取りにしたのだろう。
意外に冷静だ。
「良いじゃあないですか。気持ちに応えることは出来ませんが、好かれる分には良いでしょう」
「要人に好かれると立ち回りやすくなるのですよ」
「まあ、それは良いとしても……問題はですね」
筆跡は丁寧で、教養が伺える。インクも良いものだ。
しかして一つ大きな問題があった。
「―――この方、女性ですよね?」
筆跡は細く流麗で、女らしいもの。
手紙の文面から察するに、どうも彼女はこちらを男だと思っていて。
そして最後に書かれた筆者の名前は『ティアーヌ・テルン』。
イーストエッジ王国最大規模の商会であるテルン商会、その会長の娘である。
テコ入れ(新ヒロイン)。
果たして彼女の恋は叶うのか。




