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その元・男、現・貴族令嬢にて  作者: 伊賀月陰
第一章:失ったもの、失わなかったもの
42/72

第40話:その元・男、現・貴族令嬢にて

お待たせ致しました。


総合評価1000pt突破、誠に有難う御座います。

今後とも宜しくお願い致します。






 日の出と共に、リリアンヌは目を覚ます。


 起床の時間は長年染み付いた習慣で、それは負傷を抱えた身でも変わらない。

 ゆっくりを身体を起こし、寝台を出て、全身を探るように動かす。


「ん……」


 随所に引き攣るような痛痒があるが、日常生活に支障は無いだろう。

 疲労で重かった手足もすっかり軽くなっていた。

 リハビリも兼ねてゆっくりと柔軟運動を行う。




 ヨシヒコとの決闘から今日で半月になる。


 決着の後、気を失ったリリアンヌを運んでくれたのは王国軍の兵士であったそうだ。

 あの時、万が一リリアンヌが敗北した場合に備えて、近くの村に陣地を構築し兵士が詰めていた。

 ヨシヒコを狙撃したセバスチャンが事前に待機していたのもその陣地だ。

 片腕が無いセバスチャンではリリアンヌを抱えられない。その為、陣地まで急ぎ戻って応援を呼んだという次第らしい。

 全身に細かい裂傷や打撲傷を作り、打撃で内臓までダメージを負い、魔力・体力を過剰に消費したリリアンヌ。

 医師により一ヶ月は寝たきりであろうと診断された。


 一週間で歩き回れるようになり医師の顎が外れた。


『おはようございます、リリ様。本日の朝食は如何されますか?』


「おはよう、ばあや。今日は食堂で食べます」


 扉越しのカロルの声に、運動を切り上げて夜着を脱ぎ捨てる。

 ふと鏡を見れば、裸身が露わ。

 外で走り回ることが多いリリアンヌの肌は軽く焼けているが、白く滑らかな肌質を保っている。

 しかしてその全身には、少女にはそぐわぬ夥しい数の傷跡が刻まれていた。

 昔から今に至るまでの、修行と戦いの記録。

 殆どは、よく見ればあるという程度の僅かなもの。しかしこのところ竜種やヨシヒコなど激戦が多く、まだ消えていないものも多い。

 リリアンヌにとっては当たり前のもの。

 だが、ふと同じ年頃の少女はこんな傷だらけではないだろうなとも思う。

 生まれ落ちて、武勇を選ばなければ少女らしく育ったのだろうかと考え―――意味の無い仮定だと苦笑する。

 武の道を選ばなかった『リリアンヌ・ル・ブルトン』ではこの地を守れなかったと、神がそう言っていたのだから。




 普段着に着替え、部屋を出る。


「おはようございます、お嬢様」


「おはよう、じいや。今日は不意打ちは無いんです?」


「調子が戻りましたら、その時に」


「期待してます」


 音もなく扉の外に立っていたセバスチャンと挨拶を交わして食堂へ。

 扉を開けて入れば、食器や席を整えているカロルと。


「おはようございます、レオナルド様」


「おはよう、リリアンヌ。身体の調子は大丈夫かな」


「ええ、この通りすっかり元気です」


 にこりと微笑んで力こぶを作ってみせる。思ったより大きな瘤が出来て、慌てて腕を下げた。

 レオナルドも釣られたように笑う。


「傷が治って体力も戻ったら、仕事が待ってるぞ」


「……そう言われると傷が痛んできたような」


「こらこら」


 談笑しながら、運ばれてくる朝食を楽しむ。


 そう、仕事があるのだ。

 両親が亡くなり、リリアンヌは男爵位を継承した。

 戦時中であったため正式には後回しになっていたが、終戦した以上は領主としての仕事が幾らでもある。

 そしてリリアンヌには、潰された村の復興と……もう一つ、やりたいことがあるのだ。




「改めて―――この度、御苦労だった。ル・ブルトン殿」


「こちらこそお礼申し上げます、オーランド公」


「…………」


「…………」


「やっぱり普通に喋らないか、リリアンヌ嬢?」


「構いませんよ、義父さま」


「その呼び方はくすぐったいのう」


 ル・ブルトンの屋敷、その応接間。

 リリアンヌを見舞いに来たオーランド公はすっかり砕けた様子で椅子に身体を預けた。


「しかし、半月前はボロボロに見えたのだが。思ったより元気そうだな」


「治癒促進を行っておりましたから。……お陰で、傷はともかく魔力が戻りきっておりませんが」


 呼吸法と魔力循環により代謝を活性化させ、傷の治癒を促進する技術。これも父・ジルベールから教わったものだ。

 戦闘中に使えるほど治りが早くなるわけではないし、精神力・魔力の消耗もあるが傷は早く治る。

 あとはよく栄養を摂って休養すれば元通りだ。


「病床でそんなに急ぐこともあるまいに」


「うちは農業が主軸ですから。あまり長く床に臥せっていては仕事に差し支えます」


「真面目なことで」


 肩を竦めたオーランド公は、一転して厳しい顔をして。


「それなら仕事の話といこうか。そちらも話したいことがあったのだろう?」


「ええ。ですが急ぎではないので、オーランド公のお話を先に」


「ん、そうか」


 身を乗り出して、オーランド公は語る。


「『帝国の勇者』討伐の功労者であるリリアンヌ・ル・ブルトンに褒賞を与えるべき、という意見が多く出ている」


「褒賞ですか」


「『帝国の勇者』は、出る戦場出る戦場で大暴れしていたからな。それを犠牲無く討伐したとあっては、何も報いないというのは筋が通らぬ」


 同意の頷きを返す。

 功には賞を。信賞必罰は社会において大切なことだ。

 当人の望む望まざるに関わらず、功績は表彰しなくてはならない。

 賞なく終わらせてしまえば、悪しき前例が生まれてしまうからだ。


「頂けるのであれば、喜んでお受け致します。……率直に申しまして財政難でして」


 被害が少ない、と言ってもそれは王国全体での話だ。

 ル・ブルトン領は散々荒らされており、それらの補填や今後のことを思えば貰えるものは貰っておきたい。

 それはオーランド公も予想済みだったのであろう。


「それで、何を与えるかというのも検討中でな。……土地というのも良いが、今から帝国の国境付近を割譲されて嬉しいか?」


「あの辺りは……ちょっと……」


 苦笑して首を振る。

 国境を挟んで帝国側は、大した資源も無ければ土地も貧しいと聞く。進んで欲しい地域ではない。

 しかし帝国側の土地を与えられると、冗談でも言えるということは。


「まだ帝国の賠償内容は決まっておりませんので?」


「む、口が滑ったわい」


 嘘だ絶対にわざとだ、と思うが一応口にはしない。

 しかしこのタイミングで情報を漏らしてくるということは……帝国に関わることでも、褒賞として検討してくれるということではなかろうか。

 それだったら丁度頼みたいことがある。


「腹芸は苦手ですので直截に申し上げますが……褒賞に関してはある程度斟酌してくれる、ということで宜しいですか?」


「ん……まあ、そういうことだな。限度はあるが、希望を伝えることは確約しよう」


 軍部の纏め役であるオーランド公からの言質だ。信頼していいだろう。

 では、と前置きをしてその意を口にする。


「帝国との貿易を許して頂きたい」


 オーランド公がぎょっとした顔でこちらを凝視した。

 さもありなん。このイーストエッジ王国の中で、最も帝国の脅威に晒されたのがこのル・ブルトン領なのだ。

 その領主が帝国との通商を望むなど誰が予想できようか。


「接収した帝国の資源を寄越せ、というのなら納得も出来るが……貿易?」


「はい、貿易です。独占させろ、とは申しません。通商路を開いてくれればそれで」


「ふむ……まあ開くだけでこの領地には多くの商人が詰め掛けるだろうが……」


 鉱物資源に乏しい王国と、食糧生産が不足している帝国。その間を往復するだけで商隊はどれだけの稼ぎを得られるか想像も付かない。

 それは誰しもが理解出来ることで……しかし、これまで行われなかったのは理由がある。


「帝国を誅せずに商売を優先するなどと……」


 オーランド公が渋い顔をするのは、何も彼が狭量なのではない。

 こちらを殺しにかかってきた相手と商売しようなどとそうそう受け入れられるものではない。

 だからリリアンヌも、正直に応える。


「これは領地領民の為でもありますが……実のところ、至極個人的な感情でもあるのです」


「個人的な感情?」


「復讐です」


 いよいよもってオーランド公の表情は不可解なものとなる。

 当然だろう、と思いつつリリアンヌは言葉を続ける。


「『帝国の勇者』……彼はヨシヒコと名乗りましたが、その彼が言ったのです。帝国には食糧が無いから、王国から奪うのだと」


「まあ、帝国はそうであろうな」


 歴史的にも多くは帝国の貧困から発するのがいつものことだ。


「帝国首脳部が本気で略奪が正義としているのかは分かりませんが……奪うしかない、と考えているのは間違いないのでしょう」


 それを否定してやる。


「だから食糧を売り付けます」


「高値で?」


「ふんだくれる金を持ってるかも怪しいものです。―――王国の相場で売り付けてやります。その金で鉱物資源を買い漁り、王国に流します」


 貴様らのやったことなどこの程度だと叩き付けてやろう。


「飢えた帝国民を、うちの麦で生かしてやりましょう。それがヨシヒコへの……『帝国』への復讐です」


 昏い感情が口端を持ち上げる。

 死んだ程度で許してやるものか。

 奴のやったことを無価値になるまで貶めてくれよう。

 自身の救えなかった帝国が、私によって救われる様を地獄から眺めているがいい。

 くつくつと笑う様を見て、オーランド公が慄くように腰を上げた。


「わ、わかった。希望に沿えるかは分からないが、政務には伝えよう」


「お心遣いに感謝致します。……それと、お見苦しいところを」


「自覚はあったのか……まあいい。帝国との通商はうちにとっても儲け話だ。最善は尽くそう。可愛い義娘の頼みでもあるしな」


 挨拶を交わし、オーランド公は屋敷を去っていった。


 丁度通りすがったカロルに応接間の掃除を頼み、屋敷の裏庭へと出る。


「ん……」


 さぁ、と吹く心地良い風に目を細める。

 長年踏み込まれ固くなった土の上を、森との境まで歩く。

 そこにあるのは真新しい、小さな石柱。表面には人の名前が並んで二つ彫り込まれている。



 ジルベール・ル・ブルトン。

 シャルロット・ル・ブルトン。



 リリアンヌが我儘を言って用意して貰った、二人の墓標だ。

 その目の前に膝を着き、手を合わせて目を閉じる。

 墓標の下に二人の遺体は無い。彼らの遺体は丁重に埋葬され、きちんと整備された墓地に収められた。リリアンヌもそれに立ち会っている。

 ここにあるのは、ただ名前の刻まれた石柱に過ぎない。

 それでもリリアンヌの祈りに瑕疵は無い。

 正式な墓地にも彼らはいないのだ。そこにあるのはただの残骸。何処であろうと祈りに変わりはない。

 そして二人が遺したものはここにある。

 二人の娘たるリリアンヌがここにいる。




 リリアンヌは彼らの冥福を、ただ祈る。


 彼らは失われてしまって二度と戻ってはこないけれど。


 大切なものは傷付けられてしまったけれど。


 それでも失われなかったものがあるのだと、リリアンヌは証明する。


 だから安心して眠ってくれ、と祈りを捧げる。




「――――ふう」


 ゆっくりと目を開いて、大きく息を吐く。

 これから忙しくなるだろうが、頑張っていこう。

 ル・ブルトンの領主として恥ずかしくないようにしなければ、二人だって安心して眠れまい。

 背後に気配を感じ、ゆるりと振り向く。

 屋敷の裏口からセバスチャンが顔を出していた。


「―――失礼、お邪魔致しましたかな」


「いや、今終わったところです。何か?」


「先の今で、お客様が」


「分かりました。すぐ向かいます。お茶の用意をお願いします」


「御意に」


 引っ込んだセバスを追うようにリリアンヌは一歩を踏み……ちらりと背後を一瞥する。

 磨かれた石柱が陽光を浴びてきらきらと輝いていた。


「―――行ってきます」


 ぱたん、と裏口の扉が閉まる。




 葉が一枚、ふわりと風に乗り、天へと舞い上がっていった。








 ――――――――第一章、了。






第二章へと続く。

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