第35話:告白
決闘の前日は、静かな雨が降った。
しとしとと、いつでも止みそうで、いつまでも止みそうにもない。曖昧な空模様。
明日は雨天になるのだろうか、とレオナルドは窓の外をぼんやりと眺める。
リリアンヌは今日一日、武具の整備や作戦の最終確認を行っていた。
それらを滞りなく終えた後は室内で確かめるように身体を動かし、先程浴場に入っていった。
傍から見ればいつも通りの彼女だが、レオナルドには思い詰めているようにも見えた。
翌日には帝国の勇者と決闘なのだから緊張は当然だが、どうにもそれだけではない、不安のようなものを感じたのだ。
一瞬垣間見えた凛々しい彼女の横顔はいつも通りだったので、杞憂かとも思うが。
戦闘に関しては門外漢のレオナルド。
決闘前日であろうといつものように書類仕事を片付け、彼女を気遣う程度のことしか出来ない。
歯痒いが、素人が口を出せる分野ではない。
レオナルドはレオナルドの戦いをするだけだ。
寝台横の机から書類を取り上げ、寝そべりながら蝋燭の明かりで読み取る。
執務室から持ち出した、この領内に関する記録だ。
端的に言って、今のル・ブルトン領の状況は良くない。
帝国ウェストシクルに領地を荒らされたのが響いている。
大きな街でもあれば特需も見込めたのだが、ル・ブルトン領はほぼ農耕地帯だ。人口は少なく、土地はあれど住める場所はそう多くない。
幸いにして早期に倉を開いたため飢餓の心配は無いが、あまり戦争が続けばただでさえ少ない領民が流出する。
早急に終戦、あるいは帝国側まで押し込んでしまえればいいのだが。
「……結局、僕に出来るのは書類を捲ることだけか」
自嘲に口端を歪める。戦う力も戦略を練る知恵もない。せめて戦争が終わってくれれば、などと願うことしか出来ない。
せめて彼女が安心して戦えるように……と頭を回す。
明日の決闘は彼女が勝つ。負ける想定は、なるべくしない。
勝ったとすれば、もう王国軍に敵はない。そのまま帝国軍を押し込んでしまえるだろう。
帝国の勇者などというイレギュラーが出現した戦場以外では王国軍が圧倒的に優勢なのだから。
レオナルドの仕事は戦後処理からが本番となる。
戦地となったから王国側からの支援を強請って、まず被害に遭った農村を復興。これを機に新たに開拓を試みても良いかもしれない。
戦後需要を狙って商隊も増えるだろう。通行税を下げることで商人をより多く呼び込めないだろうか。
いやいっそ夢を大きく。王国側に交渉して、国境付近に街を作るなどどうだろう。
立地上難しい場所であるが、何かウリさえあれば発展は見込める。防備の整った街があれば防波堤にもなる。領民は安心して暮らせることだろう。
忙しくなるぞ、と妄想を膨らませるレオナルドの部屋へ。
コン、コン。
遠慮がちなノックが響く。
「誰だ?」
リリアンヌのノックはもっと堂々としている。彼女の従者であるカロルかセバスチャンか……と当たりを付けて誰何を送ると。
『夜分に失礼致します……私です。リリアンヌです』
「リリアンヌ?」
慌てて飛び起きる。
「どうぞ、入ってくれ」
『失礼します』
おずおずと入ってくるリリアンヌを見て、一層疑念を深くする。
このような態度を示す彼女は初めてだ。リリアンヌは礼儀正しいが、気弱になることはまずない。
それこそ両親の死に直面しても、怒り嘆き悲しむことはあれど塞ぎ込むようなことはなかった。
「かけてくれ」
「はい」
ぽすんと寝台に並ぶ。
こうして落ち着いて話すのは、此処に来て以来かもしれない。
食事時や手すきに雑談を交わすことはあれど、二人きりになれる時はあまり無かったのだ。
ここ暫くはリリアンヌが忙しくしていたこともあり、話すらまともに出来ていない。
ちゃんと時間を作ろう、と心に決めつつレオナルドは問い掛ける。
「どうしたんだい、こんな夜更けに」
「ええ、その……少し、話が」
リリアンヌは躊躇うように答える。
本当に珍しいこともあるものだ。用があって来た彼女がこうも迷いを残しているとは。
意識して口調を抑え、レオナルドは促す。
「なんでも話してくれ」
リリアンヌは無言で俯く。レオナルドは蝋燭に照らされた横顔をじっと見つめる。
ほっそりとした首は湯上がりで仄かに赤く、ふわりと甘い匂いを纏っている。
蝋燭が小指の先ほど融けるほどの時間をかけ、リリアンヌは口を開いた。
「レオナルド様」
「なんだい」
「私を抱いてくれませんか」
「駄目だ」
即答。
「私では不足ですか」
「そういう意味ではむしろ僕が不足だな」
おどけたように肩を竦めてみせる。戦を妻に任せて屋敷に引き篭もっている夫である。情けないと言ったらない。
いつぞやの夜に誘われた時の方が、余程理性を揺さぶられた。こうして誘われる程度で我慢が利かなくなるほど獣ではない。
「抱いて欲しい理由があるんだろう」
「……………はい」
こくりと頷く。
「話してくれないと納得できない。わかるね?」
二度、頷く。
そのままレオナルドはじっと彼女を見つめて待つ。
口を開いては、言葉を飲み込むように閉ざす。睫毛がふるふると揺れる。
レオナルドは急かすことなくじっと待つ。
拳を軽く握り、開く。すう、はあ、と息を整え。
彼女はレオナルドをきっと見据え、ついに口を開いた。
「レオナルド様」
「うん」
「私は、帝国の勇者の同類なのです」
ふうむ、と頭を回し。
「特別な才能を持った存在、ということかな?」
「もっと根本的なところです。……私は、帝国の勇者……ヨシヒコと名乗る者と直接話したことがあります」
「帝国の勇者と?」
「恐らく、王国で彼と言葉を交わしたのは私だけでしょう」
震える声で、リリアンヌは告げた。
「彼は、そして私も…………異世界からの転生者なのです」
試験的に投稿時刻を調整します。




