第31話:シナイの竜
「さっむ……」
王国西北部、霊峰シナイ。
水と風のマナが年中吹き荒ぶ万年雪山で、防寒具を着込んだリリアンヌはざくざくと雪をかき分けて歩いていた。
「うう、此処で駄目ならもう候補地無いぞ……」
弾丸の素材として魔獣の骨を提示されてから一週間。
リリアンヌは各地の魔獣狩りギルドを飛び回り、大型魔獣の討伐依頼を潰して回った。
だが駄目だった。
狩った魔獣には、リリアンヌが見た中で最大という大物もいた。それでも不足だったのだ。
研究者曰く、足りないのは素材の強度ではなく術式との親和性。『一応作れはすると思うが十全な性能を保障できない』と。
彼らが今ある素材で製作を試みる間、リリアンヌは最高の素材を求めてこの霊峰へと訪れたという次第だ。
「本当に、此処にいるんだろうな……竜種なんて」
竜種とは、魔獣の一種である。
とは言うものの通常害獣として扱われる一般の魔獣とは、由来は同じでもその存在はまるで別。
竜とは、魔力持つ獣が長く生きた末に魔力を操る術を覚えたもの。
その為、当然能力は桁違いである。
中でも一番の特徴は魔法能力。
ただ漫然と魔力を吐き散らす魔獣と違い、竜は明確な意思を持って魔法を行使する存在なのだ。
とはいえ竜が生まれるのは非常に稀。
積極的に人を襲う習性を持つ魔獣が、人や他の獣に殺されずに長年を生きるのは相当なレアケースだ。近年では竜の発生そのものが殆ど確認されていない。
しかし、それ以前に竜となったものは未だ生息しているという。
その一つがこの霊峰シナイなのだ。
「……ふう。一度、休むか」
曇天越しの日差しを確認して、ビバークの準備に入る。
とはいえ前世と違いここは魔法が使える。
幸いにして大きな横穴があったので、適当に穴の入口に風除けを作って焚き火の準備をすればそれで良い。
近場から枝を集めて魔法で火を灯せば、それで休憩の準備が出来る。
寒冷地では身体の冷えが怖い。
雪を集めて湯を沸かし、ゴミを取り除いてから茶葉を入れる。
少し煮立たせてたっぷりと蜜を溶かせば、甘い紅茶の出来上がり。
火傷しそうなほど熱い紅茶をふうふうと吹いて口にすれば、腹の底から身体が温まっていく。
暫し、心地よい熱さに身を浸してゆっくりと身体を休める。
体調を整えながら考えるのは、果たしてどうやって竜を見つけるのかという狩りの手法だ。
竜種と一言に言ってもその生態は様々。通常の獣と似たような性質を示すものもいれば、まさしく絵物語の竜のように空を舞い、火を吐くものもいる。
共通しているのは魔法の使役と。
「体躯が、非常に大型であること……か」
生物は、大きくなればなるほど住処が限定される。
魔獣であっても寝処は必要だ。特に暴れるでもなくのんびりと過ごしているのなら、それなりに整った巣があると見ていいだろう。
「竜も生物なら、雪山で野晒しというのは考えにくい」
木々の中にねぐらを作っているか、岩穴の奥にでもいると考えるべきだろう。外を這い回っている痕跡でも見つけられれば楽なのだが。
そう考えながらずび、と紅茶を啜り……視界の端に気になるものを見つける。
「………獣の毛皮?」
リリアンヌが焚き火を灯した場所の更に奥、ぼんやりと照らされている暗がりに、黒い毛のようなもので覆われた塊があった。
じっと見つめるが、動く様子はない。無手のままそっと距離を詰める。
近づいてみれば、なかなかの大きさだ。
四足の獣で、体高はリリアンヌの背丈ほどもあろうか。生きて立っていればの話であり、今この獣は息絶えてぺしゃんこになっている。
死んでから日が経っているのか、からからに乾いている。
妙なことに、この獣は食われた様子がない。ただここで息絶えた、といった風である。
直接触れぬよう、適当な棒きれを持ってきて死骸を調べる。
「食われた様子はなし。肉は腐食して溶けたのかな。地面に張り付いてる……」
自然死だろうか、と獣の身体を引っ繰り返して、その考えを撤回する。
「―――――爪痕だ」
引っ繰り返した毛皮には、三条の爪痕があった。恐らく死因はこれだ。
しかして、それは獣同士の争いでは到底あり得ない傷であった。
傷が大き過ぎるのだ。
生きていれば体高はリリアンヌの身長に匹敵するであろうこの獣に、横合いから爪一閃。そこまでは良い。
その爪痕が、獣を両断しかねない大きさでなければ。
息を詰め、洞穴の奥を伺う。
ぱちぱちと枯れ木が焼けて弾ける音だけが響く。
ついと視線を外し、獣の遺骸をそのままに、微温くなった紅茶をぐいと飲み干し口を擦る。
荷物はそのまま。剣と短剣だけを拾い上げ、腰に据える。
そしてリリアンヌはすうと眼を細め、洞穴の奥へと入っていった。
洞穴は真っ直ぐで、奥へ進むに連れて徐々に幅も高さも広がっていく。
短剣の腹で軽く壁面を叩いてみれば、コンコンと硬質な音が返る。
硬さも密度も高い岩質だ。長年かけて形作られた洞穴なのだろう。多少の衝撃で崩れることはあるまい。
リリアンヌの予想が、いよいよ確信に至る。
更に少し進めば、一気に空間が広がった。
大空洞だ。屋敷をまるごと入れてなお余裕のありそうな広さ。
洞穴の奥なのに暗くないのは、壁面に生えている苔が仄かに光を放っているからだろう。
そしてその中心に、予想通りのモノが伏臥していた。
その姿は、竜、という言葉がしっくりと馴染むものであった。
真っ白な鱗に覆われた巨体は、高さだけで小屋ほどもあろうか。身体を伸ばせばカステールの大通りだって塞げてしまうであろう体躯。
四脚は折り畳まれ、長く太い尻尾は身体を緩く巻く。蜥蜴にも似た細長い頭は、眼を閉じ大地へと預けられている。
淡い苔の光に照らされた青白い巨躯は、恐怖よりも畏怖を感じさせた。
上位者に対する本能的な危機感が警鐘を鳴らす。ここから逃げろ、と。
『―――――グル……?』
僅かな身動ぎと共に、竜の眼がゆっくりと開く。
鼻先がひくひくと震え、擡げた鎌首がリリアンヌを向いた。
『――――――誰だ?』
「へ?」
『何者だ、と聞いている』
「しゃ、喋った!?」
『煩い、我が人の言葉を繰って何がおかしい』
遠雷のような声で、竜が話し出した。
『答えよ。答えぬなら、我が寝処に忍び込んだ者に相応の末路を与える』
「は、はい。失礼致しました。私はリリアンヌ・ル・ブルトン。この地の竜に用があって来た者です。
……無断で寝処に入り込んだ件に関しては、謝罪します。偶然入った洞穴が此処だっただけなのです」
言われてみれば、勝手に家に侵入した側だ。問答無用で攻撃されても文句は言えない。素直に陳謝し、頭を下げる。
『此の地の竜……我か?』
「はい」
他の竜がいる可能性もあるが、彼(彼女かもしれないが)が竜なのだからわざわざ他を探す必要もない。
それに、これほどの威圧感。間違いなく素材の必要水準を満たしているはずだ。
「無礼を承知で申し上げますと……貴方の骨が欲しいのです」
『我を殺したいというのなら、戦いに応じるが』
「いえそういう意味ではなくっ」
言葉通りに受け止めればそうなってしまう。慌てて訂正をする。
「ある目的の為に、竜の牙か爪が欲しいのです」
『ふむ』
巨大な牙を覗かせながら竜が欠伸をする。
一抱えもありそうな長さだ。弾丸の素材としては十二分な質量であり、硬さや魔力伝導率は言うまでもない。
なるべく戦いは避けたい。この竜を相手に牙や爪を切り飛ばして逃げるなど、命が幾つあっても足りなさそうだ。
『まあ、良いだろう。分けてやっても構わぬ。抜けたものがそのあたりに転がっておろう。それをやっても良い』
「本当ですか!?」
『竜は嘘を吐かぬ』
望外の結果だ、と喜ぶのも束の間。
『但し、一つ条件がある』
「はい。なんなりと」
『少し運動に付き合って貰おう』
は、という問い返しは竜が起き上がる音に掻き消される。
太い四足が伸ばされ、仕舞い込まれていた爪ががしりと地を掴む。
ぐお、という唸り声がリリアンヌの全身を叩き、反射的に身が竦む。
『竜は歳を取らぬ。餌も食わぬ。魔力を身に蓄え、ただ永くを生きる』
確かめるように軽く振り回される尻尾は、ごお、と大気を震わせた。
『たまに起きると、退屈でな。近頃は人も来ぬからと一層身体を持て余しておる』
かつてあった狩猟本能かのう、と冗談交じりに牙を剥くが、こちらとしては全く笑い事ではない。
『一太刀』
そう、条件を告げる。
『どうせ通らぬ刃なれど、一太刀当ててみよ。さすれば爪や牙を分けてやろうぞ』
「その……手加減とかは……?」
『逃げるならば追わぬ』
白竜は言外に示す。
欲しければ実力で一太刀入れてみよ、と。
「…………すぅー、はぁー………しっ」
数度、大きく呼吸。そこから徐々に小さく軽く速くの呼吸に切り替えていく。
同時に魔力を励起開始。相手は圧倒的に格上。消耗は度外視して全力でぶん回す。
腰から相棒たる二剣を抜き放った。
「リリアンヌ・ル・ブルトン。一太刀捧げましょう―――!」
『さあ来い人の子よ。竜たる我が相手をしてやろう―――!』
竜と人の咆哮が大空洞を震わせる。
竜の戯れが始まった。
次回、リリアンヌ死す。デュエルスタンバイ!




