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その元・男、現・貴族令嬢にて  作者: 伊賀月陰
第一章:失ったもの、失わなかったもの
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第26話:形見の剣

朝チュン。






 空が白み始める夜明け前。

 毎日の習慣に従い、リリアンヌはぱっちりと目を覚ます。

 いつも通りに鍛錬を行うべく寝台から飛び出そうと、ぎしりと木枠を軋ませて。


「ん、う……」


 横を見やる。

 そこには、突如布を剥ぎ取られて眉を顰める男がいた。

 反射的に布をかけ直すと表情が穏やかに戻り、すうすうと寝息を立て始める。


(そうだ。昨晩はあのまま……)


 精神的に大分参っていたリリアンヌは彼の横で寝入ってしまったのだ。

 寝台をそっと降り、身体を軽く動かす。

 寝込みを襲ったんじゃないかと思ったが、夜着に乱れはないし股ぐらに違和感も覚えない。

 夫となる人物との同衾ということで覚悟はしていたが、彼はやはりしっかり者だ。

 あるいは自分の色気が足りなかったか。我ながら性的な体つきではあると自負しているのだが、艶が足りないのだろうか。要課題。


 レオナルドを起こさないよう、そっと部屋を出る。




 私室で運動着に着替えた後、日課の鍛錬を開始。

 まず身体を捻って解した後、軽めに屋敷の周囲をジョギング。

 身体が温まってきたところで速度を上げていく。同時に、魔力を励起。かつ無駄な発散を抑え、あくまで身体の中を循環させるよう努める。

 以前、これを怠り魔力をダダ漏らしにした結果、魔獣を方方から寄せ集めて朝っぱらから激戦になったことがある。

 放出された魔力は無駄になるし、目立つ。良いとこなしだ。


 魔力が十分に行き渡ったところで魔法を発動。

 身体に纏う風を軽く、大地は足裏にしっかりと噛み合わせ、高速での疾走を開始する。

 こうなると屋敷の敷地内では狭すぎるので、街道へと飛び出す。

 いつものコースを走っていると。


「おはようございます。いつも御苦労様です」


 途中、商隊の馬車が走っていたので、会釈しつつ擦れ違う。

 御者が返事も忘れて唖然としていたのは、リリアンヌの速度が馬もかくやというものだったからか。


 ある程度屋敷から離れたところで街道を外れ、山林に入る。土の魔法を解除、風の魔法の強度をより上げる。

 とん、と地を踏めばリリアンヌの身体は軽々と宙を舞い、細い枝を折ることなく踏む。

 そのまま枝から枝へと、僅かに枝葉を揺らしながらリリアンヌは森を駆ける。


 ふと見下ろせば良く肥えた猪がいたので、風の刃で首を落として担ぐ。

 オーランド家の従者達やレオナルドへの良い土産になるだろう。

 魔法の出力を再調整して再び森を駆ける。幾分か経てば、いつもどおりに屋敷の裏庭へ出た。


 ふう、と息を整えて、その足で調理場に顔を出す。


「おはようございます、ばあや」


「あら、おはようございますリリ様。―――まあ立派な猪」


「客人の皆様に振る舞ってあげてくださいな。余ったら燻製に」


「承りました」


 カロルがすぐ作業にかかれるよう、猪を裏手に逆さ吊りにしておく。ぼたぼたと落ちる血を確認して、鍛錬に戻る。


 ここまでがウォーミングアップ。


 リリアンヌは裏庭の中央に立ち、身体の魔力を強く励起させる。

 もし間近に他の者がいれば、発する魔力の濃さに本能的な恐怖を覚えることであろう。

 修行を重ねたリリアンヌの魔力は、魔法を介せずとも常人ならば害せるほどに成長している。

 渦巻く魔力をリリアンヌは徐々に小さく……否、収束させていく。

 出力をそのままに外部への影響を抑える。

 魔法使いにおいて効率的な魔力操作は基礎技術だ。

 だがそれはあくまで無駄なく使うためのもの。リリアンヌが目指すのはその更に先。

 外部への影響を遮断した魔力の操作―――即ち魔法発動を感知させない技術。

 小さな魔法であれば今のリリアンヌでもほぼ完璧に隠蔽できるが、この規模の魔力は到底隠し切れない。

 だがこれは、今後の戦い……対『勇者』に必要なものだ。


「………ふっ!」


 収束した風の魔力を掌底に乗せ、撃ち放つ。的として樹に吊り下げられた木板を貫通し霧散していった。

 威力は十分、操作も悪くない。

 だが隠蔽性がまだ不足している。これでは発動前にバレてしまう。


 何度も繰り返しては失敗して、今日のところはこれで終わりにするかと考えた頃。


「おお、朝から元気だな」


 屋敷の角からひょっこりと顔を出したのは、オーランド公であった。


「これはオーランド公。こんな格好で失礼致します」


「何、不作法をしたのはこちらの方だ。……何やら魔力を感じたが、鍛錬の途中だったかね?」


「はい。毎朝の習慣でして」


 ふうむ、と感心した様子を見せつつ歩み寄ってくる。

 リリアンヌはその手に握られているものにふと目を奪われた。


「その剣は……」


「む? ああ、今日はこれを渡しに来てな」


 オーランド公が握っているのは鞘に収められた剣であった。

 握りは片手用、刃は比較的細身で、柄に翠の宝石が嵌め込まれたそれは。


「父様のもの……?」


「うむ。回収した後、私が預かっていた。手入れも済ませてある」


 一息に抜き放たれたそれは、綺麗に研ぎ上げられた剣身を見せた。柄の宝石と相俟って装飾品のような美しさがある。


「これはジルが……君の父が握っていたものだ。君に返すべきだと思ってな」


 再び鞘に収められたそれを、無言で一礼して受け取る。

 ジルベールの為に誂えた柄は今のリリアンヌには少し太い。それでも、握って扱う分に問題は無さそうに思える。


「ありがとうございます。態々このために」


「旧友の子だ。私にとっても気掛かりでな。……さて、もう一件用があるのだが」


 ぐるりと屋敷の方を振り向く。視線の先には、リリアンヌが用意したレオナルドの私室がある。


「気配が読めるのですか?」


「長年暮らしていた息子だ、そのくらいは分かる」


 リリアンヌにはそこまでの感知精度はない。王国の一軍を預かる立場は伊達ではないということか。


「どうやら、まだ寝こけているようだな。全く、妻はこうして勤勉だというのにあいつは……」


「い、いえ。私はいつもこの時間で。今朝もレオナルド様を起こさないよう出てきましたので……」


「いや、この時間なら起きていても―――起こさないように出てきた?」


 オーランド公は瞠目し、次の瞬間にはにやけ面へと移る。


「なんだやることやっているのではないか。

 あやつは葦のような奴かと思っていたが、存外男だったのだなあ。いや、リリアンヌ嬢を前にすれば当然か」


「は、はあ……ありがとうございます……?」


 突然機嫌が良くなったオーランド公に混乱しつつ、どうやら褒められているようなので礼を返す。

 ばしばしと叩かれる肩が少し痛い。


「それを確認できただけ来た意味があったというものよ。では今日のところはこれで帰らせてもらう」


「お待ち下さい、オーランド公をそのままお返ししたとなると私どもの立場が……せめて朝食でも召し上がってはいきませぬか。今日は丁度良い猪が捕れたのです」


 猪、と呟いて少し離れた場所に吊り下げられた畜体を見やる。


「あれはリリアンヌ嬢が?」


「ええ。散歩の途中で見つけまして」


「山菜のように獲ってくるのだな……いやこちらもこれから会議があるのでな。急ぎなのだ」


「それは残念です。また御来訪の際にはお伝え下さい、歓待の準備を致しますので」


「うむ、近々また来る」


 鷹揚に頷いて、視線を厳しくするオーランド公。


「帝国の勇者の対策もせねばならん。

 交戦して生還したのはリリアンヌ嬢もそちらの侍従だけだ。また対策会議に出席して貰うぞ」


「喜んで。あれは仇です。私が首級を挙げたく思っております」


「我らが王国に晒し首は、廃れて久しいのだがなあ……」


 まあよい、と二度頷く。


「また来る。―――あれはのろまだが悪い奴ではない。存分に使ってやってくれ」


「良い夫になってくれそうですよ」


「ふん、早々に惚気けおって」


 にやりと笑って、大きな身体を揺らしながらオーランド公は去っていった。

 それを見送り、手に残った一本の剣を抜き放つ。


「『風よ』」


 魔力を通せば、埋め込まれた宝石はその魔法を増幅させる。

 リリアンヌが愛用するマインゴーシュに勝るとも劣らぬ収束具としての性能。

 そして美しい剣としての機能。

 逸品であることに疑いはない。


「お父様。お借りします」


 翠の宝玉は応えるように煌めいた。





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