第25話:二人の夜
レオナルド視点回。
激しい雨が、ばちばちと硝子窓を叩く。
一通りの作業を終え、食事を終えた頃から雨は本降りになり、一向に止む気配を見せない。夜通し降り続けそうだ。
あてがわれた寝室、その寝台に寝そべりながら、レオナルドはぼんやりと窓の外を眺める。
結局、食事の際もその後もリリアンヌと込み入った話はできなかった。
機会はあったはずなのだが、彼女はそうなると逃げるように立ち去るのだ。
レオナルドはただ再会を喜び、父が急に言い出した縁談について確認したかっただけなのに。
ともあれ急ぐ話でもないのは確かだ。
ここは彼女の家で、縁談が本当ならば今後の自分の家にもなるのだ。話す機会など幾らでもある。
今日のところはさっさと寝て、旅の疲れを癒やして―――
コン、コン。
『レオナルド様。夜分に失礼致します』
「その声は、リリアンヌか?」
『はい。少々お話が』
「構わない。入ってくれ」
訪れたのは、夜着姿のリリアンヌであった。
蝋燭の朧げな明かりに照らされた彼女の姿に、レオナルドは目を奪われる。
肌触りの良さそうな薄手の布で作られた夜着は身体のシルエットをくっきりと浮かび上がらせている。
なだらかな肩、引き締まった腰、露わな生足。
少女だと思っていたが、大きく盛り上がった胸と丸い臀部はその身体の成熟を示している。
それでも全体の印象がすらっとしているのは、身体を鍛えているが故に余計な肉がついていないからであろう。
「レオナルド様?」
声をかけられ、ぱっと視線を逸らす。この暗さだ、悟られてはいるまいが。
「あ、ああ。どうしたこんな時間に」
「少し、お話したいことがありまして。暗いので近くまで行っても?」
「構わない」
歩み寄ってくるリリアンヌから僅かに目を逸らし、寝台のスペースを空ける。
「横、失礼しますね」
レオナルドの横にすっと座る。
ぎしり、と寝台が軋んだ。
間近に見るリリアンヌは目の毒だ。身体を見ないよう、レオナルドは早々に話を済ませようと切り出す。
「で、なんだい?」
「オーランド公からお聞きになっているとは思いますが、私とレオナルド様の縁談の件についてです」
「ああ……となるとやはり、あれは狂言ではなく本気だったのか」
もしや冗談も有り得る、と考えていただけに少しだけ安心する。
「オーランド公はそのような嘘を仰る方ではありませんから」
「そうだね。父上はあまり他人を巻き込む悪戯はしない」
身内だけで済むならば、時折冗句を言うときもあるが。
「しかしリリアンヌが妻か。あまり実感が湧かないな」
「お嫌ですか?」
「まさか。でも妹みたいに思っていたからね」
文武両道、才色兼備。付き合いも以前からあり、気心知れた仲である。
これで文句を言っていたら、婿入りしていった兄達に刺される。
「私を、妻として見ることは出来ませんか?」
「え?」
ぎしり。
リリアンヌが手をつき、身体を寄せる。
「私はレオナルド様を夫としたいのです。そう、オーランド公にもそうお伝えしました」
肩が触れる。素肌で感じる彼女の身体は柔らかい。
顔が寄る。
「夫婦となるのです。私を望むがままにして下さいませ……」
誘うような囁き声。
男ならば抗えぬ魔性の女。
それでもレオナルドの頭が理性を奪われなかったのは―――常の彼女を知っていたからだろう。
「どうした、何があったんだ」
「レオナルド様……?」
「君は、これまで私に女を主張したことはなかった。一度たりともだ」
「それは、そういう場ではなかっただけで御座います。外で求めてははしたないでしょう」
「違う、そうではない」
数え切れぬほどの文を通わせた間柄だからこそ分かる。今のリリアンヌはどうにもおかしい。
レオナルドが彼女に女を感じなかったと言えば嘘になる。
レオナルドはまだまだ若い男で、見目麗しい少女と親しくしていればそういう情動を覚えることもあった。
だが、逆は無かったのだ。
「リリアンヌ。君は、一度たりとも女として私に接したことはなかった!」
数ヶ月も手紙だけでやり取りしていると、まるで男友達のように錯覚することすらあった。
それほど彼女は女性を感じさせなかった。
数少ない、直接のやり取りでもそうだ。
色香を漂わせることこそあれ、相手に異性として接する彼女は見たことがない。
女と権威を表に押し出した嫁候補とは違う。だからこそ続いた、友人関係なのだ。
「君が僕に何かを求めるなら、僕は身命を賭してもいい。だがこれでは……!」
リリアンヌの肩を掴んで訴える。
呆然とした顔でその言葉を受け止めていたリリアンヌは、ぽろりと零した。
「何故、私をものにしてくれないのですか」
「君は妻である前に、私の大切な友人であるからだ」
「何故……私のものになってくれないのですか……」
「リリアンヌ……?」
様子がおかしい。問い掛けの体を取っているが、その目はもうレオナルドの方を向いていない。
喉を震わせ、リリアンヌは心中を吐き出す。
「差し出せるものは私の身体しかないのです……これを受け取って貰えなければ、私は何を捧げれば良いのですか……!」
「どうした。何を言っている。差し出す?」
まさか父・オーランド公と密約でもしたのか、と焦る。だがそうではなかった。
「この家で、レオナルド様に出せるものは私しかいないのです。
私をどうしてくれても構いません、捌け口にしてくれて構いませんから、どうか……どうか……!」
レオナルドに縋り付いて、絞り出すように、涙を零しながら。
「助けて、下さい……!」
「最初からそう言ってくれ」
「あうっ」
ぺし、と彼女の頭を叩く。
涙目で顔を上げる彼女を、可愛いなと感じながら。
「僕に何をして欲しいんだ?」
「え、あの……領内に関わる執務と書類整理を……」
「分かった、承ろう」
ほぼ領主の仕事だ。大変そうだが、似たような仕事は経験している。なんとかなるだろう。
即答したレオナルドを、信じられないという様子で見やりながら。
「な、なんで……?」
「むしろそんな人間だと思われてたことに文句を言いたいね」
リリアンヌの手伝いをする代わりに身体を求めるなんて鬼畜の所業、一瞬たりとも考えたことはない。
……身体のことを考えなかったとは言い切れないが。
「執務を手伝うのは全く構わないけど、もしかして縁談はそれが理由?」
「……………………」
「肯定か」
「う。……半ばほどは、そうです。私に婿が必要だったのもあります。
レオナルド様をお相手に、というのはオーランド公の提案でして」
「父上はまったく……」
誰が損するでもない縁談なのがなんとも憎らしい。
婚期の遅れたレオナルドも、人手が要るリリアンヌも、そして末子を送り出せる父も。
「しかし、なんだって急に執務の人手なんて。ル・ブルトン領はそんなに人手不足だったか?」
「不足したのです。……人が、いなくなったので」
「どういうことだ?」
「父と母が戦死しました」
「―――――――は?」
「補佐であるセバスは重傷で、まだ動けません。遺されたのは私と侍従のカロルだけです」
「ま、待ってくれ。……ジルベール殿が戦死?」
それは衝撃的な事実であった。
あの、王国に名立たる騎士であるジルベールが帝国相手に戦死した?
「はい。帝国の『勇者』と呼ばれる男に敗北し、死亡しました。母も、セバスも同じ相手にやられたのです」
帝国の勇者。歴史書を紐解けば幾らかの記述がある存在だが、そこまでの脅威とは考えたこともなかった。
「し、しかし未だに国境線は割られていないのだろう。相討ちになったのでは?」
「いえ無傷です。私も交戦しましたが、傷一つ付けられませんでした」
「な――――――」
どんな化物だそれは。
「幸か不幸か見逃され、こうして生きております。……随伴の兵士は一掃しましたので、そのせいでしょう」
勇者一人で前に出ても意味がない。だから退いたということか。
とんだ怪物が潜んでいたものだ。となれば、前線もいつ破られるかわかったものではない。
「それは……恐ろしいな」
「いえ、何とかなります」
リリアンヌの即答に言葉を失う。
「相対して分かりました。勝てませんが、殺せます」
矛盾した言葉に思えるが、リリアンヌの声色は断言する者のそれだ。
元よりレオナルドは戦については門外漢。
「リリアンヌがそう言うなら、なんとかなるんだろう。……それで執務をする人間が必要と」
「はい。……第一撃目、帝国の奇襲が失敗に終わった以上は真っ当な消耗戦になるでしょう。その前に領地を整備しておきたいのです。
先日の戦いでも、村が一つ消えてしまいましたから」
戦時であっても領民は営みを続けている。戦災から民を守るのは、彼女一人では荷が勝ちすぎる。
幾らかの方策を頭の中で回しつつ、レオナルドは頷いた。
「わかった、やってみよう」
「申し訳ありません、よろしくお願い致します」
「はは、前線に立つよりは僕向きの仕事で助かったよ。お礼もして貰えるみたいだしね」
ちょっとした冗句も交えて安請け合いをしてみる。
これで少しでも彼女の気分が軽くなれば良いのだが、と思いつつ。
リリアンヌは一つ頷いて、
「はい。私を好きに”使って”頂いて構いませんので。いつでもお声を掛けて下さいませ」
「えっ」
えっ。
「……………えっ?」
レオナルドのせいでノクターン書けなかった……




